青い王子は資格を求める
青の王子と学園で称される、青柳 玲次。普段は頭の先から爪先まで隙の無い佇まいであることが平常であった。しかし、学校から帰った彼はタイはよれよれ、シャツは汗まみれで心なしか眼鏡も曇っているように見える。
「……あぁ、疲れた」
豪邸と言っても差し支えない大きな屋敷、その離れに帰った玲次はソファーに倒れこんだ。
日葵に振り回されながらの業務は想定を超えて大きく進んでいるが、その分気疲れも多く、疲労困憊してしまう。
「お帰りなさいませ。あらあら、お疲れですね。坊ちゃん」
「少し疲れた。今日は先に風呂に入りたい」
「はいはい。わかりました」
割烹着を着ている初老の女性は、離れを一人で管理している家政婦だった。
柔らかい声音で返事を返し、風呂の準備に取り掛かる。
玲次はスマフォを取り出して、Iineを既読する。何人かの女生徒からの連絡が来ており、普段なら丁寧に返信するのだが、今日ばかりは気力が湧かない。
「まったく、なんて様だ……」
疲れの原因は、ここ数日の学生会の業務のせいだった。
生徒会は文化部の代表と運動部の代表が一人ずつ選ばれるのが慣例だ。
そして、代表二人が選出した生徒が補佐を務める。
補佐は代表一人につき、一人か二人だ。さらに、学生会の仕事をフォローする委員会があり、年間の行事や他校との合同行事を企画することになる。
問題は、今年の代表である『二人の王子』があまりに人気すぎたことだ。
補佐役に入り込もうとする女子は後を絶たず、暴力沙汰にまで発展するところであり、親衛隊を自称する謎の女子組織により鎮静されなければ大事になっていたかもしれない。そんな状況を知って男子生徒も補佐役を断る始末。
意外にも錬も女生徒を学生会室へ入れようとしなかった為、補佐役の専任はいったん取りやめになっていた。
それを……。
『流石に業務が回んねぇよ。仕事ができる奴がいるっていうから頼もうぜ』
と錬が一人の女子生徒を選任した。いっそ一人だけなら下手な争いにならないと、一年で人気があり、クラス委員会で教師も驚くほどの結果を出した一名の女子を選任した。学生会室は玲次にとって特別な空間であり、入る人間も選びたかったが、その女子生徒は玲次が最も気にしているある条件をクリアしていた。
少しずつ仕事を回していたが、まさか、ほとんどの業務をこなしておらず、やけになって学生会室を荒らして逃亡するとは思わなかった。
そして、その後に選ばれた一人の女子生徒、それがさらなる頭痛の種となる。
「卜部 日葵か……」
起動したアプリに浮かぶ猫のアイコン。明日の業務について日葵からの連絡だった。
わずか数日で、学生会の業務の立て直しを軌道にのせた女子。優秀な人材であることは間違いないが、如何せん彼女には『資格』が無い。
ソファーから窓の先にある本宅を見る。人に資格を求める自分にはあの屋敷に入る『資格』は持ち合わせていない。
「……僕も、あいつの様に勝手に生きたいもんだ」
選ばれた人しか入れない空間を学園に作り、仮初の優越感に浸っていたと思ったら、任された業務すらこなせていなかった。このことを父親が知ろうものなら、この離れでの生活すら危ぶまれるだろう。
Iine に乗る連絡先は全て良家のお嬢様ばかり、少しでも良い縁が自分には必要だった。
それらに返信を送る前に日葵からの伝言を開く。
『今日はお疲れ様でした。明日なんだけど、月の部活会について、部屋の予約と告知は終わったよ。青柳君もお疲れ様でした。明日もガンバろうねー』
猫がガッツポーズをするスタンプに苦笑して、体を起こす。
とにかく、業務はなんとかなりそうだ。そうなれば卜部とはこれで離れることになるだろう。
……その事実に胸が少しざわついた。その理由はわからない。ただ、少しだけ、彼女の喧噪が耳に残っていただけだ。
「……一応、確認しておくか」
体を起こし、自室にあるPCを起動し、USBを差し込んだ。開かれたファイルには全生徒のプライベートな情報が載っていた。無論、本来なら見ることのない情報だ。このデータは名家の子供が多く通学している学園に置いて、家同士の争いや誘拐のリスクを教師が秘密裏に把握することを目的に作成されたデータであり、苗字だけではわからない生まれについての情報が載っている。
青柳家の力も使って強引に手に入れたこの違法なデータから『卜部 日葵』の欄をクリックする。
家族構成を見て、玲次は驚愕した。
「住所地は普通の家だな。母親の旧姓が……龍造寺だと! 青柳に並ぶ名家だぞっ!」
字が同じだけなのか疑うが、データには確かに多くの企業を抱え、明治から続く家のものであることを示していた。
しばらく呆然としていた青柳は自分の手が震えていることに気づいた。
感じる感情は、仄暗く、冷たいようで熱い。
「どうして……アイツみたいな奴がっ『資格』を持ってるんだっ! まるで……僕が…いいだろう。利用してやるよ。卜部 日葵。……ククク、アハハハハ…ハハ…」
耳に残る彼女の喧噪と胸のざわめき、そして嫉妬が混ざり、苦しくなる。その笑いは乾いた声で一室に響いたのだった。
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