宣伝効果
島フェス2日目。
いつもより早く家を出て海辺のカフェに向かう。カフェで仕込みをしてから、マスターとフェス会場に車で行く手はずになっているからなんだけど。
……大丈夫だろうか。今日はマスターと二人だけで出店を切り盛りしないといけないんだよなぁ。先輩たちがいないので演奏はない。……お客さん、来てくれるかな。
海岸通りでホウキを持った近所のおばちゃんが誰かと立ち話をしている。観光客かな?
「ちょっと、分からないわねぇ」
小首を傾げた近所のおばちゃんと目が合う。
「あ!洋ちゃん、いいところに。洋ちゃんなら知ってるかしら、この辺りでバンドやってる男の子」
「え?えっと……」
ボクもやってるけど……
「こちらのお姉さんが捜してるらしいのよ」
近所のおばちゃんが手のひらを向けたのは、知らない女性だった。
派手な見た目で20代くらいの茶髪の女性。見覚えないから、捜しているのはボクではない……と思うけど……。この辺でバンドやってる男の子というのは……
「あれ?もしかして、トオタケ ヨウタくん?」
「……そうですけど」
見知らぬお姉さんが、ボクの顔をジロジロ見てきたと思ったら、いきなり名前を呼ばれた。なんで、ボクの名前を知ってるんだろ?
「あはは、見つけた。見つけた」
見知らぬ女性がボクの肩を叩いてくる。
「あら、洋ちゃんのことだったの?そういえば、洋ちゃん、ギターが上手だったわねぇ」
納得したように頷いておばちゃんは去っていく。見知らぬ女性とボクを残して。
知らない女性がスマホを取り出し、電話をかけ始めた。
「Allo ! Jacqueline. ヨウタを見つけたよ」
ジャクリーン?
この人、ジャクリーンさんの関係者?
「ヨウタ、これから時間ある?」
「ないです。あの、バイトがあるので!失礼します!」
「え?ちょっと、待っ」
ジャクリーンさんの関係者に呼び止められるが、寅二郎を抱えて走り去る。
ジャクリーンさんと関わるなら、事前準備しておかないと、とんでもないことになりそうだし。
「プクククク、それで、沈没船には近づけなかったってわけか」
「マスター、笑い事じゃないんです。寅二郎を海岸に連れて行きにくくなってしまって」
島フェス会場の出店でバイト中。昨日、沈没船を見に行った時のことをマスターに聞かれ正直に話したら笑われてしまった。
「まあ、寅二郎ちゃんなら、いつでも預かるよ」
「その時はお願いします」
マスターのところなら安心だ。寅二郎、あれで意外に繊細で寂しがり屋だから、独りで留守番は嫌がるんだよね。
「それにしても、昨日、あれだけ盛況だったのに、客、来ませんね」
「そうだねぇ」
客が来ない。昨日は売り切れるほど盛況だったのになぁ。心なしか、昨日よりフェスに来ている人も少ない気がする。
「ちわーっす」
「いらっしゃい」
なぜか伊与里先輩が出店にやって来た。まだ昼すぎたばかりなのに。
「あれ?伊与里先輩?バイトどうしたんですか?サボりですか?」
先輩がバイトしているカフェはデザートが売りなので、午後も賑わうのに。
「いやぁ~、それがさ、うちのカフェに行列ができるくらい客が来てさ、午前中に材料切れになっちまったんだよ。だから午後は臨時休業だってさ」
行列ができるくらいの客……
「……宣伝効果はあったみたいだね」
「先輩のバイト先に……ですが…」
マスターといっしょにタメ息をつく。まさかこうなるとは……
「客、来ねえな」
伊与里先輩がそれを言うのか。
ベンチに座り、他の出店で買ってきた焼きうどんをのんびりと食べている先輩に、タメ息が漏れそうになる。
「そういや、シロさんって人に連絡はついたのか?」
「それが、メールアドレスが違ってたみたいで、おかしな返信が来ただけでした」
もうあのアドレスは使っていないのかもしれない。
「シロさんのフルネームはなんて言うんだ?ネットで検索かければ、案外、簡単に連絡がつくんじゃねえか」
「そうですね!本名で……………あれ?」
「あれっ?て何だよ」
訝しむ先輩に、言い淀んでしまう。
「……シロさんの本名、……知らない…」
「はあぁ?」
伊与里先輩が呆れたように、ボクを見てくる。
「シロさんっていつも呼んでたし、ばあちゃんも島の人たちもみんなシロさんだったから、本名を聞いたことなかった……」
「ギターを教えてもらったりしてたのにか……」
先輩の指摘が心に痛い。シロさんが島にいた時は、毎日のように遊んでもらってたのに……
「……ボク、シロさんのこと、ほとんど知らない……」
本名も出身地も年齢も……。まともに聞いたことなかった。
ただ遊んでもらってただけで……
「そんなもんじゃないかな」
マスターがおかしそうに笑う。
「大人になるとプライベートなことは話さなくなるからね。それに仲が良くても年齢差があると、お互い細かいことは気にならなくなるからね。ほら、僕の経歴や素性を君たち気にしたことないでしょ?」
「そういえばそうですね」
そういえば、島に来る前のマスターのことは知らないな。先輩も納得したみたいで頷いているけど……。でも、名前も知らないというのはなぁ。
「シロさん、自分のことはあまり話さなくて……。いつも冗談ばかりで、なにが本当なのか子供のボクには見分けつかなかったというか。恐竜の鳴き声とか宇宙人の言葉とかは教えてくれたけど……」
シロさんのことで思い出すのは、楽しくておかしな話ばかりだ。
「マスターは、シロさんの本名を知ってたりは」
伊与里先輩がマスターに確認する。マスターなら知っているか……
「残念だけど、覚えてないなぁ。僕が島に移住してきて、そう月日が経たないうちに、彼は島を去って行ってしまったからね。名前も顔もおぼろげにしか記憶になくてねぇ」
すっかり島に馴染んでいるマスターだけど、島に移住してきたのは、そんなに昔のことじゃないことを思い出した。シロさんとは、ほとんど面識はなかったはず……
「ばあちゃんなら覚えていると思うので、あとで聞いてみます」
子供の時のボクと違って、ばあちゃんなら、さすがに本名や連絡先を知っているはず。
「ま、本名くらいなら聞けば分かるか。そんで、シロさんから教わった恐竜の鳴き声って、どんなだ?」
「……気になるんですか?」
「………まあ」
伊与里先輩、結構、子供だな。
「えっとですねぇ。……こう、喉を空けて、こんな感じに」
恐竜の鳴き真似をする。
こうすると人間の声とは思えないような声が出せるんだよね。本当に恐竜のような。
「……それって」
「うああぁあおおん」
何か言おうとした伊与里先輩の言葉を遮るように、寅二郎が吠え出した。




