ステージに
スタッフから簡単な説明を受け、先輩たちの背を追ってステージ裏に回る。漏れ聞こえてくる音楽と歓声が、さらにプレッシャーを与えてくる。
女性デュオの二人に偉そうなこと言ったけど、自分も本当はステージに立つのが怖いと思ってる……
「冷房効いてないのか?蒸し暑いな」
「ステージはもっと暑いだろうなー」
いつもと変わりなく先輩たちは、演奏前のストレッチをしている。
「遠岳も使うか?」
宮さんが丸いシールのようなものを渡してきた。
「これは?」
「ピックに貼るすべり止めシール。手汗でピックが滑るのを防ぐには便利なんだ。持ち替えたりが難しくなるけどな」
「そんな便利な商品あったんですね」
もっと早く、知っていれば……。リハの時に落とさなくてすんだのにな。
「いつもと感覚が違ってくるから、少し試し弾きして大丈夫そうなら使うといいよ」
「ありがとうございます。試してみます」
緊張のせいか、手汗がひどいので助かった。多少演奏がぎこちなくなっても、ピックを飛ばすよりはマシだろう。リハの時みたいな失敗はできるだけ避けたい。
「投げにくくなるから、遠岳には不便かもな」
「投げませんよ」
宮さんとの会話を聞いていた伊与里先輩が人の悪い笑みを浮かべてからかう様なこと言ってくる。一度、ピックを落としただけなのに、投げつけたような言い方しなくても。
ステージからの音楽と客の歓声が漏れ聴こえてくる控室で、出番を待っていると、目の前を黒い集団が通り過ぎていった。自分たちの前のバンドか。
まるで魔女か吸血鬼のような黒ずくめの衣装なので、これから歌いに行くというより黒ミサでも始める雰囲気だ。
「前のバンドは、ゴシックメタルか」
「ゴシックメタル?ですか?」
伊与里先輩が、聞きなれない言葉を発した。
「メタルと言っても、音楽性は様々で説明は難しいんだよな。暗く重みのある音楽ってところか。ゴシックファッションのバンドをそう呼んでるだけな感じもあるな」
「へえ、はじめて知りました」
「見た目がアレだから、敬遠されがちだけど、音楽はわりと一般受けしそうなのも多いんだよな」
ステージから漏れてきていた拍手と歓声が鳴りやむ。
いきなり人の声とは思えないほどの高い女性の歌声が聴こえてきた。
「すげえ声だな」
「あのボーカル、声楽を学んでるな。オペラ歌手が出すような超高音域を歪ませずに歌い上げてる」
オペラ歌手か。確かにそんな感じだ。メタルとオペラの融合か。
バイオリンにギター、ドラムにシンセサイザーが重厚な音を奏で始める。
「ヤバいな。このバンド」
「ああ、他のバンドとは違う。実力がある上に、オリジナリティもある。今までのうまいけどありきたりで耳に残らないバンドとは雲泥の差だ」
「なんでアカフジのオーディションなんかに出てんだ?これほどの実力なら、すでにメジャーから声がかかってるだろ」
先輩たちが口をそろえて褒め称えるほどの音楽性。すでにプロの領域、それも高レベルの。
会場は大盛り上がりだ。観客はインディーズの曲も聴くような、音楽好きな人たちばかりだ。応援しているバンドでなくても、本当にいい曲を聴いたら盛り上がるんだな。
「遠岳、もうすぐ出番だからな。帽子で顔を隠しとけよ」
「え?はい」
伊与里先輩に言われて思い出す。そういえば、顔は出さないようにしないといけないんだった。観客を見なくてすむから、今は顔を隠せるのがありがたい。
このバンドがハケたら、ザッシュゴッタの番になる。……この後に歌うのか……
演奏が終わり、歓声に包まれる。
鼓動が激しくなる。
止まない歓声とともに、前のバンドがステージを降りていく。
ボクたちの番だ。
「行くぞ」
伊与里先輩に背中を叩かれる。
大きく息を吐き出し重い足を何とか前に進める。ステージに上がると、一瞬の静寂が訪れ、
ブウウウウウ――――――ゥゥゥゥゥ
盛大なブーイングがホールいっぱいに響き渡った。
観客全員から拒絶されている……
「気にすんな」
将さんが背中を叩いて励ましてくれるが……
どうしよう。なんか頭の中が真っ白になってきた。……ギターをつないで、……これでいいんだよな。……それから、えっと…他には…………
マイクの前に立つと帽子で隠しても客の姿が見えてしまう。ラッシュ時の電車を思わせるほど、人がぎゅうぎゅうに集まっている。こんなに大勢の前で歌うのか?
しかも、こちらを見つめている複数の眼は、……その眼は……
将さんの声が聞こえた気がした。
カチ カチ カチ カチ
ドラムカウントが聴こえてくる。
音が遠いい。心臓の音しか聞こえない。
……なんだっけ?最初は……、コードは……、…あれ?、なにすればいいんだ?……歌詞は……歌詞は…………
ブオオォォオオオオ
低音のハウリングが耳をつんざく。全ての音が止まる。
「すみません。引っ掛けました。最初からいいですか?」
伊与里先輩がシールドケーブルを踏んづけてしまい、ベースからシールドが抜けてしまったようだ。
先輩が頭を下げ、シールドをベースにつなぎ直す。ブーイングがさらに大きくなるが、先輩は気にしていなさそうだ。
いつの間にか隣りにいた宮さんに背を叩かれる。
「大丈夫か?いつも通りでいいんだからな。ミスしたってオレたちがいくらでもフォローしてやるからさ」
小声で励ましてくれる。
緊張して声が出なかったの気づいてくれたんだ。
たぶん、伊与里先輩も。あんな初歩的なミスを先輩がするわけない。伊与里先輩、ボクを庇ってくれたんだ。
なんだか、背中が熱い……
そうだよな。ちょっとくらいミスしても先輩たちなら、フォローしてくれるんだ。大丈夫。怖がる必要なんてない。先輩たちは凄い人たちだ。
先輩たちはボクと同じステージの上にいてくれる。先輩たちは、どの出演者よりも上手いんだから、この場に相応しくないなんてことない。
深呼吸して顔を上げる。
青と緑の光が揺れているのが見えた。ペンライト?
ヨッシー副部長と杉崎部長だ!
ざわめく会場で必死に声援を送ってくれているようだけど、二人の声は掻き消えてしまって聞こえない。でも、ペンライトを振って応援してくれてるのは見えた。
……ブーイングの中、応援するなんて怖いだろうに……
ブーイングやヤジとは違う声も聞こえる。何を言っているかまでは分からないけど、あれは柏手くんだ。柏手くんが大きく手を振って声援を送ってくれている。
柏手くんまで……
そうだった。会場には、杉崎部長、ヨッシー副部長、柏手くんがいるんだった。自分の歌が聴きたいと言って、わざわざ、ここまで来てくれた3人……
……ホールにいる3人のために歌おう。他の人たちに、どう思われているか気にしたってしょうがない。自分のために声援を送ってくれている3人に向けて……
大丈夫。先輩たちといっしょなら…
今のボクができる、精一杯を




