一学期終了
先輩たちは帰っていった。色々ありすぎて処理が追い付かない。
ボクのスマホに送ってもらったスペイン語と日本語を眺めながら大きなタメ息が漏れる。
あの曲の歌詞か……
レイくんにスペイン語で読んでもらった感じでは記憶と近いものだったし、たぶんこれがあの曲の歌詞だと思う。
歌詞を知ったら、なおさら、あの曲のことをもっと知りたくなった。誰がどういう気持ちで作ったのか。どうしてばあちゃんちにCDがあったのか……
小笠原に行けば分かるかな?
寅二郎用の部屋のドアを開けると、寅二郎が怒ってるアピールなのか部屋の隅で背を向けて座っていた。
「寅二郎、ごめんね。お客さんが来てたから、部屋から出せなかったんだよ」
振り向いた寅二郎の顔は恨めしそうで心が痛む。先輩たちはいいけど、レイくんが犬苦手かも知れなかったし仕方なかったんだよ。
「おやつあげるからさ」
いつもなら大喜びで飛びついてくるのにやってこない。リードを咥えてのったりと近づいてくる。
「雨だから散歩は無理だよ」
「ああぅぅあああぅううう」
寅二郎が部屋から飛び出していく。姉ちゃんに言いつける気か。姉ちゃんにだって、雨をやませることはできないから無駄なのに。
夢を見た。
夢の中であの曲が流れていた。
記憶が薄れつつあったあの謎の曲が、はっきりと頭の中で響いている。懐かしくて、でも、なぜか少し悲しい……
目が覚めると、鮮明だったあの歌が、また薄っすらと霞がかかったようにおぼろげにしか聴こえてこなくなっていた。
✼
雨は降り続く。
涼しいのはいいけど、雨の中、ギターを持ち運ぶのは辛い。
文化会館につくと、顔なじみのおばちゃんからチラシを貰った。夏に世界民族音楽の演奏会を開くらしい。ちょっと興味あるな。残念ながら、小笠原に行ってる時期だし見に来ることはできそうもないな。当たり前だけど、文化会館に来ている人たちにも目標があって頑張ってるんだよな。
「梅雨、終わんねえな」
「雨が続いてる方が涼しくていいけどな。小笠原行くまでは雨でもいいかな」
先輩たちが雨で薄暗い窓の外を見ながら、伸びをしている。
「小笠原のことなんですけど、昨日の夜に、ばあちゃんから連絡があって、バイト先と練習できそうな場所、いくつか用意できるそうです。現地で来てから選んだらどうかって」
「お!マジか。遠岳のばあちゃんには感謝しないとなぁ。船の予約も無事できたし、夏休みは小笠原を満喫するぞー」
将さんが満面の笑みで、頷いている。
「ショウグン、遊びに行くんじゃなくて、練習がメインだから」
「バイトもっすね。船賃以上は稼がないと秋から練習室を借りるのも厳しくなる」
伊与里先輩と宮さんが、笑いながらクギを刺す。まあ、小笠原に行ったら、どうしても遊びたくなるだろうからなぁ。
予約した時間が来て、練習室に入り、準備をはじめる。
「アカフジの最終審査まで、日にちもねーし、気合い入れるぞー」
将さんがドラムスティックを掲げ発破をかける。
いつもと変わらない雰囲気ではあるけど、いざ音が鳴り始めると、空気がピリッと引き締まった。それだけ差し迫ってきてるってことだ。
先輩たちから流れてくる響きも、緊張感があって、ズシリと身体を震わせてくる。
あ!またミスったぁぁ。
ギターのミスで演奏を止めるわけにはいかない。弾き続けるけど……
「少し休憩するか」
「おう、今日は蒸し暑くて、すぐに汗が出てくるからなぁ」
伊与里先輩と将さんが水分補給している間に、宮さんに相談しにいく。
「宮さん、同じところで何度もミスしてしまう時って、どう練習したらいいんでしょうか?」
麦茶を飲んでいた宮さんが、少し考える素振りから笑みに変わる。
「ああ、あるよな。苦手になっちまう箇所」
宮さんでもあるみたいで安心する。
「弾けるイメージがつくまで練習を繰り返すしかないかなぁ」
「練習あるのみですか……」
分かってはいたけど、厳しいなぁ。
「苦手な箇所って、ここだよな?」
ギターを手にした宮さんが、ボクが何度も失敗してしまう箇所を、さらっと弾いてみせた。やっぱり、腕の差か……
「こんな感じで力まずに」
「こうですか?」
宮さんの手の動きを見ながら、自分も合わせてギターを弾く。手に力を入れずに繰り返し繰り返し。
「おう、弾けてる。弾けてる」
「弾けてます!」
おお、なんか凄い。あれだけ悩んでたのに、宮さんといっしょに弾いたら、なんかできた。
「ギターって面白いよな。何度やってもうまくできなかったところが、突然、弾けるようになる時があるんだよな」
「不思議ですよね」
練習しても全く上達してないように思えたり、苦手だったコードがすんなり弾けることがあったり、ギターに翻弄されてるような気になることがある。
「よーし、やるか。その前に、遠岳と宮ノ尾も水分補給しとけよ」
「はい」
将さんの練習再開の声に、慌ててお茶を飲む。最終審査までに少しでも、うまくなりたいな。先輩たちの邪魔にならない程度には。
『タヌキトリック』 『炎天下の雷雨』を立て続けに歌い終え、ちょっと疲れたけど、ギターのほうは間違えずに弾けたから上々だ。
将さんが満足げにドラムスティックをくるりと回す。
「いい感じだな。この調子で、最終審査に優勝して、南の島に行くぞー!」
「「おおー!!」」
宮さんと伊与里先輩が応えるように拳を上げる。
ん?違くないか?
✼
今年の梅雨は長い。終業式になっても、まだ曇天。
でも、明日から夏休みだと思うと心は晴れ晴れしてる。どんよりしたこの校舎に、しばらく来ることはないんだ。
「遠岳―」
上のほうから自分を呼ぶ声……
振り返ると階段の上で大柄なシルエットが仁王立ちしていた。
「柏手くん」
そこにいたのは、自分のファンだという、ちょっと変わった同級生の柏手くんだった。
「これ、やる」
「え?ありがとう」
コーヒー牛乳を渡される。
のどが渇いてたからありがたいけど、なんでくれるんだろう?
「明日だな。最終選考」
「うん、なんかあっという間に、その日が来ちゃったよ」
できる限り練習してきたけど、出来てないといけないこと全然できてない気がする。
「アカフジのサイト見たけど、最終選考に残ってるのはインディーズで活躍してたり、アマチュアでもそれなりに実績あるような連中がほとんどで、高校生バンドって遠岳のとこくらいなんだな」
「え?そうなの?」
他のバンドにまで気が回らなかった。そういえば、その人たちと出演をかけて争うんだった。
「他の音楽フェスなら高校生バンドも割と出てたりするんだけどよ。アカフジは実力主義で、未熟さが目立つ高校生バンドはなかなか残るのが難しいらしい」
「先輩たちからも、そんな感じのことは聞いてたけど、やっぱりそうなんだ……」
よりによって一番難しいフェスに応募しちゃったみたいだ。他は締め切ってるから仕方なかったとはいえ、厳しいよなぁ。
「それなのに選ばれたんだからな。お前んとこのバンド、やっぱ、すげえんだな!オレの耳は確かってことだ」
「すごくはないよ……」
先輩たちは凄いけど、自分がボーカルだしなぁ。
ボクが足を引っ張っている気がする。
「明日は、何の曲やるんだ?」
「2曲やることになってるから、タヌキの歌ともう一曲、ロック系を」
「それって新作か?ネットには一曲しか上げてないよな?」
「うん、新曲。難しいけど、かっこいいんだよ」
「へえ、いいな。オリジナルだよな?曲って誰が作ってんだ?」
「伊与里先輩が作った曲をもとに、ボク以外の全員で完成させていく感じかな?目の前で徐々に曲が完成していくの見た時は感動したよ」
「そりゃ、感動するな。オレには曲を作るって、全くイメージできねえわ。一歳しか年が違わないのに、作曲しちまうなんて伊与里さんってスゴイよなぁ」
「うん、音楽に関しては凄い人だよ……」
学校で同級生と音楽の話ができるなんて変な感じだな。
なんか、すごく、楽しい。
高校一年の一学期。色々あったけど、案外、悪くなかったかもしれない。




