行き詰まり
「ね、洋ちゃん、歌っていうのは?」
姉ちゃんが困った顔で尋ねてくる。説明不足で事情が呑み込めてなかったみたいだ。
「歌って言うのは、子供の時の……」
「美空さん、これです!」
いつの間に用意したのか、将さんがスマホから子供のボクが謎の曲を歌う映像を流しだす。
「ああ、この歌のことかぁ。この曲の歌詞が知りたいのなら、もっとはっきり歌詞が分かる映像があったと思ったけど……」
「え?!」
姉ちゃんの言葉に驚くと、姉ちゃんが困った顔になった。
「ほら、いくつか違うバージョンの動画を見せてくれたじゃない?歌詞が曖昧なほうが聴いた人が思い出しやすいんじゃないかって、私が言って」
「ああ!そういえば!」
題名の分からない歌の題名を知るにはどうしたらいいか、姉ちゃんに相談したら、その歌の動画をネットに上げて、大勢の人に尋ねたらどうかとアドバイスしてくれたんだよね。それで、動画いくつか撮って、姉ちゃんにどれがいいか聞いて、姉ちゃんにアドバイス貰いながら、その一つをネットに上げたんだった。
「その映像は、今でも残してあるんですか?」
興味深そうに宮さんが身を乗り出してくる。
「洋ちゃん関係の映像は消えたりしないように、HDDとSDカードとDVDにそれぞれ保存してあるから、その中に……ちょっと待っててね。持ってくるから」
「……なんでそんなに」
姉ちゃん、変なところで豆だよな。
ノートパソコンとHDDを部屋から持ってきた姉ちゃんが電源を入れると、先輩たちが画面を見にやって来た。
『洋ちゃん』と名前が付けられているフォルダーの中には、大量の動画ファイルが……。いつの間に……
「……大量にあるな」
「『ランドセル姿』『体操服姿』『中学の制服』『高校の制服』……、フェティシズムを感じさせるタイトルが並んでるな」
先輩たちが興味深そうに動画ファイルのタイトルを読み上げていく。
「家族の思い出の映像だからね!変な意味合い持たせないでね!」
…………姉ちゃん。
慌てなくても分かってるよ。先輩たちの感覚が変なだけだから。
「『KO負け』?……ちょっと見てみるか」
「おう」
「見なくていいですよ!」
将さんが関係ない映像ファイルをクリックしてしまう。
寅二郎に蹴りを入れられ倒されるボクの映像が流れる。
「なんだ、ほのぼの動画か」
「期待外れだったな」
先輩たちは何を期待してたんだ?
「確か、このファイルだったと思うけど」
姉ちゃんが、『歌 小学生編 1』『歌 小学生編 2』と書いてあるファイルを指さす。
「じゃあ、先ずは『1』のほうから」
「いや、まだ開くな」
宮さんが動画を開こうとする手を、伊与里先輩が止める。
「美空さん、レイにこの別バージョンの動画があることは通訳してないですよね?」
「あ!忘れてた。説明してくるね」
「少し待ってください」
先輩が姉ちゃんまで止める。どうしたんだろ?
「遠岳、この動画をレイに見せるってことは、遠岳が動画の少年だと明かすことになるけどいいのか?」
「え?……ああ!そうですよね」
レイくんにもジャクリーンさんにも、はっきりとはボクがあの動画の少年だとは言っていない。この動画を見せてしまったら誤魔化すことはできなくなる。
「レイのオジさんが、あの謎のCDと関わりがあるとは今のところ思えない。そうなるとレイには別に目的があるかもしれない……」
別の目的……。レイくんが悪い人には思えないけど、言葉をそのまま信じるのも難しい。別の目的があるという伊与里先輩の言葉は、真剣に受け止めないといけないだろう。
「……でも、このままだと、あの歌のことは、ずっと全てが不明なままな気がするので、思い切って明かしてみようと思います。歌詞が分かることで、そこから何か気づくことがあるかもしれないので」
「ま、それもいいか」
意外にも、あっさりと伊与里先輩は頷いた。ただ、ボクに状況を認識させたかっただけのようだ。
「スペイン語を聞き取れる知り合いは他にいないものね」
姉ちゃんが困ったように笑う。
そうだよな。英語ならともかくスペイン語だ。しかも、あんな不明瞭なスペイン語を聴きとって、英語に翻訳してくれるような奇特な人、見つけ出すのも大変そうだ。レイくん以外に頼めない。
「じゃあ、レイくんに、話してくるね」
所在なさげにしていたレイくんに姉ちゃんが英語で説明をはじめると、その顔が見る間に明るくなっていった。
やっぱり、悪い事を企んでいるようには思えないよなぁ。
“I advised 遠岳. Thank me. You owe me one.”
ん?伊与里先輩が英語で何かレイくんに話しかけた?聞き取れなかったけど……。レイくんが先輩にお礼を言ってる?なんでだろう?
「伊与里先輩、なんて言ったんですか?」
「いや~、大事なことをな」
ニヤリと笑うだけで先輩は答えてくれない。姉ちゃんに聞こうと顔を向けると、困ったような顔で微笑んでるだけで教えてくれないし、将さんも宮さんも似た笑顔を浮かべてるし、なんなんだ?
「じゃあ、みんなで視聴と行こうか」
レイくんも加わり、将さんがアイコンをクリックすると、しばらくして子供のボクが歌っている映像が流れ出した。見慣れた映像とは違って、発音がもっとはっきりしている。
レイくんが身を乗り出す。
「こっちのほうがはっきりと言葉に聴こえるな」
「これなら分かりやすいんじゃないか?どうだ?レイ」
先輩たちの言葉に頷いたレイくんが、難しい顔をしてスマホに何やら打ち始めた。何度も繰り返し映像を流しては、打ち込んでいく。たぶん、歌詞を書き起こしているみたいだけど……。適当にそれっぽく歌ってただけなのに可能なのか……
……………レイくん以外、暇だな。
「思ったんだけど、別バージョンの映像があるなら、遠岳が本物だと証明するのに使えるよな」
宮さんがレイくんの邪魔をしないよう、声をひそめながら口の端を上げた。
「ああ、そうだよな。あの映像を上げれば、疑いようのない本物の証明になる」
「偽者が何人でてこようが、これで安心だな」
くつろいでいる先輩たちの話で、偽者のことを思い出した。
「あの偽者は、今どうしているんでしょう?」
「ああ、あのマッシュルームか。大会に出るとか言ってたな」
「メジャーデビューの話が来てるらしい」
「マジかぁ。遠岳が名乗り出てたら、メジャーデビューできたかもな」
メジャーデビューか。
「先輩たちはメジャーデビュー目指してるんですか?」
「いや、別に」
目指してないのか。
「じゃあ、バンドは趣味で」
「はぁ?なに甘えたこと言ってんだよ。プロになって音楽で飯食っていくに決まってんだろ。遠岳もそのつもりで精進しろよ」
伊与里先輩……、また、理解不能なこと言いだしてる。
「今、目指してないって……」
「メジャーかインディーズか独立してやっていくか。どの道で行くか考え中ってだけだよ」
考え中か。道は一つってわけじゃないんだな。
あれ?ボクも将来設計に組み込まれてるようなこと言ってた気が……
レイくんがあの曖昧な歌から歌詞を書き起こし終えたみたいで、姉ちゃんに何か話しかけている。スペイン語の歌詞を、レイくんが英語に訳し、それを姉ちゃんが日本語に訳していくことになったらしい。まだ時間がかかりそうだ。
出来上がるまでヒマだ。先輩たちもヒマそうだ。
「もうすぐ夏休みになるけど、どうする?」
将さんが全員に問いかけてきた。伊与里先輩がだらけた姿勢のまま将さんに視線を向けた。
「どうするって、バイトと練習と」
「ライブだよ。ライブをどうするか。今からだとライブハウスを押さえるのは難しいだろうけど、ブッキングライブなら、今からでも参加できるのがいくつかある」
ライブか。そうだよなぁ。夏休みだもんなぁ。いつもと違うことできそうだよなぁ。
「ん~、ブッキングライブか~」
伊与里先輩は興味なさげだ。チョコブラウニーをおかわりした将さんが、伊与里先輩の様子に疑問を持ったようだ。
「乗り気じゃねえみたいだな?何が不満なんだよ?」
「まだ2曲しかオリジナル曲がねえのに、ライブにでてもなぁ」
確かに。忘れてたけど、まだ2曲しかオリジナル曲はなかったんだった。
「そういや、新曲、まだ出来ねえのか?」
「……簡単に出来ねえ時もあるんだよ。大体なぁ。オレにばかり作らせてねえで、お前らも作れよ」
伊与里先輩、少しイラ立ってる?スランプ抜け出せてないのかな。
「まあ、それは今は置いとくとして」
「置くなよ」
「2曲はマズいよな。優勝して『アカフジ』にでることになったとして、オリジナル2曲じゃあなぁ。さまにならねえ」
「もう1曲は欲しいよな」
「…………」
「…………」
伊与里先輩以外で視線を交わす。
「凪、ほら、チョコブラウニー、もっと食え。栄養付けろ」
「甘い物もいいけど、魚食わすといいんじゃないか?確か、頭がよくなるんだろ?」
「煮干しありますけど、持ってきますか?」
伊与里先輩の顔がヒクつき始めてる。もしかして、相当、行き詰ってるのかな?




