息子
「え?」
……誰かと思ったら、行き倒れた外人さんだ。ジャクリーンさんの息子で、名前は……。なんだっけな。
息せき切らせたジャクリーンさんの息子に、ステージから引きずり降ろされる。
" Jacqueline! Pourquoi fais-tu cela ? "
英語じゃない外国語、たぶんフランス語でジャクリーンさんに何か抗議しはじめた。様子からして、ジャクリーンさんの息子は怒っているようだ。
「なんだ?親子喧嘩?言い争ってる感じだけど、フランス語だとさっぱりだな」
伊与里先輩もステージから降りてくる。
怒りをあらわにしたジャクリーンさんの息子に、面倒くさそうにジャクリーンさんが耳を塞ぐ仕草を取る。
「レイのせい 話は終わりね。 邪魔する 厄介な息子。 母は大変」
こちらを向いたジャクリーンさんが、残念そうにタメ息をつく。
ジャクリーンさんの息子もこちらを向いて険しい顔で言い募ってきた。
" Jacqueline is a scary person. Don't be fooled by her. "
英語か……。ジャクリーンさんを悪く言ってるのは分かる。ただ、早口で感情的な英語は聞き取りづらい。
「レイの言うこと気にしない。 母に逆らう 難しい年頃ね。ヨウタと同じ年なのに レイは可愛げない」
そう言って立ち上がったジャクリーンさんが、手を広げ近づいてくる。また頬を寄せる例の挨拶と、ハグされる。…………長くないか?
「歌 聴くことできてよかった」
長いハグの後、ジャクリーンさんが笑顔を向けてきた。……笑顔だけど、どこか悲し気な笑顔……
「ヨウタ ナギ また 会いましょう」
伊与里先輩に軽くハグして、説明らしい説明もないままジャクリーンさんは颯爽と去っていった。不機嫌な息子を残したまま。
先輩もギターを返しにジャズバンドの人たちがいるところに行ってしまったし。
……どうしたらいいのか。
「どうしたの?スカウト、ダメだったの?」
ウェイトレスさんがひっそりと声をかけてきた。
「そうみたいです。せっかく色々と骨を折ってもらったのに。すみません」
「それはいいんだけど、……残念だったね。君たちの歌、すごくステキだと思ったのにな。見る目ないスカウトだね」
本気で憤慨してくれているウェイトレスさんに、申し訳なさが募る。
同様に楽器を貸してくれたジャズバンドの面々も慰めの言葉をかけてくれた。いい人たちを騙して心苦しい。
「ほとんど食べてないし、持ち帰りできるように包もうか?家で食べても美味しいよ。うちは良い食材使ってるから」
「お願いします。あ、支払いって」
「スカウトの女性が支払っていったから大丈夫。ちょっと待っててね」
軽く手を上げウェイトレスさんが、テーブルに乗っている大量の料理を紙の容器に詰めていってくれる。
「ええっと、そのぉ……」
呆然とした感じで佇んでいるジャクリーンさんの息子さんに声をかける。目が合うと、息子さんが詰め寄ってきた。
" Why did you come here? "
英語か。なぜここに来たって言ってるんだよね?簡単な会話文のヒアリングなら、何とかなりそうだけど、話すのはなぁ。苦手だ。
そういえば、ジャクリーンさんは日本語を話してたな。
「その前に自己紹介したらどうだ?Your name? 」
いつの間にか戻って来ていた伊与里先輩が、見かねて助け船を出してくれた。
そういえば、直接には名前を聞いてはいなかったな。
" Sorry. I'm Raymond Paladilhe. "
「レイモン・パラディール?」
" Yes. Raymond Paladilhe. Your name is? "
嬉しそうに笑うと、ボクの名前を尋ねてきた。あれ?ボクの名前を知らないのかな?ジャクリーンさんは知ってたよな?
「マイネームイズ、遠岳 洋太」
" トータケ? "
「イエス、遠岳」
" Your name is? "
今度は先輩に向かって名前を尋ねる。
「伊与里 凪」
" イヨリ OK "
はにかんだような笑顔で先輩の名前を繰り返す。最初と印象違うな。
「お待たせしました。こちらがテイクアウトの品になります」
「ありがとうございます」
ウェイトレスさんから紙袋を2つ受け取る。
「「お世話になりました」」
「また、お越しくださいね」
ウェイトレスさんにお礼を言って帰ろうとしたら、店長に呼び止められ封筒を手渡された。ジャクリーンさんに渡すよう頼まれたらしい。中身を確かめる前に、ジャズバンドの出演者たちがステージにやって来たので、お礼と挨拶をしてその場から離れた。
ホテルを出たところで、伊与里先輩が無言でついてきていたレイモンくんのほうに顔を向ける。
「それでレイはどうするんだ?オレらは帰るけど」
レイ?レイモンでレイか。じゃあ、同じ年だそうだし、ボクはレイくんって呼ぼうかな。
レイくんが早口の英語で何か話しだしたが、聞き取れない。ジャクリーンさんのことを話しているようだけど……
言葉が通じてないと気づいたレイくんがしょんぼりしてしまった。
「通訳でもいりゃあなぁ」
通訳か。レイくんは英語も話せるみたいだし、英語ができる人なら心当たりがあるにはあるけど……
「姉ちゃんに頼めば、通訳してもらえると思うんですが」
「それじゃあ、姉ちゃん付きで会う約束したらどうだ?どうにも、あのジャクリーンって女、胡散臭えんだよな。うまく息子から話を聞きだしときたい」
伊与里先輩が顔をしかめて言う言葉に、否定も肯定もしづらい。ジャクリーンさんは確かに含みがある感じだったけど、悪い人には思えなかった……
レイくんと連絡先を交換し合って、ボクから連絡すると、なんとか伝えた。
"……Hope to hear from you soon. "
レイくんがぽつりとつぶやく。ええっと、連絡待ってるって言ってるのかな?
「うん、連絡するね」
日本語で返事したけど、レイくんは理解できたのか、にっこり笑って頷いてくれた。けど、すぐに沈んだ表情になる。
" トータケ、You shouldn't sing that song in front of her. "
「え?」
理由を聞く前に、背を向けてホテルへと戻って行ってしまう。次に会うときにでも、改めて話を聞くしかないか。
「じゃあ、またね。レイくん」
「じゃーなー、レイ」
" À très bientôt "
声をかけると振り向いたレイくんが、嬉しそうに手を上げて去っていった。
「さて、帰るか。そういや、封筒には何が入ってたんだ?」
歩きながら封筒を開けると、万札が大量に入っていた。
「歌えば金払うって言ってたけど、本当だったのか」
「10万もありますよ!」
「マジもんの金持ちは気前いいな」
「貰っちゃっていいんでしょうか?」
「ま、いいんじゃねえか。有難くもらって、……ん?なんだ、この紙」
お札に便箋のようなものが交じっていた。先輩がちらっと見て何も言わずに渡してくる。便箋には手書きで、
Alarico・Marchena made that song
とだけ書いてあった。
「どういう意味でしょう?」
「え?分からないのか?大丈夫か?中学生でも分かる英語だぞ?」
先輩が可哀想な生き物を見る目で、ボクを見てきた。
「そういう意味じゃないです。さすがに英語の意味は分かります。『アラリコ・マルチェナがあの歌を作った』って書いてあるんですよね?あの歌を作ったというのが……」
……あの歌?あの歌って、まさか……
「あの歌というのは、ボクが見つけた謎の歌のことでしょうか?」
「そうだろうな。……どうにも、胡散臭くて信用できないけど……、でもなぁ」
伊与里先輩が言葉を詰まらせ、頭をかく。どうしちゃったんだろ?
「一度、今ある情報を整理した方がいいな。一先ず、アラリコ・マルチェナのことは考えんな。刷り込みでそう思えてきちまいそうだしな」
「刷り込みで……」
「おら、立ち止まんな。とっとと帰ろうぜ」
「は、はい」
駅に向かいながら、謎が深まっただけの今日の出来事に困惑しかできない。ジャクリーンさんの目的があの歌だと言うのは、はっきりしたけど……
一体、あの曲は何なんだろう?懸賞金が懸けられ、世界的有名人の関係者まで絡んで来るなんて……
いい曲ではあるけど、それだけじゃないのかな?今のところ、あの曲が入ったCDは、ばあちゃんちにあったものだけみたいだし……
どういうことなんだろうな。謎は深まっていくばかりだ。




