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ザッシュゴッタ  作者: みの狸
第一章

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エモ

 

 放課後、一度、家に戻って着替える。ギターは必要ないと先輩が言ってたから、スタジオとかじゃないんだろうな。

 出かけようとしたら、玄関で大学から帰ってきた姉ちゃんと鉢合わせした。


「出かけるの?」

「うん、先輩がいい所に連れて行ってくれるっていうから」

「……いい所?」

「うん」

「……そうかぁ、洋ちゃんも男の子だもんね! 分かった! お姉ちゃん、何も言わない。お小遣いあげる」

「え? いいの?」

「うん、その代わり、今度、その先輩をうちに連れて来てね! ご挨拶したいから!」


 挨拶?

 姉ちゃんの人生では、バンドマンみたいな人種と関わることなさそうだし、見てみたいのかな? 先輩が家に来てくれるとは思えないけど。



 伊与里先輩と待ち合わせた駅前に行くと、端のほうでウクレレの弾き語りをしている女性がいた。早く着いたから待ち合わせの時間までまだあるし、聴いていっても大丈夫だよな。

 近くで足を止めると、ウクレレシンガーが気づいて、にっこりと笑みを浮かべた。

 飾りのない歌声を盛り上げる素朴なウクレレの伴奏。アップストロークとダウンストロークだけなのに、存在感のある音色だよな。

 不意に後頭部を軽く叩かれた。


「お前な、待ち合わせ場所にいろよ」


 伊与里先輩が呆れたような顔で、背後に立っていた。


「す、すみません!」

「ウクレレの弾き語りか。誤魔化しがきかないから、力量がもろに出るんだよな」


 すでに先輩の興味はウクレレの弾き語りに移っている。先輩も相当な音楽マニアだよなぁ。音楽が聴こえてくると意識がそっちに行って他のことはどうでもよくなる。

 おかげで怒られないですんだからよかった。



「電車に乗るんですか?」

「ああ、数駅だけどな」


 改札を通り抜け、上りの電車に乗る。

 どこに連れてかれるんだろう?


 いつも通過するだけで一度も降りたことない駅に降り立つ。落ち着いた雰囲気の街だ。歩いている人も、社会人だけのように思える。


「まだ時間あるし、軽くどこかで食べてこうぜ」

「あ、それなら、奢ります。姉ちゃんが出掛けにお小遣いくれたんで」

「姉ちゃんが小遣いくれるのか? ……その姉ちゃんって、実の姉ちゃんだよな?」

「はあ? そうですけど。あ、姉ちゃんが、先輩にうちに遊びに来てほしいって言ってました」

「お、おう、暇があったらな……」


 複雑そうな顔をする先輩の様子から見て、うちに来ることはなさそうだな。


 チェーン系カフェ店に入り、時間を潰す。


「エモって言葉、聞いたことあるだろ?」

「はい、使ってる人たまにいますね」

「今日は本物のエモを体感させてやろうと思ってさ」

「エモをですか?」


 いまいちピンとこない。


「聴けば分かるよ」


 聴けばってことは、ライブに行くのか。



 駅から少し離れたところにあるライブハウスの前には、仕事帰りっぽい人達が何人も佇んでいた。仕事帰りにライブか。いいな、そういうの。

 今日やるのは、『Noctiluca』というバンドらしい。


「先輩、このバンドはどういった」

「前情報は仕入れずに、今日は音楽に浸ってみろ」


 前情報なしで、楽しめってことか。こういうのは初めてで、ドキドキしてくる。


「あ、先輩、チケット代いくらですか?」

「いいよ。今日はオレがおごってやるから楽しめよ」


 伊与里先輩が浮かれてる。相当、好きなアーティストなんだな。

 先輩がここまで楽しみにするような音楽かぁ。



 暗く閉鎖された空間。ライブハウスに来たのは二度目だけど、前の時は、出演する側だったし、緊張して雰囲気を味わう余裕なんてなかったから、なんだか浮かれた気分になってきた。ボクたちが出演したライブハウスとは規模が全く違って広くて客も多い。人気のあるアーティストなんだろうな。独特の空気に気分が高揚してくる。


 ステージがオレンジのライトで照らされる。


 現れたのは、落ち着いた雰囲気の女性2人と髭モジャの男性3人で全員外国人だった。

 演奏が始まる。響き渡る音色。高度な演奏技術を持ってる人たちだ。ボーカルは少し低めの声ながら透明感のある声の女性。パワフルなのに声に濁りがない。

 歌ってる姿勢は気だるげながら、心が締め付けられるような、高鳴るような感覚に陥る。




 エモというのが、分かった気がする。これがエモ。


 歌の世界に惹き込まれているうちに、全ての演奏が終わってしまった。



 ライブが終わり会場を出ていく人の波に流されるように歩きだす。隣を歩く伊与里先輩と目が合う。


「気に入ったみたいだな」

「はい!本当に曲を聞いたら、エモが分かりました。アレがエモなんですね」

「そう、100万の言葉で説明しても分からない感覚も、曲を聴けば誰でもすぐに理解できるんだよな」


 うん、うん、まさしくそうだった。


 ライブハウスから駅へと向かう道は、街灯が点々とついてるだけのオフィス街なので物寂しい感じだ。そんな閑散とした景色なのに、ライブの余韻からか、特別な街並みに感じられる。雲間から少しだけ見えている月も、造り物のように綺麗に見えた。


「あのバンドの曲を聴いて、オレはギターからベースに転向したんだよ」

「そうなんですか?」


 伊与里先輩の静かな告白に、不思議と驚きはない。あのバンドの曲に影響を受けてもおかしくない。


「あのバンド知るまでは、正直、ベースなんてなくてもいいんじゃねーかって思ってたんだよな」


 ベースって気にしないと音を拾うのも難しいものな。自分もバンドをやるまでベースの音を意識したことなかった。


「でもあのバンドの曲を聴いたとき、ベースに圧倒されちまってさ。あの空気感を出してんのが、ベースなんだって気づいたら、追求してみたくなったんだよなぁ」

「空気感を、ベースが」


 そうか、そうなんだ。あのバンドの曲から漂う何とも言えない空気感はベースが生み出してたんだ。


「最初は巳希がベースでオレがギターだったんだけどさ。バンド結成して2カ月経ったくらいの時だったかな?巳希に今日からオレがベースやるから、お前はギターやれって言ったら怒りだしちゃってさ。大変だったよ」


 宮さん……。気の毒過ぎる。


「いや、オレのことは、どうでもよくて。どうだ?あのボーカルの歌を聴いて」


 誤魔化したな。


「なんて言ったらいいのか。……すごかったです。すべてが。技術的にもなんですが、表現力というか」


 うまく説明できない。鷲掴みにされたというか……


「そうなんだよなー。あのボーカル、表現の幅があって、惹き込むのがうまいんだよな。有名な曲をカバーしても全く別の、自分の歌にしちまうんだ」


 伊与里先輩が素直に褒めるくらい、あのボーカルの歌声は魅力的だった。


「遠岳もあのくらいの表現力を身につけろよ。『雷雨』のほうはまずまずだけどな。『タヌキ』のほうは足りてねえ感じがある」

「……うう、分かってはいるんですけど、うまく歌えなくて。どう歌ったらいいのか見えないというか……。あの歌詞にはどんな思いが込められてるんですか?」

「思い?そりゃあ………、その、なんだ、作詞家の思いなんてくみ取らなくても。歌詞から感じたインスピレーションでボーカルが好きに色付けして仕上げていけばいいんだよ」


 ……伊与里先輩たち、ノリで作詞したな。


 自分に不足しているものが次々とあらわになっていく。表現力、リズム感、他にもきっとたくさんあるんだろうな。人に聴いてもらうには、楽しいだけじゃダメなんだ。


 ホームで電車を待ちながら、顔を上げると欠けた月が見えた。今は欠けていても、いつかは丸い満月になる。自分は欠けているものを満たすことができるんだろうか?道のりは長そうだよなぁ。



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