顔より声
なんとか得体の知れない外人さんから、逃げ切り家に帰ることはできた。
あの後、どうなったのか気になり、伊与里先輩に連絡すると、みんな逃げたから分からないらしい……
なんだったんだか、謎のままだ。
梅雨入りで、今日も朝から雨が降り続いている。教室内は湿気でじめじめしていて不快指数上昇中だ。
「遠岳ぇ、いるかぁ」
「伊与里先輩?」
1年の教室にいきなり入ってきた伊与里先輩に、教室内がざわめく。男子は気づかれないように視線を逸らし、女子は同じように視線を逸らす者とはしゃいでいる者とで分かれている。上級生が教室に入ってきたからって、ここまで反応があることは普通ない。
なぜか学校だと異質な存在だよな。伊与里先輩って。
「ちょっと、来い」
「はい?」
どうしたんだろ?
屋上に続く階段の途中に座り、伊与里先輩にスマホを渡された。『タヌキトリック』のミュージックビデオのページ?先輩が指ではじいてコメント欄を表示する。そこには、外国語であふれていて……
「えっと、…読めません」
「だーよーなー」
英語は苦手なんだよぉ。しかも、画面には英語じゃないっぽい感じの言語もあるし。
「あのライブ映像の人物がザッシュゴッタのボーカルだという情報が知れ渡って、懸賞金の少年とライブ映像の少年は同一人物だと主張している勢力が食いついたのまでは想定内だったんだけど……」
「けど?……どうしたんですか?」
「別の人物が本物と言い出す勢力も現れて、なかなかにエキサイティングなことになってる」
「………はあ」
声変わりしてるし、子供の時の自分と重ならないのは当然だよな。
「……なんだ。その気の抜けた返事は。自分のことなのに興味薄いよな」
「興味持たないほうが、楽かなぁと思うので」
自分のことが話題になってるというのは居心地悪い。しかも突然、懸賞金を懸けられたことから始まっているから、下手に関わったらいけない感じがする。
「ま、分からなくもないけどな。でも、状況は知っておかないとやばいと思うぜ」
「やばい? え?」
スマホをいじっている伊与里先輩の顔は見えない。どういう意味だろ?
「もっとボーカルの情報はないのかって、ザッシュゴッタのアカウントにも突撃して来てるのが大量にいるんだよ。謎の少年と確信してる連中が、証明しようと躍起になってる感じだな」
証明しようと?
「遠岳のことを捜しまわってる外人も確信してる連中の一人かもな」
「懸賞金目当てってことですか……」
先輩がニヤリと口の端を上げる。
「新たにアメリカのIT企業まで謎の少年に多額の懸賞金を懸けたみたいだからな。遠岳を差し出せば、一攫千金なんだよなー」
「冗談に聞こえないんですけど……」
このまま懸賞金の額が増えていったら、いつか伊与里先輩に売られてしまいそう。
「……それはそれとして、ストーカー外人に顔を知られたとなると、別の対策が必要になってくるな」
「そうですね。顔を……」
あれ?顔?……おかしいな。なんでだ?
「……あの外国人、なんでボクのこと気づいたんでしょう?」
「ん?そりゃあ、映像見て」
「どの映像にもボクの顔は映ってないんですよ?ボクの顔を知ってるはずないと思うんですが……。どうしてボクに気づいたんでしょう?」
映像に映ってないから、ボクの顔を知っているのは、ライブに来ていた人たちくらいなはず。あの目立つ外国人が、ライブに来ていた記憶はない。来ていたら覚えていると思う……
「言われてみれば、そうだな……」
ボクの言葉に、数瞬、考える素振りをした伊与里先輩が、すぐに何か思い至ったようでニヤリと笑う。指をクイっとまげて自分の喉を指さし、とんとんと何度か叩く。
「……ああ、きっと、『声』だろうな」
「『声』、ですか?」
「遠岳の声は、印象的だからな。特に人種が違う外国人なら、日本人の顔を見分けるより、声で判別するほうが簡単だろう」
ああ、そういえば、ボクが話すたびに騒いでたな。あの外国人。
「あいさつした後に腕を掴まれたのは、そう言うことだったんですね」
声でバレたとは気づかなかった。
「遠岳は見た目より声が目立つからな。一人の時はあまり大声で独り言いうなよ」
「いいません」
ボクの事、どういうイメージ持ってるんだ?先輩は。
「ま、ぼちぼち対策はしていくし、心配すんな」
伊与里先輩が安心させるように優しい言葉をかけてくれるが……。昨日の先輩たちの様子から判断して、信頼していいのか迷うな。
話し終えて、階段を降りていく伊与里先輩の背中を追うように、自分も歩きだす。
「遠岳、今日用事あるか?」
「ないです」
「じゃあ、放課後、空けとけ。いい所に連れて行ってやるから」
「…いい所ですか?」
「……なんで、胡散臭いものを見るような目つきでオレを見るんだよ。そこは喜ぶところだろ」
「そんな目で見てないですよ。いつもと同じ」
「いつもそんな目で見てるってことか?」
「いえ、だから……」
伊与里先輩の目が細まったので、顔を逸らすと、視界の端に人影が映った。階段の下に、人が立っている。
自転車屋の息子だ。
「伊与里さん。 ……やっぱり、あの時のっ!」
自転車屋の息子が、ボクを指さしたまま、プルプルと震えている。どうしよう。
「おっ! この間、遠岳のこと聞きに来たストーカー」
自転車屋の息子のつぶやきにかぶせるように伊与里先輩が恐ろしいことを口にした。学校中にライブ映像を見せて聞き回っていたのは自転車屋の息子か……
「ち、違います!ストーカーなんかじゃ」
階段下で佇んでいた自転車屋の息子が、先輩の言葉にあからさまに動揺している。その動揺は何を意味してるのか。自転車の修理代を集金したかったわけじゃないとしたら……
「……あ、オレは、ストーカーじゃ、な…くて、………」
「ストーカーじゃなくて?」
後ずさりしていく自転車屋の息子が、顔を上げた。
ボクと目が合う。
「ファンなんですっ!!」
叫ぶと同時に走って逃げていく。逃げ去る時、顔が真っ赤だった。
「………ファン?」
えっと、ファンって、まさか、ボクの?
いや、違うよね。隣の先輩に思わず視線を向けると、にやけ顔の先輩が耐えかねたように噴き出した。
「ブヒャハハハハハハハハハ、よかったな。熱烈なファンができたみてえじゃねえか」
伊与里先輩の笑い声が、校内に響き渡っていく。




