176.古の盟約とアールヴ皇国の過去
俺は皇太子の言葉に頷く。
該当する資料はすでに翻訳も済んでいるが、せっかく『エルフ語』スキルを手に入れたので、確認しながら説明した方が良いだろう。
俺は皇太子に了承を取り、俺が翻訳をまとめた資料と原本を机の上に広げながら調査報告を始める。
まず、古の盟約の内容であるが、以下の通りだ。
1.獣人達にエルフ生誕の地への出入りを許可する。
2.獣人が信奉する神獣をエルフ生誕の地に住まわせる。
3.獣人は湖周辺を守護し、エルフは祭事を担当する。
4.エルフが取り仕切っている祭事の時のみ、湖の先へ向かう事。
思ったよりも取り決めが少ない。それに取り決めを破った時の罰則もなく、厳格なものではなかった。
おそらくこの盟約を締結した時は、エルフ側も獣人側もそれ程規模が大きくなかったのだろう。
そのうえでお互いの信奉するものを守る為に、この取り決めは破られないと信じていたのかもしれない。
盟約の内容の中で注目すべきは“湖の先”と“神獣”だろうか。
まず、エルフ生誕の地とされる湖には、その先があるという事。
エルフの祭事は元々何かしらの儀式的な意味合いがあり、条件がそろう事で“湖の先”にあるという場所に向かう事ができるようだ。
其処が本来の“エルフ生誕の地”なのかもしれない。
そして、エルフ達と盟約を結んだ獣人達はある神獣を信奉していた。
獣人達はその神獣をエルフ生誕の地に住まわせる事を条件に、エルフと盟約を結んだ。
湖の先が安全なのか神獣にとって特別な何かがあるのかは分からない。
しかし、エルフ達と争って湖を奪うような事はしなかった。
おそらく、湖の先に向かうための祭事を獣人達が行えなかったのだろう。
エルフ達が皇族を名乗る事を獣人が許したのは、この辺りが関係しているのかもしれない。
元々“皇帝”という意味で皇族を名乗っていたのでなく“教皇”的な意味だったなら納得できる。
他のエルフ語で書かれた書物からも、俺の考えを裏付けるような内容が書かれているものがあったので、古の盟約についてはこの解釈であっているだろう。
……問題はここからだ。
盟約の最後にある一文。
“エルフが取り仕切っている祭事の時のみ、湖の先へ向かう事”
もし、湖の先に行ける儀式をエルフしか行えないというのなら、この一文はいらない。
おそらく儀式は、条件さえ満たせば他の種族でも行えるのだろう。
……盟約を結んだ段階でこの文言があるという事は、エルフ達が最初から条件に気づいていたという事にほかならない。
そして、過去にもそれに気づいた者がおり、儀式を再現してしまったのだろう。
ここで断言できないのは、それらしい記述のある資料は損傷が激しく“復元”する事が出来なかったからだ。
しかし、傷んだ資料の読み取れる部分と他のプレイヤー達が集めてくれた情報を整理すると、大まかな経緯は推測できる。
事の発端は、アールヴ皇国が国としての体を取り始めた頃。
勢力が拡大していくにつれて、エルフと犬・狼の獣人以外の種族である人々も暮らすようになっていった時代に遡る。
ある時、獣人の中に儀式の条件に気づく者が現れた。
獣人は自分の考えを検証するべく、エルフ達の目を盗んで儀式の再現を試みた。
そして、実験は成功して湖の先に向かう事ができたのだろう。
しかし、無許可に儀式を行った事は当然バレる。
エルフ達は獣人が盟約を破ったと憤慨し、2度と同じ事が起こらないように対策をとった。
エルフ語以外で儀式に関する事が書かれた資料の多くを処分したのだ。
残された資料はこの部屋に保管してあったと思われる。
盟約の内容も儀式を再現できる資料になる可能性があるとして、最低限を残して処分した。
その時は資料が無くても盟約が忘れ去られる事は無いと思っていたのかもしれない。
そして、普段の祭事では湖の先に向かう事をやめた。
あくまで祖先達への感謝、神獣への祈りの為だけに執り行うようにしたようだ。
これが現在行われている祭事の原型となっている。
過剰ともいえる対処かもしれないが、エルフ達からすれば自分達が皇族を名乗る根拠が揺らぎかねない事態である。
獣人側としても身内から盟約を破るものが出てきてしまったので、エルフ達の決定に異を唱える事はしなかった。
国として動き始めた今、国の起源が揺らぎかねない事態は双方にとって都合が悪かった事もあり、この事は箝口令が敷かれる事となる。
しかし、いつの世も人の口に戸はたてられない。
“エルフの祭事は誰でも行う事が出来、皇族はその事実を隠している”
とまことしやかに噂が流れる。
真実ではあるが隠した経緯について抜け落ちており、まるでエルフだけが悪いようにとれる噂であった。
しかし、先の事件について箝口令を敷いていた皇族は、噂に関わる事を避けるような態度をとる。
その態度が事件を知らない獣人達に不信感を持たせる原因となった。
それから月日は流れ、エルフ語を含め古代に使われていた言語が失われてしまう。
本来の祭事が復活することは無く、湖の先について人々の記憶から消え去った。
国の起源についてあやふやになり、皇族の本来意味するところも分からなくなった頃。
燻っていた獣人達の不満は爆発し、現在まで続く紛争の引き金となるクーデターが起こる。
そして、首謀者はこの部屋までたどり着き真実を知ってしまったのだろう。
皇族が執り行う祭事、古の盟約や過去の事件、そして神獣の存在に。
今この時も先祖達が信奉していた神獣を湖の先に放置しているという事実に……。
もし、この首謀者が信心深い人物であれば、クーデターを取りやめて皇族に頭を下げてでも祭事の復活に乗り出したかもしれない。
しかし、首謀者はその選択をしなかった。権力に目が眩んだのか、はたまた既に終わった事だと割り切ったのか。
何を考えていたかはわからない。だが、戦い続けるのにこの事実は不都合が過ぎた。
この事実が広まれば自分達の正当性が失われてしまう。
たとえ勝ったとしても、自分達についてくる者がいなくなるかもしれない。
そこで、首謀者は資料の抹消を試みた。
エルフ語の資料を残したのは、読めないと高を括ったからか?
もしくは祖先達への弁明の為か? 神獣への罪悪感かもしれない。
胸中は本人のみぞ知る事だろう。
俺の推論を交えた説明を皇太子はただ静かに聞いていた。
同席していた者達は驚きのあまり声も出ないようだ。
皇太子は目を伏せたまま、皆の注目をものともせず黙考を続ける。
部屋を静寂が支配していく中、ゆっくりと皇太子が顔を上げた。
誰かの息をのむ音が部屋中に響く。
「……これは一刻も早く正式な祭事を執り行いエルフ生誕の地を確認する必要があるな。エルフ獣人双方の祖先に落ち度があるこの状況なら、お互い手を取るのも難しくない。過去を清算するべく協力する方向で話をもっていければ……」
「あっ、あの!」
最後の方はよく聞き取れなかったが、部外者の俺が聞いて良い範囲を超えている。
そう判断した俺は皇太子の話を止めるべく割って入った。
話を止められた皇太子は虚を突かれたような顔をした後、何か悟ったような表情になって口を開く。
「何を心配しているか大体想像がつくよ。しかし、それは今さらだろう。君は今、誰よりもアールヴ皇国の歴史に詳しい人物になっている。今回の最大功労者にして最重要人物だ。むしろ知っておいてほしいと思っているくらいだ」
「……」
確かに現在知っている事だけでもアールヴ皇国に激震が走るような事ばかりだ。
今さら1つ2つ重要案件を抱えても変わらないかもしれない。
俺は皇太子の言い分に閉口するしかなかった。




