173.秘匿書庫
文官は前の時のように入室の掛け声を発する事無くその扉を開ける。
驚く俺を他所に文官とクズノハさんはゆっくりと扉の先へと入っていくので、俺も慌てて2人に追従する。
少し遅れて入った謁見の間は先程と一変していた。
皇太子が座っていた玉座は取り払われ、俺達が入って来た扉から部屋の向かい側まで一直線に絨毯が続いている。
そして、絨毯の続く先には大きな両開きの扉が一つ。
どうやら、皇太子の玉座で隠されていたらしいその扉は俺達が入って来た扉と同じ造りをしているようだ。
ただし、そこに描かれている内容は俺達が通過した扉とまるで違うものだった。
その扉には、1本の大きな木が描かれていた。
入り口の扉と同じように扉の上に月の装飾が施されているものの、その形は満月だった。
その満月から聖なる光のようなものが大きな木に向かって降り注ぐように描かれている。
どうやら俺が謁見の間だと思っていた場所は、豪華ではあるものの通路の一部だったようだ。
これまでに入手した情報とここまでの道順から考えると、あの大きな木が描いてある扉の先にはエルフ生誕の地とされる湖があると推測される。
かつては祭事を行っていたか、その準備をしていた部屋を謁見の間として使用しているのかもしれない。
案内役の文官は絨毯の中ほどまで進んだところで、右側の壁へと方向転換する。
壁の前までやってきた文官は“この事は内密に”と俺に念押しした後、壁に施されている装飾の一部を強く押し込む。
すると、壁の奥から何か金属のようなものがかみ合った音が聞こえてきた。
数秒して俺達の前には、巨人1人が余裕を持って通れるほどの通路が現れる。
通路には明かりのようなものは無く、奥からひんやりとした空気が流れてきた。
文官は俺とクズノハさんに了承を取った後、光魔法で通路内を照らしながら先へと進み始める。
薄暗い中を進んでいくと、古本・古書特有の褪せた紙の匂いが鼻孔を擽る。
しばらく歩いたところで木製と思しき扉が姿を現した。
文官は扉の前までやってくると、扉をノックしてその向こう側にいる人物に声をかける。
「クズノハ殿、ウイング殿をお連れしました」
「入れ」
中から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
文官はその声に答えるように扉を開けて中へと入っていくので、俺とクズノハさんもそれに追従する。
部屋の中は薄暗さがあるものの天井から吊るされている宝石のような光源により、本を読むのに支障が出ない程度の明るさは確保されている。
その光が照らす先には俺が見上げるほど大きな本棚を背に、皇太子が簡素な椅子に腰かけていた。
それを見たクズノハさんが膝を突こうとすると、皇太子がそれを手で制する。
「良い。公式の場ではないのだ。我がここにいるのは皇族の根幹に関わることゆえ、自ら説明をする必要があるだけにすぎぬ。ウイング殿、そしてクズノハ殿もそちらの椅子に腰を下ろすと良い」
皇太子の発言を受けて辺りを見渡せば、簡素な椅子や机がいくつか視界に入ってくる。
クズノハさんは前にも来た事があるのか近くにあった椅子に腰を下ろしていた。
俺もそれに倣い、近くにあった椅子に腰を下ろす。
案内してくれた文官は俺が腰を下ろしたところで皇太子に一礼して部屋を出ていった。
文官が扉を閉めたタイミングで皇太子が口を開く
「2人共よく来てくれた。以前来た事のあるクズノハ殿は良いとして、初めて来たウイング殿には此処がどういった場所か説明する必要があるな。ここはエルフ語で書かれた古典が納められている書庫だ。2人にはここでエルフ語の解読に努めてほしい」
皇太子の話によると、この部屋には読めない言語で書かれた物を含め、アールヴ皇国の歴史や文化にまつわる書物が納められているという。
歴史的に見て貴重な本ばかりである為、普段は誰も立ち入らせることは無いそうだ。
俺達が入室できたのも今回の特例である為、中で見た物は口外しないようにとの事。
そして、俺への依頼内容であるが古の盟約についての調査の他にもう一つ依頼したいことがあるという。
――それはエルフ語の辞典を作成してほしいというものだった。
「君がこの国の住人なら、特別な役職を設けて皇宮勤めにしてしまう方法もあったのだが、プレイヤーである君をこの国に拘束する事は難しい。そして何より祖先の言語を皇族が読めず、エルフですらない君しか読めないという状況は大きな問題が発生する。今後の事を考えてぜひとも1冊作ってはもらえないだろうか? もちろん報酬は奮発しよう」
「確かに面倒な事になる可能性は高いですよね。……分かりました。完璧に仕上げるのは厳しいでしょうが、努力はしてみます」
「ありがとう。最悪は短文……いや単語辞典くらいの物でもありがたい。よろしく頼む」
俺としても自分だけが読めるという状態は、何かとトラブルを招きかねない。
こちらとしても好都合なうえ報酬までもらえるとあれば、受けない理由は無い。
俺個人への依頼内容が決まった後、調査の進め方について話は移っていく。
基本的にエルフ語の翻訳と資料のまとめについては俺が中心となって進める。
あくまでクズノハさんは俺の手伝いに専念する形になるという。
この部屋に入りたい場合は、先程俺達を案内した文官かクズノハさんに声をかけてほしいという。
クズノハさんは紛争の混乱が落ち着くまでは皇宮に身を寄せているそうなので、いつでもこの部屋に行く事は出来るとの事。
他のプレイヤー達が集めた情報は翻訳の助けになる可能性があるので、随時俺に報告が来るそうだ。
逆に俺が手に入れた情報は機密に関わる可能性が高い為、詳細が判明した時点で伝えるかどうか判断するらしい。
調査について話を詰め終えた後、皇太子が扉に向かって声を発する。
すると、扉が開かれ先ほど俺達を案内してくれた文官が部屋の中へ入って来た。
どうやら、扉の前で控えていたらしい。
司書ギルドからのお墨付きがあるとはいえ、皇国に来て数日しかないプレイヤーが皇太子の傍にいるのだ。
中へ入れないとはいえ、警戒をするのは当然といえよう。
皇太子の傍で待機しないのは俺がテイマーで、戦闘面で非力である事を知っているからか。他に隠れて護衛している人物がいるのだろう。
皇太子は、入って来た文官と共に書庫を後にする。
俺は今まで一切関りを持たなかったクズノハさんと2人きりになった事で、居心地の悪さを覚える。
クズノハさんは俺の気持ちを察してか柔和な笑顔を浮かべながら話しかけてきた。
「初めましてになりますね。知っているかもしれませんが私の名はクズノハ。ここアールヴ皇国で孤児院の院長をしておりました。ウイング殿については噂程度に伝え聞いております。あなたにも迷惑をかけてしまいました。重ねてお詫びを申し上げます」
クズノハさんはそう言って頭を下げる。
俺はその様子を見て慌てて言葉を返す。
「あ、頭を上げてください。今回の件は紛争中に起こった事故みたいなものです。そんな事より今回の依頼完遂の為に話し合いをしましょう。さっさとこの依頼を終わらせて、ゆっくり読書する時間を確保したいので……」
俺はあえて“あなたのせいではありません”とは言わなかった。
謁見の際の様子から、責任感が強い性格であるとわかる。
いくら行動を起こした人たちの責任ですと言っても、それすらも自分の責任であると思うタイプだろう。
過ぎた事で悩ませるより、目先の事に集中してもらった方が良いだろう。
……まぁ、最後のセリフには多分に本音が含まれているのだが。
俺のそんな内心が表情に出ていたのか、クズノハさんは俺を困ったような表情で見ている。
こうして微妙な空気の中、エルフ語の解読作業はスタートするのだった。




