1-9.記者
「いい感じに仕上がってきましたね」
薄汚れた服を着たおっさんが藤森調教師に声をかけている。
「逢坂さん、期待してもらっていいですよ。
前走の神戸新聞杯のときも良かったけど、あの時以上の出来です」
上機嫌で藤森調教師が答えているけど、こいつ何者だ?
「これなら◎つけてやれそうですね。期待してますよ」
んー、競馬記者のようだな。オレに◎だと?
スギノミサイルを差し置いて、オレを本命に推すってことは穴狙い専門の記者なんだろう。1紙に1人くらいはいるもんだ。穴党ってのが。
「また、大穴の逢坂の本領発揮ですね」
「はは。本命ガチガチの予想したって誰も褒めちゃくれませんからね。
ただ、スギノミサイルを連から外すことはできそうにないのが辛いところです」
「そりゃそうでしょう。
スギノミサイルが沈む場面なんて想像もできないです」
やはり穴狙い専門か。まぁ普通に考えてスギノミサイル本命が上等だろう。
オレが馬券買うとしたって、スギノミサイルの相手探しってのが真っ当な考え方になる。
「前走の神戸新聞杯では儲けさせてもらいましたよ。さすがにスギノミサイルが連に絡んでは万馬券にはなりませんが、それでもいい収入でした」
「そりゃ、おめでとうございます。そういえば逢坂さんはうちのに○つけてくれてたんでしたっけ?」
「はい、スギノミサイル◎のビーアンビシャス○で見事的中でしたよ。
編集長賞ももらってダブルにハッピーってとこですね」
「よくあのレースでうちのに○つけれましたよね。どこが気に入ったんです?」
「もともとビーアンビシャスには目を付けていたんですよ。
父のヤシログリーンも、母のオーシャンマリアも現役時代、大好きな馬でしたからね。その初仔って言うんですから生まれたときからもう注目してたんですよ。
立派な馬体もしてましたし……」
ほーほー、オレに注目してたとはなかなか目が高い記者だな。
「ただねぇ……
どうにもやる気がなさそうで、凡走ばかりであきらめてたんですよね」
「そうだねぇ。
ずっと賞金くわえて帰ってきてくれてたのはいいんだけど、もうちょっと走ってくれるはずだったんだけどねぇ」
なんとも聞いてて申し訳なさでいたたまれなくなってくる。
「そうそう、なんか堅実なだけのつまらない馬になっちゃってたから、自分も一度は見切ったんだけどね。それがどうしたわけか、いきなり変わりやがった」
「変わったねぇ。まぁ晩成気味の血統だったからやっと本格化しただけなのかもしれないけど、精神的にも急に大人になった感じだね。
それまで手抜きが目立ってたトレーニングもすごく真剣に取り組むようになったし、こちらとしても鍛えがいがあるってところだね」
オレは変わりましたよ!
これからもよろしくお願いしたいところですよ!
「血統的にも菊花賞は期待もてるところでしょうね」
「自分は正直言って血統とかそれほど気にしてないから、馬を見て気に入ったからこいつを馬主さんに紹介したんであって、血統とかどうでもいいって言えばいいんだ」
ほー、それは初めて知った。
藤森調教師はそういう主義なんだ。
そういえばいわゆる良血馬ってあまりいないね、この厩舎。
「たしか母のオーシャンマリアも先生が面倒見てたんですよね」
「あぁ、手のかからないいい馬だったよ。頭がよくて。
その縁もあって葛西牧場まで見に行って、産まれて間もないこいつを見つけたんだ。
いい縁だったな」
そうだったんだ。
オレ、牧場で藤森調教師に会ったこととかまったく覚えてなかったよ。
「葛西牧場も面白い配合したものですよ。普通なら晩成の長距離馬に同じタイプのヤシログリーンをつけようなんてしませんからね。
スピードを補おうとして無難な仔をつくろうとするものですよ。まぁそうして配合されたようなありふれた仔が活躍したって話はそう聞かないんですけどね。
こういった極端な配合からこそ名馬が産まれるものですよ」
「ははは、でもそんなロマンばかり追い求めてたら生産牧場はやってけないよ。ロマンで産まれた仔とかそうそう売れないからね。流行をある程度追わないと売れる仔は作れないから」
「でも、ビーアンビシャスが産まれたってわけで……」
「自分のような物好きな調教師と、ロマン好きな生産牧場、そして物分りの良い馬主が都合よく揃ってたのは、こいつにとってラッキーだったわけだ」
「違いないですね。それに最近ほとんど見かけない追い込み一辺倒って言うんだから物好きにもほどがあるでしょう」
「ははは。いろいろ試したけど、こいつは追い込みが一番合ってるんだからしかたない。型にはめた走りしかできない馬もいるけど、こいつは型にはめたら走らない馬だからね」
悪ぅございましたね。
でもこういう調教師で本当に助かってますよ、こちらとしても。
「型にはまらないって言えば、相手のスギノミサイルもずいぶん独特の型を持ってますね。結構、器用そうだからどんな走りでもできそうなのに、逃げ一筋。
神戸新聞杯だって、単騎逃げに固執しなければもう少し楽なレースになったでしょうに……」
「それで勝ってるんだから誰にも文句はつけれないさ」
「逃げ馬と追い込み馬との決戦とか、1ファンとしてもワクワクしてきますよ」
「レースのあや次第でまったくつまらないことになるかもしれないけど、それこそ天のみぞ知るってところだしね」
「きっといいレースになりますよ」
「そうなるといいね。まぁこっちとしては楽に勝たせてもらえるほうがいいんだけど……」
「それだけはないと保証しましょう。惨敗はありえても楽勝はありえないでしょう。
なにせ相手はあのスギノミサイルですからね」
「こちらとしては胸を借りる立場だから気楽なもんだよ」
「頑張ってください。いろいろ、お話ありがとうございました」
取材は終わったようで逢坂とかいう記者は一礼して引き上げていった。
菊花賞まであと2日。
いい夢を見れるように頑張ろう。




