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第10章ー2

「日英同盟を復活させるように、英国政府から正式の打診か」

 駐英大使からの暗号電文を読んだ幣原喜重郎外相は溜息を吐いた。

 1927年2月初めのことだった。


 漢口の日英租界が閉鎖されたのを機に、日本の外務省は上海と南京、香港を除く長江流域以南にいる在留邦人に避難勧告を出している。

 日英が共に中国国民党軍の攻撃に事実上晒されている今、ワシントン条約に基づき、日英同盟を復活させろというのは、英国からの至極当然な要請だった。

 だが、幣原外相には別の意見があった。


「ワシントン条約が無ければ、日本が中国国民党と英米との仲介役に成れたものを。ワシントン条約のお蔭で、日本は英米の味方と思われてしまっている。本当によくない」

 幣原外相は、更なる溜息を吐いた。


 幣原外相の態度は、一貫していた。

 主に満蒙、及び山東半島地域は米国と共同で、それ以外の地域、山東半島を除く万里の長城以南の中国は英国と共同で、日本は権益を維持すべきであり、その際の邦人の保護は中国の現地勢力に依存するという態度だった。

 これは、日本国内では余り評判が良くなかった。

 義和団事件や尼港事件の経験から、中国の現地勢力は信用できない、日本の軍事力で邦人を保護すべきだという意見が強いのだ。

 だが、幣原外相は、それは無理だと見抜いていた。


「単純なことだ。中国の在留邦人は万里の長城以南だけで10万人以上だ。万里の長城以北の満蒙を入れれば30万人近くに達する。それを日本軍を派兵して守ろう等、夢物語。実際にそんなことを強行したら、日本は財政が破たんしてしまう。それに中国は、日本と戦争に突入したら、独ソからの物資援助で遊撃戦に徹するだろう。ナポレオンがスペインで敗れたように、日本は中国に敗れるだろう」

 幣原外相のそれが持論だった。


「しかし、ワシントン条約がある以上、日本は英国からの日英同盟復活の要請を断ることはできない。実際に万県で、漢口で日英の共同の権益が侵害されているからな」

 幣原外相は溜め息を吐きながら、日英同盟復活の議題について、閣議に掛けざるを得なかった。

 若槻礼次郎首相は少し難色を示したが、宇垣陸相や財部海相は、中国情勢に鑑みて、日英同盟を一刻も早く復活させるべきだと強硬に主張した。

 また、米国の駐日大使からも、日英同盟復活を積極的に支持するとの米国務省からの訓令が届いた旨の連絡が有った。

 ここまで、周囲が固められていては如何ともし難い。

 それに、野党の立憲政友会等は、英米と連携して軍事力を派遣することによる日本の中国利権保持に積極的だった。

 震災手形整理法成立のために、野党との連携が必要不可欠な若槻内閣としては、日英同盟を復活させる以外の手段が無かった。


 だが、現場には、また別の考えがある。

 呉鎮守府海兵隊から分遣された1個海兵中隊は、漢口で中国の民衆に発砲し、死傷者を出させつつも、自らは居留民を保護して、上海まで下がって来ていた。

 その海兵中隊長、神重徳大尉は憮然とした表情を浮かべつつ、上官の北白川宮中佐に半ば食って掛かっていた。

「本気で対中戦争に突入するつもりなのですか」


「そのつもりはない。あくまでも自衛に我々の行動は限られる」

 海兵大隊長の北白川宮中佐は、力強く言った。

「日英同盟を復活させ、米国もそれに明らかに味方しているのに」

 神大尉は、不遜にも半眼になりながら言って、言葉を更に続けた。

「そして、呉鎮守府海兵隊は、戦車中隊まで揃えて上海に展開している。中国国民党側は、日英米は戦争を望んでいると見ていると考えますよ。本当に、トラブルが起こらねばいいですがね」

 神大尉の言葉は、捨て台詞だった。

 北白川宮中佐は、神大尉の言葉に内心で同意した。 

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