第9章ー4
元老の山本権兵衛元首相は懸命に鈴木商店と台湾銀行を救うことを決意し、自らも動くと共に林忠崇侯爵(元帥)等の側近にも動くように督励した。
だが、そうは言っても、大正デモクラシーの勢いが収まってはいない時代である。
元老が動いても、その力には限りがあった。
「申し訳ない。立憲政友会内部を完全に説得して、震災手形整理法案を通すのは中々困難です」
田中義一立憲政友会総裁は、人を介しての山本元首相からの説得に対してそう返答した。
田中総裁には、古巣の陸軍からもアメとムチで説得が試みられたが、そもそも田中総裁は立憲政友会の代議士の面々から見れば、古巣の陸軍の力を背景に外部からいきなり総裁になった外様の存在であり、生え抜きの立憲政友会の代議士の面々を説得するのは荷が重かった。
それに、もう一つ問題があった。
「三井財閥が、鈴木商店潰しに動いて、立憲政友会に働きかけておるだと」
山本元首相は、その情報に接した時に、激怒した。
憲政会は亡くなった加藤高明元総裁や幣原喜重郎外相等の縁戚関係もあり、三菱財閥との因縁が深い。
そういったことから、立憲政友会に対して三井財閥が接近していたのだが、三井財閥は江戸時代以来の伝統を誇る財閥であり、明治になって急激に勃興した鈴木商店を敵視していた。
そして、蛇の道は蛇である。
三井財閥は、震災手形整理法案の事実上の狙いが、鈴木商店と台湾銀行救済のためであることを知り、この際に、鈴木商店を徹底的に潰そうと立憲政友会等に積極的に働きかけだしたのである。
だが、このことで、三井財閥は山本元首相を始めとする陸海軍部の逆鱗に触れてしまったのに、この時は気づいていなかった。
もし、そのリスクの大きさを察知していたら、この後の三井騒動は避けられたろう。
三井財閥は、自らの大きさに胡坐をかき、危機感を持たずに、鈴木商店を潰そうとしたのである。
それと同じ頃、林忠崇侯爵は、長年、個人的な友誼のある犬養毅を通じて、震災手形整理法案に賛成するように立憲政友会内部を説得しようと試みていた。
犬養自身は、林侯爵の説得に同意したが、三井財閥からの様々な働きかけを受けていた旧革新倶楽部の面々も含めた立憲政友会の腰は重かった。
とうとう、犬養が林に頭を下げる羽目になった。
「本当に申し訳ない。中国情勢が不穏で、日本国内で争っておるときではないのに。震災手形整理法案が易々と可決できないとは」
犬養は、林に土下座しかねないほど悔やんだ。
「いやいや。サムライを怒らせたら、どうなるか。三井は思い知ることになるでしょう」
林は表向きは笑顔で犬養に返答したが、犬養は林の表情に背筋を凍らせた。
そういった帝国議会内部のやり取りをしている内に、とうとう最初の騒動が起こることになった。
3月14日、衆議院予算委員会で片岡直温蔵相は、東京渡辺銀行が破たんしたと失言してしまったのである(実際には、東京渡辺銀行の経営は危機的状況ではあったが、破たんしてはいなかった。)。
大蔵省は失言に気づくと、慌てて報道差し止めに動いたが、予算委員会での片岡蔵相の公式発言の報道差し止めはできないとする筋論を唱えた内務省の担当者が報道差し止めに同意しなかったために、この失言は新聞報道に至ってしまった。
このために東京渡辺銀行や他に危ないと言われていた複数の銀行に対して取り付け騒動が起こり、取り付け騒動が起こった銀行は臨時休業等のやむなきに至った。
そして、この騒動を見て取った帝国議会は、これ以上の金融危機は避けるべきと与野党の思惑が一致したことから震災手形整理法案を可決成立させ、休会に入った。
だが、鈴木商店の経営危機は、まだ解消されてはいなかった。
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