第7章ー2
この世界では、海軍航空隊は第一次世界大戦で本格的な実戦まで経験したために、日本人がいきなり空母への着艦に挑むことになります。
艦上機ということは、空母が日本で建造されるということである。
陸上機を全て空軍に移管した海軍の首脳部は、自らの要望する機種を三菱や鈴木に製造させるために、艦上機を速やかに開発、製造させようと考えた。
そうしないと、軍用機の開発から製造まで全てを空軍に握られるのでは、と海軍の首脳部は懸念した。
実際、英国でさえ、一時的に艦上機の開発まで空軍に握られてしまうという事態が起きている。
後から見ると笑い話だが、当時の海軍首脳部にとって、軍用機の開発、製造に関する懸念は、決して杞憂と笑い飛ばせるレベルの話では無かった。
そのために、日本海軍は空母の建造を急ぐことになった。
日本海軍にとって、希望の艦となった「鳳翔」は、1922年12月27日竣工した。
後世から見ると、余りにも小型で搭載機数も少ない艦だった。
また、それ以外の欠点も(まだ表面化していない点もあったが)数多あった。
だが、紛れもない空母であり、最初から空母として建造された艦としては、世界初と言っていい存在で、日本海軍は誇りを持ってこの艦を保有した。
そして、空母である以上、艦載機を発着艦させるのが必須の条件である。
この当時は、未だ複葉機が主力の時代であり、「鳳翔」が風上に向かって航行すれば、条件が合えば10メートル余りで艦載機を発艦させることも問題なく可能だった。
問題は着艦だった。
「私に「鳳翔」の初着艦をやれというのですか」
吉良俊一大尉は驚いた。
「君以外に誰がいるというのだ」
「鳳翔」の艦長である豊島二郎大佐は、何で吉良大尉が驚くのか分からない、という顔をした。
「しかし、ですね」
吉良大尉は、反論を始めようとしたが、豊島大佐は身振りで、それを遮りながら言った。
「君は、「鳳翔」の航空長だ。航空長が、最初に実演せずに、部下にやれと言うのかね」
吉良大尉は、ぐっと詰まった。
「それに、君は我が海軍航空隊の誇る戦闘機パイロットだ。あのレッド・バロンと空中戦を演じ、勝利を収めたエースではないか。君にできない筈はない」
豊島大佐は、吉良大尉の自尊心をくすぐった。
吉良大尉は黙考した。
三菱重工の航空機部門は、元英海軍のパイロットを雇っていて、テストパイロットを務めていたはずだ。
そのパイロットは、英海軍の空母で発着艦の経験があると聞いたような気がする。
本来なら、そのパイロットが「鳳翔」の初着艦をするのが順当なところだろう。
だが、それをやると日本海軍航空隊のプライドが多少、潰れてしまう。
何しろ、世界大戦で我が海軍航空隊は名を挙げ過ぎてしまった。
海軍航空隊は、ガリポリで、ヴェルダンで、チロルで、最終攻勢で我が海兵隊が戦った戦場の上空の制空権確保を常に成し遂げた。
(その代り、膨大な損害もまた被っており、ガリポリから生き残ったのは半分もいない。戦場では新兵から死ぬ、というのも真実だが、歴戦の勇者も戦いを重ねれば死ぬ、というのも真実なのだ。)
その栄光に輝く海軍航空隊が、我が海軍が保有する初めての空母の初着艦を外国の元海軍パイロットに譲るというのは、確かにプライドが傷つけられる事実ではある。
「分かりました。微力を尽くします」
とうとう、吉良大尉は、豊島大佐に「鳳翔」への初着艦を請け負うことを返答した。
「うむ、頑張ってくれたまえ」
豊島大佐は満足気に肯いた。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。とりあえず、三菱重工にいる元英海軍のパイロットの所に行って、着艦の要領を聞く等、いろいろ勉強せねばならんな」
吉良大尉は、表面上は自信に満ちた表情をしつつ、内心ではいろいろと思いを巡らせた。
「それにしても、空軍に行った大西達がこの初着艦挑戦を聞いたら、どう思うかな」
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