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第11章ー8

 帝国議会が開かれていないとはいえ、政治家、衆議院議員の口を完全に塞ぐことはできない。

「張作霖爆殺事件」以降、立憲民政党の衆議院議員は口を開けば、この事件についての真相の徹底解明を叫んだ。

 これに対して、田中義一首相は、「張作霖爆殺事件」勃発当初は、この事件の真相の徹底解明を自らも主張していたのだが、段々微妙に主張のトーンを落とすようになっていた。


 そうした中、貴族院議員でもある林忠崇侯爵は、帝国議会休会中は、基本的に木更津の本宅で過ごしつつ、時折、東京の別宅に顔を出すついでに、元老の山本権兵衛元首相の居宅等を訪問するという生活を送っていた。

 戦場往来の将帥と謳われた林侯爵も喜寿を過ぎ、数えで言えば80代になっている身である。

 悠々自適の楽隠居生活が似合う歳になっていた。

 そして、1928年9月半ばを過ぎ、暑さも忘れ去られつつある日に、林侯爵は、山本元首相の居宅を訪ねていた。


「ところで、張作霖の死について、何か情報は入っていませんか」

「表のみか、裏も含めてか」

 林侯爵の問いかけに、山本元首相も少し惚けた返答をした。

 だが、お互いに笑いあったままだ、長年の付き合いの内に緩急をお互いにわきまえている。

「裏も含めてです」

「ふむ。わしの手元に情報は入ってくるが、何が真相なのか、わしには分からん。軍の情報部も外務省も民間も真相を解明できずに終わるような気配だな」

「やはり、そうですか」

 林侯爵はため息を吐きながら言った。

 林侯爵の下にも、海兵隊の関係者や犬養毅等から、それなりの裏情報が入ってくる。

 それらの情報も、何が真実なのか、精確には分からないというばかりだった。


「だが、状況証拠からおそらく言って、米韓が何処かで手を組んで事件を起こしたのは間違いない、とわしは睨んでおる。林老中はどう考える」

「私も否定できません」

 山本元首相の問いかけに、林侯爵も打てば響くように応えた。

「やはり、そう考えるか」

 山本元首相は、物思いに耽る素振りをした。

 林侯爵はじっと待った。

 本当は、山本元首相は言葉をまとめるために物思いに耽る素振りをしただけなのに、林侯爵は気づいていたからだ。


「それを日本政府、田中内閣の見解として主張できるかな」

「できませんね」

 山本元首相が、暫く経って、ぽつんと漏らした言葉に、林侯爵はそう言わざるを得なかった。

 米国も韓国も、日本と友好関係にあり、日本が中国国内に持つ諸権益を確保する上での大事な盟友だ。

 その国の陰謀を日本が暴露し、盟友が苦境に陥る。

 表面上は正義を貫く日本の立派な行動だが、それによって、米韓は傷つき、日本は宿敵ともいえる中国新政府を大幅に利することになる。

 そんな行動を、日本政府、田中内閣はできるわけがなかった。


「弱ったことに、今上天皇陛下はまだまだお若い。どうも、最初に田中首相が「張作霖爆殺事件」の真相徹底解明を約束されたことに拘っているらしい」

 山本元首相の更なる独り言に、林侯爵は思わず顔色を変えた。

「それは、それとなくお諌めした方が」

 林侯爵は思わず言った。


「それに西園寺公望元首相も、家の事に掛かりきりだ。わしも歳のせいか、動く元気が出ない」

 山本元首相は独り言を続けた。

 今、存命の元老、西園寺元首相も山本元首相も共に80歳に手が届こうとしている身である。

 それに加えて、西園寺元首相は、三番目の「内妻」、花子が私生児を産むという大醜聞を起こしたことから気落ちしていた(西園寺元首相は表向き独身を生涯貫いたが、内妻が代わる代わるいた。)。

「良くない状況では」

 林侯爵は絞り出すような小声で、山本元首相に言った。

 山本元首相は、黙って天を仰ぎ、肩を落としながら、肯く素振りを示した。

 嘘のように思われそうですが、西園寺公望元首相の醜聞は、史実に準じています。

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