第11章ー4
「少しでも衝突を避けるために、済南市から青島市へ居留民を避難させよう。その護衛は、米海兵隊に基本的にお願いする。我々、横須賀海兵隊が殿を務める」
永野修身提督は、そのように決断し、日本本国にもそのように連絡した。
その連絡を受け、日米両政府はそれを承認した。
さすがに、国際法違反の進駐と言うことで、日米両国内から疑問の声が挙がるようになっていた。
特に立憲民政党は、このような国際法違反の進駐は、日中関係をさらに悪化させると田中内閣批判の材料にしていた。
だが、さすがにすぐに3000名余りに達する日米両国の居留民を避難させる準備はできなかった。
それに命は救えても、済南市周辺の日米両国の資産を完全には持ちだすことはできない。
日米両海兵隊は、持ち主を説得し、資産の放棄を勧めたが、何とか守ってほしいと希望する居留民も多くいて、その説得にも手間取ることになった。
5月1日には中国新政府軍が済南市に接近し、北京政府軍は衝突を避けて済南市から完全に撤退した。
このような状況下で、「済南事件」は起こることになる。
「済南事件」で、どちらが悪いというのは実は難しい問題である。
単純に考えれば、日米の居留民を攻撃してきた中国新政府軍が悪いということになる。
だが、日米両国の海兵隊が勝手に済南市に進駐していたというのも事実ではあるのだ。
宣戦布告をしていない平時の状態で、危険性があると言うだけで、外国の軍隊の進駐を受け入れ、承認しろというのは理不尽だ、それに対して不当な侵略だとして攻撃を掛けるのは、国家の持っている自衛権の正当な行使だという反論も、確かにそれなりの理屈が通っている。
ともかく、日米両国の海兵隊に対する直接攻撃は危険が大きいとして、中国新政府軍は交渉で済南市からの日米両国の海兵隊の撤退を試みたが、末端の兵や済南市民が勝手に暴走しだしてしまった。
済南市の日米両国の居留民の経営する会社や家に対して、兵や市民が積極的な略奪を行いだしたのだ。
「済南事件」の始まりである。
市民はともかく、兵にとって日米両国の居留民に対する略奪や暴行は、自らの私腹を肥やす絶好の機会であったことから、積極的になっていたという側面もあった。
(また、この当時の中国新政府にしてみれば、日米英の居留民は、中国の人民を奴隷化する帝国主義の尖兵である以上、日英米の居留民に対する略奪や暴行は、中国人民の自衛権の正当な行使だった。)
当然、これに対して、日米両国の海兵隊は応戦し、兵が攻撃を受けたことから、中国新政府軍も応戦せざるを得ないという状況に陥った。
「こういうことになったか」
土方歳一大尉は、舌打ちするような思いにかられながら、済南市民や中国新政府軍の兵士に銃口を向け、射撃を開始した。
こちらの兵力は、日米両軍の兵士を集めても6000名に満たないが(日本海兵1個連隊、砲兵1個大隊、戦車1個中隊、工兵1個中隊、米海兵1個大隊を基幹としている。)、中国新政府軍の兵士は、寄せ集めで練度が低いとはいえ、6万名を超えていると見られている。
更に済南市やその周辺の住民が、中国新政府軍の尻馬に乗って、こちらを攻撃してきているのだ。
「銃弾を惜しむな。容赦なく撃て」
敵兵力が質はともかく量が10倍どころか、20倍以上に達している。
そう判断される状況下においては、土方大尉と言えども、そう部下に命ぜざるを得なかった。
「速やかに日本本国に増援を求めろ。最悪の場合、陸軍の派兵も要請せざるを得ない」
何とか済南市を防衛しつつ、永野提督は部下に命ぜざるを得なかった。
この済南市における戦況と増援派兵要請は、日米両国の政府や国民に激震を走らせることになる。、
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