転移=道具と情報は使いよう
公国は遠い。そんな事はわかっているし、おれはすぐにお兄さんの所に行きたい。
時間を短縮するためには、持っている物を便利に使うのが一番だ。
と言うわけで、おれは立ち上がってそのまま、ギルドの方に向かっていた。
その後を師匠が歩いてくるけれども、夕暮れ時で結構人が多いのに、彼はまったく他人にぶつからない。
師匠を皆して避けているのだ。
まあ避けるよな、硫黄狼の毛皮は卵の腐ったような匂いに似た匂いを放つから、自然と避けるんだろう。
それが悪い事だとは思わない。
おれだって、何も知らなかったら絶対に、避けて通っていたはずだ。
硫黄狼は結構な上位の魔物であり、単独で倒すのはとてもじゃないけれど、無理と言っていい。
何しろ常に群れで活動しているから、一人で相手なんてできないのだ。
これを倒す場合は、軽く見積もって腕利きが、五人は必要になる計算だ。
師匠がそのあたりの事を話してくれた事はないから、その硫黄狼の毛皮をいったいどういう経緯で手に入れたのか、おれは知らない。
師匠はうっかり質問すると、それが癇に障った場合首根っこ掴んで振り回すのだ。
そのためおれは、師匠の弟子になってすぐに、
「人の事が気になっても問いかけてはいけない事がある」と学習したのだ。
そのおかげで、余計な揉め事に巻き込まれなかったから、この実地体験はありがたかった。
「ギルドなんかに向かって何するんだ?」
「ギルドだったら、ギルドの転移陣経緯で、公国までの距離をかなり短縮できるかもしれないので」
大きい街のギルドとか、大きな組合とかでは、そういう転移陣を備えている事が普通だ。
上の人とかが使ったりするし、急な応援要請とかの場合も、この転移陣は優秀なのだ。
転移先も、大きい街とか施設だったりするから、今回のおれのように、公国のおそらく首都にいるであろうお兄さんを目指す場合は、かなり便利な物のはずだった。
東区から、北区へ入る。門をくぐれば、ここから先は誰でも人間に見えるようになる。
師匠は一体どんな見た目になるのだろう。
興味半分で振り返れば、師匠は何一つ変わっていなかった。
あのーララさん、あなたの幻術が効果を発揮してませんが。
これは師匠限定なのか、それともララさんの術が弱くなったのか。
どっちだろうと思っても、周りの誰も、師匠の角に関して触れていない。
もしかして、おれだけが師匠がありのままに見えているのだろうか。
それはあり得そうな事だったから、何も言わないですぐ近くのギルドを目指した。
夕暮れ時のギルドは忙しい。日中活動していた冒険者たちが、集まって騒ぐし、夕飯を食べたり情報を交換したりもする。
持ってきた素材を換金する事もしているし、鑑定を頼んでいる事もある。
受付は混雑しているのも想定内、だった。
師匠は初めてここのギルドに入ったのだろうか。
入口でガツンと頭をぶつけて、入口の枠にひびを入れてぼやいた。
「こういう時、背丈があると面倒だな」
こっちとしては、その額が傷一つついていない事の方が、問題だと思いますがね。
そんな内心の言葉を口に出して、機嫌を損ねてもつまらないので、放っておく。
周りを見回せば、やっぱりいつも通り、マイクおじさんの受付が空いている。
行列が短い。これはちょうどいい。
その行列に並んでいる間に、師匠が問いかけてきた。
「ずいぶんと金持ちのギルドだな」
「大きい所だからじゃないですか」
「建物の素材がしっかりしているし、割合術で保護されているものが多い。あと受付の奴への守りも強い。羽振りがよくなければここまでできないだろう」
「へえ」
おれはここしかギルドを知らないから、そうやって比較する事も出来るんだ、と感心していた。
ほどなく行列が終わり、マイクおじさんの前に立つ。
「なんだ、今日はもう、夜のミッションの受付は終わったぞ」
「公国まで行きたいんだ。転移陣使える?」
「公国、そりゃあまた遠い所だな、何しに行くんだ、お前は文字が書けないから、こっちが代わりに理由を書いておかなきゃならない」
「書くものがいるの?」
「転移陣は、理由を書いて使用しなきゃならない決まりなんだ。理由と一致しない場合弾かれる。これは世界中のギルド共通だぞ、覚えておけ」
なるほど、犯罪を犯した冒険者が、他の遠い土地に逃亡しないようにってわけか。
納得したから、直ぐに理由を言う事にした。
「お兄さんが、公国に連れていかれたみたいだから」
「……!?」
これは想定外の事だったらしい。マイクおじさんは絶句した後、小さい声で聴いてきた。
「まて? 隠者殿は……死んだんじゃなかったのか」
「お兄さんにくっついてる、“氷界の意志”が命をつないだんだ。でもそのせいでお兄さん、記憶がちゃんと戻ってなかったらしくて、言いくるめられて連れて行かれちゃったみたいで」
おれも小さい声で言う。マイクおじさんは数秒黙った後、呟いた。
「道理でララさんの眼が、寒空の祝福の気配を見出さないわけか。封じている本人が生きていたのだから当たり前だな……よかったと言うべきかなんというべきか」
「おれはお兄さんの所に行きたい、だから公国まで行きたい、マイクおじさん、許可出して」
「おう、分かった。出してやる。お前は今まで、おれに一回も嘘をつかなかったからな。信用してやる。……ところでそこの、おっかない御仁は知り合いなのか?」
「おれのお師匠様。すごく強くてすごくおっかない。で、ちょっと口が悪い」
がつん! とそこで脳天に拳が入る。
「他人に悪評喋るな、変な勘違いを起こされたらどう落とし前つけるんだ、お前」
「……見ての通りのお師匠様です」
これ以上余計な情報を言えば、おれの眼から火花が出ると思い、言えなかった。
マイクおじさんはおれと師匠を交互に見て、聞く。
「転移陣が通すのは二人であっているか?」
「うん。お師匠様もちょっと見に行くっていうから」
「わかった」
マイクおじさんは申請書らしきものをさらさらと書いていき、それを届けに行く。
そして受付に戻ってきて、おれに小さな金属のカードを渡してきた。
「転移陣にこれを差し込めば、行先が公国の首都になる。ここのギルドの公国支部の部屋に到着するからな。変な所じゃないから安心しろ。注意点だが、二人とも同じ陣に入っていてくれよ。転移の部屋はあっちだ」
示されたのは、滅多に開かない、つまり滅多に使われないだろう扉だった。
「じゃあ、今度ここに来る時は、お兄さん一緒だといいよな」
「そうだな、隠者殿の元気な顔が見たいからな」
マイクおじさんの返事を聞いてから、おれはその扉を開けた。
師匠は今度は、頭を下げて入る。
扉の向こうは一面、術式が刻まれていた。
すごく高度なのだろう、と細かさで伝わってくる。
そして、金属のカードを差し込むらしい、穴があった。
「じゃあ、さっそく」
おれはその穴にカードを差し込んで、次の瞬間まばゆいばかりに輝いた陣が、いかにも転移陣と言う感じだから、感心した。
世界が真っ白に染まったと思えば、次に見えてきたのは、入った部屋とはずいぶん趣の違う部屋だった。
がらんがらんと、何処かに下げられていたらしいベルが鳴る。
「アシュレ本部から転移完了しましたー! 扉を開けて、受付に進んでくださいな」
なんだかとてもあっという間に、おれたちは公国に到着してしまった。




