宣告=認めたくなかった事実は痛い
誤字修正をしたら何故か、途中でぶった切れたので切れた分を追加します。ご迷惑をおかけしてすみません……
『相方、おいら思うんだけれどよ』
ディオの話を聞いて、急いでお兄さんの所に行かなければ、と思っているその時だった。
不意に腰から聞き慣れた声が響いて、一気にそこに注目が集まったのは。
ディオもルヴィーも驚いているし、お付きの騎士たちは絶句している。
そんな中なのに、非常に落ち着いているというか、のんきと言うか、そんな声を発したのは。
『相棒が、あの御仁の所に行く理由はもう、どこにもありゃしないんじゃないか?』
呪の本の別の姿、アメフラシもどきだった。アメフラシもどきは今日も体中に星屑を集めたような光を瞬かせて、おれの首元によじ登る。
それ自体は慣れているけれど、言われた中身はちょっと信じられない物だった。
「なんで理由がないんだよ」
おれがお兄さんの所に駆けていく理由がないなんて、そんな事を言えるんだ。
首に巻き付かれる前に、がっちりその背中をつかんで顔の近くにぶら下げると、その体勢に不満があったらしいけど、アメフラシもどきは答える。
『隠者殿……あの御仁と相方の間にあったはずの約定が、今となっちゃどこにも存在していないからさ』
「存在してないって、おれとお兄さんは約束をした。取り決めをした。あるだろ」
『ないな。あの御仁の中にそれがどこにもないんだから』
断言されるとは思わなくて、言葉が出ないでいると、呪いの塊はただ事実を告げる。
『約束なんて、両方が覚えてなければ意味をなさないものだろう。両方が覚えていて、両方がそれを守るつもりが無けりゃそんな物じゃねえし。契約だって、結局はお互いの約束のちょっと堅苦しい代物でしかない。……そこでだ、相方。あの御仁は、相方の事も相方とかわした約束の事も、誓った事も、未来も、何も覚えちゃいないんだ。いいや、ディオクレティアヌスの言った事が正しいのならば、あの御仁の中に相方自体が存在しちゃいない。約束の前の前の話だ』
確かにそうだとは、思う。おれを忘れていなければ、お兄さんが何にしろ黙って出て行く事にはならない。
たとえおれを傷つける事になったとしたって、おれに縁切りの言葉を投げるはずだ。
それすらないのが、今なんだ。お兄さんはおれを覚えていないから、自分一人で迎えに来た連中と去って行った。
お兄さんの中に、おれはかけらもない事実。
『そんな相手との約定を、律儀に守りに行く理由が、今の相方のどこにある? 仮に行ったとしても、よくて門前払い、悪くて無礼者として斬り捨てられて終わる。あの御仁自身に、お前なんて知らないどこかに行け、と言われるオチだってあるだろうよ』
その言葉が、おれの中の何かを殴りつけた。見たくなくて眼をそらした、悪い方向の話を聞かされていた。
『それにな、相方。自分だけで世界の半分を背負ってるなんて、思うんじゃねえよ』
「そんなとんでもない事思ってない」
『あの御仁を守れるのは自分だけ、あの御仁を止められるのは自分だけ。そう思う事のどこが、思ってないに入るんだか』
「……」
思ってもみなかった事だった。アメフラシもどきのいう事は、おれの中の当然であり当たり前でしかない認識だった。
それをこいつは、間違いだと暗に告げていた。
『相方、相方にとって俺様が言えるのは、あの御仁に全部押し付けた帝国が泡食って慌てて対応するのは当たり前だが、それに協力して面倒事を引き受ける道理は、相方のどこにもないという事さ。忘れられた約束は意味をなさない。切れた契約のしりぬぐいをする理由はどこにもない。冒険者っていうのはそう言う生き物だろうが』
事実しか、言われていなかった。
相手が忘れた契約のために、何かする必要はない。
一方的になかった事にされた約束の後始末をする理由もまた、ない。
それが冒険者と言う生き方にとっては、当たり前の事でしかないのだ。
呪の集合体は、そう言ってルヴィー達を見やる。
『だから三女の君、あんたが相方に恩があるっていうなら、自分たちの都合に巻き込むんじゃねえ。おいらが言うのはそれ位だ。そっちのディオクレティアヌスも同じだ。あんたも、自分の都合だけで相棒巻き込もうとか思うんじゃねえよ』
呪いの言葉は極めて重たいものだった。誰も何も言えなくて、結局おれは、その後の自分の方向を決められないで一日が終わってしまった。
ルヴィーは急ぎ事の次第を帝王に報告するために、転移装置で飛んで帰ってしまったし、ディオも自分の体が返ってきた事で、溜まっていた居合士としての仕事の方に回されて、顔を合わせていない。
おれはずっと考えながら、軽いミッションをいくつも受けて、その日その日を切り抜けているような物だった。
考えても考えても、おれはどうすればいいのかわからないのだ。
おれが出しゃばって、おれの事なんて何も覚えていないお兄さんに、邪魔だとかどこかに行けとか言われたら、きっと立ち直れないと思うせいだ。
どうすればいいのだ、と過ぎていく時間はほかの街の住人にとっては、恐ろしい冬が迫る時間だった。
街の結界は一層強くなっているし、ギルドの方もその理由を秘匿しきなかったらしい。
寒空の祝福の封印が、何かのせいで弱まり、今年はもしかしたらあれが降るかもしれない
人々の噂に、そんなものが上るようになっていた。
流石にアシュレの対策は強くて、とんでもない大混乱が起きる気配はない。
それでも街中、冬に向けた準備のために、百年はしていない事を行っていてせわしい。
おれはどうしたらいいんだろう。
外のミッションで、魔物の肝を取りに行っていたおれは、少しうつむきがちに歩いていた。
そんな時だったんだ。
背後から何か来る、とわかったのは。
分かっただけで、おれの防御反応は働いた。
働くほどのおっかない物が、迫ってきているのだ。
盾を展開し、振り返りざまに自分を庇ったはずなのに、おれはぶつかってきた何かの勢いで、宙に飛ばされていた。
おれと盾の総重量を考えたら、とてもこんな軽々吹っ飛ばせない筈なのに。
そんな驚きはすぐに、盾師としての防衛反応に上塗りされる。
宙に飛ばされている間にも、何かが連続でおれに叩き込まれていく。
信じられないほど痛い。盾で庇っているのに、指が、骨が、筋肉が、むちゃくちゃだと悲鳴を上げるほどの強さなのだ。
もう何か考えている余裕なんてなくて、盾を近くに引き寄せて、来ているものとぶつけ合って防御しているだけで、精一杯。
速度が、速すぎる。何か余裕のある事を考えさせない。
おれの体延々と宙にはねあげられっぱなしで、それがやっと終わりそうだと思った最後、一番強烈に上空から叩き込まれたもののせいで、おれは道を陥没させる勢いで地面に叩きつけられた。
骨が折れなかったのが幸いなくらいだ。
せき込めば、口の中が切れたらしくて血が出てくる。うわ、鉄さびの味だ。
これだけやられれば、相手に敵意があると思うのが普通だろう。
でもおれは、途中からそれはないとわかっていた。
……実はこれ、すごく慣れ親しんだ急襲なのだ。
『すげえ連続攻撃だったな、おいらの視覚でも、盾が三つ動いてるのを見るだけで精いっぱいだったぜ』
アメフラシもどきが楽しそうに言う中、おれは街の住人とは明らかに空気の違う、そして避けられている相手に近付いた。
「あー……お久しぶりです、お師匠様。相も変わらずその毛皮、卵の腐ったような匂いがしますね」
近付いて、あいさつ代わりに言った言葉の所為で、おれは思い切りよく殴られた。
脳髄がぐらぐら揺れるくらいだ。痛みの前に振動が来て、痛いと感じる前に、気持ち悪くなる。
顔を押さえて呻くと、その相手は吐き捨てる調子で言った。
「硫黄狼の毛皮はどうしてもにおうと、前に教えておいたはずだ。動きに迷いがあるな、迷うほどの腕も持たないくそがきが」
殴ったそのお方は、頭部から五つの角を生やし、非常に不愉快だと言う表情で、おれを見下ろしていた。
この方こそ、おれの知る中で最強の盾師であり、おれを独り立ちできるまでしごき上げた師匠であり、おれの打たれ強さを築いてくれた恩人である。
「お師匠様の口の悪さは相変わらずですね」
「くそがきをくそがきと言って何がおかしい。何か知らんが、自分を守る事も一人前にできなくなり下がった馬鹿弟子が」
「……そこまででもないかと、っでえ!」
言い返すとまた脳天に一撃が加わす。太い腕から繰り出されるげんこつは、非常に痛いのだ。
火花が目から飛び出しそうである。
「動きから動きへの連結に、ブレと揺れがある。事情は知らんが心に迷いがあるか、ひびが入っているかのどちらかだ。お前程度の腕前に、そんな余裕はないはずだ」
おれはその言葉の裏側を知っている。
「お師匠様、取りあえずここで説教は周りの迷惑なので、おれの家に来てください。あなたはいつもお腹が空いているはずです」
この申し出に、師匠は鼻を鳴らして了承した。




