他方(5)=発狂手前の空間で
ぱきり。
また何かが凍った。青年は凍り付き飲む事も出来なくなった、茶を眺める。
まただ。
触れたものすべてが凍る。氷点下の温度に変質し、周囲の空気は吐く息さえ凍り付かせる。
これは、なんだ。
分からない。
あなたはさらわれて恐ろしい目に遭ったのです、と言う見知った近衛兵たちとともに、転移装置で故郷に戻ってからずっと、彼の周囲は冷え切っている。
触れるものは凍る。温度を急速になくす。
庭園を歩けば植物は凍り砕け、噴水も何もかもが凍結し破損する。
もう、部屋に閉じこもるしかできなかった。
おのれはなんなのだ。
記憶をさらおうとしても、何も答えが出てこない。
おのれはいったいなんの罰を受けた。
無実の罪を着せられたのだと皆が語った。
きっとそれは事実なのだろう。
しかしそれと、己のこの状態が結びつかない。
どうして己はこんなにも、こんなにも。
凍る恐怖と底冷えする寒さから、訪れるものが皆無と化した部屋で、一人青年は膝を抱えて座っている。
おのれはなんだ。
なぜこうなった。
ここではないどこかでは、どうやって暮らしていた。
ここは。
ここはあまりにも、そうだ、あまりにも。
「……さむい」
寒いと声に出すと、それだけで吸い込んだ空気の冷たさに身震いする。
身震いして、何かが頭の本当に片隅でちらついた。
本当に寒いと思った時に、伸ばされた何かがあった気がした。
それは絶対に己を、おそれなかった気がした。
おそれないで、いた。
「俺さえ俺が恐ろしいのに」
なぜそれは、おそれる事無くそれを伸ばしたのだろう。
どうしてそれは、今ここにないのだろう。
「あたたかいなど、しらないほうがさいわいだ」
こんな凍てついた孤独を体感する事になるなら、ちらついたものをよくよく眺めようとするのではなかった。
青年は静かに顔をうずめる。
軽いノックの音がして、現れたのは婚約者だ。彼女は着ぶくれするほど着こみ、彼のもとに歩いてくる。
「カルロス様、お茶をお飲みにならないのですか」
「凍った」
この婚約者の姉との縁談は、白紙になり彼女と婚約する事になったと聞いている。
自分を裏切ったという元婚約者は罰せられているとも。
不貞を働き、その相手と結託したのだとか。
「では新しい物をお持ちさせましょう」
彼女が微笑むその裏側で、己も凍らされる怖さと戦うのを知っている。
怯えているのも感じていた、うっとうしいほどに伝わるものだった。
「お前も出て行け」
「いいえ、出て行きませんわ。わたくしの愛こそ、貴方様を呪いから解き放つのです」
これがそんな軽いものなわけがあるか。鼻を鳴らす。
呪なんて簡単な物ならば、こんなおそろしい物とは、きっと感じない。
「愛なんぞで、これから解放されるわけがない」
「いいえ、あなた様を慕うすべてのものが、貴方様からその恐ろしい物を取り外そうとしております」
彼女は微笑みさらに言う。
「それに、わたくしの愛が一番、あなた様を癒すに違いないのです」
愛しているならなぜそんなにも、怪物を見る瞳なのだ。
疑問を言葉にせず、青年はまた続ける。
「出て行け」
「カルロス様、わたくしが傍に降ります。お話をしましょう」
「寒くて機嫌が悪い。だから出て行け、リャリエリーラ。お前も凍るぞ」
「っ」
彼女が息をのみ、足早に立ち去る。
“あれ”はたとえこんな事を言ったって、去って行かなかったに違いない。
ふっと頭に沸いたその妄想に似たものに、よりむなしさを覚えて、青年は一層自分を抱え込む。
「どうして、現れない」
“傍にいる”
そんな事を言って裏切るな。裏切るくらいならそんな事口に出すな。
「……こおりそうだ」
どうしてお前は、ここにいないのだ。
子供のように喚き散らしたくなり、青年は膝を抱えてうずくまっている。
焔さえ凍り、温度をなくす極寒の空間で一人。
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誰かが噂を囁いている。
「聞いたか」
「何をだ?」
「帝国の神殿の地中深くに封印されていたという、体を乗っ取る呪いの品物が、持ち出されたというんだ」
「そんなものが実在するのか?」
「あくまで噂だ。どうも大神官の誰かが、地中の封印区画の鍵を開けて、長細いものを持ち出したんだと」
「はあ、それがどうしてその呪いの品物に?」
「真偽はともかく、それを持ち出した大神官が一時、人が変わったような言動を繰り返していたそうで」
「どんな言動を?」
「なんでも、オーガを殺せ、オーガは憎むべきもの、といった具合だとか」
「おいおい、帝国でも流行らないだろう、それは。確か十年前の大惨事から、帝国を救ったのはオーガだったはずだろう」
「そうだよなあ……」




