混乱=秘匿されたものの結果
寂しんぼうが、隣部屋だった廃墟で眠って何日かが過ぎた。
お兄さんはディオとして、ギルドの方でお金を稼いでいる。
ディオのふりは、結構うまいようだ。
お兄さんが演技をしている、なんて欠片も気付かれていないらしい。
でも、いくらなんでも。
「ディオの剣術と、お兄さんのそれじゃあお兄さんの方がぼろ負けだと思うんだけど」
ごりごりごり……
「お兄さんがいくらいろんなものを隠し持っていても、さすがに到達者級の人と同じ事までは出来ないんじゃなかろうか……」
がりがりがり……
「お兄さんよくまあ、それ気付かれないように立ちまわるよな、おれにはできない芸当だ」
ここでおれは、独り言を言いつつ、砕いたりすりつぶしたりしていた原料を、これまた自力で絞り出した薬草の油に溶いた。
なめらかになるまでまた、乳鉢で擦り混ぜる。
「でもやっぱり、お兄さんの傍を離れなきゃいけないのは、不安だ」
ぶつぶつ自分の心を音にしていく。こうしていれば、少しすっきりする。
言っているこっちも、わかっちゃいるのだ。
あれだけお兄さんと一緒にいて、お兄さんを最優先にしていたおれが、ディオの周りで懐いていれば、不信感を抱かせる事くらいは。
なにしろディオが、禁忌で秘密にしておいてほしいと言っていた術の事が知られると、面倒だし。
おれのためにそれを使ってしまったディオに、迷惑が掛かるのは嫌だからだ。
あの術の事を、お兄さんは詳しく教えてはくれなかった。
ただ、とても危ない術で、禁忌として封じておかなければいけない技で、なおかつ使える生き物はもう存在しないだろうと言われているものだ、という事だけを教えてくれた。
おれからすればそれだけで、もう十分なくらいに教えてもらったようなものだ。
これだけ知っていれば、怖くないのだから。
「お兄さんの所に行きたいな……」
乳鉢の中身の色が、原料に合わせて変化し始める。調合がうまくいった印だった。
そうやって気を紛らわせるしかできない、おれがいた。
……本当は、これ以上お兄さんに理不尽が襲い掛からないように、全力で傍で守りたいと思う。
それと同時に、今ここでその思いで動いてしまえば、後々問題だとも知っているのだ。
複雑な心境でしかない。
とろりとした油状の薬は、知っているとおり橙色に変化して、心に雑念があってもある程度の調合は出来ると、おれに示していた。
これが耳かき一杯分の差で、効果が変容する薬だったら、こんな雑念を抱く余裕なんてないだろう。
しかし、これでギルドで請け負った調合は全て終了した。
指定された瓶に詰めて、よいしょと立ち上がる。
ギルドで調合系のミッションをいくつか受けて、外出していなかったから、買い物だってしなきゃいけないな、と頭のなかで優先順位を決めていく。
まあ、お金をもらうためにギルドに行くのが一番だろう。
これでもかと血抜きをしたから、もうそんなに血のシミも目立たない装備を着て、盾を具合よく調整する。
「ちょっと出かけてくるからな」
一応藪の方に声をかけてから、おれは外に繰り出した。
お兄さんが死んだと、周りがおもうようになってから何日も経つ。
街はそれでも活気に満ちているし、機能している。
ただ、街の外壁では、知っている限り一度も起動させていなかった結界装置が動いていて。
上の方では、うっすら網目状の光が見える。
きっとこれが、百年前まで街と言う物を、“寒空の祝福”から守っていた結界なのだろう。
「このアシュレを覆いつくすって、どれだけ大規模な結界装置なんだよ」
上を見上げて呟けば、いひひと近くにいた老婆が笑った。
「それ以上に大変だよう? 百年前まで当たり前だった、“冬支度”を皆しなくちゃいけないからね」
聞いた事ない“冬支度”だ。老婆の方を見れば、彼女は肩をすくめた。きっと百年以上生きている種なのだろう。思い出して笑っている。
「なにせ“寒空の祝福”はどんなフィールドにも降り注ぐもんだから、フィールドで活動できるチームが決まってしまう。なんだかんだ言いつつ、物を採取できる奴も、移動して商売ができる奴もね。百年前までは、当たり前のようにそれに備えて、備蓄したり商売したり、が当たり前だったのさ」
「お婆さんは経験したの」
「わたしはそれが当たり前の生活の方が、長いからね。ただ百年の間に生まれた奴らは、苦労するだろうよ。あんた珍しく、人間が全く混ざってない混血だね」
おれは目を丸くした。そんなの一回も見抜かれた事が無かったからだ。
「そう見えるの」
「匂いさ。私は低位の地竜だから、どうにも匂いの方でばっかり物を判断する。あんた人間の猿臭さがないんだよ。あんたはきっと、冬に活躍できる生き物だろうね」
頑張りな、といいつつ、老婆はおれの手に青りんごを一つ渡して、ゆったりと去って行った。
「……匂いでわかるのがあるのか」
分かる所はわかるんだな、ともらった青りんごをかじれば、甘さよりも酸味が強い品種だったらしい。
でも旨かった。
綺麗に食べて、ギルドの受付の方に行けば、なんかいくつもの受付で大変な言い争いが起きていた。
「なんでこれからの長期ミッションが却下されるんだよ! 去年もおれたちが請け負っていたミッションじゃないか!」
「この隊商とはお互い、気心の知れている仲だから、今年もできないんですか?」
「ですから、今年から、冬を越す長期ミッションを受注できる条件が、“人間の血を引いていない事”になったんですよ」
「納得がいかない! そんな種族差別を、このアシュレのギルドがやっていいのかよ!」
あちこちで聞こえているのは、そう言った冬までかかるミッションを却下されて、怒る冒険者と対応の受付だった。
受付の方も苦労しているし、怒鳴られてばっかりで大変らしい。
おれはそっちに近付かない事にして、マイクおじさんの所に並んだ。
どこの受付も長期戦になっているから、今日はマイクおじさんの所にも冒険者が並んでいる。
「ミッションが終わった奴はあっちに行ってくれ、しばらくあっちがそう言った手続きの専門だ」
並んでいる冒険者の何割かは、ミッション達成の報告に来ていたらしい。
マイクおじさんの脇で、なんと……シャリアが看板をもっていた。矢印がおおきく書いてあって、ミッション達成者を誘導している。
それを見て移動するやつも多い。
そっちは普段通りの手際の良さで、報酬を受け取っているみたいだ。
おれもそっちに足を進めようと列を抜けた時だ。
「お姉ちゃん!」
シャリアがおれを呼んだらしい。おれに見つけてもらおうと跳ねている。
ここで無視するのもなんだかな、と思って近寄れば、シャリアは最後に見た時よりもずっとずっと、顔色がよくなっている。
それに安心してしまい、ああ、おれはこいつを切り離せないらしいと心のなかで笑ってしまう。
「シャリアは冒険者じゃないのに、ここにいるのか」
冒険者の資格をはく奪されて、ここにいるのはいたたまれないだろうに。
おれの問いかけに、シャリアは真顔で頷いた。
「ララさん預かりのまんま。ここ何日も、その手伝いなの。混乱している受付とかの誘導をしているの」
「たしかに向こう、怒鳴られてるもんな」
またどこかで怒鳴り声が響いている。受付嬢が誰か、耐え切れなくて泣き出したらしい。
補佐が追い付いていないのか、あっちの行列は遅々として進まない。
それを見て、シャリアが肩をすくめた。
「この前いきなり、受注条件が変わりすぎたから、結構文句とかが多いの。上級冒険者の中には、その理由を知っている人もいるみたいなんだけど、そっちの方が少ないね。いったい何がアシュレで起きているのか、分からない……。受注条件の段階が厳しくなったとかじゃなくて、種族で弾かれるなんて、ララさんがやる事とはとても思えないのに」
「……だよな、義のララさんだもんな」
それにシャリアは、剛のドリオンさんが種族差別で断罪したアリーズたちを見ている。
そこからして、シャリアからすれば、おかしすぎる変更なのだろう。
おれはその理由が分かるけれど、ここでシャリアに教えていいとも思えない。
「まあ、誘導がんばれ」
「うん。……勇者の来訪もずれるらしいの。冬の間、フィールドを移動させられないからって」
「へえ」
それはある意味当たり前であり、しかし状況をしっかり知らない相手からすれば、やっぱり不信感しかない事に、違いなかった。




