同伴(10)=一つだけ叶えられたのは
こんなんですが、バッドエンドにはならないです。一応。
手が、動かない。指の一本も動かせない。
守れなかった、という現実だった。おれがお兄さんと一緒にいれば起きなかった、おれがお兄さんなら大丈夫と思った結果がこれだった。
一人でも大丈夫とどうして、確信なんてしたんだろう。
「……そんなにも」
その男が大事だったのか、とディオが呟いた。おれはただ頷いた。
恩人だった、でもそれ以上に大事になっていた、主とかそんな言葉の向こう側にいた。
おれが知らない言葉で、おれを形どって呼びかける音が好きだった。
その音を並べてくれるのがうれしかった、そんなにも並べ立ててくれる心が好きだった。
見た目だけでも好ましかったけれど、その中身はもっともっと大好きだった。
全てをかけるに値する、と心底思えた人だった。
「……わかった」
ディオはおれを押しのけた。普段ならできなかったそれも、脱力したおれ相手では簡単だったらしい。
「ナナシ、一つ言おう。この男の肉体は死んだが、その中身はまだ死んでいないという事を」
ディオは言いつつ、籠手を外して手袋をはがした。
何をする気なんだろう。
呆然と見ていれば、ディオはすごく寂しそうな、でも誇らしそうな顔でおれに笑いかけた。
「禁忌技の一つなんだがな、内緒にしてくれよ」
その素手を手刀の形にして、ディオはお兄さんの亡骸に振り下ろした。
『とんでもないやつだ……肉体と魂の因果をぶっつり断ち切りやがった』
首にまだいた呪い本が呟いた。
『自分の肉と魂の因果まで断ちきって何を……まさか……!?』
ぶつぶつ言っていた呪い本が、何か思いついたらしい。
『あれを使える人間がまだ生き延びていんのかよ』
首元のぶつぶつの間に、ディオはお兄さんの体の、もうない心臓部分に手をあてがっていた。
「咒法=共存=ヨミガエリ=蘇生」
小さい、でも、すごく強い声でディオがその、おれが全く知らない物を唱えた。
どう、という響きで何かが始まって、そして唐突に終わったのだけは、分かった。
「……アラズ、そんなに血にまみれてどうしたんだ、怪我なんてしなさそうだというのに」
おれを見やったディオの口からこぼれた声は、まるきりお兄さんの口調だった。
ディオは何をしたんだ。
なにを。
呆気に取られているおれは、自分の手を見下ろしているディオが、薄く、お兄さんとそっくりな表情で笑ったせいで、またわけが分からなくなった。
「とんでもない強欲な男だ。アラズは欲しい、アラズを悲しませたくない、私を生かしたい、自分も生き続けたい……全部叶えてしまうなんてな」
あ、片目の色が真っ黒になってる、お兄さんと同じ色だ。
「まさか咒法=共存=ヨミガエリ=蘇生を完全に発動させて維持し続けられるとは、上には上がいるものだ」
お兄さんと同じ口調のディオはやたら感心していて、そしておれの頭をぐりぐりと撫でた。
本当にお兄さんと同じ動作だった。腕のあげ方や角度さえ、一緒だった。
「……ディオは一体、なにをしたんです、お兄さん」
見た目はディオなのにどうしても、お兄さんに見えて来て問いかけると。
彼は目を瞬かせた後に、周囲を見回してから言った。
「とりあえず、私の元の肉体を保管してからの話だな。ここは悲鳴が多すぎる」
そこでおれは、そういえば生徒たちが襲われているんだったと思い出した。
「おれはアンジュー達保護した後だからいいけど……お兄さんはいいの」
「この状態だ。この肉体の私は、守る方法を何も使えない。体を流れる力の位置すら大違いすぎて、とても普段通りにはいかない。それにこの体の持ち主は、“そんなミッションを受けていない”からな」
うわあ、頭が回るわ。確かに、ミッションを受けていたお兄さんの元肉体はそこで倒れているし、ディオはミッションを受けていないから、関わらなくても問題はない。
おれのミッションはアンジュー達の護衛で、それは完全に完了したと言ってもいい。だってこの山から脱出させたし、安全な所までおろしたし。
安全な所まで下ろした後の責任を見る、のはミッションに入っていないから、問題ない。
そこまであっという間に考え付いたお兄さんは、おれとちがって頭の巡りがいいんだろう。
「見た目はこれだが、今の私に戦闘能力は皆無だと思っていて欲しい。……守ってくれるだろうか、私の妹背」
お兄さんが問いかける。
当たり前だ。首を縦に振って頷いた。
「はい。……でもそろそろ、救助要員来ますよ」
「聞こえるのか」
「近くまで声と言うか、気配が。お兄さんそれもわからないんですね、今」
「この体と完全に同調したわけではないからな」
おれは周囲を見回した。生徒たちは、自分たちがむやみやたらに殺しまわった魔物たちに食いつかれたり締め上げられたリ、散々な状態だ。
助けてやろうとか、おれは絶対に思えなかった。
だってあいつら、お兄さんを殺したんだもの。……ディオの中にお兄さんがいるから、殺したと言い切れるのかは微妙だが。
「盾師! なんだこれは!? なんだこの死霊系の魔物の数は! 神官殿、頼む!」
「ええお任せを! 浄化=光粒=キラ!」
上位冒険者の皆さまに連れられてやってきたのは、十数名の神官職や聖職者だった。
これだけいれば、さすがに死霊系になった魔物も安らかに眠る事が出来る。
死んだ魔物の苦しみや憎しみを癒すと言われている、光の粒があたりに降り注ぎ、魔物たちは全部倒れて動かなくなった。
「盾師! 何が起きていたんだ! なんで先に行ったお前は生徒を守らなかったんだ!」
おれは大股で近付いてきた剣士の一人に、胸ぐらをつかまれた。
そして彼は責め始める。
「お前ならこの魔物たち相手でも、一歩も引かずに生徒全員を守る事が出来たはずだ、何をぐずぐずしていたんだ! ……あ?」
剣士はおれの手が、信じられないほど真っ赤だという事に気付く。唖然とした顔で、体中血まみれのおれを見る。
「お前は怪我をしたのか……? ずいぶんな血の量じゃないか、それで死んでいないだと?」
「あそこに倒れている男の血なんだ」
そこでディオのふりをした顔のお兄さんが、誰がどう見ても死んでいるような肉体を示す。
「生徒たちは、あの男を全員でなぶり殺しにしたらしい。死体を鑑定すれば、あの男がいかに残酷な事を行われたかが分かるだろう。それも、魔物でなく、道具を使う生き物の手によって」
「……あれは、おい、だれか、だれか! まずい、沙漠の隠者が死んでいるぞ!?」
おれから手を離し。剣士がおれの後ろにある体を見て叫んだ。
「神官殿! 治癒を、治癒を! この御仁に急いで!」
剣士が叫んでいるが、お兄さんが無情な声で言う。
「そこの盾師が来た時にはもう、その男の肉体はだめになっていたらしい。近付いた私の目にも明らかだった。盾師は死んだ男を何とか蘇生させようと、血止めを行ったり押さえつけたりと、必死に応急処置を行ったわけなんだがな」
「あなたは隠者殿の助けに入らなかったんですか!?」
「私が来たのは、そこの盾師が必死に、男が死霊になった魔物から生徒たちを守るべく張ったらしい、氷の結界を壊そうとしている時だ。私が何とか結界を一部壊した時にはもう遅かったらしくてな」
お兄さん演技うまいな……と言うよりも、ここの誰も、ディオとちゃんと会話した事が無いんだろう。
誰もディオの言葉じゃないって気づきもしなかった。
あたり一帯で、生徒を何とか治療する聖職者たちの悲鳴を聞きつつ、アシュレの冒険者たちは蒼白な顔で、お兄さんの死体を見下ろしていた。




