同伴(9)=認めがたい現実
最初に言います、バッドエンドにはなりません。
いかにもな装備をしている。それはいかにも、山の上から下りてきました、上の方で素材をとってきました、と言う見た目だった。
それで、おれがここにいる理由なんて欠片もわかっていない顔で、それで。
氷の結界を見るや否や、血相を変えた。
「大丈夫か、巻き込まれたのか」
「……巻き込まれては、いないんだ」
「だが片手が凍結しているだろう、その盾も凍っている。まさかこの尋常じゃない強さの結界を、ぶち抜こうとしたのか。面の攻撃に特化した盾で」
おれの凍った手を見て、いまだにろくに動かない指先を手に取って、言う。
「でも、この中にお兄さんが、お兄さんがいるんだ、中で何でか知らないけれど、ひどい目に遭っているみたいで」
「お兄さん……あの時の男か」
ディオは静かな目で結界を見て、その結界を拳で軽く叩いた。
そんな暢気な事をしている暇は、と言おうとしたおれを見やって、言う。
「開けたいなら下がってくれればいい、ナナシならこれを回避できる」
「……は?」
「お前たちには見せた事のない、前のチームで禁じられていた技がある。それなら氷の結界と相性もいい。三回くらいでぶち抜ける」
出来るわけない、お兄さんの氷に、凍てる選別者の結界に、という事は言わなかった。
おれの無知の防御と同じ原理だ。
相手の力を知らないで、自分の力なら打ち抜けると確信している時。
出来ない理由を教えればその分、技の効果が無くなってしまうのだ。
出来るわけない、という思い込みが技の強さを鈍らせるのだから。
だから黙った。ぶち抜けるならそれでいい、お兄さんの所に行きたいから。
ディオは結界の近くに片膝をつき、片手を鞘に片手を柄にかけた。
居合術だ、と以前師匠が話していた姿勢を思い出す。
……そんな時だったんだ。
はらはら、と周りに薄い紅の、花弁によく似た焔が舞い始めたのは。
「なんだこれ」
おれの知っているものじゃない。こんな風に炎が舞い散る術なんて、聞いた事ない。
ディオは何かとんでもない物を、隠し持っている。
それが伝わってきた。
一拍の静寂、花弁の形の炎が舞い始めて数秒の事。
ぎりぎりまで張りつめていたような空気が、ぶっつりと斬られた。
誰にって、その緊張と静寂を作っていたディオ本人に。
来る、と思った。
その瞬間に動ける片手に盾をかざし、襲って来た斬撃に耐える。
おれはこいつの後ろにいたのに、斬撃が入った、なんつう技だ! 仲間がいる状態でこれやったら自爆か全滅になるぞ!?
斬撃の威力は尋常じゃなかった。割と力のあるおれの腕がびりびりしびれる、と言う威力じゃなくて。
打撃じゃなくて斬撃、とはっきりわかる、鋭利な物だ。
叩かれているんじゃない、殴られているんじゃない。
盾は何とか耐えているけれど、守り方を間違えたら、盾は剣の一撃を通してしまう。
そんな力だった。
そして。
焔の力なのか、それとも斬撃の威力がすごいのか、本当に、氷の結界の一部に、斬撃が通ったんだ。
おれが殴ってもびくともしなかった結界に、筋が入る。三回で開くのは本当だった。
三回で、ばっくりと結界の一部に穴が開いた。
「なんていう固さだ。三回しか通せなかった」
いや、通っただけすごい、と思いながら、おれは開けてもらった穴の方に走る。
「礼を言うディオ、あと今すぐ山降りろ、そこら辺の死体、解凍されたら動き出す気がする!」
せめてのお礼に、ここから逃げろと告げれば、ぎょっとした声で返された。
「死んでいないのか!? これ全てが?!」
「たぶん死霊系になっている気がしやがる!」
後ろを見もせずにおれはディオが開けた穴に入り、お兄さんへ駆け寄ろうとして。
穴から見えたもののせいで、動けなくなった。
「おに、い、さ」
声が出てこない、頭のなかで心臓が動いているように、早鐘を打たないはずの心臓が普通じゃない速度になっている。
なんで、なんで、なんで
お兄さんの胸に穴が開いて、真っ赤な色に染まっているの。
お兄さんは何とか生きているらしい。結界がまだ作動しているのが証拠だ。
早く手当てを、山を下りないと、と何とか動いた理性が告げた時。
地面に座り込み、あのメイスを地面に突き刺し、姿勢を維持していたお兄さんを、誰かが横から蹴飛ばした。
メイスに支えられていたんだ、お兄さんはぐちゃりと言う音が立ちそうな動き方で、地面に倒れた。
「手間をかけさせますわね。この、裏切者が!」
吐き捨てたのは銀髪の女の子、靴には水がまとわりついていて、その水はどす黒い赤色をしている。
女の子が足を軽く振ると、水は離れた。誰かが術で水をまとわせていたのだ。
「魔物と通じているなんて。こんなのがギルドにいたなんてとても信じられませんね」
肩で髪を切りそろえた女の子が言う。
ほっとした顔をしているのは、おれに暴言を吐いた女の子だ。
「やあっと倒れたぁ。これでこの呪われた寒い場所もなくなるね」
そこで気付く、倒れたお兄さんの頚椎に、短剣が突き刺さっている事実に。
人間は頸椎を刺されたら死ぬ。
「アステリアさん、ありがとう! やっぱりアステリアさんたちのチームが、一番強いね、勇者の仲間になれるよ、皆これを先生たちに言ってくれる!」
「いくら魔法をぶつけても倒れないし、斬っても斬っても死なないし」
「まさかギルドの上位冒険者に、生徒を殺そうとする意志があるやつがいたなんて思わなかった」
「ギルドに文句言った方がいいんじゃないか?」
固まって動けないおれとは違い、その女の子たちに話しかけている生徒たち。
生徒たちも戦ったように血で汚れていた。魔法を使ったらしい生徒は、魔力切れなのか息切れを起こしていた。
「さあ皆さん、死体は放っておきましょう。こんな物を持ち帰るなんて汚らわしい!」
アステリアと言われた女の子が、お兄さんを再び蹴飛ばして、笑顔になる。
「皆さん、氷の呪いが解除されましたわ!」
はっとしたおれ。手を凍らせたあの結界は、溶けていた。
おれの凍っていたような指も動き出す。
お兄さんの所に行かなければ。
動いて頭のなかに浮かんだのはそれだけで、おれは生徒たちが歩き出そうとする方とは逆に走る。
散々蹴飛ばされて、身じろぎもしないお兄さんに。
血達磨のお兄さんに。
「あら、あの盾師、アンジュー達と一緒だった生意気な盾師じゃないの」
お兄さんを抱え、どうすれば蘇生できるか、街まで運べるか考えながら、止血布を引っ張り出していると、声がかかる。
「まあ、きっとぐるだったのですわ! 私たちを皆殺しにして、アンジュー達を勇者の同伴者にするようにわいろでも渡されたに違いありません!」
色々言われている、背後からの殺気、悪意、憎悪を感じる。
でもそれよりも、傷のいちいちを押さえなければ、頚椎に刺さっている短剣を抜いて放り棄てる、そこを必死に抑える。
まだ死んでない、まだ死んでない、死んでない!
そう思わないと頭のなかが何も感じられなくなりそうで、必死に応急処置をするその時。
「こんな危険な冒険者は、排除しなければアシュレにとっても問題ですわ!」
がやがや騒いでいた背後で、誰かが大声で言う。
「死体にて当てなんて無意味な事をしている所、失礼ですけれど……アシュレのために排除させていただきますわ!」
後ろで高らかに何か言っている、聞いている余地はない、動かしても問題のないようにしなければ。
「重力展開!」
何かが来る、血を止めるために塞がった両手だ、盾を構えられない。
どうしよう。
「瞑国居合抜刀術第一段 断貫」
かちん、と言う音とともに、おれの前に知った気配が立って何かをした。
「! 術だけを切ったんですの!? 信じられませんわ! そんな優れたものがそこの悪者の仲間だなんて!」
この状況でそれが出来そうなのは、一人。
視線を向ける。手は止血のため押さえ続けているけれど。
「逃げろって言ったのに、何で逃げないんだ、ディオ」
「惚れぬいた女一人放って逃げるほど愚かでも、死にかけたものを無視してどこかに行く性分でも、ない」
ディオはそれだけ言って、お兄さんを見る。
「呼吸をしていないが……」
「まだ死んでない!」
ディオがそれ以上言うとおれが壊れそうだったから、遮って叫ぶ。
「生きてもらうんだ、一緒に生きてもらうんだ!」
「なんと愚かしい! その男が死んだのは結界が解除された事からも明らかですのに! 死体の区別もつかな……きゃあああああああ!」
ディオの先で何か言っていた女の子と、その周りの生徒が悲鳴を上げ始めた。
何が起きたか。
ディオからお兄さんに視線を戻したおれは、その光景を見ているディオの声で状況を知ることになった。
「ナナシの言った事は本当らしい。魔物が解凍されて動き始めた。相当な恨みというか残滓だな」
「こっちに来るか」
「ああいう死んで直ぐの魔物が死霊系列の魔物に変質した時、襲われるのは殺した当事者が第一だ。どうやらあの子供の集団、かなり殺したらしいな」
「ディオは助けるって言わないんだ」
「お前を殺そうとした連中を助けると言うほど、お人よしでもお前が嫌いなわけでもない、というか俺はお前が好きなわけだから、言う道理がどこにもない」
「聖騎士だから清らかってわけじゃ……まあアリーズも勇者だけど中身最低だったし、色々か」
「色々だな」
何とか口を動かして、狂気に走りそうな頭を押さえ続ける。手は応急処置を続ける。
「……ナナシ、言いたくはないが、その男は、もう」
「諦めない、認めない、信じない、聞かない」
死なせてたまるものか。断じて死なせない。
背後の悲鳴をすべて無視していた時だったんだ。
「ナナシ、しっかりしろ、現実を見ろ。その男の肉体はもうだめだ。人間なのだろう。心臓の所に風穴があいている、頚椎は完全に切断されている、血ももう流れていない、その男の肉体は死んだんだ」
ディオが強い声で言った。
……そこでようやくおれは、お兄さんの体から、もう流れだす血さえない事実に気付いた。




