同伴(8)=強靭なる結界の向こうは
人喰い山になっているかもしれないのなら、生き物の気配なんてしないんだろう、と勝手に思っていたけれども。
よく考えれば、おれが変質した事を告げても、獣や魔物がいなくなっていったわけじゃないから、獣の気配だってそのままあるわけだ。
ただの山としか思えない。本当に変質しているのか。
全速力だとお兄さんに合流した後に響くから、少し駆け足で進んでいく。
妙な気配は感じる。何かに見られている、それははっきり感じる。
でも、それが恐ろしい気配かどうか、と言ったら違う。
ただ見られてんな、と思うばかりの、街でだってあるような視線みたいなものだ。
それをおかしい、妙だ、と思うのは、視線を向けるような意思の疎通の出来る相手が、周囲を見渡す限りいないからだろう。
「アメフラシ、本当に変質してんの、この山」
『変質はしてるっての。疑うのかよ相方』
「殺気とか感じない。あと、喰ってやるっていう空気も感じない」
そうだ。言いつつ気付いたのは、喰おうと狙う視線や空気が、この山のどこにもないからだ。
おれを食べようとする、危害を加えようとする、そんな空気はかけらもないんだ。
いや、本当に。
でも、変質したと叫んだあと、おれは追いかけられたぞ、なんでだ。
小走りで考えている間、答えは一向に出てこなかった。
山道は斜面が延々続き、途中崖のような面倒な場所も出てくる。
今目の前にあるのも、そんな場所だが、おれ一人なら大したものじゃない。
「準備運動にもならないな」
これくらいなら、と両腕の重さを確認して、片側だけ展開する。
そして助走をつけて、崖へ飛び上がる。
飛び上がって途中、当然一息に飛び越えられるわけじゃないから、片側の盾を崖を殴るように打ち付け、その勢いでまた飛びあがる。
師匠から逃げ惑う日々に、覚えた荒っぽい技である。これが一番、盾を壊すらしい。
おれの師匠は壊れるような軟弱な盾は持たなかったけれど。
おれは普通の扱いでも、ばらける軟弱な盾ばっかり持っていたから、お兄さんからもらったこれと比較のしようがないけれど。
飛び上がってまた走る。
昇っていく分には、邪魔も何もない。何でだろう。
また不思議に思ったあと、おれは急速に立ち込め始める、寒い空気に引きつった。
これ絶対お兄さんの中のあれが、動いてるだろ、お兄さんの凍る力が動いてんだろ。
それって非常事態なんじゃなかろうか。
何が起きてもすぐ動けるようにして、足が滑らないように注意しつつ、また走り出した。
チェレン山は高さも大してない山だから、もう目的の中腹部分だ。
あたりの木々は凍り付き、温度は冷え込み、普通では考えられない位に寒い。
お兄さんは、一体何をしたのか。
それの、パターンとでもいう物を知らないから、予測がつかないままおれは、そこに到着した。
そこはある意味異様な世界だった。半円状の氷の空間があって、その周りで、虐殺されたような姿の魔物が凍り付いて倒れ伏している。
なにこれ。
ここまで来る間に、手負いの魔物なんていなかった、その痕跡もなかった、でも死体がここにある。
それが意味するのは。
「死霊系の魔物……にしてもずいぶんな数だな」
一目見るだけでも相当な数だ、まるでチェレン山の魔物の半分以上が死んでしまったかのような数。
ふとそこで、おれはその魔物たちに、捌かれた痕がない事に気付いた。
ただ殺されたんだ。
そう言えばアンジュー達は、捌き方を知らなかった。それでも、倒した数が成績になるとか言っていた。
まさかこの数、生徒が殺したのか、この山の魔物をこれだけ?
その想像があり得ない事じゃない気がした。
「馬鹿だろう」
こんなに殺して、こんなに痛めつけて、ただ殺すために殺したような姿の魔物しかいないなんて。
命に対する冒涜だ。魔物相手でも非道な、非道すぎる事だ。
おれだって魔物は倒すさ。でも、敵意のない魔物は殺さない。襲ってこない奴は殺さない。
それに必要な魔物しか殺さないし、殺した魔物はきちんと捌いて採取して、ちゃんと穴掘って埋めておく。
これらはそれが、行われていないという証明だった。
凍る亡骸の群れは、氷の結界に挑みかかったような姿で凍って眠っている。
それらは解凍されたら、きっとまた目を覚ますだろう。
そんな予感がした。
だからお兄さんは、動けないのか。
解凍した亡骸が、動き出すから、ここで動かないでいるしかないのか。
おれは霜で中の見えない結界を、外側からこすった。
氷だから、中はちゃんと見えない、でも。
何となく見えたもので、おれは息をのみそうになった。
お兄さんらしき人が、生徒たちに何かされている。暴行のようにも見えた。
なんで、なんで。
「お兄さん」
生徒たちを助けているはずの、お兄さんに何をして。
確かめなければ、中で何が起きているのか、何が始まりだったのか、お兄さんの所に、行かなければ。
結界を睨む、お兄さんの強力な結界だ。寒空の祝福を利用しているだろう、きっと浄化の作用を持つ結界だ。
ただじゃ開かなそうだけれど。
盾を最大まで大きく展開する。一点を睨む。息を吸い込む。足に力を籠める。
多分、一撃で行けなかったら、何度やっても開かない。
おれは盾を、思い切り結界に打ち込んだ。
「っあ!」
結界はそれをはじいた。弾いてさらに、おれの腕ごと盾を凍らせた。
まずい、肉まで凍らされたら腕が壊死する。
瞬間の判断は正しかった。後ろに跳び退って結界を睨むけれど、乱れ一つない。
どうしたら、どうすれば。
考えた矢先の事だった。
「ナナシ? どうしてこんな所に。俺が言うのもなんなんだが」
自分の凍る腕に気をとられていた俺は、背後からかけられた怪訝な声に、驚いて振り返った。
その声の主が、意外過ぎる相手だったからだ。いるとはとても思わなかった相手でもある。
「ディオ……!?」
そこに立っていたのは、山の上の方から下りてきたところらしい、そんな装備の聖騎士だった。




