案内=ようこそお屋敷へ
お兄さんは非常に楽しそうに、待ち合わせ場所に立っていてくれた。
おれが隣で、アンジューが一向にやってこない事を気にしているのに、なんか不思議なくらい機嫌がいい。
雰囲気としては、鼻歌でも歌いだしそうな気配だ。
こんな上機嫌なのは久しぶりに見る、気がする。
砂漠ではしばしば見ていた顔だ。東区に移ってからはとにかく、賠償金返済のために忙しく、こんな機嫌よく巻物を読むような表情、された事がない。
そんな顔のまま、お兄さんが呆れた声で、笑った声で言う。
「やれ、約束の守れない小童だな」
「そういうわけじゃないと思うんですけ」
おれが時間はそろそろ何だけどな、ともう一回太陽を見上げた時である。
見事な爆音とともに、誰かが吹っ飛ばされてきた。
軽い体重の所為で、吹っ飛ばされ方が尋常じゃない。
おれはそのまま立っていても、何も問題はない位置だ、勝手に相手がどこかにぶつかって終わる。
しかしお兄さんの方を見て、その考えを改めるしかなかった。おれ動かなきゃだめだ。
なにせお兄さんがその誰かと直線上に立っていて、おれはすぐさま盾を展開させた。
お兄さんに傷一つ付けたくなかったのだ。だがしかし、盾を構えて待ち構えた時に、あ、これ盾で飛ばしたら相手の骨折れる、と気付いた。
しょうがないから、また昨日と同じように、盾をしまって全身で受け止める。
覚えのある衝撃の重さ、そして何よりはっきりとわかる、目でわかるこれは。
あー何と言うか、まあ。
見覚えのある金の髪の翼のある、お仕着せみたいな恰好の男子。
「お前また吹っ飛ばされてきたのかよアンジュー」
学べよ、前回吹っ飛ばされたんだったら、今回だって同じように飛ばされる可能性ありまくりだろうが。
何してんだよ、おれが受け止めなかったらまた骨折れてるだろ。
受け止めたおれは呆れた声を上げたのだが、そんなおれの腕からお兄さんが、アンジューをひったくって、子猫のように首を掴んでぶら下げた。
扱い雑だな、おれの扱いよりひどい。
「私の妹背に手間をかけさせるな」
ぶら下げたまま、穏やかな笑顔の圧力で、お兄さんが断言した。
周りの空気が留まっている。それはそうだ、お兄さんの顔はそれ位の迫力があったし、言葉も強い響きがある。
「……」
首根っこを掴まれて、顔を向かい合わせているアンジューは目を見開いて、おれを見て、それからお兄さんを見て、顔色を青くした。
「沙漠の隠者……どの?」
「なんだ私を知っているのか、話が早い。今日はお前に教えて欲しいのだと妹背に頼まれてな、ここに来たら無様に飛ばされるお前がいたわけだが」
うっわお兄さん言葉にとげがあるぜ、とげどころかもっと鋭い何かもありそうだぜ、そんなにおれが受け止めたのが、気に入らなかったんですかね。
後でそうなる理由を聞いて、直す方法を考えなければ。
おれは見殺しにするのが嫌いだが、お兄さんの機嫌を悪くするのも嫌なのだ。
きっとお兄さんの事だから、理不尽な事で機嫌が悪いわけじゃないだろうし。
ちゃんと、おれでも、納得できることで不機嫌になっているに違いないのだから。
直すべき所は直さなければ。
それがおれの矜持に反しなければ。
そんな事を考えている間に、アンジューは絞り出すような声で、かすれたような声で言った。
自分の目の前の相手の素性が、信じられなさすぎる、と言わんばかりの顔だった。
「……うそだろ本物……? 沙漠のお伽噺じゃないのか……」
「本物も何も、私は存在しているし、お前の服の襟首をつかんでぶら下げているし、これ以上ないほど現実だが」
お兄さんの明言にして断言。突っつく隙間も何もない。
だってそうだろ、お兄さんは現実としてアンジューの襟首をつかんでぶら下げている。
これで幻覚とか疑えるわけもない。
きっとアンジューの背中には、おれが受け止めた時にぶつかった痛みがあるだろうし。
「……えっと、あの」
アンジューが青いまま視線をさまよわせて、もう、何も言えないでいる。
おれは別に怖くないし、同じ事を言われても平気だと思うんだが、この調子だとかわいそうだ。
完全にお兄さんに、空気で負けてしまっている。
助けるというよりも、可哀想すぎて口をはさむ。
「お兄さん、アンジュー下ろしてやってください。なんかえらい引きつってるんで」
手がぱっと離される。そこでべしゃっと尻もちをつくアンジュー。お前受け身くらい……ああ、こいつ受け身うまくとらないんだ。昨日もそうだった。
「盾師お前なんていう存在と知り合いなんだ……」
「おれこの人の番犬だからな、知っているも何も」
「妹背でもある。可愛いだろう?」
頭の上に乗せられたお兄さんの手。それと言っている事の中身を理解したのか、アンジューがまた引きつる。
「あ、ばばばばば……」
「そろそろ泡吹いて倒れないか、心配になってきたぞ、ほら、立つ」
おれはお兄さんの手を離れて、アンジューを引っ張って立ち上がらせる。アンジューは青い顔でおれと、お兄さんを交互に見つめている。
というか今でも教えてもらえないんだが、妹背ってなんだ。
なんか意味がある呼びかけなんだろうが、おれはよくわからない。
でも、おれを呼んでいるんだって確実に分かるから、いいんだけどさ。
「今日はどこで話をするか。私の自宅は論外だが」
お兄さんが微笑んでアンジューに言い、微笑まれたのに今度は白くなったアンジューは、ぎくしゃくとした動きで視線をやり、言う。
「父に話をしたところ、ぜひ我が家に招待し、お話を伺えとの事でした……」
「ではお前の家か、早くいかなければ日が暮れるな。案内しろ」
お兄さんが当然の声で言い、アンジューが視線から逃げ出すように体の向きを変える。
「ところで何で今日も、吹っ飛ばされてきたんだよ。それも時間に遅れて」
「……か、絡まれてっ」
おれの当たり前の疑問なのに、アンジューは裏返りかけた声で答えた。
「……おい」
これじゃまともな会話にならない。おれは一度アンジューを呼び掛けた。
そして振り返りざまにばんっと相手の腹を叩く。
威力を調整したこれで、体に入っている余計な力が抜けたらしい。
自分の手を見て、目を白黒させているこいつに、言っておく。
「お兄さんはすごいお人だ。断言できるし世界中に触れ回ったっていい位にすごいお人だ。でも、おれそこら辺にいるちょっと強い冒険者だからな。おれへの態度は昨日と同じにしておけよ、話しにくくてしょうがない。で、絡まれてどうして、吹っ飛ばされるに至ったんだよ」
「あ、ああ……約束があるから無視しようとしたら、相手は誰だとこれまたしつこくて。振り払おうとしたら、生意気だと重力展開した一撃を受けて吹っ飛ばされたんだ」
「重力展開、地竜の得意技だな。対象の重さをいくらでも一時的に変えられる」
四文字の言葉がわからなかったおれに、お兄さんが脇から答えてくれた。本当にお兄さん、分かってらっしゃる。
「吹っ飛ばされたら勢い利用して、体勢立て直して逃げの一手打てないのかよ」
吹っ飛ばされた勢いを使って転がり、その間に体勢を立て直して、あえて転がり逃げる。
おれが前に師匠に習った初歩の初歩を言えば、アンジューが首を横に振った。
「重力展開で飛ばされたら、自分の意志で転がれるわけないだろう」
「甘いな、小童。冒険者の中でも鋼玉級ともなれば、それ位はお茶の子さいさいだが」
「……それって普通は出来ない、という事になりませんか、隠者殿」
「さてな、訓練次第でどうにでもなるものだ」
肩をすくめたお兄さん。きっとお兄さんだってできるから、甘いとアンジューを切り捨てられたのだろう。
おれは余裕だぜ、それ位出来ないと盾師ってものを続けられないからな。
だがこの会話の間で、余計な力や遠慮や恐れが、少し抜けたらしい。
さっきよりも足取りが落ち着いた調子で、アンジューはどんどん、東区の高級住宅地に進んでいく。
ここはお金持ちの暮らす場所だ。豪商とか職人頭とか、いろんなお金持ちや強い力を持った人たちが生活する、研究地区と大きく離れた場所である。
あっちの爆発音が遠く響く地区でもある。
「ここが俺の家です」
どういう敬語を使えばいいのか、分からない。
そんな顔をあからさまにしているアンジューが、ひときわ立派で大きくて、手入れの行き届いた屋敷を示して、お兄さんに言う。
「ああ、ここは確かに長い事、翼あるものの統括者の住居だな」
お兄さんはちらりとそこを見て断言する、建物を見てそんなところが分かるのか。
おれは城門の仕組みとかはわかるけれども、翼あるものの住居かどうかはたぶん、分からない。
でもやけに、天窓の多い屋敷ではある。
そこが翼あるものの住居の特徴なのだろうか。
「お兄さん、天窓が多いのが翼あるものの家の特徴なの」
「自由に飛べるようにな。おそらく玄関よりも天窓の方が、より出入り口として使われているだろう。何より天窓の方が使われている形跡が多い」
そこまで見て取れちゃうのか。たしかに。
よく見れば玄関の扉よりも、天窓などの使い込まれた感じの方が強い。
言われてみれば納得の理由だった。
確かに飛ぶ生き物は、足を使うよりも飛ぶ方を中心にするからな。
うんうん。
なんて思っていれば、アンジューが屋敷の外門の扉を開いて、お兄さんに示す。
「どうぞ、中へ」
「ああ」
お兄さんが先に歩こうとするから、おれは一歩大股で歩き、お兄さんの半歩前に出た。
これは何かあった時に、お兄さんの前に出て庇えるようにと言う保険だ。
いつでも保険はかけておいた方がいいのだ。
なにせいきなり家を爆発させる女がいる、この世界なのだから。




