事情=多分色々歯車が回っている
「しっかし、あんたなんであんな風に吹っ飛ばされてたんだよ」
人の事情を聞く趣味はないのだが、やっぱり気になってしまったせいで、聞いてしまうおれがいる。
だって目の前吹っ飛ばされてきたのだもの、気になるだろう?
「あいつに馬鹿にされて、やり返したら反撃されたんだ」
道中の会話である。今はちょうど下校時刻とかいう物のはずだ。
彼奴、馬鹿にされて反撃、そしてこのあたりでそんな過激な事をする。
という事は。
一瞬の考えの後、おれの頭は相手の素性を導き出す。
「あんた若君とか呼ばれているのの一人なのか」
「……」
この何気ない問いかけに、彼は目を見張った。
「俺の顔を知らない東区の人間なんて、初めて見たぞ」
「そりゃそうだろうが。おれは数週間前に引っ越してきたばかりの新入りだからな」
どの店がおいしいお店なのだろう、と匂いを頼りに飲食店街を歩いているんだが、何を売っているのかさっぱりわからない。
ここはこいつのおすすめの料理を食べた方が、きっとおいしいし間違いがないだろう。
そんな事に考えを持って行きながらの返答に、相手はそうか、と納得した様子だ。
話を戻そう、と一言言ってからの続き。
「話がずれてしまったが、そうだな、俺は天使族の若君だ」
「若君って親父とか御袋とかがえらいわけ」
「この東区の。翼あるものの統括者が親父なんだ」
翼あるもの、文字通り翼を持っている種族すべてを指し示す言葉だ。鳥族も天使族も、翼竜族も、妖精族も。なんだって。翼があればこの通り名を使う。
それら全ての統括者と喧嘩なんて、どんな命知らずなんだ。
おれだったら絶対に、大騒ぎの喧嘩なんてしないぞ、負けたりはしないだろうが。
むやみに恨みを買いたくないし。
お兄さんにどえらい迷惑をかけるに違いないし、嫌だぞ。
なのにこいつはさっき、馬鹿にされたと言った。
いるんだな、そんな物好き。
一体何族だろう。
「ふうん、だったらあんたが喧嘩しているのは何族なんだ」
「地竜族だ」
「うげ、また頑丈でおっかない一族と喧嘩してんだな」
「……知っているのか」
「あった事はないけどな、師匠の話で聞いた事がある」
彼が足を止めたから、同じように足を止めて答える。
「地に足をつけて生活するもののなかで、一番敵に回したらやばい奴らだって言ってたぜ。おれの師匠様。術の数が桁違いで、ハイエルフもオーガも形無しだとか。そんな一族が東区にもいるのかよ、おっかねえな」
「天使族はおっかなくないのか」
「おれでも受け止められる軽い体重で、吹っ飛ばされても体勢を立て直せないような奴しか見ていないのに、おっかないとか言えるかよ。あんたの素性はおっかないかもしれないが、天使族だけならまだ、判断しかねるってやつかな」
おれの言った事に、彼は顔をしかめた。
「そのいかにも情けない形容の天使族は、俺か」
「あんた以外に誰がいるんだよ、周り見回せ」
断言してやった。相手が逆上したらその場で逃走だ。名前を名乗っていないのだから、身元はそう簡単にはばれない。
そしてこいつは、おれが受け止めなかったら脊椎を粉みじんにして、あの世に行っていたかもしれないのだから、その事実を指摘すれば、相手もおれを殺すとかはできないだろう、普通なら。たぶん。
「ここは怒るべきなのか、それとも呆れるべきなのか……だが事実だから反論ができない事の方が、悔しい」
地団太踏みそうな顔で、天使族の彼が言った。
「あんなに簡単に投げ飛ばされたのは、初めてだった。本当に癪に障るくらいだ。今までは同じくらいの実力だったのに」
呟くように言ったあたりで、おれは、忘れていたことを思い出した。
「そうだ、自己紹介がまだだったな、飯おごってもらうのに名前も言わないなんて失礼だってお兄さんに怒られちまう。……おれは盾師。盾師だ」
「名前を言うと言ったのに言わないのは何故だ」
「自分で自分の名前口に出しても、発音がおかしくってさあ、なんかすごい違和感しかないんだよ。お兄さんが呼ぶ時はちゃんと、自分の名前だって分かるんだけれどなあ」
そうなのだ。自分で名乗っても違和感しかなくて、お兄さん以外の人に呼び掛けられても、自分の名前だと認識できない。
きっと発音がいまいち、お兄さんの物と違うからだ。
しかしそのせいで、マイクおじさんたちが
「呼んでも返事できないなら、ナナシのままと何がちがう!」
って大勢で突っ込んできた事実でもある。
そんな事を腕を組んで大真面目に語れば、天使族の彼が何か考え始める。
しかし自分も名乗られたのだから、名乗り返そうと思ったらしい。
「こちらも名乗ろう。天使族若翼、アンジューだ」
「アンジューか。よし、一応覚えた」
「……それで話を戻すわけだが、もしかしたら盾師の名前には、何か術がかけられているのかもしれない。音の抑揚を特殊にして、術にするという方法があると、学校の応用術で習ったから」
「へえ、だったらお兄さんじゃないと呼ばれた気がしないのは、そのせいかもな」
「なんでそんなにカラッとしているんだ、自分に変な術がかけられているかもしれないのに」
「そりゃあ、お兄さんがおれにひどい事をしないって、おれがよく分かってるからに決まってんだろ?」
目を瞬かせた相手にとって、それだけの事は予想外だったらしい。
長い沈黙が帰ってきた辺りで、おれは気付いてしまったのだ。
「ところであんた、財布が入っていそうな荷物、何も持ってないのに奢るって言ったのか?」




