謎々=わからないことを前提にさらけ出す言葉。
明けましておめでとうございます、これからもよろしくお願いいたします。
「どうにも、賠償金が多いのは自由がきかなくて困るなあ」
「やっぱり殴り込みに行きません?」
「妹背がそうやって怒ってくれるからいいか」
お兄さんが長椅子にだらりと寝そべりながら言うから、おれは思わずそう返した。
今日もかなりの忙しい日だったらしい。
お兄さんの予定は、詳しくは知らないけれども。おれの予定だってお兄さんが、完全に把握しているわけじゃないし。
この集合住宅になってから、番犬としての役割はとても少なくなったのだ。
まあ、隠者がこんな所、隠れ住むわけでもなく集合住宅で忙しない暮らしをしているなんて、誰も思わないからだが。
それかまだ、お兄さんが引っ越した事を知らないか。
とにかく、番犬として誰かを追い出す事は、東区に入ってから一度もない。
そんな生活だからこそ、お兄さんと別々に仕事を受けて、生活費を稼ぐ事が出来るわけでもある。
そんな事情はさておき、疲れているのだろうお兄さんは、そのまま長椅子で伸びをする。
背の大きなお兄さんが、十分くつろげる大きさの長椅子だ。
ちなみにおれのお手製。
木材とか調達して来て、全部作った。
お兄さんはそこに乗せるクッションを縫った。ぶっちゃけおれの木枠が雑な気がしてしょうがない出来の、素晴らしい仕上がりのクッションである。
ふわふわのそれはとってもいい物だし、お兄さんがそこで寝転がるのを気に入っているのなら、おれの木枠は上出来だ。目的にかなっている。
底が抜けるわけじゃないのだし、とおれは誰に言い訳してんだろう。
まあそれは置いておいて。
「お兄さんはおれが怒ってて楽しいの」
怒っているおれなんて、面白みも何もないだろうに、お兄さんはちょっと満足そうに笑っている。楽しいのだろうか、と思うんだが、真意が見えない。
見えないからこその、当然の問いかけに、指を軽く振って答えてくれる。
「いいや、ちがうな。誰かが自分のために怒りを覚えてくれるというのが、妙にくすぐったくて仕方がない。そしてそれがアラズだというこの現実に、めまいがするほど幸福になる」
「言い過ぎじゃありませんか、それ」
めまいがするほどの幸福って、言い過ぎ極まっている気がする。
それじゃああんまりにも、おれが特別な存在みたいだ。
事実として異例っていうのと、特別って言うのは何となく意味が違う気がするから、異例じゃなくて特別と言っているわけだが。
「おれじゃなくても、お兄さんのために怒る人はいますって」
きっといっぱいいると思うのだ。お兄さんの知り合いは多いから、お兄さんのために怒る人なんて掃いて捨てるほどとはいかなくても、たくさんいると思うのだ。
「ばかだなあ」
心底思った事だというのに、お兄さんが長椅子に寝転がって、くすくす笑いながら、続けた。
「求愛したいほど好きな相手が、自分のために怒ってくれるというのが、素晴らしい奇跡の一つなんだ、アラズ」
「謎かけは好きじゃありません」
おれが分からないという前提の元、言ってるなこの調子だと。
膨れ面になっても、お兄さんは中身を教えてくれないだろう。
それどころか。
「お前はいい加減に決まったのか」
「……」
非常に痛い所を突かれてしまい、ぐうと言葉に詰まった。
「早く、お兄さん以外の呼び名で呼んでほしいものだ」
私の妹背、私はそれを望むのだ、と謳うような調子で続けて、さらに。
「だがいつまでだって待てると思うこれこそが、すばらしい」
なんというか、やっぱり意味の分からない事を語っていた。本当に分からない。
お兄さんが経験した何かしらの、孤独のような物がそれを喋らせるのか、お兄さんの中の何かが、それをお兄さんに言わせるのか。
ぶっちゃけどっちでも構わないけど、せめておれに通じるくらいには、かみ砕いてほしいと思う最近である。
「単独でできるミッションも依頼も、だいぶこなしたわけだが。どうにもあと半分より上に行かない」
「いや、あの額半分にしたって言うのがすごいですからね、それもこの数週間で」
普通の人生だったら破滅まっしぐらの、とんでもなさ過ぎる賠償金の桁を、まだ理解できる金額まで減らしたお兄さん、普通じゃ無さ過ぎる。
おれの突っ込みは、お兄さんに見事に流された。
それどころか、ちょっと自慢気に言い始め出す。
「隠者ほどの知識があれば、それ位は余裕に稼げるという事実だ、アラズ。隠者はその知識を賢者のように、ひけらかさないだけで。実は非常に知識を蓄えるのが隠者だ」
「さすがに、古代菫の染料の取り方が書かれた、古代暗号文字まで解読を始めたのは、色々びっくりしましたけど。そうだ、あれ工房の人がすごく喜んでましたよ、なんでもどこかの高名な貴族の無茶ぶりで、その色が出したかったらしいです」
思い出したから、伝えておく。今日のミッションから帰る途中で、その工房の人にお礼と心づけを渡されたのだ。
古代菫と言うのは、深い美しい紫の菫だ。一千年前は染料として使われていた物の、“寒空の祝福”によってその秘伝を伝えていた工房が無くなって、伝説の染料になっていた菫である。
その色と同じ色が出したい、と純銀級の魔物が出る遺跡群のフィールドまで、おれたちを同伴させて向かったのが、その工房の人だった。
ある意味非常に運がいいひとだった。
何しろ遺跡群のなかで、かろうじて巻物の形をしていた秘伝。
それをその場で解読できる能力を持った、お兄さんを同伴できたのだから。
古代の暗号文字が使われていたそれだったが、お兄さんからすれば赤子の手をひねるような簡単な暗号だったらしく、ざっと眺めて手持ちの裏紙に手順を書き始めるものだから、あれも結構すごい光景だった。
多分、お兄さんがいなかったら、あのぼろぼろの巻物を持って帰る間に、損傷が激しくて読めるものじゃなくなっていただろう。
実際、広げて眺める間に、ぽろぽろこぼれて行って、結局残されたのは、お兄さんが解読した中身が書かれる裏紙だけだったし。
「その心づけがこれですね、きれいな色に仕上がったから、ぜひお兄さんの頭巾にしてほしいとのことでした」
道具袋から取り出した袋の中に、きれいな布地が入っている。
それは本当にきれいな紫色をしている。
「古代菫の色だな、仕事で作っていたもののはずだろう」
「一度実験したやつだそうですよ、一度目であんまりきれいだから、これはお兄さんに渡すって決めたらしいです」
その紫の布地を受け取ったお兄さんが、しげしげと眺めて、いきなり俺にあてがい始める。
「え、お兄さん、それはお兄さんにって贈られたもので」
「贈られたのだから、私が自由にしてかまわないだろう。ちょうどアラズの衣類の中に、何か色を取り入れたかったのだから」
「確かにおれ、色付きの布で自分の服を仕立てませんけどね? でもだからってこんな貴重品みたいなものを使わなくったって」
「袖口、いや裾か……それとも補強の布をキルティング」
「おにいさーん」
ぶつぶつ言いだしたお兄さんは、おれの呼びかけに答えない。
こうなったらお兄さんは、話なんて聞かないから、気が済むようにさせるしかない。
一緒にいて学んだ事である。
散々おれにあてがって、お兄さんはその紫を、おれの衣類のどこかにあてる事に決めたらしい。
「よし、袖口と裾と両方につけよう。襟巻の縁もほつれてきたのだから、それもこれで」
「一気に華やかになりますね……」
想像して、あまりにもおれに似合わない気がして。
なんとも言えない口調になったのに、お兄さんは笑顔で告げる。
「目印が多くなっていい事だ」
そのままの生成りのなかで、紫は華やかでわかりやすい、となんだか知らないが上機嫌で、お兄さんが上機嫌ならまあいいかと、もう気にしない事にした。
つうかさ、目印がそんなに必要なのだろうか。
おれが目立たないという事なのだろうか。
確かに、大型の盾を持っていない状態のおれは、種族のるつぼと言ってもいい東区では馴染み過ぎて、目立たないのは事実だが。
そんなにも存在感がないなんて、なんというか。
隠密業じゃないのだから、微妙な気持ちになるおれだった。




