他方=いなくなった後の事(2)
「まったく怪物には怪物の嫁ができるのかね」
ララは視線をやった。視線の先には足跡の形に凍る床。
あの盾師が接触した部分が凍っているのだ。
「触れるものみな凍らせる……代々“凍れる生贄”が科せられた呪いだってのに、あの盾師だけはそれが効かない。あの男が自分に背負わせた九つの封印の一つが外れたってのに、全然恐れないで手を伸ばす。……あの男も縋りつく。手を伸ばし返す」
凍る床を処理するように、従業員たちに指示を出したララは、息を吐きだす。
吐き出して弟分のドリオンを見やった。
「諦めなドリオン、あの盾師を自分の傘下に置くなんていうのは。大方あんたの所に所属する、あの聖騎士とバディを組ませたいのだろうが」
「実に相性がいいと思ったんだが、やはりだめか、ララ姉貴」
「それで国一つ極寒の世界にしろってか? ドリオン、欲が深すぎるよ。先代の“凍てる生贄”も先代もその前もその前も……自分の役割がどれだけ偉大か知りながら、誰も近寄せられない孤独、触れた相手を軒並み凍死させるから発狂しただろう。……あれがあれだけ長生きである事が、あの存在という事を考えると驚異なんだ」
ララは知っていた。先代も先々代も、“凍れる生贄”は寒い寒いと言いながら、炎すら凍らせる因果の所為で温かい事すら忘れ、人の声が届く場所にいる事も出来ない己の結果、狂気に侵され次代に命を絶たれた。
“寒空の祝福”という、世界を浄化する、人間を嫌う力を次の封印者に引き継ぐためには、それしかなかったのだから。
そして驚くべきは、“寒空の祝福”が宿主の記憶を記録し、次代に与える事だろう。
当代が、己の力を制御し、他者との間に生きる事が出来るのは、その膨大な……多すぎて持て余すような記録……を活用しているからだ。
そして当代が非常に知恵の回る、言い方が悪いが悪知恵の回るやつだからこそ、“寒空の祝福”の漏れを利用できるのだ。
「……十年だよ、ドリオン。十年、も。当代なんだ」
「……」
「長くて半年というサイクルのあれが、十年も維持されている、これをどう思える」
「……」
ドリオンは言えない。彼は当代以前を知らない。
引き合わされた時から、“凍れる生贄”はあの男だった。
人を食ったような顔で、誰とも合わせない歩幅で、世界を泳ぎ渡るあの男しか知らない。
「当代を発狂させた場合、新しいのを一から探すのは厄介だ。あれと同じかそれ以上の頭の回転の奴で、野心がなく、全てを棄ててもいいと言える奴。愛するものを全部手放して、孤独で発狂してもかまわないと思える奴。当代があんなのだから、あれみたいなのでいいと思うのは危険だ。当代は異例過ぎる。“寒空の祝福”を制御下に置き、それのない土地のケガレをその力で浄化するなんて荒業を使いこなす。そんな奴はこれから千年現れない」
「あの程度の男を、ララ姉貴はかなり買っている」
「ああ、買っているさ。この二つの眼が、あれのとんでもなさを映し出す。切り刻まれた縁と罪業、そして絡み絡まれる因果は血色。さらにあれの裏側で眠るのは怪物ちゅうの怪物。世界一つ亡ぼせる罪業はまさに魔王と言ってもおかしくない。……あれが道を踏み外したら、魔王と称される物になるほどのものを、あれは科されているんだよ」
息を一つ吐き出し、ララが呟く。
「だというのにあの盾師は当たり前の顔で、人だという顔で、当代に手を差し伸べる。握って繋いで引き寄せ触れて、最後の最後にゃ庇いだす。おかげであの盾師の体中に、当代の執着と伸ばされた縁が巻き付いた。……私が心底恐ろしいのはね、ドリオン」
ララの声はどこかに投げかけるような、独白に似たものだった。
「当代じゃなくて、あの盾師なんだよ。がんじがらめに気付きもしないで、どんどん、縛られて囚われて囲われていくのに、絡むものの強さも、重さも、ものともしないで、おのが心のまま、どこまでも自在に飛び回る事が出来る、」
あの盾師なんだよ。
ララはその存在が真実理解不能だと言わんばかりに、大きく身を震わせた。
「そのありようは、至近距離の北極星ほどのまばゆささ。眼をくらませてくらませて、壊しかねない」




