急転=家、崩壊する。
一瞬見事にお互いの時が止まったのが、おれでもわかった。
それ位に、お兄さんの動きが止まったのだ。
相手を見て、いつになく目を見開いて、驚きをあらわにしている。
そしてお嬢さんの方も、目を見開き、驚いている。
やっぱり人違いだったのだろうか、しかしそれにしてはお兄さんの表情の理由が分からない。
「カルロス様」
お嬢さんが小さく呟いたと思ったら、予想だにしない位に力で突き飛ばされて、おれは地面に転がった。
彼女はそのまま、お兄さんに抱きついたのだ。
「ああ、カルロス様、私はあなた様が生きていると信じておりましたのよ! みなカルロス様は死んだのだと嘘ばかりを言って! ああ、カルロス様……」
それはただならぬ仲だった事が、おれでもわかる口調だった。
この人は何者なのだろう。
そう思いながらも、おれのどこかが苦くて酸っぱい。嫌な気分になる物が喉の奥からせりあがる。
それでも起き上がれば、彼女は熱心に言い出し始めた。
「カルロス様、王宮に戻りましょう。貴方様を皆待っております、貴方様が罪びとだなんてもう、誰も思っておりません! 貴方様を騙し陥れたあのものは、しっかりと罰を受けております!」
「……」
お兄さんが何も言わない。……いわないのだ。
それ自体が異常だった。お兄さんは嫌な事を嫌というし、出来ない事は出来ないという人のはずなのに。
沈黙するばかりって、なんなの、それは。
おにい、さん。
ねえ、なんで何も言わないの。せめて一言、このお嬢さんを追い出すか受け入れるか、言ってよ。
つまみ出すのか、もてなすのか、おれにはもう判断がつかない。
「カルロス様、私はずっとずっと貴方様が戻ってくださるのを待っていたのですよ、五年も! しかしあなた様の汚名が晴れても、貴方様は戻っていらっしゃらない。迎えに来るしかないではありませんか、ちょうど貴方様が帝国の三女の君の結婚式に、いらしたので、どこにいらっしゃるのかわかったので」
彼女がお兄さんをしっかりと掴んで訴えている。
彼女はお兄さんの過去なのだ。おれが聞いた事もない何かを知っている人。
声が出ない。なんなんだろうこの思いは、このぐしゃりと潰されたような感情は。
お兄さんが何も言わないのが不気味で。
立ち上がったまま、何もできないでいた時。
お兄さんがおれを見た。
「子犬、客人にお茶を出してくれないか」
このお嬢さん達は、客人として相手をする事にしたらしい。
「はい」
おれは頷き、家の中に入った。お兄さんの腕に絡みつく彼女。
歩きにくそうなお兄さん。放してあげないのかな。
やかんを火にかけお兄さんの方を見る。
お兄さんの顔から何も、表情がうかがえなかった。
多少はわかるはずなのに、何もわからないのだ。
もしかして、家に招き入れてはいけない人だったのかもしれない。
茶葉をいれて薄荷を放り込み、数分蒸らして砂糖をいれる。
味はこれで良し、と卓に出せば。
彼女はそれを飲み、顔をしかめた。
「カルロス様、こんなまずいものを毎日お飲みに?」
「私はこれが特に気に入っているんだ、お前と違い。今日も子犬のお茶はうまい」
彼女の文句を流して、お兄さんがいう。
おれはいつでも動けるように構えていた。いざとなれば令嬢と護衛を外に放り出せるように。
お嬢さんは、本題を喋りはじめる。
「カルロス様、どうかお戻りになってくださいませ。お姉様が貴方様を裏切った事は大変申し訳ない事と、父も謝罪したいそうです」
「リャリエリーラ。私は隠者だ。どこの誰の命令も聞かない。まして謝罪するのに呼びつけようとする人間のいう事など聞くわけもない」
そして、というお兄さん。
「隠者は全てから切り離された職。お前の姉の婚約者であったカルロスは、もう、どこにもいないのだ。たとえお前たちが私を、カルロスだと言っても」
話が合わないな、このお嬢さん自分がカルロスの婚約者って言わなかったっけ。
彼女の発言を思い出していれば。
「カルロス様の婚約者は、私になりましたのよ。御父上同士が改めて取り決めました」
彼女が胸を張った。張る理由はどこにある。考えてもわからない。
そんな彼女に、お兄さんが告げる。
「死んだと伝えなさい」
「えっ」
「カルロスは死んだ。やり直しは聞かない。隠者になった私を縛ろうと思っても無駄だリャリエリーラ。私はもう一人の身ですらないのだ。体の中に古い悪魔を封じている。その契約により誰とも婚姻は結べない」
お兄さんの中に悪魔がいるなんて、初耳だな。
寒空の祝福と関係があるのだろうか。
なんて思っていたら。
「そうですか……」
彼女がうつむき、そして小さく言った。
「ですが父上は、何が何でも貴方様を連れて来いとおっしゃいました。王命を守れないのは恥。強引にでも一緒に来ていただきます」
荒っぽい事になりそうだな、とおれが立ち上がったその時だ。
彼女が手の中に隠していた物を、叩きつけた。
途端にすさまじい刺激臭が漂い、ぎょっとした。
これは引火性の高い魔物の体液を煮詰めたものだ。
こんな物がこんな狭い家にぶちまけられたら!
おれの予想通りの事が起き、台所の熾火にそれが燃え移る。
爆音。
おれが匂いを認識したと思ったらそれが起き、身動きなんてする余裕がなかった。
立て続けに炸裂するすさまじい音、そして。
爆発に耐え切れなかった家が、おれの真上に崩れてきた。
自分を守るのに精いっぱいで、とっさにデュエルシールドを自分の上にかざす事しかできなくて。
お兄さん!
お兄さんの事に思い至るまでに数秒、そして相手は元々荒っぽい手段を想定していたらしいお嬢さんで。
「こんな魅力のない泥棒猫をかわいがるほど、お寂しかったのですね、もう一人にはいたしませんわ」
彼女の声を背後に、おれは燃えて崩れる家の下敷きになった。




