暴露=やっぱりお兄さんはしびれる男である。
これで役割はおしまい、後は帰るだけなんだが。
なんだか雲行きが怪しいのは、おれの直感が間違っているからなのか。
分からない。
でも言えるのは……おれに対する皇帝の視線が、熱心な物になった事だ。
なんだか欲しいおもちゃを見る顔だ。
すごい不愉快である。
「隠者、これはどういう条件を出したら譲ってもらえるのか」
「帝王。何をしても子犬は譲らない。……私の命を絶ってみろ、その瞬間に“寒空の祝福”が帝国中に降り注ぐ」
寒空の祝福、ねえお兄さん、それは。
それは。
おれでも、聞いた事があるよ。
目を見開き、言葉が出なくなっているのに気付いているのか。
お兄さんは茶器を傾けお茶を飲み干し、立ち上がる。
「おいで子犬。この男はお前を欲しがり過ぎて、私を殺しそうだ」
「……できないよ、お兄さんを殺すなんて」
おれの声は震えていた。寒空の祝福だけは、おれでも知っているんだ。
百年前まで、この大地に毎年のように降ってきた、死の粉の事だから。
雪に溶け込んで空から降って来る、それは人間だけに有害な粉。
死んだ大地は再生し、春になれば不毛の大地を生き返らせるそれは、人間とその血が混じる生き物に対してだけ、すさまじい病をもたらしたんだ。
それも百年前に、降らなくなったけれど。
だからこの百年で、人間は一気に増加したというけれど。
「お兄さんを殺したら、その後何百年も、人を殺す事になるのに、まさか皇帝がそんな馬鹿かな事を出来るわけがない」
声は震えてしまっていた、情けないのに、情けないのに、言ってしまう。
「お兄さん、すごいと思ってたけど、根本からすごかったんだね」
それを請け負ったらしいお兄さんを、おれはただ真剣に、すごいと思ったのだ。
きっとそんな物を、人の体に封じ込めるのは苦しいだろうに。
平気な顔でやってるんだからすごいだろ?
「子犬は私を化け物だとは、言わないのだな」
「それを言ったら、無知の防御と無名の障壁ってやつを持ってるおれはどうなの、おれの方が怪物だ」
おれの言葉に目を丸くしたお兄さんの言った事に、言い返したらそうか、とお兄さんが呟いた。
納得してくれたらしかった。
良かった。
だが、無視された皇帝は目を細めた。
「ずいぶん手なずけられたものだ、人間を憎む凍れる生贄が、そこまで執心するほどとは」
多分頭の中で色々、計算が回っているのだろう。
でも残念だな。
おれの事も、お兄さんの事も、あんたは予測できないだろう。
たぶん。
「沙漠の隠者。お前はこれからどうするのだ。同じ土地に十年は暮らせないのがお前の身の上だったようにも思うが」
皇帝が話題を変える。いいや、変えて自分の軌道に乗せようとしているんだ。
お兄さんを転がすために。
「いや、沙漠に戻るだけだ」
お兄さんの返答は、皇帝にとって意外なようだ。ぎょっとした顔になる。
「十年以上同じ土地に住み、その結果どうなったのかを覚えていないのか」
お兄さんは答えない。それに対して声を荒げる皇帝。
「その土地を極寒の地に変貌させたのはどこの誰だか忘れたのか! お前が極寒の地にした場は、いまだに周囲と違う、異質なフィールドのままだぞ!」
「迷宮よりは異質ではないだろうに」
「迷宮と同じ次元で語るな! あれの結果どれだけの被害を被ったか……!」
言い返したお兄さんに怒鳴り返す皇帝。
うわ、相当恨んでるなこれは。
でも。
お兄さんはひょいとおれを抱え込み、大きな袖でおれを隠すように抱え込み、言った。
「誰も触れられぬ氷点下の孤独が、あのフィールドを作った。私には暖かな子犬がいるのだから、もう同じ事は起きえない」
袖の中だから、おれは皆がどんな顔をしたのかわからなかった。
足元が明滅して、転移の力が発動し始めるのはわかった。
あ、帰るんだな。お兄さん。
まさか大聖堂とかいう場所の中で、自分の力だけで空間転移とかいう捻じ曲げる術を使えるとは。
流石お兄さん。色々すてきだ。しびれる。
あれ、でもこれじゃあルヴィーに迷惑かからないかな?
皇帝諦めるのかな?
分からない。
でも一つだけ言えたのは。
「ナナシ、また遊びに来てちょうだい、今度は楽しい事をしましょう」
実に楽しそうな声で、ルヴィーが再会の誘いを口にした事だけだった。




