突入(3)=あるいは逃走真っ最中
脱出してすぐに、取りあえず馬車の所まで戻るなんてしない。
だって馬車の所には、帝国の待機組がいるはずだからだ。
まさか全部の兵力を、砦に投入する馬鹿なんてしないだろうから、そこに行けば確実に、お姫様を奪われる。
そんなの眼に見えていたから、おれはいま、一匹のでかい猪にまたがっている。
これはギガントオークと言ったか? とにかく持久力のあるでかい猪である。
基本的に狩猟用の獲物として飼育されているこれを、何故選んだか。
答えは簡単だ。
妙に呪い本と話があってしまったせいだ。
おれが砦の中でなにか、いい乗り物になる獣はいないかと物色していた時、一匹近付いてきて、おれの外套をひっぱったんだ。
変な方向から馬鹿力で引っ張られて、引き倒されて、連れていけと言っていると本に通訳されたその瞬間、おれが乗る獣は決定した。
幸いこう言う物に乗るための鞍もあったので、それをつけてもらってお姫様抱えて、全力で走っています、今現在!
「あなたはこう言う生き物と心が通じ合うの?」
「いえ、腰にぶら下がっている変な本があるでしょう、こいつが通訳しちゃったみたいで」
「変な本、確かに変な本ね、すごい厳重に封印が施されているわ、何かの特殊な魔道具なのかしら」
「呪いが目いっぱい詰め込まれているそうですよ、おれにはあまりよく分からないんですけどね」
「知らないと、呪いは効力を発揮できないといったかしら、あなたはあまり学んだ事が無いのかしら」
「学びなんて知らないな。生きるのに必死過ぎて」
お姫様は、おれが膝の上に抱えているから安心しきって乗っている。
おれはこの信頼を裏切らないように、落っこちる事はするまいと心に誓っている。
「そうなの。後でその本を見せてもらう事はだめ?」
「お姫様、目が特殊なんだろ、変な呪いに当てられちゃったら、たぶん大変な事になるから絶対にダメ。お兄さんも直視したくないって言ってたもの」
「そうなの、そのお兄さんはとても博識なのね」
「おれなんてとてもかないっこない位に、頭がよくて強くて、おまけに格好いいよ」
「ますます会ってみたくなるわ」
彼女がはしゃぐのは、おれが助けると断言したから。それと心の中に突っかかっていたあの、くそな婚約者の事を吐き出せたからに違いない。
話せる相手ができると、すごく楽になる物なのだ。経験的に知っている。
でも話したことで大変な事になる事も、この世界ではよくある話、だから相手は慎重に選ばなければならない。
これも常識。
ギガントオークにまたがって、おれらは闇の教団の人間とか、お姫様の顔を知っていそうな町とかを、徹底的に避けて行った。
当然、野宿になる物なんだが。
ここでおれの、道具袋が火を噴いた。
一人の時に色々集めたりしていた、野営道具とかがすごく役に立ったのだ。
普通の冒険者は、長期的な野営なんて、ミッション中でもやりたがらない。
だってフィールドでは、お店とかがないから魔法薬とかを調達できないから。
それらを調合する調合師たちは、街の職人ギルドに所属していることが多いのだ。
冒険に同行する調合師なんて、聞いた事ない。
だから冒険者たちは、ある程度進んだら、目印とか、その場所にもう一回だけ転移できるようにどこかに陣を描いたりして、街に戻ってもう一度道具をそろえたりする。
それが一般的なのだ。
今のおれたちみたいに、街を避けまくってフィールド内で野営を繰り返す、そんな事は非常識なのだ。
そのため、おれの持っていたテントとか予備の寝袋とか、は暁夜の閃光時代は使った事が無い。
おれはテントがなくても眠れるし、寝袋に入らなくてもそんなに大変な目に合わないし。
虫に刺されないのは、おれの混血具合の結果だろう。もともとエルフもオーガも、無視に刺されない種族だし。
まあそれはさておいて、取りあえず持っていたけれどタンスのこやしのような扱いだった持ち物たちが、非常にお姫様の野宿に役立ってくれたのだ。
今現在。
「あなたの道具袋には何でも、入っているのね、わたくし、こんなに簡単にテントを張る人を初めて見たわ」
「そう?」
おれが杭を打ってテントを張っている間、お姫様には鍋の番をしてもらっていた。
何とお姫様の趣味は料理で、焦げるとかそういう概念が分かったのだ。
そのため、焚火でお鍋が焦げないようにかきまぜたりしていて、という指示を守ってくれた。
このお姫様、侮れない。
なんて考えつつ、トントンと杭を打って骨組みを作ってテントを張り、中にじゅうたんを敷く。そしてそこにざっとクッションを放り込めば、あっという間に野営ようのテントの完成だ。
寝袋は寝苦しい気温だという事が、一日目で判明したので、クッションを詰め込んで上からマンとなりなんなりを被るというスタイルになった。
「一人旅が長いと、もったいない精神でなんでも道具袋に詰め込んじゃうんだよね、だからじゃないかな」
「あなたは一人旅もしてきたの?」
「ギルドで最低なパーティに入る前は一人だったかな。職業もなかったから本当に、無名の旅人って感じだった」
テントが出来たから、お姫様の向かいに腰かけて鍋を見ていると、彼女が問いかけてくる。
「うらやましいわ、わたくしは外に出してもらえなかったの、長い間」
「どうして?」
「二番目のお姉様が、とてもやんちゃで、外にばっかり出ていて冒険者になったりして、最後にはどこの出自かわからない冒険者と駆け落ちした事があるから」
「あれ、でも二番目のお姫様って何年か前に結婚したよな、地方の豪族と」
「それは、お姉様を連れ戻した人に、お姉様を嫁がせるとお父様が言ったからよ。お姉様はその地方に、恋人と隠れ住んでいたの。でも黙認してくれていた領主が代変わりした時、兵を差し向けられて連れ戻されたの。
そしてお触れ通り、そこの豪族と結婚させられたのよ、お姉様」
彼女はそこまで語ってうつむいた。
やっぱり王女とかって、政略で結婚したりするんだなと思うと、彼女たちは彼女たちで苦労しているんだなと思った。
根無し草の苦労とは違う意味での、苦労なんだろう。
とはいえ、そろそろ鍋が煮える。
「ま、そろそろ鍋ができるから食べよう」
「そうなの? もう少し煮た方がいいのではないのかしら」
「これ以上煮ると、芋が溶けるのと肉が固くなりすぎる。何度も作った鍋だから、これは言えると思うよ」
鍋を火から外して味見をする。薄い塩気と肉の野趣あふれる味。それと食べられる野草のどこか知らない苦み。
これがこの鍋の味だからいいけれど、お姫様は食べられるかな。
外に出してもらった事が無いなら、野草とか食べないよな、と思いながらよそって差し出せば、彼女はそれを冷ましながら食べてくれた。
「食べられない味ってわけじゃないだろ?」
「ええ、……生まれてきて食べた鍋の中で、一番といっていいくらいにおいしいわ」
厨房から部屋まで運ばれてくる料理は、冷え切っていて脂が浮いていて、美味しくなかったの、と言ってくる彼女は、やっぱり可愛らしかった。
食べていれば、その辺でご飯を食べていたらしいギガントオークが戻って来る。
のっそりとした仕草でおれの横に寝転がると、目を閉じる。
信頼されてんな、と思いながら毛並みを掻いてやれば、うっとりとした顔をする。
そんな事をしながら夜は更けていき、彼女を休ませておれは火の番をしながら、ギガントオークに背中を預けて仮眠をとる。
明け方になると目が覚めるから、起きて食事の用意をしてまた、ギガントオークに乗って大移動だった。
移動装置を使うと足が出るから、もっぱら騎乗での移動だったんだけど、その間お姫様とはすっかり仲良くなった、おれ的に。
彼女もたくましくなって、おれが魔物をぶちのめしていても、悲鳴一つ上げなくなった。
悲鳴で呼ばれる魔物が来なくて、大いに結構だった。
それと、彼女にもったいないと言われるようにもなった。
おれみたいな腕のいい人間が、誰にも知られていないのがもったいない、らしい。
「もったいないわ、あなたみたいな腕の立つ人が、人のうわさにもならないなんて」
「お兄さんの所で暮らしていれば、噂はいらないし、噂がなくてもお姫様はおれが強いって分かってくれるからいいでしょ、友達の秘密って」
にやっと笑いながら言うと、彼女が目を瞬かせた。
「わたくし、あなたの友達になれている? 迷惑ばかりかけている気がするわ」
「こっちこそ。まさかこの年になって虫除けと魔物除けの薬草の見分け方を教えてもらえるなんて思わなかった」
「あなたが適当過ぎるのよ」
こんな軽口もお互いに叩けるようになったわけである。
そしていよいよ、お兄さんのいる沙漠の手前の街の近くまで到着した。
これ以上は、湿地帯などを好むギガントオークに来てもらうわけにはいかない。
おれはこいつから下りて、言う。
「今までありがとう、でもこれ以上先に進めば、お前にとって暮らしやすい環境じゃなくなるから、ここでお別れした方がいい」
ギガントオークは何も言わない。
「だからここでさようならしたいんだ。お前が灼熱に苦しむのを見るのは嫌なんだ。いままでお前が、付き合ってくれて本当に感謝してるけど、これは譲れない」
ぶひとも何も言わないから、段々心配になってきていれば。
ギガントオークは何も言わないまま、森の奥に去って行った。
「いいの、お別れして」
お姫様……名前をルヴィーという彼女が聞くから、おれは肩をすくめて答えた。
「ここで別れなかったら。あいつが苦しむだけだから」
怪訝な顔をした彼女だったけれども、それもすぐ、沙漠のフィールドに入って理解したらしかった。




