盾師と隠者=見つけたもの
転移の術がおれたちを連れてきたのは、雨雲で暗くても派手な内装の部屋だった。
お兄さんの趣味じゃねえな、とまず思った。次に何でこんな所に? と思った。それくらい、訳の分からない部屋だったんだから。
でも目が慣れていって、よく見えなかった世界がはっきり見えるようになってから、おれは床に膝をついている人が誰かのかわかって叫んだ。
「お兄さん!」
お兄さんがそこで膝をついていた。そしてよくある旅装束の外套からはたはたと滴っているものはどす黒くて、鉄錆の匂いでそれが血だとわかった。
何でお兄さんが血を流してんだ?
また訳が分からない。何が起きてどうしてこうなって、こんなことに?
お兄さんが九つの枷を外したんじゃないのか?
なのに怪我ってどういうことだ?
そしてどうして、お兄さんが血を流しているのに、何でも凍らせる寂しんぼうの力が、癒しの術が、お兄さんを助けようとしてないんだ?
だって前、お兄さんが殺されかけた時は、周りを凍らせながら、お兄さんの体を修復しようとしてたじゃないか。
なんで今はそれが起きてない。
それどころか、お兄さんの周りに、青白い炎の結界陣が張られて、迂闊に近寄れなさそうなものを放っている。
固まってしまったおれと、おれを抱え込んで動けないディオ。どっちも動けなかったその時、お兄さんがこっちを向いた。
そこでやっと、おれらが来てしまった、術で跳ばされてきてしまったと知ったんだろう。
お兄さんが、いつもだったら浮かべない、苦々しげな顔をした。
その顔が伝えてくるのは、どうしてここに来たんだ、という責める感情だ。
お兄さんは、おれかディオ、どっちかがここに来て欲しくなかったんだ。
「なぜ、ここに来てしまった」
かすれかけた声が、痛みをこらえる声が、おれらに投げかけられた。
「はやく立ち去れ。ここから、ここから遠くへ」
「な、何言ってんだよ! お兄さん血塗れじゃないか、今手当を」
どうすればその結界を無効にする事が出来るだろう。やっぱり陣の一部を消すのが手っ取り早いか?
「だめだ、お前が手当をしてはならない、聖騎士、お前は速くその物わかりの悪い子犬を、連れて、出て行け!!」
お兄さんは切羽詰まった声でいい、ディオが口を開いた時、ぎい……と背後の扉が開く音がした。
そしてそこから現れたのは、一度だけおれが見たことのある男だった。
いつでも冠をかぶっているその男は、皇帝だ。つまりルヴィーの親父だ。
「……なんと。新たなる凍れる生贄が、二人召喚されるとは。大神官どの、これはどう言ったことだ」
「つまり一人では、凍れる生贄として足りない、と言うことなのでしょう」
皇帝の陰から現れたのは、いかにもぶくぶくと太った男だ。色々なもので飾りたてているけれど、品のなさは明らかと言っていいだろう。
砂の神殿の賢者のお姉ちゃんの方が、ずっと威厳に満ちているし、神官として正しい空気をまとっている。
「しかし、当代の血を流し呼び寄せた、次代の生贄が二人現れたということは……“寒空の祝福”が並の存在ではないと言うことでもありましょう。皇帝の権威を高めるにももってこい。どうやら片方は聖騎士。これも都合がよろしいでしょう。対外的に広めるにもちょうどいい人材です」
「確かに、一般人を生贄にするなどというものよりも、神殿の関係者がそれを背負う、という方が聞こえがいい」
「勝手なこと言ってんじゃねえよ! お兄さんに何をした!」
おれが怒鳴ると、大神官の方がうるさいと言う顔をする。
「これは乱暴な生贄ですね。少し躾た方がいいかもしれません」
「そういう話してんじゃねえよ! お兄さんに何をした!」
「封印を解くのに邪魔だった、九つの枷を剥しただけですよ。悪い事をしたような言い方をしないでいただきたい」
怪我させておいて何言ってんだこいつ。おれは男を睨み付ける。
「口の悪い……ん、お前は見たことがある顔だな」
皇帝が、おれの顔を見て記憶を探るような目をする。
そして思い出したらしい。
「隠者の犬だな、盾の犬。たしか無知の防御と無名の障壁を持っていた貴重な」
「なんと! それはすばらしい。どちらの特質も、神殿が探し求めていたのですよ」
「……さっきから、人の話を聞かないで勝手なことばっかり、言いやがって」
おれはかじかんでいた手がやっと動くようになったから、その手を開閉させて動きを確認した。
「ディオ、おれから離れてくれ」
「何をするつもりだ」
「あの物わかりの悪いばかやろうどもぶん殴る」
「殴ったらまずいだろう。皇帝と帝都の大神官だ」
「話聞かねえし、お兄さん傷つけてるし。おれがやってだめな理由がどこにもない」
「落ち着け……」
ディオは常識人だからな。立場とか考えると止めなきゃならないんだろう。
一応戦神の神殿の聖騎士、神殿関係者だものな。
「さて、生贄も召喚された。早速儀式を始めなければ。公国の若造が、私たちが持つべきものを奪い取ったことを、速くたださねば」
おれらが話している間に、あっちは勝手に物事を進めようとしている。
さあ、おれはどうすればお兄さんを助けて、ここからディオと一緒に逃げ出せる。
いいやこの場合……お兄さんがここから脱すれば、おれはどうとでも逃げられる。
おれが騒動を起こせば、だ。
ディオの腕の中から抜け出し、おれは耳元で言った。
「おれ囮な。ディオお兄さん連れ出して逃げてくれ」
「何を言い出す」
「大騒ぎが得意なのはおれのほうだろ。おれはしがらみが少ないから、あいつら殴っても大したことにならない。でもディオは聖騎士で、神殿の関係者だから、どっちも殴れないだろ」
「そういう問題では……わかった」
おれの目の中の、本気の色を見たんだろう。ディオが何か決めた顔でうなずいた。
そして呼吸二つぶんを合図に、おれは皇帝と大神官にとびかかり、ディオはお兄さんのほうに駆け寄った。
だが。
確実に殴れるはずのおれの拳は、どちらにも届かなかった。
何が起きたのか、よくわからなかった。後少し、と言うところでおれの腕に術の鎖がからみついて、体が反対方向に引っ張り込まれたのだから。
まさか、と足元を見て舌打ちする。
皇帝と大神官はろくでもないが、馬鹿じゃなかったらしい。
おれやディオが逃げ出せないように、三重の結界を張っていたのだ。
ディオの方も、お兄さんの結界を消そうとして、はじかれて叩きつけられた。
おれの手足に絡まってる鎖の術と、ディオの体を縛るそれは同じ色をしている。
そして、床の陣からそれは伸びていた。
つまり、おれらは、逃げ出せない。
床にぶつかり、受け身をとって次の動きに移る前に、ぞろぞろと術者めいた姿の集団が入ってきて、決めていたらしい位置に立つ。
「さて、凍れる生贄の代替わりを始めよう」
皇帝が言う。
ふざけんなよ、代を変える時、前の生贄は死ぬって聞いた気がすんだけど。
「本来受け継ぐべきではないものが、力を受け継いでしまったため、術は皇族が継承できないほどケガレてしまいました。新たなる生贄はその二人となります。皆のもの、心してかかりなさい」
大神官が言う。術者たちがそこで一斉に術を唱え始めた。
陣に光が集まりだす。
「だめだ、やめろ!」
お兄さんが止めるが、やつらはそんなこと聞かない。
その体から滴っている血が青白い色に変わっていき、床に彫り込まれた溝に入っていく。
「だめだ、アラズにその術を使ってはならない!」
お兄さんが必死に言っている。その流れる血の多さで、おれはひきつる。
あれだけ流したら、人間は死んでしまうじゃないか!
「……ばかの集団とは、思ってしまっていたが」
おれはそういう呟きを聞くまで、ディオが気を失っていると思っていた。
でも違った。
ディオは膝をついて、片手を鞘に、片手を柄に当てている。
「ほんものの、ばかたちだ」
翡翠の色をした焔が、燃え上がるような幻視だった。
前に見たことのある、薄紅色の炎のかけらたちが舞い散っている、と思ったら、それらが一転して碧……ディオの瞳と同じ色に変わったんだから。
「めいこくいあいばっとうじゅつ きゅうきょく 斬全」
かちん。
剣の鍔と鞘のぶつかりあう音がした、と思ったら、一拍の間をおいて全部終わってしまっていた。
術者たちが床に転がって苦悶の声を上げている。血は出てない。でも嘔吐したり痙攣したりしている。
ディオ、何やったんだ……?
そう思った時、おれは隙が出来てしまっていたんだろう。
ディオも、それにまで目を向けなかったんだろう。
おれの足下まで、お兄さんの血の流れが出来てしまっていたことに、おれもあいつも気づかず。
術が、発動した。
精神世界とか言われそうな、夢の中と言われそうな空間が広がってる。
そこは真っ暗で、静かに雪が降っている。地面だろう場所に、雪は積もってない。足下も真っ暗、空も真っ暗、雪だけが輝くように白い。
そこで、それが存在していた。
ううん……なんて言葉にしたら一番わかりやすい?
とにかく、巨大な気がする何かがいる。
そいつは体中に雪が積もっていて、六対の瞳を持っていた。
翼があると思ったらある気がしてくる。蹄があると思ったら蹄の形がでてくる。
ようはおれが想像した形になってしまうらしい。なんだこれ。
そいつが、口を開いた。
(ひさしぶりだね。こわがらないの。)
幾重にも重なった声は、聞き覚えがあった。さみしんぼうの声だ。
こいつが……さみしんぼうの姿なのか。
(きみがあたらしいからだ? いやだ。)
きっぱりと拒絶されたのはわかる。でも術はおれを召喚した。これはいかに。
(きみをえらんだら、きみにはじかれるだろう さっきのように)
さみしんぼうが言う。さっきっていつのこと……まさかおれの手足が凍ったのって、おい
(枷がなくなったから、君のところに行った、君はつながりを全部切り落とした もうつながれない、君は継げない)
さっきおれの手足が凍って凍り付きそうになったのは、どうやらこのさみしんぼうが新しい体としておれに取り付こうとしたかららしい。
ディオがいて失敗したけど。
(君の隣の男もいやだ。あの男は焔だ、溶けてしまう)
ディオが使う居合い術は、炎のかけらがひらめく。だからだろうか。
よくわからないたとえだけど、さみしんぼうが首を振る。
(やっぱり前の体が居心地は居心地は一番だ)
のろのろと、サンショウウオを思わせるのったりとした動きで、そいつが踵を返そうとする。
おれはその背中に呼びかけた。
「なあ」
動きが止まって振り返る。おれにはとても理解できない、深すぎる瞳を見て、おれは頼んだ。
「お兄さんを苦しめないでくれ」
(知っているわ、ずっと見てきて、苦しかったから。)
この返事をしたのは誰なんだろう。おれの疑問に”彼女”は答えない。
深すぎる瞳の巨大な存在から、一つの姿が分離する。
(ではまた。)
返事を一つして、それは暗闇から去っていった。おれもすぐに何も見えなくなって、ややあって叫び声で目が覚めた。
「ナナシ! ナナシ! 目を覚ませ!」
ディオがおれを抱えて叫んでいた。おれは倒れてしまっていたらしい。
目を覚ましたおれを見て、ディオが強く抱きしめてくる。
温かい血の流れに、おれはほっとした。
周りを見ると、お兄さんのそばに誰かが座り込んでいる。泣いていた。
きれいな女の人だ。お兄さんが呆然とした顔で彼女を見ている。
「……」
彼女は手を当てて、お兄さんの傷を押さえていた。その手から、癒しの力に似た氷が散っている。
お兄さんは、奇跡が起きすぎて混乱しているような顔で、彼女を見て、こう、言った。
「ジョディ……なのか?」
お兄さんの目から、涙がこぼれて落ちた。
彼女はほほえみ、お兄さんを一回抱きしめて、頭をなでて、かき消えた。
お兄さんがその姿のかけらまで消えた後、静かな声で言った。
「お前はもう、長いことそばにいてくれたのだな」
言って立ち上がったお兄さんは、一層冬めいていて……でも前と大きく違っている気がした。
お兄さんから、凍えそうな無差別な何かを感じないのだ。
それが、あの女性が行った何かなのか、それとも寂しんぼうが行った何かの結果なのかはわからない。
でも、お兄さんが、“凍れる生贄”ではなくなったのは、肌で感じた。
お兄さんは座り込んで失禁している大神官を見て、言った。
「さてはて……離すはずの力は、よりいっそう私とつながってしまったようだ。だが……」
お兄さんは自分の手を眺め、言った。
「私はあらたな運命を与えられたようだ。世界を巡り、百年でたまってしまった淀みを清めるという運命を。お前たちが支配できる運命ではなさそうだ。そしてお前たちの思うままになる力でも」
お兄さんはじっと、大神官を見据えていた。大神官は逃げることも盾にする相手もいない状態で、声にならない悲鳴を上げている。
ほかの神殿の関係者たちが駆けつけてくるまで、大神官はふるえあがり、皇帝は気絶したままだった。
帝都の神殿の方は大きくもめたらしい。なんでも、強力なかみおろしアリーズに偽りの職業を与えて殺そうとしたこと、そのかみおろしがいたから与えられていた神の祝福があったこと、そういったことがわかったからだ。
お兄さんは新たなる仕事のために色々準備しているそうだ。
おれは、生贄を引き継ぐ術の後遺症があるかもしれない、としばらく入院させられていた。ディオも同じく。
そしてやっと退院と言うときに、お兄さんが帝都を出発すると聞いて、あわてて門まで走った。
門ではお兄さんが、砂の神殿の神官と話していた。
そしておれを見て、笑った。
「ああ、来てしまったか」
「お兄さん、行くんだ」
「ああ、この旅は長く終わりがない。だが生きていく間、これを続けることで……私はジョディたちに胸を張れるようになる」
「……」
「お前はついてきてくれないしな。まああのかみおろしのこともある。聖騎士のこともある。当たり前だが」
お兄さんはついてきて欲しいのか、と思ったら、こんな言葉が出てきた。
「絵手紙が欲しい」
「は?」
一遍寂しんぼうが離れていたからか、お兄さんは感情を表にしても周りが凍らなくなった。その丸く開かれた瞳がおれを見る。
「お兄さんがさ、ちょっと滞在する街とか絶対あるだろ、そういうところから絵手紙を送ってくれないか。おれが誰かに読んでもらって、お兄さんの後を追いかけたくなるやつ。お兄さんの絵手紙が面白くて、後を追いかけたくなったら、おれ、すぐにお兄さんの後を追いかける。それで、一緒に旅をするよ。だからお兄さんは生きて生きて、絵手紙を送り続けなくちゃいけない」
おれの言葉に目を丸くした後、お兄さんは笑い出した。
「それは、一生懸命に絵手紙を送らなければならないな、やる気が出てきた」
「カルロス様!」
お兄さんが笑っていると、背後から誰かが走ってきた。
「ようやく見つけました、このジョディ、カルロス様のお供をさせていただきます!」
それはジョディだった。こいつが三人いたジョディの生き残りだと聞かされたのは少し前、見舞いに来てくれたときだった。
「お前まで来なくても」
「いいえ! おれは二人に、あなたを頼むように言われているのですから、どこまでもお供します!」
そういって胸を張ったジョディに、お兄さんは仕方がないと言う顔をした。
「一人旅がにぎやかになるだろうな」
そして本当に出発、と言うとき、おれはお兄さんに声をかけた。
「あなたのこれからにあまたの幸いがあることを、おれは願っています」
「……私も、お前のこれからに幸多きことを願おう」
夏が近くなった季節、お兄さんはそういって出発した。
これで、追放された勇者の盾と、拾った隠者の物語は終わる。
これからは、違う生き方でおれらは進んでいき、きっといつか交わったりするんだろう。
変わっていくものもある。
変わらないものもある。
それでも、おれらは、自分で道を選んで進んでいく。




