全貌=明らかにされるほど、悪事に似た
それから数日が経過した、いまだにカルロス様は俺以外の誰も部屋に入れようとしない。
そういう状態であっても、氷の魔術は発動してしまう様子で、うっかり音を立てるとぱきん、と物が凍ってしまっていた。
本人は気にしていないけれども、そろそろ部屋の調度は廃墟よりもひどいありさまだ。
俺としては部屋を変えるように進言したのだが。変えた所でまた同じことが起きても……陛下に何を言われるかわかったものではない。
「カルロス様、俺です」
「ジョディか、入れ」
一体いつまで窓の外を眺めればいいというのだろうか。カルロス様は窓の外を、外の景色を眺めている。
「カルロス様、一応ですが、陛下がお呼びでしたよ」
「誰も通すな、誰とも会わない」
「……」
明確な拒絶と言っても差し支えないものがそこにあり、何も言えない自分が嫌になってきてしまう。
なぜあの時から、カルロス様は変貌してしまったんだろうか。
あのオーガ混じり……カルロス様いわく狗……はそこまでの価値があったのか。
実力は間違いないと思う。事実俺に手渡されたものは、本物だった。これをお金で買おうとしても無理だろう。素材自体が珍しく、両方使うなんてとんでもない物だと言うのは明らかだ。
あのオーガ混じりは、この凍るカルロス様を恐れなかった。
それが、重要な事であったのだろうか?
あのオーガ混じりが傍に行くまで、カルロス様は、それだけ孤独な歳月を送っていたのだろうか。
ああ、もっと早く俺が傍にはせ参じれば、その苦しみを味わなかっただろうか。
もっと早く焔の賢者の元から、この熱の札を手に入れていれば……後悔先に立たずとはよく言った物で、まさにそうだ、正しい。
「ジョディ」
カルロス様が低い声で告げる。これは命令をするときの声だ。
「はい」
「余計な後悔などするな。……お前はきちんとここに戻ってきたのだからな」
あなたは余計な後悔をしていらっしゃるのに、下僕にはそれをしてはならぬとおっしゃいますか。言いたい事を飲み込みながら、問う。
「ではカルロス様、あなた様は何を悩んでいるのですか」
「逃がした魚は大きいと言ったところだ。……そんな物は建前だな、どうもさみしい」
寂しい。さみしい。その言葉が急に胸につっかえてくるようで、言葉が見当たらなくなってしまう。それはどういった心情なのでしょうか。
貴方様がそう思うのでしたら、誰か連れてまいります。ジョディ一人で足りないならば、才媛などをいくらでも連れてきましょう。
リャリエリーラ嬢の失脚……と言うと言い方は変であるが、そう言った事の結果、この方に取り次いでもらおうとする女性は非常に、多いのだ。
真ん中のジョディほどの人間はいなくても、カルロス様を慰めるだけの数は集められると思う。
「私が笑った時に」
主が寂し気な笑みを浮かべて、一つ一つが宝物のように言う。
「一緒になって笑ったり、そこは笑うところじゃないと怒る相手がいなくなってしまった事がどうにも、さみしいようなのだ。頭を撫でようとして、手が空を切る事はこんなに空しい事だったか」
「空しいですよ」
その感覚には覚えがある。俺の場合は上のジョディが死んだ後の事だ。何かやらかした後、何か面白い事が起きた後。頭をバシバシと叩いてくるあの男の手がもう二度とない、そんな事実に胸が切り裂かれる気分になった。
「いつもあったもの、手に入れてしまっていた素晴らしい物、それらを瞬間で失ったあと、人は失った事を感じて空しいと思います」
「そうだったな」
カルロス様の周囲に、氷の煙に似たものがかかる。まただ、またカルロス様の周りを、人を拒否するように氷が取り巻く。
俺すら入れない空気……真ん中のジョディはこれにも入って行ったのだろうか。とそんな事を思う空気……が漂う。
「もたない方がずっとよかったな」
「いいえ、そんな事はありません。……俺は持たない方がよかった、と思った事は一度もないので」
あの手を知らないままの方がよかったなど言えやしない。その手があった人生が素晴らしく鮮やかだと知っている。それに慰められて立ち上がった過去を、俺は持っている。
カルロス様の思いとは違うかもしれないが、そう言う物だと思う。
「お前は、強いな。……比べて私は、なんと弱い」
うつむいた姿が痛々しい。どうしてそんなにも、苦しまなければならない、あなたが。
「貴方様が、どうして苦しむのです、俺にできる事で、気が晴れるのだったらなんだって」
「下のジョディ、お前は何もできない」
「どうして……です」
「お前は、凍ってしまう」
明確すぎる拒否に、俺は息が止まるような思いをした。そして痛切に気付くのだ。
ああ、この方に必要なのは、あのオーガ混じりだったのだ。
オーガの血が混じっているとかいないとか、そんな物を飛び越えて、あのオーガ混じりは何かしたのだ。たぶんあの朗らかさで。
そしてそれが、カルロス様の飢えを満たした。真ん中のジョディをなくしたという穴をふさいだ。
「ジョディ、これは間違いを犯した愚か者からの警告だ。……過ぎた力を求めてはならない。過ぎた力と言うのは、由縁があって我々には過ぎると言われてきている力だったのだから」
「カルロス様?」
「……私はじきにここを離れなければならない。このあたりに春が芽生えなくなってしまうからな」
「春が……? 確かに春が来るのは遅れていますが、それとこれがなんの」
「ジョディ、私は形のある寒さなんだ。こんなことを知っている公国の人間は、もうお前と私だけだがな」
「形のある寒さ……?」
「この体は馬鹿な欲望に目がくらんで、この魂と血肉に宿すには大きすぎる力を手に入れようとしてしまった。その爪痕が体に刻まれている以上、この周辺に異常事態を起こしてしまう。……さすがに生まれ故郷を氷の国にするわけにはいかない。な?」
何が、な? なのかわからない。俺の理解しがたい事がありすぎた。
「答えを明瞭なものにしていただけませんか、愚かな下のジョディは真ん中と違って察しが悪い」
「……そうだったな」
目を瞬かせた後に、カルロス様は歳月がこの人に与えただろう空虚さで微笑んだ。
「五年も見ないうちに、私の中でジョディが混ざってしまったらしい。ひどいことだ」
そう言って、カルロス様は道具袋から煙管を取り出した。
五年前にそんなものを持っていたわけがない、五年の間に手に入れたんだろう。
煙の匂いが嫌いだと言っていた、どこか子供っぽい方はいない。
「私がこの体と魂に押し込めたのは、“寒空の祝福”と言う物だ。本来帝国の王族のみが封じれる物だった。「何故……?」帝国の王族は、血筋が古い巫子の家系だったからか、魂の深度が人間としては圧倒的に深い。他所の人間が肩代わりしたところで、力を暴走させて終わる。そんな事、受け入れなければ誰もわからず、受け入れた奴は人を側に寄せられなくなるから、知られるわけもない事実だがな」
カルロス様が言っているものが、百年前まで実際に存在していた、人間のみを殺す浄化の雪と寒風の事を示しているのはわかる。
帝国がそれを人間の体に封じ込める術を手に入れていたというのか。……道理で帝国の権力が大きいわけだ。よその国もその力にひれ伏すだろう……
「私は世界を統べるだけの力が欲しかったからな。古い家系の事を記した帝国の古文書が秘中の秘、誰も開けられないのをいい事に、“寒空の祝福”を押し付けあう彼等から、それをかすめ取った。……驚くな、やらなければよかったとは思ったぞ。体を支配する恐ろしい寒気と切々とした何かに対する飢え、制御しがたい“何か”への欲望。人が一人簡単に狂うだけのものではあった」
手の周りにぱらぱらと散る氷、それも押し込めたものから手に入れた力なのだろうか、きっとそうだろう。
「帝国皇族の血脈が、異常に数を減らしている理由がすぐに分かったな。一年持つ方が珍しい。次々押し込めて、押し込めきれず狂気の中死なせ……百年で半分以下だ」
「どうしてそんなにも押さえ続けて」
「“寒空の祝福”は人を殺す。確実に人間を殺す。そんなものだ。たとえ淀んだ水を清め、焼き払われた森を蘇らせ、毒の大地に緑を芽吹かせるものであれども、これは人を殺すように出来上がっている。いくつもある人間国家にとって、忌々しいだけもの」
国を大きくし、繁栄させるには都合が悪い。俺でもわかる。お伽噺では簡単に国一つ街一つが亡びる天災だ。
「でもあなたは十年だ」
「ああ、色々な物で外的に抑えたからな」
「……」
「古代より、神宿る災いを押さえる枷のまじないがある。時間稼ぎに九つもそれをかけ、押さえている間に特性を調べれば、この天災も少しは抑えられたわけだ。それで感情を制御し、力が発現しないように細心の注意を払えば、十年は保てたと言うわけだ」
カルロス様ははは、と笑った。
「すべてすべて、もっと偉大になりたい、世界を手に入れたい、と言う欲から始まった愚かな行為だ。結果全部手からこぼしてしまった」




