苦痛=誰が許しても、どうしたって
「その仕組みは何なんだ?」
「持った瞬間に、体を剣の意思が乗っ取るのさ。どこの誰でも、どんなに強靭な精神を持っていても、握ったが最後、剣の操り人形になる。本来かみおろしは、神が守っているから呪われないものなんだけれど、自分から進んで呪いの品を持った場合だけ、呪いを浴びてしまうんだ」
「だから、握ったらアリーズというかみおろしでも、支配されたのか」
「そうなるね。でもよくまあ、最後の最後に自分の意思を取り戻したものだ。よっぽど殺したくなかったんだね」
「そう言う例外は起きる事があるのか?」
「あるよ。魂がうんと深ければね。魂ってものには深さがある。その剣の呪いが、魂の一番奥まで根をおろせなかった場合、一瞬だけなら、体を取り戻せる」
ディオが鋭い声で聞いている。おれの方は理解が出来ない。
だって……おれの盾だって呪いの品だったのに、それも一級品の魔王の遺物だったのに、それの効果はなくて、後からやってきた剣の呪いだけだって、なんだよそれは。
「アリーズ、どうして盾の呪いはお前に効果がなかったんだ」
おれの言葉で、色々な会話がいったん中断された。アリーズに視線が集まったけれど、本人は不思議そうな顔のままだ。
「だって、実際にたてしとずっと一緒でも、たてしを殺したいとか誰かを傷つけたいとか思わなかったから、それだけで十分じゃないの?」
そこまで言った後にアリーズは、ベッドに寝転がった。
その顔に、隠しきれない疲れが浮かんでいる。
そういう状態で、喋ってよかったのか?
「まだ体力が回復してないのか? そんな状態で喋ってよかったのか?」
「起きられたからすぐに話を聞かなきゃいけないって、ララさんが言ったんだよ」
「ララ姉貴、急ぎ過ぎたんじゃないか?」
「呪いの中には、時間の経過とともに、その記憶も消滅する系統があるだろう。あれで消滅させられたら、私の眼でも見抜けなくなる。どこの馬鹿がそんな真似をしたかね。誰が悪いのかはっきりさせて、このギルドの構成員に手を出したふざけた奴を特定するために、必要だと思ったんだよ」
おれらの言葉に対して、ララさんが苦々し気に答えた。そして……ギルドの方針がそこで見えてくる。
「さすがララさんだ。そう言うって事は、アリーズの事も庇う予定なんだろ」
アリーズじゃない誰かが本当に悪いのだとはっきりさせる、とララさんの言葉は教えてくれる。つまりアリーズの無実を証明するためにも、急いで事情を聴くしかなかったって事もだ。この言葉に、ララさんが溜息を吐くように言った。
「それだけ食い荒らされた魂が燃えていればね、助けてやろうって思うんだよ。呪いによる犯罪は、情状酌量の余地があるっていうのが一般的だからね。それも神殿が封印しているような物をつかまされた、被害者となったら余計にね。うちのギルドが、呪われてしまった冒険者を無碍にしたなんて事になったら、評判や信頼がガタ落ちになる」
ギルドのため、そしてそこに属している冒険者たちのために、アリーズの無罪や無実を証明し、被害者であったと明らかにする。それがギルドの方針のようだ。
ララさんがこういうって事は、そう言う事にするつもりでいるんだろう。
彼女の決定したことを覆すような顔を、ドリオンさんもしていないのだし。
でも、それに異を唱えるように、小さな咳が響く。
「……僕は誰も彼もを傷つけた方だよ、ララさん」
寝台に倒れながら、アリーズが言う。
「ララさんが罪はないって言っても、僕の手は人を切り刻んだ感触が残ってる。人の生ぬるい血を浴びた記憶が肌に残ってる。……それで何も罰がないっていうのは違うよ」
「お前なあ、お前が悪くないっていろんなものが証明してるのに、自分が悪いって思うのか」
「あのねえ、たてし。そう言うには、僕の体に残ってるいろんな物が、許してくれなさそうなんだ」
疲れ果てたような声で言うアリーズは、また目を閉じる。
たぶんそれで、喋る事に限界が来たんだろう。
もしくは、感情を抑える限界が。
そこからまた涙がこぼれて、鼻をすする音が始まった。
食いしばった歯の向こうで、苦しんで苦しんで。でも、自分の体が行った非道の数々に向き合おうとしてんのか。
こいつは、逃げない道を選ぼうとしている。
普通、誰でも逃げるだろうに、逃げないでいようとしている。
なにがそこまで、こいつを追い詰めるんだろう。
望まないで浴びた血や、人を切った感触はそんなにも、逃げられなくなるものになるのか。
こんなに苦しんでいても。まだ自分を許せなくなるものなのか。
「とにかく、罪の意識があっても自殺はするんじゃないよ。それだけは絶対だと誓わせるからね、私の眼を見な」
ララさんが一通りドリオンさんと話を終えたらしい。アリーズの顔を隠す腕を剥して、その目を覗き込む。
強力な拘束の瞳の力が発動してるんだろう。
部屋に響くには異質な音が、徐々に大きくなり始めた。
アリーズはその目をじっと見つめて、顔色一つ変えない。泣きじゃくってる顔のままでも、その目からぼたぼた涙が落っこちても。眼はそらされない。
そらされないまま、何か、が起きたんだ。アリーズの眼の中に、いつかどこかで見たような何かが揺れる。一瞬だけ、何か違う物がそこに降りてきたみたいに。
ララさんの眼が呆然としたように、瞬きもできないでその何かを見つめる。
「だめだよ、ララさん」
アリーズがララさんを軽く押しのける。何かがはじけた音がして、ララさんがその場に座り込む。
「……私が視たのは一体何なんだい、あんなものは、あんな存在は、今まで一回だって見た事が無い……!」
目を押さえて、シャリアから冷やした手ぬぐいを受け取って目を冷やすララさんの声。
色んな感情が抑えきれない、そんな泣き声に似た声だ。まさかララさんが泣いているのか?
「ララさんが視たのは、僕の友達の一人で、この沙漠のあたりにいる誰かだなあ。アシュレはその友達の領域だから……いっぱいまで目に飛び込んできたのかも。今目が見えてないでしょう」
気楽な声で言うアリーズ。おい、お前の友達見ると目がつぶれんのかよ。
一回もそんなの聞いた事ないぞ……
「そうらしいね……くそ、目がまともに物を見やしない」
ララさんがずっと目を冷やしている。治癒師を呼ぼうとするシャリアも制していた。
「これは治癒師が治せるほうじゃないね。拘束の瞳自体に干渉するなんて」
「おい、ララ姉貴、それで大丈夫なのか!?」
「僕の友達を、そう言った魔法の眼で見る時によく起きる事だから、ドリオンさんは心配しなくて大丈夫。十分もすれば見えるようになってくるから」
心配する声をあげたドリオンさんに、にこ、とアリーズが笑った。それを不気味に感じたんだろう。その手が、自分の武器に伸ばされている。
「その瞳は、自己再生ができる目みたいだね。それならもっと早く見えるようになる」
武器の脅威だって分かってるだろうに、どこまでもアリーズは暢気だった。
「……でもね、ララさん」
アリーズは彼女を寝台の上から見下ろして、哀し気にこう言った。
「これで死ぬのだってもう、僕には許されていないんだ」
おれの勇者様は、色々な物を失い過ぎて、……奪われ過ぎて。おれの知っていた無邪気な笑顔を取り戻せなくなっているのかもしれない。
それにようやく、おれは気付かされた。




