論外=あらゆるものにおいて
リャリエリーラと言うこの令嬢が、答えられるわけがなかった。
あまりにも自分に対して、不利な告白になるからだ。
普通に考えて、隠れて暮らしている人の家に押しかけ、いう事を聞かないからと爆破するのはとんでもない行為だろう。
おれだってあんなの想定外だったんだから。
そんな風に、お兄さんの脇で彼女を見ていれば、彼女は視線を走らせている。
逃げ出せる言葉を探すようだ。
しかし、その態度こそ、お兄さんに不信感を抱かせるものだったようで。
「何か偽らなければならない事があるようだな。……狗、語れ。リャリエリーラが何をしたのか、嘘の欠片もなく語れ」
こっちを見たお兄さんは、斬りつけるような視線でおれに告げた。
おれに八つ当たりなのだろうか。
それとも、隠されている事がかなりとんでもないって、直感で感じているのか。
そう言った推測は、今のお兄さんにはどうでもいいんだろう。
おれが嘘なんて何もなく、喋るのを待っている。
「ん、簡単ですよ? お兄さんとおれが住んでいた家に、そこのお嬢さんが駆け込んできて、こっちに戻らないと言ったら、家を爆破してお兄さんを連れて行こうとした、ってだけで。その時にお兄さんが、砂の神殿から解読のために借りていたたくさんの貴重文書が燃えてなくなっちゃったんですよ。そんで正気を疑うような賠償金がお兄さんにはあってですね? 何回かその理不尽に文句言うために、神殿に突撃しかけました、おれ」
「何でしなかった?」
「お兄さんがそんな事しなくっても大丈夫っていうようなことを、言ったからですよ」
関節押さえ込んでな。背丈が違うと上から抱え込まれて、関節を持って行かれたら動けない。
いくらこっちに力があっても、自分の体を壊してまで、逃げ出す理由もなかったわけだし。
「……その金額はいくらなんだ」
ややあって、ついにお兄さんは賠償金の金額を聞いてきた。
いつ聞くかなと思っていたが、現実を知る気になったのかもしれない。
お兄さんのやった事じゃないし、被害者だけど、支払わざるを得なかったあのくそったれな位に高いお金である。
思うだけで腹が立ってくる。すごく腹が立つ。暴れたくなる位だが、ぐっとここはこらえて、記憶を探った。
「大体これくらい……?」
返済した額の大まかな所と、まだ残っている金額を指で数えていると、周りの空気が信じられない位の静かさになっていた。
針が落ちても気付くような、恐怖の匂いのする静かさだ。
戦き引きつり、信じたくないと否定する空気でもある。
お兄さんはおれの数えているのを、途中で止めた。
「それでざっとした金額はわかったが……俺はそんな金額が背中に乗っているのか」
「おれと二人で返済しまくったんで、もうこれ位になりましたよ、一般的な借金みたいなものとして考えると、結構すごいですけど、元の金額ぶっちぎりにひどかったんで」
ぽんぽんと金額を喋ると、お兄さんはじっとこっちを見た。
「お前はどうして逃げなかったんだ。俺だけが支払う物だろうに、一緒に返済したのか」
「おれは生活費とか、勝手に出て行っちゃうやつにあてがう金稼いで、残りをお兄さんの奴に回して、お兄さんはとにかく返済するために働いてました」
べしんと頭を叩かれた。苛立ったようにお兄さんが言う。
「答えではないだろう。何故そんな莫大な物を背負っている男を、見限らなかった? お前の腕ならば、どんなギルドの依頼もたやすいだろう」
「金剛石くらいまで行く奴も受けられますよ? いって! 叩かないでくださいってば!」
「三度も言わせるな、答えろ」
べしんべしんと叩かれたから、思わず怒鳴った。
「思いつかなかったんだもの!」
目の前でお兄さんが、目をまあるく開いて、思考が止まった顔になった。
一回言葉にしてしまえば、後は喋れる。
「お兄さんと一緒にいたから、逃げるとか思いつかなかったし、おれがお嬢さんさっさと追い出さなかったから爆破されたわけだし、ちょっとは責任もあるし、賠償金の事が来たのは新しい家が見つかってからしばらくたってからで、ええとええと」
なんか簡単で単純な言葉が、思いつかない。
なんだなんだ、ええと、うん、これだ!
「お兄さんおれが一緒なの当たり前の顔だったから! おれも一緒じゃないと変だなーと思って……あれ、お兄さん顔すごい赤い」
怒鳴りまくった俺の目の前にいる人は、色の黒い肌でもよく分かるほど、首まで赤く染まっていた。
あのお兄さんが、である。
隠者になる前と後とで、お兄さんの感情の振れ幅が違い過ぎやしないだろうか。
それとも、お兄さんはこういう心も、凍れる生贄として押さえ込んでいたのだろうか。
どれも間違いじゃなさそうで、でも正解とは言えない思い込みのような気がした。
「……お前は、狗だったんだな? そこに間違いはないな?」
「砂の大神官様が言うには、婚姻の契約の手順はやらかしたらしいですね、二人でぽかやって」
自分で言いつつ、この人と結婚した事になってしまっているというのは、とても不相応な気がした。
おれはお兄さんを守る。嘘偽りなんて一個もない気持ちだ。
お兄さんの方は……求愛の贈り物として、名前をくれた。でもそれが本当に、愛の形であったかどうかは、不明だ。
お互い相手に対して、心があったのはきっと、間違いじゃないけれども。
「……俺はどうして、お前に対する記憶を丸ごと失ったままなんだ。狗、俺はおおよそ何年分の記憶を喪失していそうだ」
「十年は固い」
十年と聞いて、お兄さんはぎょっとした表情をとる。人間の十年はひどく大きい。
ぎょっとして自分の手を眺めて、服の裾とか……ジョディが大きさを合わせた場所を見て、小さく言った。
「それだけ年数が過ぎていれば、これもありうるな。……納得した」
じゅうねん。
お兄さんがどこか絶望したような音で、呟いた。
「失っても問題がないほど、薄っぺらい十年を過ごしたのか」
「……薄っぺらじゃないですよ」
「お前がどうして言い切れる」
「おれが出会ったお兄さんは、そう言うお人じゃなかったから。今のあなたがあのお兄さんになるのに、十年が必要だったのも変に思わない」
「そのくせ、取り戻したいとは言わないのが、わけがわからない」
「おれみたいなやつは、後ろ振り返ったらやっていけないんですよ」
「ふざけないで!!!」
おれが茶化した時、思ってもみなかったところから怒鳴られた。
その方向をむけば、あのご令嬢が怒りに赤く染まった顔で立ち上がっていた。
そして足音高くおれに近付いてきて、彼女を眺めていたおれの服の襟をつかんで、無抵抗をいい事に結構な勢いで揺さぶり始めた。
「お前がカルロス様の妻なんてありえない、絶対にありえない、認められない! 許されない! 賠償金ですって?! お前が背負った物をこの方に押し付けているんでしょう!」
頭が悪いのか、このご令嬢。都合の悪い事ちゃんと見てない。
おれは揺さぶられながら、観察を続ける。
がっくんがっくん頭が揺れているあたりで。
妙に物騒な気配が、煙の様に立ち上って、触ればただじゃすまない火花が散った。
「きゃああ!」
彼女がおれから手を離す。尻もちをついたおれは、火花の出所を探った。
出所は、いひひと楽しそうに笑った。
『さわんじゃねえよ。どうしようもねぇおろかものの女っ子だな。元はお前が燃やしたのに』
「呪い本……お前自力で火花も出せるのか」
『稲光だってできんだ、火花なんて軽い軽い』
ツッコミを入れれば、おれの腰にぶら下がり直したそいつ……呪いの本の集合体は、落書き模様の目玉を瞬かせて、嗜虐的に笑った。実に本性くさい顔だ。
「なんだそれは、喋る本は聞いた事が無い」
火花を出した本が気になったんだろう。悲鳴をあげられる程度だから、ご令嬢に怪我はなさそうだし。
不思議そうにお兄さんが呟き、本に手を伸ばす。本がぎょっとした色を浮かべて、逃げるように喚いた。
『冗談じゃねえ! 今のあんたに触られたら、意識も凍って消えちまう!』
「お前を消す力なのか、俺が持っているのは」
「呪い本、しゃべ」
『あんたが持つのはおいらと真逆、癒しの飛び切り、寒空にあるもの! 破滅と破壊を基盤にするおれさまと、相性は最悪なんだよ! 今の、制御も何にも分かってない、赤ん坊より始末の悪い状態とはな!』
おれが止める間もなく、呪い本はお兄さんに、お兄さんに宿るものの正体を告げた。
喋るなとは一言も言わなかったけどさあ!? ここで喋るのかよ!!
お兄さんが伸ばした指が止まる。
止まった指が引っ込んで、自分のこめかみに触れる。
「さむぞら、癒し、……っ?」
「化け物め!」
「俺は何を忘れ……?」
「カルロス様、その化け物にたぶらかされ続けているのです! そのおかしな本が何よりの証拠、とうとう本性を現したのですわ!」
お兄さんが呟いていると叫び声が響き渡る。
呪いの本が飛ばした火花で、いかにもな理由が出来たんだろう。
ご令嬢が唾を飛ばす勢いで叫ぶ。
そして周囲の兵士に、立て続けに命令した。
「その化け物をとらえなさい、いいえ、殺してしまいなさい! そもそも生きているのが間違いな怪物ですわ!」
兵士たちも、おれをそう言う風に見たのだろう。武器も片手に、じりじり距離を詰めて来る。
周囲の、客人たちは儀式がぶち壊しになってからずっと、これの観客状態だ。
大公はどういう風に、この混乱しすぎた場を収めるのか。放置して悪化する方にしておくのか。
ちらりと見た大公は、こちらの騒ぎを無視しているように、そこそこの年齢の男と話し合っている。こちらの騒ぎも聞こえないのだろうか。
そっちに聞き耳を立てれば、そこも言い合いで白熱していた。
「賠償金はそちらが支払うべきだ!」
「陛下が命じた事でしょう! 陛下が責任を負う物です!」
……あっちは金でもめまくっているらしい。あっちもこっちも面倒くさすぎる。
こっちに注意を払えない位、騒いでいる。あっちにも観客が結構ついている様子だ。
無視していいだろう。おれに関係ない事だ。
じゃあこっちだけでいいか。
おれは目の前の兵士たちの方に、注意を向けた。
兵士たちは魔法は飛ばせない。客に当たったら面倒だからだ。
武器が中心になるはずである。
どこまで素手で対応できるか。
「カルロス様、失礼!」
そんな事を計算していると、座ったままのお兄さんが、ジョディに引きずられていった。
ジョディはお兄さんを守るべく、そう動いたんだろう。
兵士たちが、それに合わせて勢いよく、おれに突っ込んできた。




