蔑視=まさかここで関わるとは。
ベルは自動的に、記録されている指示を告げるものだったらしい。
周囲を見回しても、声の主がいないから、そう判断する。
立ちっぱなしでは何も進まないから、おれは目の前の扉を開けた。
ちょっと立て付けの悪い扉が、ぎいぎいと音を立てて開く。
現れたギルドの受付らしきそこは、アシュレとはずいぶん雰囲気が違う感じがする。
まず第一に、寒い。アシュレは割と大陸の南側なため、比較的暖かいのだ。
灼熱地獄と呼ばれる、砂漠にも面しているのも理由だろう。
しかしここは、ずいぶんと冷え込んでいる気がする。空調魔法が効いていないのだろうか。
外套に包まれている体は寒くないけれども、むき出しの指が冷たいから、そうやって感じた。
「いくら冬が近いとはいえ、これまたずいぶん気温が違う」
後ろでは師匠が呟いている。おれはその声を無視して、受付の方に並んだ。
ここも割合混み合うギルドだったらしく、どこの受付もそこそこ並んでいる。
アシュレで起きていたような、ミッションの規制は起こっていなさそうだ。
誰も怒鳴り散らしていないから、そう判断しておく。受付は流れるように進んでいき、おれの番まで回って来る。
「はい、転移装置を使った、あらずさんですね? ちゃんと記録しました。行ってらっしゃい。アシュレに戻る際には……」
手際よく喋っていた受付嬢が、おれの胸にあるタブレットを見て目を見開いた。
「うわ、私鋼玉級っていう人始めて見ました! こっちで言うところの、1-2級ですよね!」
「その1-2って何?」
聞いたことのない言葉だから聞くと、彼女は快く話し出す。
「公国ではギルドでのランクを、数字で表します。そちらで言うところの金剛石級は1-1で、次の階級である鋼玉は1-2、と言った感じです。全部で9つの階級があるんですよ」
1-1、1-2、1-3までは上位冒険者と呼ばれるらしい。2-1、2-2、2-3は中位。割と分かりやすい階級わけなのだとか。
「帝国では色で分けますし、国や地域でランクの名前は違いますが、分ける基準は同じなんですよ」
にこにこと友好的な笑顔の彼女は、身を乗り出す。
「ぜひ、あなたの武勇伝を聞きたいものだけれども、あなたにも目的があるという事だから、我慢します。それでは、今度こそ、行ってらっしゃい。あ、忘れていたわ。これが首都の簡単な地図。あと、公国は宮殿の庭園を一般公開しているから、急ぎじゃなければここに行くと圧巻よ。これから秋と冬の植物が共演する時期なの」
乗り出した姿勢のまま、喋った彼女と離れて、おれは師匠の所に近付く。
「お兄さんの所に行く、結構重要な情報を聞きましたよ」
「ここからでも聞こえたな。宮殿の庭園が一般公開なんてな。まあこのあたりは治安がいいからできるんだろう」
「さっそくそこに行きますよ、うまくいけばお兄さんの情報が手に入るかもしれない」
「期待しすぎるなよ」
師匠が呆れたように、おれの前向きな意見に突っ込んだ。
言われた事は事実だから、こくりと頷く。
その後、宮殿の庭園に行きたいと言えば、大体の店で場所を教えてくれた。
どうやらこの首都では一番の、自慢になる庭園らしい。
ただの旅人だって入れるというのだから、簡単に入れると思ったおれである。
そうして、ギルドからおおよそ十五分で到着した、庭園入口で。
俺は思ってもみなかった事になってしまった。
「お前は入るのを禁じられている」
「なんで、何も悪い事をしていないのに」
庭園入口で、並んでいる時に、いきなり首根っこを掴まれた。
そしてそのまま、引きずられそうになったものの、おれの力は馬鹿力、ただの兵士が引きずっていけるわけがない。
相手はすぐさま方法を切り替えて、持っていた木づちで、おれの頭を殴りつけてきたのだ。
まさかと思った事、ここで揉め事を起こしてはいけないという自制が働いた事、でおれは強かに頭を殴られてふらついた。
周りも、いきなりの事に驚きを隠せないでいるのに、兵士がとても汚いものを見る目で、おれを見ていう。
「ここで成敗されない事を幸運に思え、このオーガ混じり」
おどろいた、なんて言葉じゃ済まされなかった。
なんでそれを、見知らぬ相手が知っているのかが、信じられなかった。
そして、ひそひそと囁かれる声。
オーガとの混血だって。
怪物まじりだって。
汚らしい血が流れているんだって。
擬態しても無駄なのに。
……そんな声が次々に聞えて来る。よく見れば師匠は近くにいなかった。
おれは頭に受けた衝撃で、まだふらつきそうな体を立ち上がらせて、聞いた。
「どこでそんな話を聞いたのさ、それもおれの事をそんなに詳しい感じで。おれ犯罪者じゃないし、悪名を轟かせることなんてしてないのに」
兵士はこの言葉を聞いて、ひどく蔑んだ顔をした。対等な相手でも何でもないと言う顔。
「アリーズ殿たちから聞いているぞ、お前は魔王の遺物を隠し持っていたとのこと。アリーズ殿たちが、そのことに気付き、譲渡を求めた際には抵抗したそうじゃないか」
「いきなり八つ当たりで暴行されて、動けないのに身ぐるみはがすのを譲渡と言って抵抗だのと言うのかねえ……」
あいつら……と言う思いで一杯である。師匠の読みは当たったのだろう。
“魔王の遺物を入手した”という事が、アリーズたちの汚名である“前ギルドからの追放”を上回ったんだろう。
ましてここは遠い公国。アシュレでの一連の最低な振る舞いは、きちんと伝わっていないと見た。
でも、あいつら帝国の市民だったはずだ。どうして公国でそんなほらを吹けるのか。
「つべこべ言うな、さっさとどこかに行け、汚らしい!」
二度目に振るわれる木づち。おれはその単純な軌道がよく読めた。
遅いくらいの速度だ。それを眺めて、片手を振った。
たったそれだけで、木づちは相手の手から吹っ飛んでいった。
吹っ飛んで行って、その辺の金属の柵にめり込んだ。
結構な音が響いたら、見ていたやつらの声はなくなる。
木づちを握っていた兵士は真っ蒼になっていく。
片手で弾き飛ばされて、握っていた物さえ飛ばされて、飛んでいった物があんな力でぶつかるとは、思っていなかったという顔だった。
「おれは先手必勝なんてしないんだ、盾師だから。どうせアリーズたちが嘘八百を並べて、自分たちが正しいとでも言っているだけなんだろう。そんなものはどうだっていい。何もしていないのに、暴力を振るわれたという事実があるだけだ」
<嘘は嫌いなんだよ。どうしたって上手なほら吹きになれないから。本当の事は、痛い事でもましかな>
いつかアリーズが、アシュレで言った言葉が頭に響く。
お前は嘘が嫌いだと言ったその口で、おれを貶める嘘を吐くのか。
それは果たしてお前なのか。
一緒にバカ騒ぎをした、ふざけた温かい記憶が、嘘で作られていたなんて、まだ、思いたくないんだけど。
聖剣はそんなにも、お前を作り替えるものだったのか。
「こ、殺すと言うのか! これだから汚らわしい混血はっ!」
「あんたはつまり、おれを殺すつもりで木づちをふるっていたのか」
おれが静かに言えば、相手は青ざめて何も言えなくなる。
言えば言うほど、おれの怒りを買いそうだと思う程度の、思考回路はあったらしい。
大きく溜息を吐き、おれは言う。
「無駄な殺生も乱暴も、しないのさ。屑な元勇者とは違ってな」
ここで庭園に入っても、ただ面倒なだけだ。
一度ギルドに戻り、この首都の空気を聞きなおすべきだ。
おれはとても嫌な気持ちになって、その場を後にした。
金属の柵に、めり込む木づちが取れなくて、大騒ぎになっているのだって、無視しておいた。
そういう騒動の後に、ギルドに戻って、さっき友好的だった受付嬢に話しかけると、最近の事情を教えてくれた。
彼女はまさか、おれが渦中のオーガ混じりだとは思わなかったらしい。
「帝国を追放された勇者アリーズたちが、公国に魔王の遺物を献上したんですよ。魔王の遺物を献上するのは大変な事とあって、公国では英雄扱いなの。ギルドではやった事が通達されているから、白い目で見られているけれども、一般市民からはかなりの人気よ。ついでにそれを隠し持っていたのが、敵として分かりやすいオーガ混じりと言うのも、大きいわね」
オーガ混じりは敵として分かりやすいのか。
そんな事を言われるのが、きついな、と思った。
彼女は同情する顔で、おれに説明を続けてくれる。
「オーガとぶつかり合った帝国よりも、公国は人間優遇主義が多いの。だから公国でうちのギルドは肩身が狭いわ。問題が起きればまず真っ先に疑われるし……でも、ここからこの支部自体が撤退すれば、ここで活動する多様な混血の冒険者たちの所属先がないから、ララさんが絶対に許さないわ」
「人間優遇主義だから、より一層オーガとの混血は蔑みの対象ってわけ?」
「大問題な事にね。公国は混血の絶対数が少ないから、どうにかしようと活動すると余計に、排斥運動に拍車をかけてしまうし」
溜息を吐いた彼女は、でも、と笑顔で言う。
「それでも、冒険者は全て、共通の規則の元、登録しているから、公国で一番差別しない職業なのよ! それに公国の冒険者は皆、勇者アリーズたちが嫌いなの。彼等すっごく差別的だし、あなたにやった事は皆知ってるから」
あ、慰められているな、とわかる言葉だったけれど、とりあえずすべての公国の住人が敵、と言うわけじゃないのだけは安心しておいた。
さあ、今のおれの状況を確認しよう。
アリーズたちの嘘っぱちで、おれの事はかなり知られている。顔こそばれていないかもしれないけれど、結構特徴とかは知られていそうだ。
そして人間優遇主義だから、一般市民の味方を探すのは大変そうだ。
まして宮殿にいる兵士たちは、おれに危害を加える事はあっても、協力してくれる事はないだろう。
かなりの部分で、自分の力だけが頼りになるに違いない。
師匠は当てにしない。当てにしようなんて甘えは許されないはずだ。
さあ、どう動くか。
一晩でも、じっくり考えなければならない問題に、おれは直面していた。
取りあえず。
「ほかの所から来た冒険者を泊める部屋、一つ空きがあればそこ、長期滞在で貸してほしい」
おれは受付嬢に申し出た。
安全な寝床の確保は優先しなければ、ならないのだから。




