12
翌朝も快晴が広がっていた。
カーテンから差し込む光にたたき起こされたソフィアとエイミーだが、けして遅い起床ではなさそうだった。明け方近くまで宴席を楽しんでいた人々もいたようで、城内はまだ人の気配が薄かった。
昼近くから、今度は湖上の城の空中庭園でガーデンパーティーが始まる。ソフィア達はその途中で帰宅になるが、どうやらそのまま夜もまた、宴席となっているらしい。余力ある資産を見せ付けられて、感嘆しつつも呆れてしまう。それも上流階級ではけして珍しいことでもないのだろう。
湖上の城に宿泊している女性客はあまりいないようだが、クラリッサは一人でさぞ大変だろうと思いながら、ソフィアは身支度を終える。一人では何も出来ないししない上流階級もいるだろうし、女性客を手伝えるのはクラリッサしかいない。
希望者には朝食も出すと聞いていたが、昨晩遅くまで飲食していたせいもあって、それはあまり乗り気になれなかった。
「ソフィア、庭園に行ってみない?」
さんさんと日が差す庭園はまた素晴らしいだろうというエイミーの思いつきに、二人はとりあえず部屋を出ることにした。その所有者がどういう人物であれ、この湖上の城は確かに素晴らしい。
二階の広いベランダからなる空中庭園に出てみれば、すでに水が撒かれ清涼な空気で満ちていた。白い花々も輝かんばかりだ。
しかし二人の視線を集めたのはそれではなかった。城を出て湖畔の屋敷に向かう一本の道、そのつなぎ目となる跳ね橋がある門に、人だかりが出来ていた。
なにかしら、と二人で眼下の光景を覗き込んでみたが、跳ね橋が下りていないということ以外わからない。二人は花壇の見物もそこそこに、門に向かって城外にでることにした。空中庭園から一回城内に戻り、ホールを通って外に出る。門の前には上から見たとおり昨日宿泊した人々が集まっていた。
「どうしてこんなことに」
「普通じゃこんなふうにはならないだろうに」
「先日の嵐のせいかしら?」
皆疑問を口にして首をかしげている。
「どうしたんですか?」
門の前から首を横に振りながら戻ってきた同じ宿泊客にソフィアは尋ねた。昨夜、カードゲームをし、深酒をしていたらしいその紳士は眠そうに答えた。
「跳ね橋のロープが切られているんだ。そのせいで橋が下りないらしい」
「ロープが?」
「困ったものだ。だがそれほど大問題でもないらしいよ。どれもう一度寝なおすことにしよう」
あまり深刻さを感じさせない顔でそういうと、彼は目下の寝不足のほうが問題だとばかりに城内に戻っていった。
エイミーと顔を見合わせては見たものの、それがどういう状況なのか、二人にもよくわからない。とりあえずお茶を飲みに行くことにしようと、二人も城内に戻りダイニングに進んだ。朝食の場として設けられているダイニングに集まっている人々はそれほどまだいない。客人達のほとんどは昨晩随分遅くまで起きていたのだろう。今日の宴席も昼からだ。問題は橋が下りなければ湖畔の屋敷に宿泊している人間達が参加できないという点にあるが。
「イヴリンに会いに行って見ましょうか」
まだ人々が眠っているこの時間なら、彼女に会えるかもしれないということに気が付いて、ソフィアはエイミーに持ちかけた。イヴリンも眠っているかもしれないがそれならば仕方ない。
「そうね」
エイミーも賛同して、二人は朝食はとりあえず後回しにしてイヴリンの部屋に向かった。
昨日、尖塔の螺旋階段を登った先にあるあの小さな部屋である。
途中でライオネルに出会うかもしれないと思ったが、どういうわけかイヴリンの部屋に向かうまでに、彼はおろかクラリッサにも会わなかった。
尖塔の先は光も届かず、ひんやりとした空気が澱の様にわだかまっていた。扉をノックしてみれば内側から応える者も無い。
「……よく考えたら、ここじゃないのかも」
エイミーがあっと声を上げていった。
「ここは昨日の準備だけだったんじゃないかしら。だって、イヴリンはヘンリー・ギャラガーさんの奥様だもの。彼と一緒の寝室じゃない?」
「……そうね」
昨日ここにいたから、と思ってしまったが、よく考えたらその通りである。いかにヘンリーに粗末に扱われていようとも、寝室までここのはずが無い。特に客人が多くいる今、それなりに取り繕うことくらいはするだろう。
「無駄足だったわね」
ソフィアとエイミーは苦笑いして引き返そうとした。が、その小部屋の扉が開いていることに気が付いたのだった。
……なにか。
……何か、馴染みのある香りが。
ソフィアはなんとなくその扉のそっと指で触れ軽く押した。扉は音も無く内側に開く。
「イヴリン?」
万が一、と思って部屋を覗き込んだ。室内は雨戸も閉まり真っ暗だったが、雨戸の隙間から一筋だけ明かりが差し込んでいた。暗がりの中、淡い光に照らされて人影があることに気がついた。最初は床に誰かが蹲っている様にも見えたが、それは倒れ伏した女であった。
気が付いてソフィアは甲高い悲鳴を上げた。
ソフィア?とエイミーも同じように覗き込み、彼女は息を飲んだ。
床に伏しているのは、女中用の黒いワンピースに白いエプロンをつけた若い女性だ。この屋敷では女中は一人しかいない。クラリッサだということは顔を見る前に察しが着いた。
ソフィアは扉を開け放ち、その小部屋に一歩だけ足を踏み入れた。薄暗がりではあったが、横を向いたクラリッサの目は見開き、こめかみから伝わった血が涙のように頬を伝って床にこぼれていた。
シナバーであるソフィアは、その甘い香りを捕らえていたのだった。
ソフィアはそれ以上、進まず、部屋の外に戻る。
「エイミー、人を呼んできて!」
ソフィアの言葉にエイミーは迷うことなく身を翻した。その背に付け足す。
「……おめでたい席だから出来たらこっそり」
一瞬立ち止まって、それから階段を駆け下りていく音が聞こえる。
ソフィアは一歩下がり、そのまま冷たい石壁に寄りかかった。
また女性が死んだ。
『青髭』に関わる、会ったことも無い女達を思う。最初の妻、そして幾人もの再婚相手。彼の周囲は死に満ちている。女ばかり。
そして今、クラリッサがまた青髭の周囲の『死』に加わった。不吉な鐘が鳴り響いているように思う。
青髭の葬列にイヴリンが加わる幻が脳裏に浮かんだ。ソフィアは知らず奥歯を噛み締めていた。




