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ソフィアとジョンが向かったのは祭儀が行われるという教会だ。大きさとしては小から中規模というところだろう。
パトリックは、聖ヴァレリー大聖堂に籍を置く司祭だ。その彼からしてみれば小さいといって差し障りないだろうが、すでにその教会の中は人でごった返していた。シナバーは人口比にして極小である。この教会にいる人々の殆どが普通の人間であることをソフィアは感じとっている。それでも町ですれ違う確率を考えれば、この中には高密度でシナバーがいた。
一体ここにシナバーを集めて、何をするつもりなのかしら。
ジョンと二人であたりを見回して考えたが想像の範疇を超えている。とりあえずソフィアは一旦教会から出た。ジョンはまもなく行われる祭儀を待つように中に残った。
パトリック・スピアは首都アーソニアの教会については詳しいだろう。この祭儀を取り仕切ったのも彼だ。
この教会の関係者に詳しい……それはもうあまり意味がない。パトリックはもう死者扱いだからだ。では、建物そのもの?
ソフィアは小さな教会の裏手に回ってみた。教会の中からは集まっている人間の気配や話し声が伝わってくるが、周囲は雑草こそ抜かれ、手入れは行き届いているがあまり人の気配がない。ふと、足元を目にしたソフィアは、地面ギリギリにある木材でできた格子が切り取られているのを見つけた。
教会の地下室の明かり取りだろう。ガラス窓も割られている。ちょうど人一人が通り抜けられるくらいの隙間をソフィアは覗き込んだ。だが暗くてよく見えない。ソフィアは仕方無しにその隙間から地下に入り込んだ。結構な高さはあるが、ちょうど棚が置かれておりそこを足場にして降りることが出来た。明かり取りからの明りはわずかだが自分が影にならずに済んだため、先ほどよりよく見える。
ソフィアは小さな音をとらえた。
規則的な、馴染んだ単位を示す音だ。どこかに時計がある。なんとなく音の方向を見たソフィアは息を飲んだ。よく確認しなければと思うが、足がすくんで動けない。
地下にまで伸びた教会の支柱。その足元に積みあがるようにして括りつけられているのはソフィアがみたことのないものだ。だが、同時に気が付いた匂いは花火のときにかいだことがある。
置いてあるのは大量の火薬、爆弾だった。
刻む音は、おそらく時限のための時計の音だと思われたがそれがどこにあるのかわからない。
「まさか、まさか。いいえ、きっと違うものよね。だってわたし、時限爆弾なんて見たことないし」
だが、こんな時になって、アーサーの言っていたことを思い出してしまう。何者かが倉庫の火薬を盗んだ形跡がある、と。
ソフィアはゆっくりと、後ずさり、そのまま上階への階段を駆け上がった。
「ジョン!」
一階上がっただけで、人の気配が戻ってくる。教会の脇を走りながら祭儀に参加している人々に聞こえそうな声でソフィアは呼んだ。駆け込んだ教会の中で、祭儀をまつ人々をかき分けてジョンがソフィアのいる身廊の目立たない場所にやってくる。
「どうしたソフィア」
「大変」
青ざめているソフィアにジョンが何か見つけたにのだろうと察した。真剣な顔になる。後辺りの人々に注意しながらソフィアはジョンの近くで小さな声で告げた。
「地下に、爆弾がある」
「……は?」
「わたしだって見たことないけど、多分あれ、爆弾」
「いこう」
言いながらすでに地下の階段に向かおうとするジョンを腕をソフィアは慌てて掴んだ。
「ダメ!だっていつ爆発するかもわからないのよ!」
「そうか……ならば、爆発物かどうかはともかく、とりあえず、教会の中に居る人々を外に出したほうがいい」
「でもどうやって?祭儀はまだ真っ最中よ」
「そうだな」
ジョンはソフィアに目配せすると、そっと目立たないように聖堂の壁際を歩いた。その先にあるのは小さな告解室だ。人々の目は正反対の内陣とそこに立つ司祭に向けられておりこちらを見るものはいない。
「……そうか。狙いは司祭だ」
「シナバーであるけれど、大司祭だと聞いているわ。まさか……でも」
「大司祭を殺し、ついでに集まってきたシナバーもまとめて始末できると考えたのだろう。だからこその爆弾だ」
ジョンはあたりを見回した。静かに告解室のぴたりと閉まった扉を開くとその内側にはカーテンが下げられそして蝋燭の火が揺れる燭台が置いてあった。
ジョンはおもむろに燭台をつかんだ。。
「爆弾だ、なんて叫んだらパニックが起きる。でも早急に皆を追い出したい」
ジョンはためらいもなく蝋燭の炎をカーテンに寄せた。ずっしりとした布はなかなか火が着かなかったがやがて、白い煙を立ち上らせ始める。一度煙があがってしまえばあっというまに煙は教会の中に立ち込め始めた。それを見極めて、ジョンは怒鳴った。
「火事だ!」
ジョン叫びながら礼拝堂の中に向かっていくのをソフィアは聞いた。立ち込めているのは煙だけだ。うまくやれば、パニックにならず、教会内の人々を外に誘導できる。
「皆さん、ボヤです!すぐに消し止めましたが煙が残っていますので、今すぐ外に出てください」
ジョンの朗々とした声が響いた。重なるように大きくなってくのはざわめき声と人々が動く音だった。ソフィアは皆が気がついたことを察すると、告解室の椅子においてあったクッションをつかんで燃え上がりつつあるカーテンに叩きつけた。燃えあがりかけた小さく揺れる火は、炎上するまえにソフィアによって消し止められる。ソフィアが力任せにカーテンを引っ張ると留め金が外れて床に落ちてきた。くすぶるそれを足で踏み消す。
人々はボヤの知らせを聞いて慌てて外に向かっているようだが、混乱が起きている様子はない。立ち込める淡い煙に少し慌てているくらいだ。ソフィアはそれをつかむと外に飛び出した。そのまま中庭に放り捨てる。とりあえず火事には至らなかった。
後はアーサーを呼んで爆発物を確認してもらわないと。
ソフィアが今後のことを考えたときだった。
鈍いが大きな振動を感じた、と思った次の瞬間には、轟音が響きわたっていた。窓ガラスから壁を破壊しながら飛び出た衝撃波に、ソフィアは中庭に叩きつけられる。割れた窓ガラスの破片が飛び、手の甲を切り裂いたが、それは一瞬で治癒に向かい始めていた。しかしそんなものに頓着している場合ではない。
爆発は、教会全てを吹っ飛ばすようなものではない。
……だが、あれは、地下にまで伸びた、教会の支柱を破壊したのではないだろうか。
「ジョン!」
ソフィアは叫びながら、教会の入り口へと向かっていた。その背後で巨大な建物が地下に向かって崩壊していく地響きが連鎖的に置き始めていたが、振り返る余裕もない。
正門に回りこんでみれば、途中までは焦りつつも混乱にはいたらず落ち着いて外に出ようとしていた人々が、絶叫しながら教会内部から出てくるところだった。すでに内部の崩落は激しいものとなっているようで、頭や肩を上から落ちてきたもので傷つけられている人々も見受けられる。埃と音はいまや視界と声を完全に遮り始めていた。
「ジョン!」
ソフィアはあたりを見回して彼の姿が教会の周辺にはないことに気がついた。石造りの頑丈なはずの外壁までもが、内側に向かって崩れ落ちている。
ソフィアは考えている暇もなかった。そのまま教会の中に向かう。ここに集まっていた人々の中でも、シナバーならちょっとくらいの怪我なら治るが、まさか押しつぶされてしまっては助からない。それに、シナバーでない人間もここには多く集まっていて、彼らは少しの衝撃で命を失う。
ジョンは。
崩壊が崩壊を連鎖して、内部は上から落ちて来るものと、地下に崩れ落ちるもので、足場もない状態だ。うかつに奥までいったらまずい。
「ジョン!」
ソフィアが怒鳴ると耳を塞ぎたくなるような破壊音の中、ジョンの声がした。
「ここだ!」
目を凝らしてみると、足場がなくなって宙ぶらりんになっている老人の手を、ジョンは腹ばいになって掴んでいた。その光景におもわず血の気が引き、一瞬動けなくなる。そんな自分を叱咤してソフィアは飛び出した。
「ジョン、わたしが!」
ソフィアが老人の腕を掴む。自分の体を引き上げられないところを見ると彼はただの老人なのだろう。必死で彼を引き上げる。
「他には誰かいるの?」
「もうわからない!あと五分あれば……!」
「行きましょう。もうここは危ないわ」
ソフィアは老人の肩を支えるようにして、外に向かった。
もしかしたら、まだ、中に人が居るのでは。
もちろんそういう後ろめたさはある。しかし、これ以上残れない。
ソフィアとジョンは老人を連れて外に抜け出す。それも転がるように飛び出して、実際に道路にむかって身を投げ出す勢いだった。
次の瞬間には教会の外壁全てが内側に向かって崩れ落ちていって、伏した地面から顔を上げた二人に見えたものは、残った出口の階段だけだ。
もうもうと立ち込める土ぼこりのなか、二人はなんとか身を起こした。
ジョンは無言のまま崩れ落ちた教会を見つめている。彼の横顔からは何も読み取れず、かといっていつものような饒舌さもない彼にソフィアは話しかけられない。わかっているのは、彼の激しい怒りだ。
はっと気がつけば、あたりは人で溢れかえっていた。教会の中に居た祭儀参加者はシナバーも居たがこの近隣の住民も多いのだろう。怪我人があちこちで呻いている。中には声も上げずに伏している人間も居た。
怪我を……。
ソフィアは彼らを見つめる。今、自分がすることは。
それは。
「ぼさっとするな医学生!」
突然背後から怒鳴りつけられた。ぎょっとして振り返ってみれば、そこにいたのは意外な人物だった。
「クイン教授!」
そういえばここは医科大学校からそれほど離れていない。物音と騒ぎに駆けつけたのだろう。
アンソニー・クインはあたりをぎらぎらと光る目で見回す。それから呻くような声で言った。
「……ひどいな」
「ソフィア!」
クイン教授に遅れて走ってきたのはエイミーだった。
「ああ、ソフィア、どうしたのこんなところで」
「エイミーこそ!」
立ち上がってソフィアはエイミーの手を取った。
「ソフィアがジョンとお昼に出かけたきり戻ってこないなあと思っていたのよ。探しに出たら、クイン教授と行きあって、講義と試験について質問していたら、なんだか外が急に騒がしくなったから」
「……医学生諸君、手伝いたまえ」
アンソニーの声に二人ははっとして彼を見る。
「怪我人が多数いる。病院に向かうにしても、この近隣の病院全てで全員を一気には受け入れられないだろう。重篤な人間から出来れば送りたい。行くぞ」
手伝え、と言ったが、彼はソフィアとエイミーの返事を待たずに、すでに怪我人の居る場所に向かっていた。
「ジョン、あとで!」
ソフィアはそれだけ声をかけるとエイミーと共にアンソニーについて向かい始めた。
「ソフィア!」
何か言いたそうにジョンが呼び止める。一瞬足を止めて振り返ったソフィアに彼は口を開きかけたがそれは言葉にならなかった。
口から先に生まれたような彼なのに。
ソフィアはなぜだが彼を安心させないと、とその瞬間思ったのだ。でももう声をかけるには距離があった。ソフィアは言葉の代わりに微笑んだ。
そして再び背を向けてエイミーとアンソニーのあとを追ったのだった。




