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そして代わり映えのしない日々が戻ってきた。
無事修繕が済んだ下宿に戻り、ソフィアは医科大学校にそこから通う日々となった。相変わらず好意的な人間もいるし、そうではない人間もいる。時々思い出すのはマデリーンの言葉だ。
『言わせておきなさい。あなた方とは違うのよ、と胸を張っていれば良いわ』
マデリーンの全てを憎みきる事はできない自分はバカなのだろうか。でも彼女はとても才能のある女優であったし、素敵な女性でもあった。だから漠然と思うのだ。
……かわいそうなマデリーン・レノルズと。
ソフィアは今朝も一番の講義にあわせ、外出の準備をしていた。いよいよ季節は寒さを厳しくしており近日中に雪が降るだろう。しかし今日は寒さこそ厳しいながら、空は快晴だった。
教科書を詰め込んだ鞄を持って、ソフィアはいつもの通学の道にでた。町の中はすでに朝の賑わいでいっぱいだ。駅前に近づくほど、騒々しくなる。
「ソフィア・ブレイク!」
急に名を呼ばれぎょっとしてそちらを見たソフィアはつんのめるようにして足を止めた。
広い歩道にテーブルを並べたカフェで、寒そうにティーカップを手で包みながらジョンがこちらを見ていた。
ジョンに手招きされてソフィアはそちらに足を進めた。テーブルにはなにやら大きな包みが置いてある。
「まあジョン……!久しぶり……というほどでもないのかしら」
毎日顔を合わせていた一ヶ月に比べればだいぶ久しぶりだが、事件が解決してからさほど日はたっていない。
「さっそくだがソフィア。用がある。今日の夕食を一緒にとってくれ」
ジョンは胸を張った。
「用がなければ作れば良いと気がついたんだ」
「……さすが……」
ため息混じりに呟いてしまう。もちろん今日のジョンも今までと変わらず素っ頓狂で強引なのだが、もうなんとなく憎めなくなっている自分が怖い。ジョンを殴りたいという気持ちカウンターは、残念ながら今はまあ一発で許してやるかというところまでリセットされてしまったほどだ。
「でも今日はだめ。明日にして」
「この僕が頼んでいるのに?」
相変わらずのお前一体ナニサマ状態である。
「今日は学校の友達のエイミーの家に招かれているの」
そう、ソフィアはエイミーに話しかけたのだった。今までずっと彼女の明るさと誠実さに気後れしていた。でも自分だってそれほど捨てたものではないと思えたのだ。それはジョンが言ってくれた言葉によるものが大きい。
エイミーに一緒にご飯を食べましょうといったら快く頷いてくれた。まだまだ逆風が吹いている時もあるが、友達がいるのは心強い。
……ジョンに感謝の言葉を伝えたら調子に乗りそうなので悩ましいところではある。
「ならば明日でも仕方ない……」
しぶしぶとばかりにジョンは答えた。
「で、用件だ。これを見ておいて欲しい」
座りたまえ、とジョンは偉そうに言う。
「時間が無いの。遅刻しちゃう」
「少しだけだ。それに僕も今は多忙なんだ。少しは君も譲りたまえ」
あまりな言い方だが、ソフィアは諦めて向かいに腰掛けた。その前でジョンはテーブルに乗った包みを解く。
「ジョン……それは何?」
「缶詰だ」
「……そうね、缶詰ね」
ジョンが出したのはコーンポタージュが入っているくらいの大きさの缶詰だった。かちんかちんと音を立てながら五つほど積み上げる。しかしなんのラベルもなく中身は謎のままだ。
「配給血が入っている。十日ほどは持つから毎日夜食にするといい。今日早速一つ味見してくれ。そして今日は一日持ち歩くだろう?瓶と比べての缶詰の扱いやすさを明日聞かせてくれ」
明日の約束と缶詰の評価の依頼、二つを告げて成すべきことは成したという顔でジョンはさっさと立ち上がろうとしているが、ソフィアはそのコートをつかんだ。
「ちょっと待て!」
「なんだ、ソフィア。僕も忙しい」
「わたしだって忙しいわよ。でも事情くらい説明してちょうだい。なんであなたが配給血を持っているの?」
「なんでって……缶詰のほうが使い勝手が良いかなと。だってソフィアは瓶は割れるしかさばるから嫌だって言っていただろう」
「だって、ジョンには関係ないじゃない。配給血はジャス製薬が仕切っているんだから」
ソフィアのその言葉に、ジョンは目をしばたかせた。
「あー。そうか。言い忘れていたかも」
「は?」
「ジャス製薬は略称だ。J、A、Sの頭文字をとっている」
「頭文字?」
「創業者の名前をとって。ジョン&アンジェリーナ・スミス製薬」
……僕の名前は偉大な曽祖父ジョンから頂いたものだよ。
……ああ、これは曾祖母のアンジェリーナ。
……ケイトは新しい薬の成分を探しに南国に出張したこともある。
ジョンとの会話を思い出す。ソフィアは缶詰とジョンをかわるがわる見た。答えはわかっているのだが、どうにも理解できないことを口にするように、おそるおそる言葉にする。
「……あなた、ジャス製薬の人?」
「父親が現社長。でも僕は一研究員である学者の卵にしかすぎないからね、今のところ。だからジャス製薬の名を出すことは気が引ける。今回も家にいれば仕事で連続首切り事件を調べるどころではないから、ホテルに隠れていたんだ。一応ホテルで仕事もしていたんだがなあ。書類仕事とか、成分検査のための植物の取引とか。今も目を盗んで逃げ出してきたんだ。父が僕の失踪には激怒していてね、これから一ヶ月程はおとなしくしていなければならないようだ」
そういえばマデリーンが「お勤めは大丈夫なの?」とジョンに言っていた。全然大丈夫ではなかったわけである。
なるほど、そりゃ家宝くらいある御宅でしょう。しかしこれが次期社長で大丈夫かジャス製薬。ああ、安定した配給血の供給のために、ジョンのお父上の御健勝を祈らずにはいられない。あと、一ヶ月どころか年単位で彼は研究室に閉じ込めておいてもいいと思う。こういうの外に野放しでいいの?
などというソフィアの嘆きはジョンの知るところではなかった。
「ということで、今後瓶から缶詰に変更するかもしれない。使用者としての忌憚のない意見を明日よろしく頼む」
「……了解。でもよくわたしの意見なんて取り入れるつもりになったわね」
「僕はソフィアが好きだからね」
それはどうも、とソフィアは肩をすくめた。励ましてくれた御礼を言うのはまた今度にしよう。調子に乗りかねない。
さらりと流したソフィアにジョンは妙に寂しそうな顔をしているが。ソフィアは気がつかない。ジョンがもうちょっと気の利いたロマンティックな物言いを身につけるか、ソフィアが勉強以外に目を向けることが出来る余裕が生まれるまでこれは続くのだろう。どちらにしても遠い話だ。
「ではソフィア、明日よろしく。ああ、安心したまえ、仕事はけりをつけるし、目を盗んで必ず行くから。僕は約束は守る」
ジョンは本当に忙しいらしく軽く手を上げて去ろうとした。だが数歩いったところで振り返る。
「……もしも、何も用事が無くても会うことはできるのだろうか、君と」
いつもどおりの無表情、でもそこにソフィアは彼の戸惑いを見つける。誰が何を言っても動じなさそうなジョンの、ソフィアの返答への恐れだった。
「もし入用なら僕の人血を差し上げてもかまわない」
慌てた様子で付け足す彼にソフィアは呆れる。本当に、ジョン・スミスという青年は妙なところで当たり前のことがわかっていない。最初から最後まで変な人だった。でも、変人だとわかっていてジョンが嫌いになれない自分もきっと変人なのだろう。仕方ない、これもきっと縁。
「あなたの血はいらないわ。わたしを犯罪者にしないで」
険しい顔で言い放って、それからソフィアは表情を和らげた。
「何があってもなくても、会えるに決まっているでしょう。わたし達はもうただの通りすがりじゃなくて、ちゃんと知り合っているんだから」
キスと弾丸 第一章 終




