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キスと弾丸  作者: 蒼治
1 首都連続首切事件
14/53

14

 帰りは馬車を捕まえることが出来ず、二人は深夜の町をとぼとぼと歩いて帰ることになった。

「ヒューゴを疑ったのか」

「……ちょっと気になることを聞いて」

「そうか……」

 ジョンの無言が逆に気まずい。

「まあヒューゴは変人だから疑う気持ちはわからなくもない」

 お前が言うのか、と気まずさも吹っ飛んだ。


「あ」

 気がつけば、火事にあった下宿の前に来ていた。もう火事の後など何一つなく修繕はほぼ終了に近いようだ。

「ちょっと寄っても良いかしら」

「なにか用事が?」

「忘れ物が」

 ソフィアが扉のノブを回すと、まだ修繕中の建物のためか、扉は開いた。ぎしりと床を軋ませながら室内に入る。入り口すぐの階段を上り始めた。


「ジョンはここで待っている?」

「いや、行ってみるよ」

 室内にはもう焦げ痕や水の気配はなかった。もしかしたら壁に染みの一つや二つあるかもしれないが暗さで見えない。

 自分の部屋の扉は開け放たれていた。火事の後、荷造りした時に水浸しだったカーテンは乾いており部屋の隅に畳まれてあった。触れてみれば、ばさばさと固い手触りに変わっていたのが少し悲しい。しかしそれでもここは自分の部屋だった。


「狭いな」

「そうね」

 背後から聞こえてきたジョンの言葉にも肩をすくめるだけだ。実際そうなのだから仕方ない。置きっぱなしにしていた蝋燭に火をつけた。ゆらゆらと頼り無い光が揺れる。

「でも早く戻りたいわ」

 ぽつりと呟いたソフィアの言葉には何故か返事は返ってこなかった。ソフィアは作り付けのクロゼットを開けた。その中にある木箱を覗き込むと手袋を取り出した。


「あった」

「それを探していたのか」

「そう。この半月でだいぶ寒くなって不便だったから」

「この部屋も寒いな」

「でも生活すればストーブに火も入るし温かくなると思う」

「ここに戻りたいのか……」

 なぜか意気消沈したような声音にソフィアは振り返った。ジョンは入り口に軽く寄りかかってソフィアを見ていた。


「戻るわよ?」

「……つまらん。結局親しくなっても人は僕から離れていく」

 ……そりゃあんたの性格が……と思わず口走りそうになったが、ジョンの口調にはいつもの覇気がなかった。弱々しささえ感じてソフィアは思わず彼を見つめてしまう。ただの友達ならば、今の言葉は特に反応を返さなくても良いだろう。彼自身もつい口走ってしまっただけで、本心では触れられたくないことかもしれない。


 でも、もしも。

 あの日、自分がジョンに弱音を吐いてしまった時のように、彼がなにかを聞いて欲しいのだとしたら。


「……誰かが離れて行ってしまったの?」

 ソフィアはそう尋ねていた。ジョンはその言葉を待っていたかのような沈黙で、次の言葉を選んでいる。

「最初の犠牲者」

 ぼそっと、触れれば固くて乾いた固形物のような抑揚のなさで、ジョンは呟いた。

「ケイト・クラークのこと?」

 彼の視線まで乾ききっていることを少し恐れながらソフィアは尋ねる。


「そう、良く覚えているね。さすが才女」

「別に、冗談なんていいのよ。だって真面目な話なんでしょう。それに最初の被害者の彼女だけはシナバーではなくてただの人間だった」

 ソフィアはゆっくりと彼のほうに戻る。一歩分の間を開けて彼を見上げた。

「彼女は僕の家庭教師であり、またその優秀な頭脳を持って我が家の家業を支えていた。南の未開の地へ用事で出かけてもらうこともあったのだが、厭うことはなかったよ。『私は頑丈だからちょうど良いわ。まかせて』とね」

被害者と直接的な接点があったなど今まで彼は一言も言わなかった。

 ……言えなかったのか。


「僕が八歳の時から彼女とは付き合いがあったんだ。優しい女性だったと認識している。そして両親の信頼も厚い人だった。両親にとっても家族か友人のように思っていたのだろう。時々親は僕に向かって『お前の考えている事はまったくわからない、ケイトの考えはなんとかわかる』と言い放つほどだ。いやはや親として嘆かわしいね。ソフィアですら僕のことを理解できているというのに」

「いや、想像はついても理解する気はないわよ?」

 ああ、そうか、この人両親がいるんだ。とこんな時だが妙なところにひっかかる。しかし一体どういう育て方をすればこうなるのか。


「でも、裏切った。我が家の大事な家宝を盗んで逃げた」

 あっさりと投げかけられた言葉だったが、その重みにソフィアは息を飲んだ。端的な言葉であったがゆえにその衝撃がなおさら伝わってくる。

「動かすこともできない大人十人分ほどの重量がある重い金庫に入れていた。もちろん番号は数人しか知らない。両親と彼女だけだ。息子である僕ですらまだ知らされていなかったものを彼女は預けられるほどだったんだ」


「ジョン」

「親は彼女を最初は探していたが、死亡したことを知って五歳は老け込んだ。そして家宝は見つからないままだ」

 ソフィアはスミス家に起きた悲劇には素直に同情した。

 特に両親に。慈しんでいた相手が裏切った挙句死んだのでは、怒りも悲しみも持って行き場が無いのだろう。


「だから僕は彼女が盗んだ家宝を探している。少なくともそれだけは何とかしないと両親も眠れない。そうだ、死んでしまったものは仕方ない。ケイトについて、僕は何ももう考えないことにした。大体僕はそもそも人の気持ちを考えるということがとても苦手だ。だからやってもしかたない。そんなわけで家宝の行方を追っている。ケイトは殺されたわけだから犯人を追うのが一番真っ当な追求の方法であるように思う。そんなわけで君にも手伝ってもらっているわけだ」


「ねえ、ジョン」

「僕にできることはそういった実利的なことだけだ。うまく両親の悲しみに同調することさえできないからな。いやこれは別に自虐ではない。ただ事実を言っているだけだ」

「ジョン!」

 止まらないジョンが並べ立てる言葉の痛々しさに思わずソフィアは怒鳴った。その声に、ようやくジョンは顔を向けた。

 ソフィアの下宿は薄暗い。物の置いていない殺風景な部屋で、ソフィアは彼を見つめた。いや、ずっと見ていたのだ、ただジョンが気がつかなかっただけだ。彼はようやく顔を上げた。


「ジョン、どうして悲しいと言わないの?」

「悲しい?」

 ジョンは笑い顔を作った。それはいつものような根拠がどこにあるのかわからないあっけらかんとした自信に満ちた笑顔ではなく、ただ戸惑う顔のようになっただけだった。

「悲しくなんてない。なぜ、我々一家を裏切り、その罰のようにして死んだ女に悲しみを覚えなくてはならない?」

「たとえそれが永遠でなかったとしても、わたし達はお互いに好意を持ったことを完全に忘れ去ることはできないからだと思うわ」


 ソフィアの言葉にジョンは今度は明らかに呆けた顔をした。戸惑いながらソフィアは更に言葉を重ねる。自分だってまだ滑らかに説明できない事象が殆どだ。それほど人生経験はまだ十分でないのだから。

 それでもジョンのために言葉を尽くそうとしているのは、それこそが「お互いが好意を持ったこと」があったからだろうか。

 まあもちろんその十倍くらいここ一ヶ月イラつかされてもいるのだが。


「ジョンはケイトを好きだったのでしょう。信頼していたのでしょう。裏切ったと感じるのは信じていたからよ。最初から信じていない人間には裏切られたとしても痛みは感じない。そしてわたし達は人間だから、誰かを好きだと思った事は容易く消えないし、そんな相手が不幸な目にあったなら悲しいのよ」

 ジョンはソフィアから目を離さず、しかし戸惑いながら答えた。

「……姉がいないので、比較として正しいのかはわからないが、僕にとっては姉の様な人だったと思う」

「そう、そんな人がいなくなって悲しいわね」

ソフィアは薄く滲む視界を映す自分の目をそっと拭って鮮明にした。


 ジョンは泣かない。しかしソフィアの同情にケチをつけるつもりもないようだった。そのまましばらく、二人の間に沈黙が落ちる。


「……だから、僕は、家宝を探す」

 だから、の前には本当は多くの言葉があるはずだ。両親、ケイト、なにより彼自身、それぞれに対する思いやりの言葉が。だがそれを言葉にする事はジョンにとっては『とても苦手なこと』なのだろう。


「家宝は一体どんなものなの?」

 ソフィアはそれ以上ジョンの気持ちについて語ることを避けた。先ほどの沈黙の間、彼はずっと考えていたはずだ。彼自身が考えてなにか答えらしきものが見つけられたならそれはそれで良いと思う。別に自分に語らなくてもいい。

 ソフィアにできることはジョンを手伝うことだ。

「家宝の詳細については語る事はできないが、形状については説明しよう。ああ、中身について語らないのは僕も知らされていないからだ」

 あっさりごまかすかと思いきやジョンは真面目に答えた。


「一冊の書物だ。それは大変古いものだ。表紙は赤く染められた羊の皮でできている。ただかなり古いものなので赤というより艶のある赤茶になっていたという話だ。分厚く、下手にさわると中身の紙が飛び出してしまう。そして中身は印刷ではなく手書きだ」

「そう。大事に扱わないといけないわね」

 そこまで聞いてソフィアも家宝とは書物ではなく、その中身そのものなのであろうということには思い当たった。何か大切なことが書かれている。


 家宝を盗んだケイトの死体からは見つけられなかったのだ。だとすればケイトを殺した犯人がもっている可能性が高い。そしてそれは連続首切り事件の犯人と今のところ等しいと考えられる。

「さっき、何を閃いたの?」

「……この事件、僕はすべて関連があると思っていた。皆。等しく首を切られていたから。でももしかしたら関係ないのかもしれない」

「……関係ない?」

「動機か方法か、違う理由があるんじゃないかと気が付いたんだ」

 ジョンはそのまま顔の前で手を握り合わせて黙ってしまう。彫像のように動かず事件を考え始めている。


「行きましょう、ジョン。ここは寒いわ」

 ソフィアは自分こそ冷えた手で、彼と手を繋いだ。体温の低さはシナバーの特徴だが、彼の手を温められないことが今は少し残念だ。

「温かいところに行きましょう。そこでゆっくり考えて」

 ジョンは顔をあげた。ソフィアの言葉はまだ耳に届いたようだ。ジョンはソフィアを見つめていたが、やがてぽつりと言った。

「でも君は近いうちにここに戻るのだろう」

 何故か責めているようなその口調に、ソフィアは困惑する。それでもなんとか微笑んだ。


「わたしはそう遠くなくここに戻るけど、あなたとの友情が失われるわけではないの。いつだって会えるわ」

「……嘘つきだな、ソフィアは」

「そうかもしれない」

 ジョンは一瞬だけ苦そうな笑顔を浮かべた。

 会いたいならそういえば良いのに、とソフィアは考える。でもきっとジョンはそんなふうに考えたりしないだろう。彼は理由なく人に会うなんて思いつきもしないのだ。暇をつぶしあえるのが友人だ、なんて想像外の人間関係に違いない。

 不器用な人。ソフィアはこっそり肩をすくめた。



 翌日、約束どおりマデリーンの馬車がやってきた。ジョンに伝えようか悩んだが、気がついたらジョンは出かけてしまっていた。妙に忙しそうだ。仕方なくフロントに伝言を頼み、ソフィアは出かけたのだった。

 日光の下で見るマデリーンの屋敷はこの間よりも更に立派に見えた。

「ようこそ」


 ソフィアが到着すると、マデリーンは自ら玄関まで出て彼女を出迎えた。屋敷の中は妙にひっそりとしていた。この間がパーティで人が大勢いたからそう感じるのだろうか。マデリーンは赤いドレスを着ていた。この人は赤が似合うと思う。通されたダイニングで佇む彼女はその豪華な室内もあって一枚の絵のようだった。

 マデリーンだって、もう三十歳だもの。

 先日の舞踏会で後輩女優が言っていたことを思い出す。なんとなく腹立たしい。マデリーンはこんなに綺麗なのに。


「今日は他に用事があって使用人が出払っていて」

 ダイニングでの昼食にも、給仕の姿は一人しか見られなかった。しかし大勢いたところでソフィアにとっては気詰まりなばかりだ。逆に気楽に食事が出来た。

 マデリーンは首切り事件のことなどまるでなかったかのように、別の話題ばかりをふり続けた。彼女の語る舞台の話は実にきらびやかで興味深い話だった。毎日書物に埋もれて鉛筆とインクで手を汚している自分には縁遠い話だ。しかしマデリーンは大学の話を聞きたがった。地味な話に気が引けるが、毎日を語る。お互いの日々の話はそれなりに好奇心を満たした。


「とても素敵な話です。わたしには遠い世界の話で、ただ憧れてしまうばかりです」

「あらそう。私は学問とは縁遠かったから、あなたの話のほうが興味深いわ。そんなに若いのに慣れない世界で努力して素晴らしいわ」

「でも一流女優の立場を維持し続けるのも途方もない努力だと思います」

「まあ、努力と言ってくださるの?」

 マデリーンは繊細なカットが施されたガラスのグラスを手にした。その爪の先まで宝石のように美しい。


「皆、持って生まれた美貌と才能で苦もなくこの位置にいると思っているわ。まあわたくしは他人になんて言われてもいいのだけど。逆にその方が絶対性が際立って良いくらいだわ」

「でも、何事も楽々一番なんてことは無いと思います」

 料理も何皿も出てくるが、マデリーンが全てを食べることは無い。ほんの数口でそっと押しやってしまう。ソフィアからしてみれば「おかわりください、たくさん!」と言いたくなるようなおいしい食事でもだ。こうやって節制すること自体がすでに彼女の人生の一部なのだろう。軽がると見えるようで違う。


「わたしも元から頭の出来が違うと陰口言われてますから」

 そんな同級生は、ソフィアが毎日費やす時間も鉛筆の減りも知らないだけだ。

「陰口ね」

 マデリーンは微笑んだ。

「言わせておきなさい。あなた方とは違うのよ、と胸を張っていれば良いわ」

「……なんかジョンぽい……」

 その言葉に珍しくマデリーンは声をあげて笑った。


「彼は変わり者と聞いたことがあるわ」

「そういえばマデリーンは彼が何者かご存知なんですよね」

「正確には彼の御両親のお顔を存じ上げているということかしら。ジョンと親しいわけじゃないわ」

 マデリーンは微笑んだまま、ナフキンで口を拭った。

「食事はもういいかしら」

「え、ええ」

「それなら場所を変えましょう。二階の書斎でお茶をだすわ。そこでお話しましょう」


 どうぞ、と示されてダイニングをでたソフィアは彼女と一緒に階段を上る。二階の奥まった日当たりのいい場所に彼女の書斎はあった。

 図書室にも沢山の本があったが、書斎も壁面に立派な書棚があり、本が納められていた。ところどころに珍しいオブジェが置かれていた。

「変わったものがありますね」

 マデリーンがお茶を入れている間、ソフィアはそれらを視線で追っていた。見たことのない鳥の剥製がある。


「あれは南国の御土産」

「どなたか出かけられたんですか」

「ええ、友人が。彼女は製薬会社に勤めていて、こちらにはない珍しい草花から薬品成分得られないかを調査していたの」

「すごいですね!船旅は大変だと聞きます」

「そうね。それと直接関係あるかはわからないのだけど、彼女……もう亡くなってしまったの……」

「……すみません」

「いいのよ」


 目の前にティーカップが置かれた。琥珀色の液体がちょっと変わっているがよい香りを立ち上がらせていた。

「これも頂き物。南方のお茶ですって。なんだか味は奇妙なのよ。合わなかったら飲まなくて良いわ」

「頂きます」

 口に含むと、想像以上に奇妙だった。ぴりっと痺れるような刺激がある。まずいのかどうかもよくわからない。


「南国は全然違いますね」

 マデリーンも苦笑いしながらカップを置いた。彼女のほうがこのお茶は趣味にあわなかったようだ。まったく減っていない。

「友人とは親しかったの。とてもいろんな話をしてくれた。南国の話もそうだけど、仕事の話も時々。あなたみたいに頭がよくて、私にはわからない独創的な話もあった。それに私にとても素敵なものを残してくれた」

 マデリーンは何故かそこで立ち上がった。書斎のデスクに向かう。目で追っていたソフィアは何故か視界がぐらぐらと揺れているように思える。


「あれ……?」

 マデリーンは引き出しから、厚みのある何かを取り出した。最初、なんだかわからなかったが、閃くものを感じてソフィアはとっさに立ち上がった。

「マデリーン、それは!」

 彼女が手にしているものは、赤茶けた表紙の書物だった。あれはスミス家の家宝ではないのか?

 ……南国を行き来しているマデリーンの死んだ友人。もしやそれは一番目の犠牲者にしてジョンの身内同然だった、ケイト・クラーク!


 だがソフィアは更に一を踏み出すことは出来なかった。突然足がもつれて、思い切り倒れこんでしまったのだ。

「……え?」

 指先まで痺れて身動きが出来ない。マデリーンが冷ややかに見下ろしていた。


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