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キスと弾丸  作者: 蒼治
1 首都連続首切事件
13/53

13

 ジョンが戻ってきたのは、夕刻になってからだった。

「何か変わったことはあったか?」

「特には」

 マデリーンの訪問について説明することはできなかった。当然彼女の話の内容も説明しなければならないからだ。

 マデリーンが帰ってからソフィアは珍しく授業の予習復習もそこそこに、彼女の言葉を考えていた。ヒューゴは首切り事件に関わっているのだろうか。


 あのフローレンスの血液を閉じ込めた一本のスピッツ。

 ジョンと夕食をとって、部屋に引き上げてからも、彼のことを考えずにはいられない。

 就寝時刻になってソフィアはついに決意した。着替えもせずに、改めてコートを羽織る。何かあってヒューゴと争うことになってもまさか自分が負けることは無いだろうと考えた。ソフィアは彼に直接尋ねることを選んだのだった。

 仕度をして部屋をでると、まだ明りが灯っているロビーに下りていく。ところがフロントで呼び止められた。


「ソフィア・ブレイク様」

「……なんでしょう」

「少々お待ちくださいませ」

 初老の痩せたフロント係はにこやかにソフィアを足止めする。その手元は何かを探っていた。

「あの、わたし急いでいて」

「ああ、もういらっしゃいました」

「は?」

 彼の視線を追って振り返ると、ホールの階段を駆け下りてくるジョンの姿があった。フロント係が探っていたのは、呼び出しのベルだったようだ。


「ジョン!」

「ブレイク様が今晩外出なされるようであれば、呼んで欲しいと申し付かっておりました」

 片手にコートを抱えて降りてきたジョンは、ソフィアの腕をつかんで言う。

「なんとなく様子がおかしいと思っていたんだ」

「……まさかジョンにそんな配慮が出来るなんて」

「君だからできる」

 ……うん?と言葉の意味を考えようとしたソフィアはジョンが更に続けた言葉で考える余裕をなくした。

「どこに行こうとしていた?」

 黙っていようかとも思ったが、ソフィアは諦めて告白した。


「……ヒューゴのところ」

「こんな時間にか?」

「どうしても気になることがあって」

「なら僕も行く」

 ジョンはそんなことだろうとばかりにコートに袖を通す。

「理由は聞かないの?」

「語らないという事は言いたくないんだろう。それならば言う時まで待つ。本当ならば行きたい場所があるなら自由にさせておくべきかも知れないが、この御時世それはできない」

「ジョンの方が弱いのに?」

 嫌味なことを思わず言ってしまったが、なぜかジョンのその勢いは嬉しく思えた。


「大丈夫だ、発炎筒と爆竹を持ったから。何かあったら人を呼ぶ」

「頼りになるわ」

 ソフィアは思わず声に出して笑ってしまった。

「ありがとうジョン。じゃあ付き合って」

 呼んでもらった町馬車で、二人はヒューゴの診療所に向かった。

 貧困街に明りはなく、しんと街中が静まり返っている。細い道となり、御者がこれ以上はいるのは大変だと言いだしたので馬車を降りて二人は歩き始めた。


「ソフィア」

 急にジョンがソフィアの手をつかんで物影に引き入れた。

「どうしたの」

「しっ」

 ジョンの指先はヒューゴの診療所が示されていた。そこには鍵を掛けている彼の姿があった。こんな時間だというのに彼はどこかに出かけようとしていた。一体どこに、と思ったソフィアだったが、彼は何故か家の脇の路地に入ってしまう。あんな細い場所に何かあっただろうか、と考えたソフィアにジョンが言う。


「後を追おう」

 そっと足を忍ばせて、ヒューゴが消えた路地を覗き込んでみる。彼の姿はもうなかったが、ヒューゴの診療所の脇には地下に向かう階段があったのだった。今まで覗き込んだこともなく気がつかなかった階段だ。階段を下りた先には扉があり小さく光が漏れていた。

「なんだか知っている?」

「いや」

 しかし扉は内側から閉ざされているようで開かない。


「……こんな時間に」

 まさか、と思う。

 自分はフローレンスがシナバーだと彼に明かしてしまった。もし、フローレンスが今ここで、中にいたら。

 頭に血が上った。

 ソフィアは力強く一歩を踏み出すと重い金属できた頑丈な扉に手をかけた。


「ソフィア?」

「こ、こっのーうっ!」

 鍵の部分だけ壊せばよかったんだ、とソフィアが気がついたのは思い切り力をふるってからだった。金属の歪む形容しがたい醜い音と、壁の一部が破壊される紛れもない轟音が混ざる。そしてそれが聴覚に対する不快感として臨界点に達した瞬間、扉は壁から引き剥がされてソフィアの脇に放り投げられた。もうもうと舞い上がるほこりの中、ジョンが言う。


「……鍵を壊せばよかったんじゃ……」

「今わたしも気がついたわ」

 あまり後悔した様子も無く淡々と言うと、ソフィアはその部屋に踏み込んだ。

「……ソフィア、ジョン!」

 中にはヒューゴの姿があった。彼は目を見開いて力ずくで入り込んできた友人二人の姿を見つめた。

 ヒューゴは表情こそ今のソフィアの暴挙に驚いているが、瞳はいつもと同じで優しさを保ったままだ。ソフィアは思わず涙ぐみそうになる。

 この穏やかで今までずっと尊敬していた彼が、連続首切り事件の犯人だというのなら、ソフィアはもう何を信じたら良いのかわからないほどだ。


「ヒューゴが、皆を……人々を襲ったの?」

 ソフィアの言葉に、ヒューゴはすぐに言葉を返さなかった。息を飲んでソフィアを見つめる。

「答えたまえ、ヒューゴ」

 ジョンは一歩踏み出し、ソフィアと並んだ。

「君が三人を殺害したのか」

 ヒューゴは一歩下がった。

「言え。ケイト・クラーク、ローズ・ボイル、ハンナ・コールを殺し、マデリーン・レノルズを襲ったのはお前なのか」

「……」

 並べられた名前にようやくヒューゴは口を開く。


「私は殺していない。ただローズとハンナの死にはいくらかの責任は感じている」

「どういうことだ」

 そのとき、ジョンはその部屋の異質さに気がついたようだった。それは厳密には部屋ではない。診療所と同じ空気が漂うなにかの研究室だった。ソフィアもその医薬品や機材が並ぶこの部屋の雰囲気に眉をひそめる。

「……ヒューゴ、ここで何をしていたの?」

「ソフィア」

 ジョンはただ一点を見つめている。それはヒューゴの足元にある妙に細長い……人の身長ほどもありそうな大きな木の箱だ。それを見た瞬間何か不吉さを感じてソフィアの首筋に鳥肌が立つ。

 ジョンはまっすぐにそれを指差して言った。


「あれを開けてくれ」

「……わたしだって怖いんだからね!」

 ソフィアはつかつかと歩み寄る。ヒューゴは諦めたような顔をしてソフィアを止めなかった。その態度にソフィアは胸の痛みを覚えた。


「ヒューゴ、ごめんなさい」

 ソフィアは短く早口に告げた。木箱の蓋と本体の間に指先を入れる。封はされていなかったそれはあっさりと開いた。こめていた力は余ってしまいソフィアは蓋ごと後ろにしりもちをついた。

 いつの間にか後ろに居たジョンが覗き込む。

「……え?」

 ジョンの声には驚きがあって、ソフィアは箱の中を見た。そこには二人が予想していなかったものが入っていたのだった。


「シンシア?」

 呆然とソフィアは呟いた。


 入っていた、というよりは横たわっていたというほうが近いかもしれない。

 ヒューゴの亡き妻が、木でできた棺の中で花に囲まれて横たわっていた。良く似合っている淡い花柄のドレスを着て、まるでただ眠っているかのようだ。

「え?だって……シンシアが亡くなったのは、もう三年も前で……」

 こんな……生前の美しさを残したままなどあり得ない。そもそも土に埋められたのではなかったか。

 基本的なことにソフィアが混乱していた間に、落ち着きを取り戻したジョンはヒューゴに問いかけた。


「埋葬しなかったんだな」

「ああ。石をつめた棺を埋めてもらった」

「どうして……」

 ソフィアの呟きのような質問にヒューゴは端正な顔を歪め、泣き笑いの様な表情を作る。

「どうして?……どうしてだろうね、でもこれほど若くして急死した最愛の妻を埋めてしまうなんて事はその時の私にはできなかったんだ。そして今でもできない」

「そんなことはどうでもいい!」

 よくないわ!とソフィアは思わずジョンを睨みつける。しかしそれを意にも介さずジョンは怒鳴りつけた。


「なぜこれほどにシンシアは美しい!?」

 ジョンが一気に核心に踏み込んだ。ソフィアはふらりと立ち上がるが、ジョンもヒューゴも、そしてその行動をとったソフィア自身も気がつかないほどだった。あまりにも目の前にある物は衝撃的なものだった。三人でシンシアの亡骸の美しさと瑞々しさに圧倒されていた。

「……かつて大学の図書館で読んだ論文のことを思い出したんだ」

 ヒューゴはぽつりぽつりと語り始めた。


「シナバーの患者にとって人の血は必須だ。それなくして生きられない。一方、人にとってシナバー患者の血は特に意味を持たない。人が人の血を必要としないように。では」

「シナバーの患者にとって同じシナバーの血はどういった意味を持つのか?」

 ジョンの言葉にヒューゴは頷く。

「シナバー患者は絶対数が少ないし、誰もそんな馬鹿げたことなんて思いつかなかった」

「知ってはいたわ。だって自分たちのことだもの」

 ソフィアは口を挟む。


「というより、シナバーになったら一番最初に病態について学ぶのよ。同じシナバーの患者の血はまずいって。それにそれじゃ命を支えられない。わたし達を支えてくれるものはあくまでも人の血だわ」

「ソフィア、それでは君は仲間の血を飲んだことがあるかい?」

「それ以降ないわ。だって本当に、死ぬほど美味しくないんだもの」

 研修の時に試しに一匙味わったものの、背筋を震わせるほどの不味さを思い出してソフィアは顔をしかめる。


「……美味しくなくても、意味はあった」

 珍しくジョンはこわばった顔をしていた。そのままヒューゴに向けた言葉は質問ではなく確認の確かさをもっていた。

「シンシアに注入したのか……」

 ヒューゴは棺の前に跪き、シンシアの柔らかい頬に指を伸ばした。


「ちょうど近くにシナバーの患者がいたんだ。貧しい家の子でね。わずかな金銭でスピッツ一本分の血を抜かせてくれた。注入してみれば、シンシアは腐敗もしないでこのままの姿を保てた。ある程度継続的に注入しないとだめだったけど」

「シナバーにシナバーの血を!」

 ソフィアだけが、今まで予想もしていなかったことに悲鳴を上げた。


「それは……ヒューゴ、それはとてもいけないことよ。人が人の血を啜るように、とても酷くて道徳に反したことだわ」

 しかしジョンはソフィアのその言葉に同意も反論もしなかった。ただ、さらに固い表情になっただけだ。そしてその前でヒューゴはため息をついた。

「本当はもっと早くやめるべきだったんだろう。それはわかっている」

「今回の事件とどんな繋がりがあるんだ」

 ゆっくりとヒューゴは首を横に振った。


「わからないよ。ただ、ローズ・ボイルとハンナ・コールは私に血液を提供していてくれた人間だ。二人はやっぱりお金に困っていてね。私だってそれほど多く御礼を用意できるわけじゃないけど、わりと少ない謝礼の条件で血液を分けてくれた。いい人達だったよ。まあわたしも彼女達の親族は優先的に診察したりと便宜は図っていたけど。いつも診療が終わった後、夜遅くにここに来てくれた。そして……首切り事件に巻き込まれた」

 そこでヒューゴはため息をつく。苦悩と後悔が顔に色濃く滲んだ。


「私がこんなことを思いつかなければ、実行に移さなければ、そもそももっと早くにシンシアの死を受け入れていれば。そんなことばかりを考えている。でもやはり諦めきれなくてこの間もフローレンスの血をもらってしまった」

「じゃあ、ヒューゴは殺してはいないのね……」

 今ここで聞いた話の中でようやく見つけた救いにすがりつくような声をソフィアはあげてしまった。


「よかった……!」

「よくない!」

 遮るようにジョンは怒鳴った。


「ジョン?」

「よくない、よくないぞ、まったく。僕は一体何を見ていたんだ。こんな馬鹿馬鹿しい常識に見事に惑わされていた。三百年の道徳め!いや、もうむしろ呪いだ。一体誰なんだこんなことを始めやがって」

 急にいつもからは考えられないような乱暴な言葉を使って自分と何かを罵っている。ソフィアはヒューゴと顔を見合わせる。ヒューゴもこんな彼は見たことがないとばかりにあっけにとられていた。

「アーサーの言うとおりだ、腹立たしい。僕は愚かな勘違いをしていた。今になって気がついた。僕が今まで考えていた事は見当違いもはなはだしかったのだ!」

 ジョンは急にきびすを返した。そのまま先ほどソフィアが破壊して開きっぱなしになっている扉から出て行ってしまう。


「え、ちょっと、ジョン、どうしたっていうの!」

 ソフィアは出口と取り残されたヒューゴを見比べた。ジョンを追うべきかと思った時ふいにヒューゴが手を伸ばしてソフィアの手をつかんだ。ソフィアは困惑して彼を見る。

 ヒューゴがしていたことを知ってもあまり嫌悪感は無かった。ただ、とてもかわいそうなだけだ。善良で誠実なのに愛する人に恵まれなかった彼が。


「ソフィア、ごめん」

 ヒューゴは目を伏せた。あの穏やかな茶色の目が見えなくなって悲しい。励まそうとソフィアは彼の手を強く握り返した。

 自分もお金は無いし、家族ともすれ違っていたし、進みたい道は荊の道だし、何一つ成しえていないけど、だからこそ、苦しんでいる人はわかる。その人にかける気の聞いた言葉は思いつかなくても、あなたのうちに苦しみがあるということだけは誰よりも理解できる。


「大丈夫よ、ヒューゴ」

 一人ではないということだけは、この人に伝えたいと思った。

「あなたがそうしたいと願ったことはわかる。あなたがシンシアを土に還すことができなかった寂しさもよくわかる」

 それから慌てて付け足した。

「わたしも謝らなきゃ。あなたが首切り事件の犯人だと思っていて」


「ソフィア!」

 ソフィアの懸命な言葉を遮ったのはジョンだった。先ほど大急ぎで出て行った彼はなぜか戻ってきたらしい。彼らしからぬ行動にソフィアもヒューゴもあっけに取られた。壊れた扉の前に立っていたジョンは、ぽかんとして動かないソフィアに焦れたのか大きな足取りで向かってきた。

「ジョン、わたしがいることに気がついたの?」

 いつもほったらかしにされているソフィアとしてみれば嬉しいとかそういう問題ではない。ちょっといつもと違うけど、ジョンはどうかしてしまったのだろうかと不安を覚える始末だ。


「君の事はもう忘れない」

 それからソフィアの腕をつかんで、ヒューゴから手を放させた。少々乱暴な動作にソフィアは目をしばたかせた。

「僕にとってこの世のものは二種類だ。好きなものか関心が無いもの。これは前に言ったな。どうでもいいことはすぐに忘れてしまうんだ」

「ああ、そういえば」

「ソフィアは僕という人間をきちんと理解するように」

 いわれた意味がわからずぽかんとするソフィアを引きずるようにしてジョンは歩き始めた。またまっすぐ出口に向かっていく。


「……あなたの好きなものを把握しろってこと?……興味ないからちょっとできかねるわ。ねえわたしは用心棒であってあなたの恋人じゃないのよ?」

 扉を越えた向こうから、徐々に小さくなりつつも聞こえるソフィアのとぼけた返事を聞きつけたヒューゴは。

 その会話の意味を二回ほど反芻してから、小さく噴き出した。

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