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「あら、ジョンはいないのね」
「そうみたいですね」
フローレンスの誘拐未遂が……実際には殺人未遂であった三日後に、ソフィアはまたマデリーンと相対することとなった。
二人が宿泊しているホテルグレイシアに彼女が訪れたのだ。フロントから呼び出されたソフィアは転がるようにして一階のティールームへ駆けつけた。
シックな色調の高い襟のドレスはマデリーンの美しい肌を隠しているが逆に想像を誘ってしまうような艶やかさだ。ティールームでは男性客だけでなく女性客も控えめながら彼女に視線を送っている。どうしても無視できないような華があるのだ。
その向かいにいるわたしは、ぺんぺん草にもなれないような地味さですが。どうしよう比べられたら……と、最初は落ち込んだソフィアだったが、すぐに、わたしのことなんて誰も見ていない!と気がついた。そしてさらに微妙に落ち込む。
マデリーンはジョンを訪ねてきたようだった。しかし彼は外出中で部屋に不在であり、そしてソフィアが呼び出されたということらしい。とはいえ女優マデリーン・レノルズと一体なにを話したらいいのかわからず、ソフィアは彼女を前にうまく口も開けない。
「えっと……」
「ジョンがいなくてちょうどよかったかもしれないわ」
マデリーンは懊悩を滲ませていった。
「あなたとわたくしだけの話にして置いてくれるかしら」
「え、ええ」
「これ」
マデリーンが差し出したのは、一通の封筒だった。宛名も何もない。ペーパーナイフがなかったので、そろりと丁寧に封を切った。中に入っていたのは一枚の紙だった。
そこには、八人ほどの女性の名前が書かれていた。意図がわからず、名前を読み進めていったソフィアは途中で目を見開いた。
その中には二人目の犠牲者ローズ・ボイルと四人目の犠牲者ハンナ・コールの名前が書かれていたのだ。
「……これは」
「二年ほど前に、チャリティ公演を行ったの。その時の演目はレディレッド」
「シナバーの伯爵夫人の喜劇ですね」
「そう。私もシナバーでしょう、だから貧困層のシナバーの女性も何人か御招待したの。とても喜んでいただけたわ」
「素敵ですね」
「これがその時のリスト。でもね、この名簿は、私のマネージャーがとある人の協力で得たものなの」
「そうですね。役所はそんな名簿渡してくれないし、募集しても本当かどうかはわからないから、詳しい人に聞かないと」
「その人がヒューゴ・ウィルシャー」
「え?」
ソフィアは顔を上げてマデリーンをまっすぐに見た。
「貧困街のことに詳しくて、でも礼節と常識がある人ということで探したら真っ先に彼の名前が挙がったらしいわ……だから私はこの間、彼も舞踏会にお呼びしたの」
「どうして、ですか?」
「ねえ、この名簿からすでに二人も犠牲者が出ているのよ。なんだか関係がありそうで怖くない?」
「まさかヒューゴのことを疑って?」
ソフィアは唇を噛んだ。マデリーンとの間の空気が軋む。彼女は同情するような目でソフィアを見ていた。
「……彼が犯人というつもりはないけれど、何か関係があるんじゃないかしら。それに彼はシナバーについての造詣も深い」
「ヒューゴはそんなことをする人じゃ……」
ソフィアの表情が固くこわばっているのを見て、マデリーンはやがて小さな声でごめんなさいと呟いた。
「そうね、失礼な話だったわね」
マデリーンはテーブルの上にあった、ガラス製の灰皿に、その紙を小さく折りたたんでおいた。クラッチバックから出したマッチに火をつけると、紙の上にそっと置く。ゆらゆら揺れていた炎はやがてすうっと静かに立ち上がり、紙を燃やしていく。
「忘れてちょうだい」
「なぜわたしにこんな話を?」
「舞踏会でヒューゴが、あなたとは長い付き合いでとても可愛い妹のようなものだとお話していたから。彼と親しいあなたなら彼のことを理解しているんじゃないかしらと思ったの。だからジョンに話す前にあなたの評価を聞こうと思って」
ヒューゴを疑うわけではない。しかし突然の話に心臓がばくばく音を立てている。この間のヒューゴのちょっと奇妙な行動が気になっていた。
「あ、あなたはどう思いました?」
マデリーンは微笑む。
「とても立派な人だと思ったわ……でも人が何を考えているかはわからないものよ」
その言葉にはマデリーンの今までの人生が秘められているような気がした。パーティでの後輩女優の言葉を思い出す。出し抜いたり引きずり落としたり、そんな世界で生きてきた彼女ならではの苦悩が感じとれた。
「ジョン・スミスだって、何を考えているのか……」
「そういえば、あなたはジョンのことに詳しいのですか?」
「ジョン・スミスを知らない上層階級の人間なんて逆に珍しいんじゃないかしら……あら?もしかしてあなた彼のこと知らないの?」
「え、えっと。先日雇われたばかりの秘書でして……」
マデリーンは、まあ、と意外そうな顔をした。
「別に口止めされているわけではないから、いつでも教えてあげるけど、ちょっとここでは話しづらいわね。どうかしら、明日、私の家に来てくださらない?この間の舞踏会ではあまりお話も出来なくて残念だったから」
「え、いいんですか?」
「私がどうかうちに来て?とお誘いしているのよ。受けてくれたら嬉しいわ」
マデリーンは驚くほどの感じのよさでソフィアに頼んだ。年上の、しかも人気女優にそこまで言われたら悪い返事は出来ない。
「よろこんで」
「じゃあ午後一時に。昼食をご一緒しましょう?馬車を迎えに寄越すわ」
「ありがとうございます」
「だからというわけではないけれど」
彼女は微笑みを絶やさずに言った。
「どうかウィルシャー先生のこと、なにか心当たりがないか考えてみて」




