第100話/Blood
第100話/Blood
「ぅ……」
どうしたんだ?体が、ものすごく重い……
「きっ、キリーちゃん!ユキくん、ユキくんがっ!」
「えっ!?」
目を開けると、俺の体の上にキリーがのしかかっていた。どうりで、体が重いわけだ……
「っ!」
「え。んむぐ……」
唇がやわらかいものに覆われた。と思った瞬間、鼻と後頭部にガツンと衝撃が走った。うぐぐ……
「あーーーー!」
「ちょ、ちょっとキリー!」
俺の目の前に、キリーの顔があった。長いまつげが涙にぬれている。こうして見ると、やっぱり美人なんだよな……けど、キスは下手くそみたいだ、鼻がまだじんじんしてるぞ……
たっぷり五秒はたってから、俺はようやく解放された。
「ぷは。き、キリー……おはようのあいさつにしては、強引すぎやしないか?」
「目が覚めないよりはましでしょ?ほんとによかった……!」
首に手を回して、キリーがぎゅっと抱き着いた。さらさらの髪を優しくなでる。
「心配かけたな。きみとの賭けが残ってるから、まだ死なないさ」
「うん。うん……!」
俺をぐるりと取り囲むように、みんなが俺を見下ろしていた。その目には涙のあとが残っている……ずいぶん心配させてしまったようだな。
「ユキくん、よかった……よかったぁ!」
スーがわっと泣き崩れる。まいったな、どうすれば泣き止んでくれるんだ。おろおろする俺を見かねて、アプリコットが助け舟を出してくれた。
「ほらスー、落ち着きなさいな。いつまでもぐーぐー寝てたコイツも大概だけど、泣き止んで?悪いのはユキなんだから」
「ぐす、ぐしゅ……うん……そうだね」
あれ、あんまり助けられてないな?
アプリコットは、キッと俺を睨みつけた。
「ほんっとに、もう!ユキ、あんた二度と死ぬんじゃないわよ!今度死に掛けたら、ぶっ殺してやるんだから!」
「……ああ。努力するよ」
アプリコットは乱暴に目元をごしごしぬぐった……素直じゃないな、相変わらず。
「けど、おかげで得るものもあった。やっと、記憶を全部取り戻したんだ」
「え!昔のこと、思い出せたの?」
「ああ。天使が二人ほど、俺にプレゼントをしてくれたんだ」
「はあ?」
アプリコットは怪訝そうな顔をしている。まだ寝ぼけてんの?と言いたげだ。
「センパイに……記憶が……」
そうぼそりとつぶやいたのは、黒蜜だった。記憶が戻った今なら、黒蜜のこともはっきり思い出せる。彼女に話したいことは、たくさんあった。
「なあ、黒蜜……」
「ほら、キリー。そろそろどいてあげないと、ユキが起き上がれませんよ」
ちょうど俺が口を開いた時、ウィローがぽんぽんとキリーに呼びかけた。
「あ。ごめんね、ユキ」
「あ、ああ……」
仕方ない、黒蜜とは後で話そう。俺は手をついて、体を起こそうとした。
「っと、あれ?」
どういうことだ?キリーがどいたのに、体が起き上がらない。いや、そうじゃない。腕に力が入らないぞ……?
「な、んだ、これっ……くそ」
「ユキ?どうかしたの?」
キリーが不安そうに俺に寄り添う。キリーに支えられて、俺はなんとか起き上がることができた。
「どうなってる……力がまるで入らない」
それだけじゃない。なんだか、さっきから妙に息苦しかった。
「ユキ、無理しないで。あれだけ大けがしたんだもん、当たり前だよ」
「あ、ああ……そう、かもな」
それにしては、少し違和感があるが……気を失ってる間、体になにかあったのだろうか。
「そういえば、俺はあの後どうなったんだ?」
見た限り、出血は止まっている。俺の体は血で汚れていたが、その下の傷口はふさがってるようだ。
「覚えて無いの?すごかったんだよ、部屋中ユキの刺青で真っ赤に染まっちゃって。てっきりユキが何かしたのかと思ったんだけど、そしたらユキも気を失っちゃうから」
ああ、そうか。確か、唐獅子の力を使って、死を追い払ったんだ。
「そういえば、あの二人は?」
「え。ああ、あの十字の人と女の子?だいじょうぶ、ちゃんと生きてるよ」
そうか、よかった。唐獅子は、クロとキューのことも守ってくれたらしい。クロとは因縁も深いが、こんなところで死なれてはキューが可哀想だ。
……だが、大事なことを忘れている気がする。以前、ルゥを助けた時。あの時は俺自身は何ともなかったが、代わりに唐獅子の片目が閉じてしまった。そして、今回は二回目だ。ということは……
「そうだ、刺青!キリー、俺の刺青、どうなってる?」
「え?刺青?」
「俺の唐獅子は、どうなった?片目だけになってただろ?」
そこで、キリーも俺の言いたいことを察したようだ。この前は、片目を失った唐獅子。なら、次は……
キリーは慌てて俺のシャツをめくった。みんなもその様子をかたずをのんで見守る。
「ない……両方とも、閉じちゃってるよ!」
「やっぱりか……」
死をも退ける、唐獅子の力。だがその力も、無制限に使えるわけじゃない。代償は必ずあるはずだ。
「それだけじゃない……唐獅子の色が……」
「……メイダロッカ、私にも見せて」
ステリアが、深刻そうな顔で俺の背を覗き込む。
「墨の色が、すべて失われている。まるで、獅子の魂が抜け落ちてしまったよう……」
ステリアがはっとした。魂が抜け落ちた。それが、この力の消失と関係しているのだとしたら。
「唐獅子の力が、なくなってしまったのか……?」
俺は、手を握って拳を作ろうとした。が、自分の手じゃないみたいに、まるで力が入らない。唐獅子の消失は、怪力だけでなく、俺自身の筋力すら奪って行ったみたいだ。
「で、でもさ。ユキは、まだ目が覚めたばっかりじゃない。ゆっくり休めば、元気になるかも……」
「キリー。確かにそうかもですが、ここは敵のアジトの真っただ中なんですよ。とりあえず、今すぐにでも動かないと」
「う……け、けど」
「キリー、ウィローの言う通りだ。それに、あまり悠長にもしていられない。このアジトには、恐らく……爆弾か何かが仕掛けられている」
「え?どういうこと?」
キリーが目を丸くした。
「リーマスの策略だ。あいつは、夜明けにはこのアジトごとふっ飛ばすと言っていた。ここごと、俺たちを一掃するつもりなんだ」
「そ、そんな……」
キリーはおろおろとあたりを見回す。逃げ場所を探しているようだったが、このアジトすべてが爆発するなら、逃げ場なんてどこにもない。
「だから、早くヤツを止めないと……ゴホッ。アイツを逃がしたら 、ここが俺たちの墓場になってしまうぞ!」
「で、ですが、ユキ。リーマスを止めるといっても、誰がそれをできますか……?」
ウィローは力なくうなだれた。あらゆる刺青の力を持つリーマス。ウィローでさえ歯が立たなかった相手を、どうやって倒せばいいのか。
「……俺にも、答えは出せない。けど、このままむざむざ死を待つだけなんて、まっぴらごめん……グホ、ゴホホッ!」
「ユキ!」
激しく咳き込む俺を、キリーが心配そうにさする。胸の動悸は、さっきよりひどくなっていた。
「ユキ、どうしたの?」
「ごほ……どうにも、息苦しくてな……」
俺の様子を見て、リルが眉間にしわを寄せた。
「まずいことになったね……」
「ああ……どちらにせよ、ここを離れないと……」
「いや、そっちもだけど、君自身がだよ。ユキ」
「え?俺か?」
リルが真剣な顔でうなづいた。
「筋力っていうのは、人間には必要不可欠だ。心臓の筋肉で鼓動を起こし、横隔膜で息をするのだからね」
「え?じゃ、じゃあ筋力が弱ったら……」
「最悪、命に危険が及びかねない」
命に……そうじゃなくても、この状態で一歩も動けないというのは、致命的だった。
「そんな……せっかく目が覚めたのに!」
キリーが激しく首を振る。
「どうにか……できないのですか?」
ウィローが弱々しくたずねる。だが彫師であるリルとステリアも、こうした事態ははじめてのようだった。
「ユキくん……」
スーが俺のそばにひざまずくと、ぎゅっと手を握った。
「今まで、ユキくんにいっぱい助けてもらったのに……何もできないなんて」
「スー……」
「わたしの力なら、いくらだってわけられる。全部あげたっていいよ。だから……」
スーは力なくうなだれてしまった。だがその時、リルがはっと目を見はった。
「力を、わける……それだ」
「え?」
「スー!今すぐ服を脱いでくれ!」
「え?ええ!?」
リルにまくし立てられて、スーはおろおろしている。スーがためらいがちにズボンのベルトに手をかけたところで、アプリコットがずいと割り込んだ。
「ちょっと!意味わかんないわよ。ちゃんと説明して!」
「はっ!そ、そうだよ!まずは説明だよね、うん」
スーは慌ててベルトから手をはなした。
「そんなことしてる場合じゃ……いや、ちゃんと言っておくべきだね。けど知っての通り、時間はあまりないから、手短にいくよ」
リルはふうと息をつくと、簡単に説明した。
「みんな知っての通り、私は彫師だ。私はその中でも、墨の継ぎ足しが得意でね」
「継ぎ足し……?牢屋の中で、ユキにしたってやつ?」
「そう。あれを使えば、ユキを助けられるかもしれない」
「え!そんなことできるの?」
「わからない。けど、目が無くなったなら、書き足せばいいと思わないかい?」
「え。いや、まぁ、理屈は確かにそうだけど……」
そんな簡単な問題かしら?とアプリコットは疑わしげだ。
「やってよ、リル。ユキが少しでも助かる方法があるのなら、やるべきだよ!」
キリーが声を張り上げる。
「ああ。けど、相応のリスクもあるんだ」
リスク。この前、牢獄で墨を継ぎ足した時は、俺は劇的なパワーアップを果たした。が、その効果が切れた瞬間、猛烈な疲労感から気を失ってしまった。
「継ぎ足しの効果は、やってみなければわからない。前例があるから、いくらかは信頼できるとは思うけど……それに、血を抜かれると、しばらくは満足に動けなくなるんだ」
「え?血を……抜かれる?」
「そう。あの刺青には、人間の血液が必要なんだ。それも、自分以外の血で、一度使った血は二度と使えない。だから君たちの中から、それを選ばないといけないんだが……」
「わたしがあげる!」
「わ、わたしもっ!」
「ユキのためなら、惜しくはありません」
「それで助かるなら、安いもんだわ」
「唐獅子に死なれちゃ、私も困る」
「……だってさ、ユキ。君は人気者だね」
リルはにこりと微笑んだが、俺はそれを返すどころではなかった。
「リル、待ってくれ。それじゃあ……」
それじゃあ、リーマスを止められる奴が誰一人としていなくなるじゃないか。正直、ウィローですら歯が立たなかった相手だ。俺たちが束になってかかっても、敵うかどうかはわからない。だが継ぎ足しのために力が弱まってしまったら、砂粒ほどの勝ち目が完全に絶たれてしまう。
「ダメだ、みんな。俺のことは気にせず、リーマスを……」
「ふざけないでっ、ユキ!」
っ。キリーが、大声で怒鳴った。
「リーマスのことなんてどうでもいい!今は、ユキが大事なの!」
「い、いや。しかし。爆弾を起爆されたら、みんなが……」
「でももオクラもない!ユキが死んじゃったら、何の意味もないでしょ!」
……オクラじゃなくて、ヘチマだ。とは、とても言えない雰囲気だった。
「今はユキをなおす!これは組長命令だよ!」
「……ユキ。キリーがこれだけ言ってるんだ。この子の気持ちがわからない君じゃないだろう?」
リルが、諭すように語り掛ける。
「それに、今回は五人もの血を使うんだ。もしかしたら、まだ見ぬ奇跡が、起こるかもしれないじゃないかい?」
「無茶な……希望的すぎる」
「絶望的よりはマシだろう?それにほら、みんなも」
リルがあごでしゃくると、五人の瞳が、俺を見つめている。
俺は、ガシガシと頭をかいた。
「……わかった。頼む、リル」
「了解だ」
リルは懐から銀色の針を取り出すと、指先でくるりと回した。
「だけどこれが終わったら、全力でここを離れるぞ。逃げるだけの時間なら、なんとかなるかもしれない」
「そうだね。では、早速始めよう。みんな、いいかい?」
「うんっ」
五人はいっせいにうなずいた。だが黒蜜だけは、首を横に振った。
「……ウチは、やめとくっす。兄妹なら、血も似てるはずっすから。きっと力になれないっすよ」
「黒蜜……」
黒蜜は寂しそうに言った。確かに、黒蜜の言うことはもっともだ。それに刺青のことは、俺にはさっぱりわからない。声を掛けようと思ったが、何と言えばいいのかわからなかった。
「……そうだね。では、黒蜜君と私を除いた五人の墨を、ユキ。君の背に刻むよ」
「わかった……やってくれ」
「よし。それじゃあみんな。服を脱いでくれるかい?」
「う゛っ。やっぱりそうなるの……」
かえるが潰れたような声で、スーがうめいた。
つづく




