伯爵令嬢は我が道を行……きたかった……
私には、『幼馴染』が居る。
まあそれ自体は別にいい。幼馴染くらい、居る人の方が多いものだろう。
問題は、その幼馴染が色々と面倒くさい人物である、という一点に尽きる。
我が家は国から伯爵位をいただいている、要するに『貴族』だ。そして領地なんかを持っていない、『宮廷貴族』と呼ばれるものだ。
そもそもが商売で成り上がって、国から爵位を貰った家らしい。『らしい』というのは、家の興りに関して無頓着な人間が多かったらしく、記録などがほぼないからだ。
我が家に記録が残っていなくても、国の方には記録が残っている。それを調べた結果、そうであったらしい。……なんといい加減な家なのか……。
まあそんな感じのゆる~い家だ。
そもそも、今でこそ『伯爵』だが、ちょっと前までは子爵だったのだ。それが色々あって伯爵になったのだ。
子爵くらいのゆるっと感で良かったのになぁ……。
これは母も同じような愚痴を言っている。
伯爵から上の爵位となると、『高位貴族』となるのだ。その分、参加する行事などの義務が増える。それがまあ、実に面倒くさい!
お貴族様社会など、優雅であるどころか、ドロドロぐちゃぐちゃの愛憎劇の舞台でしかない。特に嫉妬は怖い。
我が家は商売が上手くいっているので、より一層、周囲からのやっかみなんかはあるようだ。
……下手な侯爵家よりも、資産は上だもんね、ウチ……。
嫉妬の理由はそれだけではない。
父は国王陛下の側近だし、母は王妃陛下の学友なのだ。
そういう『国王夫妻と個人的な繋がりがある』というのを、曲解されてやっかまれるのだ。つまりどういう事かというと、我が家の商売が上手くいっているのは、両陛下が便宜を図ってくださってるのでは……とという事だ。
「お偉い方々と親交があって、羨ましい限りですなぁ」みたいな。
しかし、だ。
そういう事を言ってくる連中というのは、両陛下を甘く見過ぎている。というか、陛下方の為人をご存じないのだろう。知っていたなら、口が裂けてもそんな事は言える筈がない。
あのお二人が、ご自身の友人・知人の為に特別に便宜を図る……など、する筈がない。
むしろ、個人的な知己であるからこそ、他よりも厳しい目で見てくるような方々だ。そしてもし、こちらが勝手に彼らの名を騙ったりなどした場合、不敬罪にもなるのだが、それ以前に陛下方個人からの制裁が下るだろう。
法を司る側であるからこそ、不正を絶対に許さない。
彼らはそういう人種だ。
まあ、我が家の商売に全く恩恵がない訳ではない。お二人の人気に肖った商品なんかも扱っているし。
けれどそれは、どこのお店でもやっている事でしかない。特別に一筆いただくだとか、そういう事がある訳ではない。
ただお二人をイメージした装飾品だとか、図案だとか、そういうものを勝手にこしらえて、勝手に売っているだけだ。
まあ、我が家と王家の接点など、その程度でしかない。
……とはいえ、私くらいの歳で両陛下にお目通りした事がある……というのは、結構レアな事だろうけれど。
私は現在、十五歳だ。
女性の成人は十六歳なので、まあまあいい歳だ。
私より二歳年長に、王太子殿下がいらっしゃる。なので、その前後数年は貴族の子供が増える。私はばっちりその『子供の多い年代』なのだ。
さて、そこで冒頭へ戻る訳だが――。
貴族の子供が多く居る年代なので、友人・知人は多い。その中に、幼少の頃からずっと付き合いのある『幼馴染』というものが居る。
これは、親の影響が大きい。
親同士に親交があり、何かの折に触れ互いの家を行き来し……という形で知り合い、友好を深めたからだ。
……いや、『友好』、深まってないな……。うん。深まってない相手もいるな。
『子供の頃からよく知っているけれど、別に仲良くない』という相手は、何と呼ぶのだろうか。そういうのもひっくるめて、全部『幼馴染』でいいのだろうか。……まあいいか、何でも。
先にも言ったが、私の父は国王陛下の側近だ。陛下の側近という方は、父以外にもうお二人居る。
陛下の三人の側近は皆、共闘意識のようなものがあり、プライベートでも親交があるのだ。故に私は、そのそれぞれの家のご令嬢・ご令息と幼馴染なのだ。
私には三つ年上の兄が居るのだが、兄と側近ご令息ズはとても仲が良い。
兄は『ノリと勢い』を体現して生きているような人間なのだが、アリスト公爵子息はそれを面白がって後押ししてくれる。そして、責任は一切取らない。とても『イイ性格』の持ち主だ。
その二人を笑顔で諫めてくださるのが、オーチャード侯爵子息だ。お父上が穏やかな性格をなさってらっしゃるからか、彼もまた、いつも笑顔で気さくで穏やかな人柄の青年だ。
兄には彼ら以外にも、父方のイトコたちという『悪友』がたんまり居る。
父自体、三人兄弟の末っ子という立場だったのだが、このイトコたちも揃いも揃って男ばかりだ。しかも五人も居る。そして性格が兄によく似ている。つまり『面倒な人×5』だ。
兄を含め、イトコたちの共通点としては、全員揃って優秀な頭脳を持ち合わせているにも関わらず、それを下らない事にしか使わない、という点に尽きる。……まあ、時としてその『下らない思い付き』が予想外の実を結んだりもするので、大人たちには静観されているけれども。
そんな『兄と悪友たち』であるが、私や他の家の女の子には優しい。……尤も、『彼らにしては』という注釈は付くのだが。
兄とイトコたちが六人そろって「お兄ちゃんが六人居るみたいで、嬉しいだろぉ~?」と言ってきた時は、思わず真顔で「は!?」と返してしまったものだ。
……一人でも面倒なのだから、増殖しないで欲しい。
まあでも、イトコたちは面倒なのだが、彼らは平民なので扱いは雑で大丈夫なのだ。その辺りはラクでいい。
相手がアリスト公爵令息となると、あちらの方が比べるべくもない程に身分が高い。なので彼が何かロクでもない事をしようとしていても、安易に突っ込む事すら許されない。
その点イトコたちであれば、手近にあった何かのフライヤーを丸めたもので頭をスパーン!とやっても許される。……後に個人的な報復は受けるが。
まあそんな厄介な幼馴染たちが居るのだ。
私の身分は『伯爵令嬢』だ。
家を継ぐのは兄と決まっているので、私には決まった将来のビジョンのようなものはない。……家を兄が継ぐのは、兄が幼い頃から「おっきくなったらお父さんみたいな商人になって、国で一番の大金持ちになる!」と言っていたからである。『長子相続』とかそういう理由ではない。兄が自分でやりたがった、というだけの話だ。
そして私は両親から、「人が好過ぎて商売に向いてない」と苦笑いされている。
……そんな事もないと思うけど。ていうか、お父さんの「金はあるだけ毟れ!」っていう教え、どうかと思うんだけど……。お母さんの「身包みは剥ぐな」もどうかと思うし……。
両親は『お金が好き』なのではなく、『お金を稼ぐ事が好き』なのだ。根っからの商売人気質だ。
稼いだお金は「これくらい残っていればいい」という額を残して、工場や職人に投資したり、新事業に投資したり、社会福祉活動に寄付したりしている。おかげで、平民や職人たちからの我が家の評判はすこぶる良い。……本人たちの考えはアレなのに……。
その気質は兄にしっかり受け継がれている。
そして私はと言えば、あまり商売に向いていなかった祖父母の気質を受けついだようだ。
角が立つのを嫌い、いつも笑顔で人当たり良く、人が好く騙されやすい……。周囲からはそういう評価だ。
両親からは「好きなように生きればいい」と言われている。
元々、貴族ではあるのだけれど、家に出入りする商人たちや、職人たちとの交流の方が多い家だ。貴族社会のあれこれなどには、滅法疎い。
そんな私であっても、伯爵令嬢である。我が家と縁を結びたい家などから、縁談の申し込みはある。
縁談を受けるか否かは自分で決めて良い、と両親からは言われている。恐らく、余りにも問題がありそうな家などは、事前に両親が除外してくれているのだろう。「こういうお話があってね」と勧められた縁談のお相手は、皆まともな人だった。
初めて縁談の話があったのは、私が六歳の頃だ。まあ貴族界隈であれば、幼少の頃に婚約者が決まっているというのは珍しい事ではない。
爵位が高くなればなるほど、早々に婚約者を定める傾向もある。
高位貴族がそうして早めに伴侶を選ぶのは、政治的なあれやこれやが一番の要因だ。他には、家が特殊な事業を営んでいるだとかの場合は、早くに伴侶を定め、幼い内からその家のやり方に慣れてもらう……という目的もあったりする。
我が家はというと、兄は自分で勝手に相手を見つけてきた。正確に言うなら、アリスト公爵令息からの紹介なのだが。
「気が合いそうだと思って」と紹介された子爵家のご令嬢で、出会って三日後には「将来、ウチに来るか!」「いいわね!」と笑い合う仲になっていた。
……既に予想は付くだろうが、この未来の義姉となる女性は「おもしれー女」だ。
ヘイワード子爵家という家の出身なのだが、この『ヘイワード子爵』という称号は実は、アリスト公爵が所有していたものだ。
公爵の弟君が婚姻され、彼とその家族とが領地の領官となるにあたり、公爵が「箔付けも必要だろう」と譲ったのだそうだ。
ヘイワード子爵はとても穏やかな方で、夫人も穏やかで静かな方だ。その二人の娘である彼女も、いつもにこにことした女性なのだが、『経営』というものには並々ならぬ情熱がある。
本当は両親の後を継ぎ、アリスト公爵領の経営に携わりたかったらしい。けれどそれは彼女の弟の役目となってしまったので、彼女はイトコである公爵令息に「何かいい縁談などはありませんか?」と尋ねたのだそうだ。
兄はそんな感じでとんとん拍子で相手が決まったが、私に関しては全く決まらなかった。
有難い事に縁談の申し込みはあるし、実際、何人かとは直接お会いしてみたりもした。
皆、悪い人ではない。むしろ、貴族にしては善良すぎて「大丈夫!?」と言いたくなる方も居た。……人が好過ぎると言われる私に言われたくはないだろうが。
ただ、お会いしてみたどの方も、『何かが足りない』と感じてしまったのだ。
なんて言うか……、ちょっと薄味でパンチのないお味の料理を食べた時、感想を求められて「優しいお味ですね」って言うみたいな?
別に不味い訳ではない。ただもうちょっと、お塩なりなんなりを足してもらえたら、個人的にはもっと美味しいと思うんだけどなー……という時に使う、とても便利な誉め言葉だ。
縁談相手として、私がお会いした方々は、総じてそういう人だった。……とはいえ、三人でしかないが。
三人目のお相手をお断りした後、兄・イトコたち・公爵令息などが揃いも揃って薄ら笑いを浮かべながら、「何なら誰か紹介しようか?」と言ってきたのを見て、私は悟った。
彼らが薄味だったのではない。
私の周囲に居る、この『個性的』という言葉で済まない連中が濃すぎるのだ!! と。
私はすっかり濃い味に慣れてしまったのだ……。当たり前に穏やかで柔和な方を『薄味』と感じてしまう程に……。
何と……、悲しすぎる事態だろうか……。
けれどこの『濃い味体質』は、環境によって醸成されてしまったものだ。治そうと思ったら、家を離れるしかない。
そこまで考えて、私はひらめいてしまった。
『家を出る』という選択肢だ! それじゃない!? うん、それだよね!!
面倒くさい貴族社会(と幼馴染ーズ&イトコーズ)とは縁を切り、家を出て、一平民として倹しく慎ましく暮らす。
いいんじゃない!?
そんで、もし出会いとかあったら、その人と一緒になって……、ステキじゃない!?
幸い我が家は、貴族家とはいえ、贅沢とは無縁の家だ。ぶっちゃけてしまうと、平民であるイトコたちの方が贅沢な暮らしをしている。そんな家だ。
女一人で暮らすとなると苦労もあるだろうが、そんなものは市井の人々皆がしているものでしかない。私に出来ないという道理はない筈だ。
善は急げと、その考えをそれとなく両親に告げてみた。
いくら両親がゆるい考えの人たちとは言え、反対なんかをされるだろうか……。そうした場合、どうやって説得しようか……。そんな風に考えていたのだが。
「うん、いいんじゃない? それもそれで、一つの生き方だよね」
……とてもあっさり賛成された。
ただ兄だけが「いや、無理だろ!? 一人とか、絶対無理じゃん!」と騒いでいたが。て言うか、『絶対無理』って何だ。何が『絶対』なんだ。
「でもまあ、女の子一人で暮らすっていうのは、大変は大変だろうから、準備と下調べはしっかりね」
母にはそう言われた。それはご尤もだ。
なので私は、手近な我が家の商会傘下の小さなお店のお手伝いをさせてもらう事にした。一応、身分は伏せてだ。
お店の店長さんはとても良い人で、私が「早く独り立ちしたくて……」と言ったのを、『家に負担を掛けない為に頑張る子』と解釈してくれたらしい。
おかげで、色々な事をとても親身になって教えてくれた。
店長さんのおかげで、一年も経つ頃には、一人でお店番を任されるまでになっていた。
私、一人でもやっていけますかねぇ? と店長に尋ねたら、店長は「シャロンちゃんなら、どこ行っても大丈夫なんじゃないかな」と笑いながら答えてくれた。
リップサービスを含んでいたとしても、それでも嬉しいものは嬉しい。
十六歳で成人とされるので、十六になったら家を出よう、と準備を進めていた。
母には「デビューの大舞踏会は経験しときなよー!」と言われたが、貴族籍を抜けるというのに参加してどうするのか。(そして参加するとなったら、その為の準備諸々が非常に面倒くさい)
母の言い分としては「一生消えない心の傷を負ってきなよ!」との事だったが、余計に嫌だ!! 何故、自分からそんなものを負いに行かねばならないのか!
……お母さん、自分が大舞踏会でちょっと心に傷を負ったからって……。人を巻き込まないでよ……。
因みに母の『心の傷』とは、大舞踏会の会場で衆人環視の中コケた、というものだ。その後三年間くらいは「ああ……、あの時の……(笑)」的に言われたらしい。
大舞踏会は欠席する事に決め、家を出る為の準備を着々と進めていた、十五歳の春。
予想もしなかった事態が起こってしまった。
私に、とても久々の縁談がやってきたのだ。
どうやらお断りするのが難しい相手らしく、両親から「取り敢えず、一度だけは会っておきなさい」と言われてしまった。
今までなら「どうしてもイヤなら、先方にそう言ってお断り出来るけど、どうする?」と言われていたのを考えると、これは異例の出来事だ。
まあ、会うだけならいっか。そのあとでお断りも出来るだろうし。
人間的にアレだとか、家がアレだとかなら、両親はそもそも話を持ってこないだろうし。
そんな風に軽~く考え、「まあ、会うだけなら……」と頷いたのだが。
その選択は果たして正解だったのか、間違いだったのか……。
顔合わせの当日、「どうせ断るから……」と、お相手の名前すら聞いていなかった事に気付いた。あらかたの貴族家の名前は頭に入っている。商売の基本だ。
断れない筋となると、この辺の家かなー……などと考えつつ、両親にお相手の名前を尋ねてみた。
そこで、予想外の名前を聞かされる羽目になるのだが。
「エドワード・マクナガン次期公爵だよ」
……は? マクナガン公爵家……? マクナガン公爵家って、あのマクナガン公爵家……?
「どのだかは知らないけど、この国に『マクナガン公爵家』は一つしかないなー」
あははーと呑気に笑う父の鳩尾にチョップしたら、父は「グッ……」とおかしな声を立てて蹲ってしまった。
だってマクナガン公爵家って言ったら! 今の王妃陛下のご実家で! 国内で一番広大な領地を管理してて! 資産額は他の追随を許さないレベルのダントツトップで! でも社交界に一切顔を出さないから謎しかない、あのマクナガン公爵家でしょ!?
しかも次期公爵のエドワード様って、両陛下のご子息だよね!?
ていうか、何でそんな方から縁談が来るの!?
両親に向かってそう言ったらば、母は何故か私から目を逸らし、父も言い辛そうに目を伏せてしまった。
何なの、そのリアクション!
「いや……、何でウチに? は、俺も不思議だったから、陛下にお聞きしてみたんだよ……」
陛下に! ……いや、でもそうなるのか。陛下のご子息様なんだし……。
で!? 陛下のお答えは如何に!?
父に詰め寄ると、父は更に言い辛そうに俯いてしまった。
「……多分……、面白そうだと思ったからではないか……と……」
「なーんそれ!!」
思わず叫んでしまった。
貴族の淑女にあるまじき行いであるが、私の叫びに両親は揃って「分かる」と言いながら頷いていた。
いや、「なんそれ!」でしょ! 面白そうって! そんな理由で縁談申し込んでくるって、アリなの!?
「マクナガン公爵家なら、あるかもなー……」
ははは……と、虚ろな笑いで父が言う。
「でも、シャロンの希望通りではあるんじゃない?」
母に言われ、私は思わず首を傾げてしまった。『希望通り』? 何が?
「『貴族社会の面倒なアレコレと距離を置きたい』んでしょ? マクナガン公爵家なら、社交とかしないから」
……それは確かに。
あの家の『一切の社交活動をしない』は、有名だ。そして徹底されている。
王家から養子に行った、血筋は王族である筈のエドワード様ですら、私はお顔も知らない。父は何度かお城で見かけた事があるらしい。母は「私は会った事ないな~」と呑気に呟いている。
お城で見かけたという父曰く「流石にあのご両親の子供だけあって、キラっキラした美少年だな」との事だ。
だが、その『キラっキラした美少年』は、お城の庭の木に登り、その木を伝ってベランダに降り立つ……という意味不明の行動をしていたらしいが。
従者らしき人が困惑する騎士様に「何か投げるものありませんか? 撃ち落としましょう、アレ」と呆れたように言っていたらしい。
……ていうか、どういう人なの……?
「エリザベス様曰く、『野生の王子』だな」
野生の……王子……?
『天性の』とか、『生粋の』じゃなくて、『野生』とは……。
「まあ……、良く言えば『型に嵌まらない』。正直に言うなら『意味が分からなくて怖い』……かな」
えぇぇーー!? 大丈夫なの、その人!
「いや、まあ、悪い人ではないと思うよ。……善人でもないだろうけど」
ホントに!? ホントに大丈夫なの!?
「もしどうしても合わなそうなら、私からエリザベス様にお願いするよ。大丈夫よ」
私を安心させるように笑いつつ言う母に、「絶対だよ!? 絶対、ダメそうなら助けてよ!?」とお願いし、私は不安しかない顔合わせの準備に取り掛かるのだった……。
顔合わせの当日、私と両親は玄関で公爵家の馬車を待っていた。
そこへやってきたのは、公爵家所有とは思えない、年季の入った乗合馬車だった。
「え、何で……?」
公爵家だよね? 何で乗合馬車?
そう思っていたら、私の隣で母が息を呑んだのが分かった。
「あれは……、お忍び号DX……!」
……は? なんて??
怪訝な思いで母を見ると、父も同じような顔で母を見ていた。けれど母は感激したように馬車を見つめるばかりで、何も答えようとしない。
母が小声で「生きとったんか、ワレェ……」と呟いたのが聞こえたが、どこの言葉?
到着した馬車からは、父の言っていた通りのキラっキラの美青年が下りてきた。
私より一つ年上だから十六歳だ。その歳の割に、大人びた印象がある。
兄上である王太子殿下は、きりっとした美形だ。その殿下とは真逆といった感じの、ふんわりとした甘い顔立ちのイケメンである。
「初めまして。エドワード・マクナガンと申します」
その挨拶に、まず父が名乗り、母が続き、私の番になった。
「お初にお目にかかります。シャロン・フローライトと申します」
あ、皆様には申し遅れました。わたくし、シャロン・フローライトと申します。母はマリーベル・フローライト伯爵、父はポール・ネルソン・フローライト財務大臣です。
挨拶をして顔を上げると、エドワード様とばっちり目が合った。キラキラしたキレイな緑色の目が、私と目が合った瞬間、いかにも楽しそうに細められた。
「お噂は、かねがね聞いております。いやー、会えて嬉しいなぁ!」
え!? どこでどんな噂になってんの!?
知ってる!? という思いで母を見たら、母が私の動きに合わせるようにすい~っと視線を逸らした。
お母さんが犯人か!!
大方、母が王妃陛下に私の話などをしているのだろう。そしてその話が、エドワード様の耳にも入って……で、今回のこの縁談だ。
ちょっとお母さん! 何してくれてんのよ!!
私の……、十六歳になったら家を出る計画が……。
いや、まだだ! 諦めたらそこで試合終了だと、母がいつも言っているじゃないか!
まだ、このお話が破談になる可能性も十分に残っている!
……そう、期待したのだが……。
場所を我が家の応接室に移して、縁談の顔合わせとなったのだが。主に話をしていたのは、私ではなく父と母だった。
何故なら、エドワード様が縁談の手土産に……と、マクナガン公爵家との資本業務提携の話を持ってきたからだ。
そんなの! この両親が食いつかない筈がないじゃない!!
マクナガン公爵家が所有する工房・工場は、国内でも屈指の品質を誇る製品を産み出しているのだ。それを幾つか、我が家で自由に使えるとか! ああ、ほら! もう二人とも、この縁談に前のめりじゃん!
……やるわね、エドワード・マクナガン……。
そしてエドワード様は、「よく分かりませんが、母に持たされたので……」と、一通の書状を手渡してきた。
真っ白な封筒に、王家の紋が透かしで入っている。封蝋は王族しか使えない、禁色である深紅だ。
恐る恐る受け取って中を確かめると、そこにはやはり真っ白な便箋が一枚入っていた。
とても綺麗な読み易い文字が並んでいて、横から覗き込んだ母が「エリザベス様の字だね」と頷いていた。
その綺麗な文字は、次のように書かれていた。
『シャロン・フローライト様
今、我が愚息がそちらにお邪魔している事と存じます。
これから申し上げる事はとても大事な事ですので、重々お心にお留め置きください。
マクナガン公爵家の人間に対して、『不敬』という概念は存在しません。
エドワードが何かやらかしたなら、遠慮はいりませんので、後ろ頭に回し蹴りを食らわせてやってください。
それでシャロン様やフローライト伯爵家が罰せられるような事態にはなりません。
繰り返します。
遠慮はいりません。
持てる限りの技の全てを駆使して、強烈な突っ込みを入れてやってください。』
横から覗き込んでいた母が、「後ろ頭まで、足が届くかなぁ……」と心配そうに呟いていたが、問題は絶対的にそこではない。
あと、私に『持てる技』などない。格闘の心得などありようもない。
お母さん、横で「ギリ胸くらいなら……、イケるか……?」とかブツブツ言うのやめて。蹴らないから。私、そんな事しないから。
しかし……、母親に『蹴りつけてやれ』と言われるエドワード様とは、一体……。
そんな風に思いつつテーブルを挟んだ向かいを見たら、エドワード様とばっちり目が合ってしまった。
そしてやはり目が合うと、エドワード様は何か楽し気ににこっと笑うのだ。
けれどその笑顔は、『子供が新しい玩具を貰った』というような、興味と好奇心満載のもので……。
ああ……。
私の『倹しく慎ましい平民生活』が、遠のいていく足音がする……。
面倒な幼馴染たちから逃げようとして、一番面倒な相手に捕まるなんて……。そんなの、読めるワケないじゃん!
私はただ、平穏にのんびり生きていきたいだけなのに……。
どうしてこうなった!?
これにて終幕でございます。
本当に長々とお付き合い、ありがとうございました。
そして最後にどうしても言っておきたい事があるのですが、この話は本当にここで終わりです! 続きません!
では、またいずれ、どこかでお会いできる日を楽しみにしつつ。
皆様に幸あれ!!




