還元祭2 あなたに会えてよかった。(後編)
一学年の前期が終わった。終了の試験があり、私たち女子三人は、それぞれ成績『優』をいただいた。休暇があり、それが明けたら専科へ進む。
試験勉強は、とても大変だった。……マリーに教えるのが。
貴族の方って、家庭教師をつけているんじゃないの? どうして私より、理解が遅いの? そしてどうしてそんな独特な覚え方をするの? 専科に進んだら使わない科目だから……って、それを落としたらそもそも専科に進めないのよ?
エリザベス様も、「マリーさんを侮っていました。まさか、ここまで大変とは……」と仰っていたから、マリーは貴族の方から見てもちょっぴり変わっているのかしら?
でもエリザベス様は、周りにいらっしゃるのが王太子殿下とかだから、殿下くらいとまでは言わなくても、ある程度以上は『出来て当然』と思ってらっしゃるのかしら?
マリーが泣きそうな顔で成績表を見せに来た時、私とエリザベス様は思わず身構えてしまった。
どうやって慰めようかとも考えた。
けれど、結果は逆だった。嬉しくて泣いていたらしい。
結局、「良かったよォォ……」と泣き出したマリーを、慰める事になったけれど。
うん。すごく楽しかったな。
勉強が大変だったりした事もあったけど、本当に素敵な友人が二人もできた。
これからも頑張ろうっと。
あと、キャリーさんともちょっと仲良くなれた。今年で二十歳だって事とか、馴れ馴れしく話しかけちゃってたけどホントは男爵家の三男って事とか、色々教えてもらった。
三男だから、どうせ卒業したら家を出るから、貴族とか関係ないよ。
そう言って笑ってくれた。
……どうしよう。私、キャリーさん、ホントに好きかも……。
貴族の方とはいえ、卒業後は関係なくなるって言ってたし……。
う~~~ん…………。
うん! 決めた! ちょっと頑張ってみよう!
何にもしないで諦めるとか、私らしくないし!
頑張ってみて、駄目だったら、その時は諦めよう!
お休み明けたら、キャリーさんをデートに誘ってみよう。そう決めた。
休業期間でも、学院の施設は自由に使用できる。
どの施設でも、誰かしら講師の先生や学生が居たりする。
私は、学院の図書館で数冊の本を借りた。一部の貴重な書籍以外は、貸し出し手続きを取れば持ち出せる。
学院が休みの間に、読んでみたかった本を消化しておこうと思ったのだ。
本当は、五冊くらい借りようと思ったのだけれど、三冊を抱えて書架を移動しているだけで、腕が重たくなってしまった。これをバッグに入れて、家まで持って帰るのか……と思ったら、あと二冊追加など出来なかった。
……ちょっと、力つけようかな。
バッグを肩から斜めにかけて、図書館を出た。
少し歩いただけだが、既に肩が痛い。……もうちょっと、肩紐の太いバッグにした方がいいかも。これからもきっと、本を借りて帰る事あるだろうし。
そんな事を考えつつ歩いていると、エリザベス様とマリーに出くわした。
「あ、エミリアさん。奇遇ですね」
にこっと微笑まれたエリザベス様に、私は軽く会釈をする。
エリザベス様には「別にいちいち頭を下げられなくても大丈夫ですよ」と言っていただいているが、何となくそうしたいのだ。
「こんにちは。何をされているんですか?」
尋ねると、エリザベス様は手に持っていた小さな箱を見せてくれた。
白い、紙箱だ。お菓子屋さんなどで貰えるような箱である。
「これを作っていました」
「何です?」
「クッキーです」
クッキー!? エリザベス様、お菓子作りなんてされるの!?
わー……、それは可愛いだろうなぁ……。
「マリーは何をしているの?」
お手伝いかしら?
そう思って尋ねたら、マリーは手に持っていた小さなバッグを掲げて見せた。
「寮に忘れ物しちゃったから、取りにきただけー。そしたら偶然、エリザベス様に会ったの」
そういえば、マリーって寮だったわね……。それも貴族の女性としては珍しいんじゃないかしら……。
コックフォード学園の貴族寮なんかは、すごく豪華だって聞いた事あるけど……。ウチの学校の寮って、講堂の裏手の方にあるあれよね?
私の家なんかよりは全然立派だけど、貴族のお邸なんかと比べたら、絶対に貧相なんじゃないかしら。
でも、マリーは全然、不満もなんにもないみたいだし……。
不思議な子ね、マリーも。
「エミリアさんも、もしよろしければ、私のクッキーを試食していかれますか?」
「え? いいんですか?」
エリザベス様のお手製なんて。いいのかしら。
「勿論です。……ただ、ここでは何ですので、カフェテリアへ移動しましょう」
カフェテリアへ移動し、エリザベス様が奢って下さるというので、紅茶をお願いした。マリーはオレンジジュースだ。
エリザベス様は厨房からお皿を借りていらして、そこにクッキーを二枚乗せた。
ちょっと色が白っぽい気がするが、真ん丸な綺麗なクッキーだ。
「どうぞ」
「わーい、いただきまーす」
マリーが遠慮も何もなく、皿の上に手を伸ばす。
……貴女のそういうところ、すごく羨ましいわ。
私も残った一枚を手に取った。
「いただきます」
「はい。もしもう一枚欲しいというのであれば、差し上げます」
マリーがクッキーをぱくりと半分ほど口に入れた。
それを見て、私もクッキーを一口齧ってみた。
……ん? 何かしら、これ……。
全く……味がしない?
これは何だろうと咀嚼している私の隣で、マリーが「ゴッフォ!」とおかしな音を立てて口の中の物を噴き出した。
「ちょっとマリー!」
「マリーさん、汚い!」
マリーは口元を手で押さえ、げほげほとむせているようだ。
私はテーブルをナプキンで拭いた。エリザベス様は、マリーの手元にジュースのグラスを差し出してあげている。
マリーはグラスを取ると、中のオレンジジュースを一気に半分ほど飲んだ。
「な……んですか、これぇ……」
ハンカチで口元を押さえながら言うマリーに、エリザベス様はとても真面目なお顔をされた。
「クッキーです」
「噛んだら粉になったんですけど! あと、全然、味ないんですけど!」
これはマリーの言うとおりだ。
全く味がない。
そしてはじめこそサクっとした歯ざわりなのだが、噛んでいると全部粉になる。更に、口の中の水分が全部持っていかれる。
マリーはきっと、一口で頬張り過ぎたのだ。
「お口の中が、めっちゃぱっさぱさになるんですけど! 最中の皮の比じゃないレベルで、ぱっさぱさ!」
「文明の進化が一日で成らない様に、クッキーの進化もそう容易いものではないのです」
……エリザベス様、何を仰っているの……?
クッキーの、進化……?
「クッキーは一日にして成らず、ですか……」
マリーも何を言っているの!? さっきのエリザベス様のお話、理解できたの!?
「マリーさんの仰る通りです」
どうしよう……、私、全然分からないわ……。
「前回作った物より、断然進化はしているんです。あとは、味が消えるという不可解な現象を解明できれば……」
味がないのも不思議だけれど、それより……。
「前回って、どんな感じだったんですか?」
すっかりジュースを飲み切ったマリーが尋ねた。
「前回は、今回同様に味がなく、恐ろしく硬かったのです」
「あー……ナルホド。でもコナコナしちゃうより、硬い方がマシじゃないですかー?」
どうして貴女にはそう、恐れるものがないの、マリー!
「いえ、『恐ろしく硬い』のです。私が力いっぱい地面に投げつけたら、そのまま跳ね返ってきました」
「そのまま……」
「はい。そのまま。肉叩きのハンマーで叩けば割れます。破片は鋭利ですので、気を付けて食さないと、口内が血塗れになります」
真顔で! 何を仰ってるんですか!?
ハンマーで叩かなければ割れないって、それは本当にクッキーなのですか!?
いえ、この無味なお品も、クッキーかどうか分かりませんけれど!
「これは今日、化学講師のマッシュ先生と、物理学講師のドーソン先生にご協力いただき、お二人監修の元で作り上げた物です。流石は先生方です。きちんとサクっとした歯ごたえになりました」
納得したように頷いてらっしゃいますけど、先生方にって……。
言われてみたら確かに、お料理は化学の実験みたいなものかもしれませんけど……。
「しかし全く味がなく、先生方は爆笑された後で、しきりに首を傾げておられました。また何か改善の方法を見つけたら、ご連絡くださると仰ってくださいました」
先生方……。
何をしておられるんです、先生方……。
そしてエリザベス様……、爆笑されてますが、いいんですか……?
エリザベス様はテーブルに乗せていた箱を両手でしっかりと持つと、それに視線を落とされた。
「残りは、護衛騎士の方々や、殿下に召し上がっていただこうと思っています」
エリザベス様の言葉に、少し離れた場所に立っていた騎士様が、ちょっとだけビクッとされていた。
……護衛の騎士様って、大変なお仕事なんですね……。
そして、殿下……。
どうか、エリザベス様に仰ってさしあげてください。
恐らくこれは、クッキーではない……と。
私では畏れ多くて、エリザベス様にそう申し上げる事はかないません。
ですので殿下、宜しくお願いいたします……。
* * *
私たちはそれぞれ、専門課程へと進んだ。
マリーは経済学科へ。
私は全然知らなかったのだが、マリーのお家は有名な商会だった。女性用の下着を多く扱っているお店があり、そこは庶民でも手の届く、安くて質のいい品物が多い。実は私も愛用している。
それがマリーのご実家の手がけたお店なのだそうだ。
しかも、下着のデザインや原案は、全てマリーだという話だ!
……ごめんなさい、マリー。私、貴女の事を見くびっていたわ……。
そのご実家を継ぐ為の勉強をするのだそうだ。
「ガッポリ稼いで、ラクラク老後ライフ!」っていう目標は、ちょっとどうかと思うけれど……。
エリザベス様は自然科学科へ。
正直、私は何をする科なのか分からなかった。学院でも結構な不人気学科らしく、所属する学生はエリザベス様を入れて四人というお話だ。
そこで何をされるのですか?とお尋ねしたら、「明日のお天気くらい、分かるようにならないかなぁ、と」と返されて驚いた。
マリーは「分っかります! 朝イチにお天気分かんないの、不便ですよね!」と同意していたが、私には全く分からない。
明日の事なんて、明日にならなければ分からないものなのではないの?
やっぱり、エリザベス様のお考えになる事って、何だかすごいわ。
そして私は、医学科へ。
当初の目的通り、医師になる為の勉強と、ジガレ熱を何とかできないかの研究をするつもりだ。
余談だが、殿下は法科を選択されたようだ。エリザベス様曰く「今後、ご公務などで欠席も多くなられるでしょうから、ご自分のお得意な分野を選ばれたのでしょうね」との事だ。
お得意……。法律が……。
流石、未来の為政者は違う。
私など、『悪い事をしたら捕まる』程度の認識だというのに……。
それぞれが、それぞれの道へ。
教室が分かれてしまってちょっと寂しいけれど、同じ学内に居るのだ。そして、それぞれが頑張っているのだ。顔を合わせた時に、笑顔でお話が出来るように、私も頑張ろう。
* * *
一学年の終わりごろ、寒さが緩んできはじめる二月の終わり頃だった。
エリザベス様が「紹介したい方がいるのです」と仰った。
この日のこの時間にこの場所で……、と指定されたが、その『場所』が問題だった。
王都の貴族街にある、とても閑静なレストランだ。しかも超高級店で、私は一生縁のなさそうなお店だ。
高級店で主な客層が貴族の方々なので、当然『服装規定』がある。勿論、私はそんなお店に着て行けるような服など持っていない。
そう言ったら、エリザベス様が服や靴やバッグなど、一式プレゼントしてくださった。
どれもこれも、手触りからして高級品だ。
貰えないと言うと、エリザベス様は微笑んで仰った。
「私が誘ったのですから、ご用意するのは当然です。費用などは御心配いりません。全部私のお小遣いから出してますから」
逆に申し訳ないです! エリザベス様のお小遣いだなんて!
「エミリアさんは、誰かに厚意からプレゼントした物を、『いりません』と固辞されたら悲しくなりませんか?」
「なります……」
それは分かっている。けれど、私が誰かに何かをあげたとしても、こんなに高級そうな物にはならない。
「貴族というのは、お金を使って経済を回すのも、義務の内なのです」
それは確かに、経済で習った。
ただ散財しているのではなく、その行為で経済は回るのだ、と。
「私は余り高級なものなどを購入したりはしないので、たまにはこうしてお金を使う必要があるのです。ですから、エミリアさんはただ、受け取ってくださればそれで良いのです」
そう仰ってから、エリザベス様はハッとしたような表情をされた。
「それとも本当は、デザインがお好みではありませんでしたか!? 私が勝手に、エミリアさんのイメージで購入してしまいましたけれど……!」
「いえ! そんな事はありません! 全部可愛らしくて、気に入ってます!」
それは本当だ。
ワンピースも、コートも、靴も、バッグも。どれも可愛らしくて品の良いもので、本当はすごく嬉しかったのだ。
エリザベス様の『私のイメージ』って、ああいう感じなのかしら……。ちょっと恥ずかしい……。
結局、お洋服一式をいただく事にした。
それを身に着け、指定された場所へ行くと、お店の外でエリザベス様が待っていてくださった。
一人でこんなお店に入るのは怖かったから、とても嬉しく感じた。
お店の中はとても高級感があってキラキラしていて、それだけで足が震えそうになる。
あそこに飾ってある壺とか、幾らくらいするのかしら……。あそこの絵も、何だか額からして高そう……。二月なのに、あんなにお花が飾ってある……。
とにかくビクビクしながら、先を歩かれるエリザベス様の後をついて行った。
通されたのは、個室だった。
そこには既に、一人の女性が居た。
さらっと流れるとても綺麗な金の髪に、澄んだ青い瞳の。とても美しい女性。
……もしかして、なんだけど……。何となく……、雰囲気が、王太子殿下に似てらっしゃるような……。いや、まさか……。
そんな事を考えていると、エリザベス様がそちらの女性を手で示された。
「エミリアさんにご紹介します。リナリア・フローリア・ベルクレイン第一王女殿下でいらっしゃいます」
いやーーー!! やっぱりーーー!!
ど、どど、どうして、王女殿下が……。
「リナリア・フローリア・ベルクレインと申します。本日はお呼びたていたしまして、申し訳ありません」
すっと綺麗に貴族の方のなさる礼をされる殿下に、私は慌てて頭を下げた。
「エ、エミリア・フォーサイスと申します。王女殿下に拝謁賜り、光栄でございます」
挨拶、こんなので良かったのかしら!?
「お顔を上げて下さい」
とても穏やかな声で言われ、私は恐る恐る顔を上げた。
「エミリアさん、とお呼びしても?」
「は、はい。どうぞ、お好きに……」
「わたくしの事は、是非『リーナ』と」
どうして愛称なの!?
「無理強いはいけませんよ、リナリア様」
「ではエリィがわたくしをリーナと呼んでちょうだい?」
「構いませんよ、リーナ様」
少し呆れたように笑いつつ言うと、エリザベス様は私の手を引いて下さった。
「さ、まずはお席に着きましょう」
緊張しすぎて料理の味が全く分からなかった。
お食事を終えられると、リナリア様は先に帰って行かれた。この後、ご公務に出られるらしい。
お食事をしながら、沢山のお話をした。
リナリア様は、この国の医療と福祉を、もっと拡充したいのだと仰っていた。それに協力をしてもらえないだろうか、と。
協力と言われても、私はただの学生だ。何が出来るものか……と思ったら、何でもいいから気付いた事を教えて欲しいのだと仰られた。
例えば、診療所に足りない物や人。もっとああならばいいのに、こうすればいいのにというような事。福祉に関しては、身体上の都合で働けなくなった人や、老人や子供に、どういったものがあったら嬉しいかを教えて欲しい、と。
王族であるリナリア様の視点では見えてこない物が、きっとある筈だから、と。平民の私だからこそ見えるものが、きっとある筈だから、と。
リナリア様がそうした取り組みをされている事を知っていたエリザベス様が、信頼できる情報提供者として、私を紹介したのだそうだ。
「……何故、私とリナリア様を、引き合わせようと思われたのですか……?」
リナリア様が居なくなられてから、デザートをいただきながら、エリザベス様に訊ねてみた。
エリザベス様は口の中のケーキを飲み込んでから、にこっと笑われた。
「エミリアさんの進む道と、リナリア様が進もうとされている道が、きっとどこかで交差すると思ったからです」
私の道と、リナリア様の道……。
「リナリア様は、『この国の医療制度』という、とても大きな課題に取り組んでおられます。そしてエミリアさんは、リナリア様が取り組まれるその『大きなもの』の中にある、『小さな一人』です。大きなものを相手にするリナリア様には、きっと小さな何かが見え辛くなられる事があると思うのです。それを、内側に居る小さな一人であるエミリアさんならば、助けてあげる事が出来るのでは……と思ったのです」
エリザベス様は一度紅茶を飲むと、静かにカップを置かれた。
「例えば、感染症を専門に研究する施設が欲しい、だとか」
その言葉に、私は驚いてしまった。
それは確かに考えていた事だ。
学院でも研究は出来る。けれど、圧倒的に資材が足りない。費用もない。人手もない。
「そしてもしも、何らかの感染症を未然に防げる手だてが見つかったならば、リナリア様にお願いして国を動かしてしまえばいい」
国を……。
何だか、考えた事もないくらい、話が大きくなってきた。
けれど確かに、リナリア様ならば、それが出来る。未来の国王の妹君なのだから……。
「個人で出来る事には限りがありますが、リナリア様との交友というのは、つまるところ『国とのパイプ』となり得ます。……きっといつか、エミリアさんのお役に立ちます」
その『いつか』が、いつなのかは分からないけれど。
もしも私が本当に、ジガレ熱を防ぐ方法や、治す方法を見つけられたなら。
その時はきっと本当に、『国が動いてくれる』事は強みになる。
「エリザベス様は……」
こちらを見て微笑んでいるエリザベス様を、真っ直ぐに見た。
「私がいつか、ジガレ熱を防ぐ手段か、治療する手段を見つけると、お思いなのですか……?」
まるで必ずそういう日が来るとでも言うように。
その日の為の布石とでも言うように、リナリア様と引き合わせて下さった。
「思っています」
やはり私を真っ直ぐに見て、少し自信ありげな笑みで、エリザベス様ははっきりと仰った。
「エミリアさんの『夢』をお伺いした時に、思ったのです。きっとこの人は、諦めずにやり遂げる人だ……と。ならば私は友人として、出来る限りの協力をしたいと思ったのです」
友人として。
なんと有難い言葉なのだろう。
「私はこれから、誰か個人に肩入れするのが難しい立場となります」
そうですね。いずれ、王妃となられるのですものね。
「ですので、私に出来るのはこれくらいです。後は私は、傍観させていただきます」
そう仰って、少しだけ寂しそうに笑われた。
「では、見ていてください、エリザベス様」
傍観するしか出来ないと仰るならば。
「きっといつか、何かを成し遂げて、エリザベス様に会いに行きます。……それまで、見ていてください」
だからそんなに、寂しそうなお顔をされないでください。
私は今、こんなに嬉しい気持ちでいっぱいなのに。私を嬉しくさせてくださった貴女が、そんな風に笑わないでください。
「約束します。必ず、エリザベス様に会いに行きます」
ただの平民が、簡単にお会いできる立場でなくなる貴女に。
会えるだけの何かを成し遂げます。でも……。
「……おばあちゃんになっちゃってたら、すみません」
「構いませんよ。楽しみにしています」
そう仰って笑ったエリザベス様は、何だか嬉しそうだった。
* * *
リナリア様には、月に一度、現状や要望をまとめたレポートを提出している。リナリア様からのお返事は、王城の役人の方が届けて下さる。
時々リナリア様ご本人がおいでになるので、すごくビックリする。
エリザベス様とマリーとは、学内で時々会う。一緒にお茶をしたり、ご飯を食べたり、「最近どう?」なんて話をしたり。
それ以外にも、エリザベス様を時折見かける。
何だか、エリザベス様が居ると、彼女を目で追ってしまう。
時にはお一人で、ぴょんぴょんと跳ぶように歩いていたり。
殿下とお二人でベンチに座っていたり。(そういう時は、じっと見ていると殿下に嫌そうなお顔をされる)
転びそうになって護衛騎士様に助けてもらっていたり。
一度、実験棟でお見かけした。化学の実験室で、化学講師のマッシュ先生と物理学講師のドーソン先生と一緒に、何か実験をしていらした。……実験、よね? 廊下までバターの香りがしてたけど。まさか、クッキーじゃないわよね……?
校内を移動していると、中庭のベンチに王太子殿下が座っておられた。護衛の騎士様は居るが、殿下お一人だ。珍しい。
しかも何やら、物憂げに溜息をついておられる。
どうされたのかしら? でも私が声をおかけするのも変よね?
そっとしておきましょう。
そう思って歩き出そうとしたら、不意に殿下と目が合ってしまった。
ここで逸らすのも変よね?
一応、会釈しておこうかしら。
頭を下げた私に、殿下が溜息をつかれた。……何か粗相があったかしら?
「フォーサイス嬢、少々いいだろうか……」
「……はい、何でございましょうか?」
本当に、何かしら?
殿下が「こちらへ」と仰るので、お側へと近寄ってみた。殿下は膝の上に、何やら小さな箱を乗せていらっしゃる。……ちょっと待って。あの箱、何だか見覚えがあるわ……。
殿下はもう一度溜息をつかれると、持ってらした箱の蓋を開けた。
……クッキーが、ぎっしり詰まっている。どうして……、ぎっしり詰まる程に作ってしまったんですか……。
「やはり君は、これが何だか分かるようだな」
「……エリザベス様のクッキー、でしょうか……」
「そうだ。一枚どうだ?」
殿下……、それは狡くないですか……?
私ごときが、殿下のご提案を断れる訳、ないじゃないですか……。
「……いただきます」
そう言うしかない。
意を決して、箱からクッキーを一枚頂戴する。前回よりも、見た目が良い。ううん。見た目に騙されちゃダメ。だってエリザベス様だもの。
やっぱりあの化学実験室で、クッキーを作ってらしたのですね……。
「大丈夫だ。今回は硬くもなければ、粉っぽくもない」
『味がある』とは、仰って下さらないのですね……。
手に取ってしまった以上、あとは食べるしかない! 頑張れ、エミリア!
自分を鼓舞しつつ、クッキーを口に運ぶ。
サクっとした食感と、僅かながらバターの香りがする。味は余りしない。
……ちょっと待って。え? 何コレ?
噛んでいる内に、口の中がねちょっとしてくる……。え? 本当に、何コレ!?
思わず口元を手で押さえると、殿下が溜息をつきつつ遠くをご覧になられた。
「……まだ、あと十五枚もあるのだ……。もう一枚、どうかな?」
私は口の中の何やらねちょねちょした物体を無理やり飲み込むと、一つ息を吐いて殿下を真っ直ぐに見た。
「申し訳ありません。無理です」
不敬になるかもしれないが、これは無理だ。私の手には、まだあと半分以上残っているのだ。それすらも食べきれるのか分からないのに。
「そうか……。そうだよな……。すまない。無理を言って」
「いえ。私こそ、お役に立てず申し訳ありません」
「いや、構わない。……護衛の連中に配っても、まだ余ってしまう……。どうしたものか……」
後ろの護衛の騎士様が、一瞬「え!?」みたいなお顔をされたけれど……。見なかった事にしておこう。
「殿下の側近の方などは……」
「そうか。その手があったか」
殿下は頷かれると、箱に蓋をして立ち上がった。
「ありがとう、フォーサイス嬢。全て処理する算段が付いた」
「いえ、私は何も。あと殿下、僭越ですが『処理』は、お言葉としていかがなものかと……」
正直な感想なのだろうけれど。
「ああ、すまない。余りに予想外過ぎて、少々動転していたようだ」
そうですね。私も予想外でした。というか、本当にどうやったらああなるのか……。
「エリィが余りに嬉しそうな笑顔で持ってくるので、つい受け取ってしまったのだ……。受け取った後にこうなる事は分かっていたのに……」
殿下はまた溜息をつかれると、私を見て苦笑された。
「巻き込んで申し訳ない。では、私はこれで」
「はい。私も、失礼いたします」
殿下に頭を下げ、私は足早にカフェテリアへ向かった。とにかく早く、飲み物をいただかなければ! 何か美味しい飲み物を!
あと殿下、お願いです! 本当に、エリザベス様に一言仰っていただけませんか!? 将来王妃となられる方なのですから、お料理なんてしなくていいんですよね!? しなくていいよ、と殿下が仰ってさしあげてください! そう仰る事が出来るのは、殿下だけなのですから!
* * *
そんな学院生活も、あっという間に終わった。
在学中からお付き合いしていたダニーと、卒業後すぐに夫婦となった。彼が一般教養の教室に居座っていたのは、研究を兼ねた趣味みたいなものだったらしい。
不思議な人だ。
卒業から四年後、リナリア様とエリザベス様の尽力で、医療専門の教育機関が設立された。そこは、私の希望だった研究機関も兼ねている。
リナリア様がお輿入れされたアリスト公爵家と、エリザベス様のご実家マクナガン公爵家、そして国からの共同出資だ。
設立記念碑が建てられたのだが、そこに私の名前も何故か載っている。
私は何にもしてないのに!と思うけれど、リナリア様やエリザベス様のお名前と一緒に自分の名前があるのが嬉しくて、これはこれでいっか、なんて思っていたりする。
そして更に時は流れて。
長い長い時間がかかってしまったけれど、私たち研究チームは、ジガレ熱の特効薬を作り出す事に成功した。同時に、予防法も。
時折、エリザベス様が、リナリア様を通じて助言をくださった。
見ていてくれてるんだ、と嬉しくなった。
それから五年経ち、この国でジガレ熱で死亡する人間は、殆ど居なくなった。
* * *
厄介だった病の予防法と治療法を確立した功績で、私は受勲する事となった。同時に、当代限りではあるが、男爵の爵位まで賜ってしまった。
夫のダニーは「男爵家の三男から平民になって、また男爵だ」と笑っていた。
そして今、その授勲の式典である。
目の前にはエリザベス様。お互い、歳をとりましたね。
でもエリザベス様は、今も変わらず、お可愛らしくて、お美しい。
私の手をしっかりと握り、とても嬉しそうに微笑んでいらっしゃる。
「約束、守ってくださいましたね」
当たり前です。その為に、頑張ったんです。
元々は、私のただの夢だったのを。
貴女が拾い上げて、手を差し伸べて下さったから。だからここまで来れたんです。
もっと何か言いたいのに、言葉が出ない。
こんなに近くに、貴女が居るのに。
ああ、でも、これだけはお伝えしたい。
「私は……、エリザベス様にお会いできて、幸運でした。……貴女に会えて、良かった……」
そう言った私にエリザベス様は、微笑んで「私もです」と頷いてくださったのだった。




