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公爵令嬢は我が道を場当たり的に行く  作者: ぽよ子
ご愛顧感謝 大還元祭
35/48

還元祭2 あなたに会えてよかった。(前編)


 第二弾、エミリアさんのお話です。長くなりましたので、前後編となります。



 王城の、謁見広間。

 こんな場所に、自分が立つ日が来るとは思わなかった。


「次、エミリア・キャリー様」

 名を呼ばれ、事前に教わった通りに歩いていく。足元の絨毯がふわふわで、とても歩き辛い。エリザベス様は、良くもああ綺麗に歩かれるものだわ。

 教わった通りに、玉座の前まで歩いて、そこで膝を折り深い礼をする。


 頭を垂れたままの私の前に、陛下がお立ちになられる。

 そして、そっと丁寧な仕草で、私の首に勲章を掛けてくださった。


 これを掛けられたら顔を上げ、立ち上がれと教わった。

 そして顔を上げ、驚いた。


 本来、受勲の際に勲章を授けてくださるのは、国王陛下なのだ。けれど私の目の前には、静かに微笑むエリザベス様がいらっしゃる。

 驚いて固まってしまった私に、エリザベス様が周囲に聞こえない程度の声で「立って、エミリアさん」と仰ってくださっている。


 ああ、立たなきゃ。

 立ち上がって、それから……。


 次はどうするんだったか……と考えている私の手を、エリザベス様がそっと取った。そして両手で強く握ると、「おめでとう」と小さく言ってくださった。

「ありがとう、ございます……」

 泣いてしまいそうになって、声が震えた。


 周囲から、大きな拍手が聞こえる。

「まだまだ、これからですよ。泣いてる暇なんて、ありませんよ」

 拍手に消されそうな声で言うエリザベス様に、私は泣き笑いのような顔で頷いた。

「勿論です。でも……ここまで来れたお礼を、言わせてください。ありがとうございます、エリザベス様」

 深々と頭を下げてしまった私に、エリザベス様が少し困ったように笑っている。


 本当に、本当に、感謝しているんです。

 ただたまたま、同じ学校の同期だったというだけの私に、貴女様は驚くほどに良くして下さって……。




   *  *  *




 スタインフォード学院は、平民にも広く門戸を開いている。ただし、選抜条件が非常に厳しい事で有名なのだ。

 けれど私は、どうしてもそこに通いたかった。



 三年前、妹が死んでしまった。

 身体が弱く、病がちな妹だった。その妹が、ジガレ熱という病気にかかってしまった。

 この病気は、一週間ほど高熱が続く。幼い子供や老人などの体力の低いものほど罹りやすく、罹ると約三割程度の確率で死に至る。

 伝染する病なのだが、一度罹った事のある者は、二度罹らないと言われている。


 私は幼い頃にやはりジガレ熱に罹り、一週間後には全快していたらしい。なので、妹の看病もできた。


 けれど、妹は助からなかった。


 元々が病がちで体力がない。ジガレ熱に勝てる力がなかったのだ。

 けれど、妹を診てくれたお医者様は、最期まで諦めずに、一生懸命に治療を施してくれた。妹や私たち家族を元気づけ、一緒に頑張りましょうと言ってくれた。


 治療の甲斐なく妹が息を引き取ったあと、家の外に出たお医者様が、悔しそうに泣いていた。


 勿論、一番頑張ったのは、妹だ。高熱に魘されながらも、必死に生きようとしていた。

 私たち家族も、それを支える為に頑張った。


 そして、お医者様も、とてもとても頑張ってくださったのだ。出来る限りの治療を考え、妹の様子を見ながらそれらを試し、時間を問わず診察をしてくださった。


 そして、今。

 妹を亡くし、悲しくて泣いている私たちと違い、お医者様は、『妹を死なせてしまって悔しい』と泣いている。

 ある種の諦めを持っていた私たちより、彼の方が妹を想ってくれていたのかもしれない。


 それを見て、病気はイヤだな、と思った。

 だって、みんな泣いている。それぞれの抱く感情は違っても。

 泣いてるのは、イヤだな。


 決めた。

 私はジガレ熱を治す方法を見つけよう。

 この理不尽で命を落とす人が、一人でも減るように。力及ばず悔しい思いをするお医者様が、一人でも減るように。


 どうやったらそんなものを見つけられるのかは、全然分からないけれど。

 それでも、そう決めたのだ。



 医療の専門的な知識を学ぶには、スタインフォード学院が一番良いだろうと、お世話になったお医者様に言われた。

 お医者様は私の為に、学院の入学要綱を取り寄せてくださった。


 思ったほど、学費は高くない。

 コックフォード学園の方が高いくらいだ。


「そうですね。コックフォードとは、在り方が違いますからね」

 素直に感想を述べた私に、お医者様はそう仰った。

「コックフォードは、国も出資していますが、経営しているのは貴族です。広く生徒を募り、ちょっとした社交場として機能しています。ですのであちらは、成績が規定に達していなくても、お金を出せば入学できる」

 それってどうなの?

 ああ、でも『社交場』と仰ったから、『そこに居る』事が大事な人たちも居るのかも。


「それに対しスタインフォードは、純粋な学問の場です。何か学びたい事があり、究めたい事がある者が門を叩く場所です。なので、入学に際し厳しい選抜を行います。それを潜り抜けた者だけが、その先へ進めます。社交も利益も度外視で、ただ学び、それを活かす。その為の学院です」

 すごい……。

 難しいのは知っているけれど、思っている以上にスタインフォード学院は難しそうだ。


「学びたい者、その資格のある者を、身分や金銭的な理由で切り捨ててはならない。それが、スタインフォード学院の在り方です。ですので、学費なんかは格安です。代わりに、やる気のない人間は容赦なく叩き出されます」


 それでも、エミリアさんにはスタインフォードを目指してみて欲しい。

 お医者様にそう言われ、私はスタインフォード学院を受験してみる事にした。




 スタインフォード学院から合格通知が届いた時には、大喜びでお医者様に見せに行った。私の受験勉強にも付き合ってくれたお医者様は、とても喜んでくださった。

 両親も、とても喜んでくれた。

 学費はそれぞれの家庭の経済状況に応じて変わるので、我が家にとってもそれほどの負担ではない。その分、貴族の入学生の方々が多く出しているのだそうだ。


 特に今年は、王太子殿下とそのご婚約者様が入学されるらしい。

 恐らく彼らの支払う学費は、私の家が払う数倍……いや、数十倍の額になるのだろう。

 それを渋るような貴族は入学させないらしい。『貴族の義務』なのだそうだ。お医者様が教えてくれた。


 王太子殿下やご婚約者様も、あの試験を突破されたのか。

 なんだか勝手だけれど、親近感が湧いてしまう。流石に殿下やご婚約者様は、私のように「論文って何ですか?」から始まったりはしていないだろうけれど。簡単な試験でなかったのは同じだろう。

 私のような平民がお話をする事もないだろうけれど、素敵な方だといいな。




 学院が始まり、二週間が経過した。


 通う前から、九割が男子学生だとお医者様に聞いていた。そして本当に、九割が男子だった。

 三十九人いる新入生の内、女子学生は私含めたった四人だ。


 その内のお一人は、王太子殿下のご婚約者のエリザベス・マクナガン様。

 お名前なんかは、入学式後すぐに仲良くなったマリーが教えてくれた。

 マクナガン公爵家という、国の貴族の中でも上から数えて二番目の位置にいらっしゃる、大貴族様のご令嬢なのだそうだ。


 そのエリザベス様は、驚くほどお可愛らしい方だ。


 今年度の入学生の最年少でいらっしゃるそうで、今年で十二歳という話だ。

 十二歳であの試験突破したの!? とかなり驚いた。


 エリザベス様のお隣にいらっしゃる王太子殿下は、今年の新入生代表の挨拶をされていた。あれは、首席入学の学生がやるものなのだそうだ。


 あれが、未来の国王陛下と、王妃陛下……。

 すごい! お二人とも優秀でいらして、とてもお美しくて、しかも仲睦まじくいらっしゃる。

 わー……。何か、この国の将来、安泰なんじゃない?

 そう思って、ちょっと嬉しくなったのだった。



 殿下はご公務がおありになる日は、学院を休まれる。まあ、当然だ。むしろ、公務を蔑ろにしない方で、素晴らしいと思う。

 そういう日は、エリザベス様は、講義室の一番後ろの席に、お一人でぽつんと座っていらっしゃる。


 すんごく可愛いんだけど、何かちょっと寂しそうなのよね……。

 寂しそうって言うか、つまらなそう? 殿下といらっしゃる時は、いっつもニコニコしてらっしゃるのに。


 学院に入学した日に、学院側から私たち生徒に注意があった。

 王太子殿下と、エリザベス様に対しての接し方についてだ。

 お相手は、お二人とも雲の上の方だ。失礼があってはならないというより、『間違いがあってはならない』という注意だった。

 要は、お二人に危害などを加えないように。そう疑われる行動をしないように。そういう内容だった。

 礼儀作法などについては、特に問わないそうだ。……私のような生粋の平民も多い学校なので、それはとても有難いし助かる。


 その注意の中に、『お二人への贈答品などは控えるように』というものがあった。要は賄賂的なものだとか、あとは贈り物に何か仕込むだとか、そういった事を警戒されているようだ。

 『特に手製の贈答品は厳禁』とされた。……じゃあ、既製品ならいいのかな? 『控えるように』だから、ダメとは言われてないよね?


 殿下がご公務で欠席されている日のエリザベス様がつまらなそうだったので、美味しいお菓子でも食べたら浮上されないかな、と思ったのだ。


 あと、エリザベス様がお菓子を召し上がる姿が、とてもお可愛らしいのだ!


 以前一度、エリザベス様にお菓子を差し入れた。お隣で殿下が何だか面白くなさそうなお顔をされていたのが怖かったが。


 差し入れたお菓子は、ちょっと流行っていた柔らかいクッキーのようなお菓子だ。とても美味しいだけでなく、包装などがとても洒落ている。


 これ、エリザベス様が食べてたら、絶対可愛い!! と、店先で一目ぼれだった。


 差し上げて、受け取って下さった。それだけでも嬉しかったのだが、エリザベス様は休憩時間にそれを召し上がってらした。


 とても大きなお菓子なので、それを両手で持って、小さなお口でちょこちょこと召し上がる様は、どんな小動物であっても敵わない可愛らしさだった。王都の中央にある公園のリスが一番可愛い生き物だと思っていたが、ここにきてエリザベス様がダントツで一位になった。あんなにお可愛らしい生き物、きっと他に居ない。

 殿下もにこにこしながらエリザベス様を見守っておられた。


 思わず教室中の視線がエリザベス様に集まってしまったのだが、それを殿下が端から端までざっと睨みつけた。……怖かった。

 私の隣に立っていたマリーは、どうやら直撃を食らったようだ。「ひえ……」と情けない声を出している。


「ねえ……、あれってやっぱり、エリザベス様を見るんじゃねぇ!って事かな……?」

 私の腕にしっかりしがみつき、震えながら言うマリーに、私は苦笑して頷いた。

「だと思うわ。エリザベス様も、大変ね」


 お菓子を食べて少し頬が緩んでらっしゃるエリザベス様を、他の人に見せたくないのだろう。

 随分と、お可愛らしい嫉妬だ。……なんて、殿下に向かって不敬かしら。でもそうよね。好きな人の幸せそうな笑顔なんて、独り占めしたいわよね。


 王太子殿下なんていう雲の上の方も、当たり前の話だろうけれど、ちゃんと私たちと同じ人間なんだな……と嬉しく思った。



 その日も殿下がご欠席だったので、私はエリザベス様にお菓子を差し入れた。王都で人気のお菓子屋さんだ。エリザベス様は、微笑んで「ありがとうございます」と仰って、受け取って下さる。

 こんな平民からの差し入れを受け取ってくれるだけで、もう好感度高い。


 お隣に座る侍女様(かな?)がお毒見をし、エリザベス様にお菓子が渡る。

 教室中が、こっそりとエリザベス様を注目している。

 エリザベス様は箱からお菓子を取り出すと、小さなお口で食べ始めた。美味しかったらしく、口元が幸せそうな笑みの形をしている。


 も~~~、見てるこっちまで幸せ!


 マリーが「何してても可愛い」って言うけど、本当よね!

 少しは、殿下がいらっしゃらないつまらなさ、お忘れになられたかしら。そうならいいんだけど。



 マリーとは、入学式が終わってすぐ、教室へ移動する間に仲良くなった。マリーから声を掛けてきてくれたのだ。

「女の子、ホントに少ないし、仲良くしない……?」と。

 仲良くなら、大歓迎だ。


 マリーベル・フローライトという名で、伯爵家のご令嬢なのだそうだ。……マリーが貴族とか、言われなきゃ絶対分かんない。言われても、一瞬「え?」て思う。

 何だかとても庶民的で、可愛らしくて、元気な女の子だ。気取ったところがないし、クラスの他の平民の男の子たちとも普通に会話している。むしろ、マリーの方が腰が低いくらいだ。

 ……貴族令嬢って、こういう感じだったかしら?


 エリザベス様は貴族って言うか、『お姫様』って感じなんだけどな……とマリーに言ったら、「あんな本物の大貴族様と一緒にしないで! 無理無理!」と言われた。

 マリー……、貴女も本物の貴族でしょ……? それとも偽物なの……? 近所の五歳の子の『貴族ゴッコ』の方が、貴族らしく見えるわよ……? というか、『偽物の貴族』って何?




  *  *  *




 何だか、気付いたらマリーとエリザベス様が親しくなっている。

 やっぱり貴族同士、話が合うとかそういう感じなのかしら? ……未だに、マリーが貴族のご令嬢っていうのが信じられないけれど。あの子、ウチの近所に住んでても違和感ないのよね……。


 そのマリーから、エミリアも時間があったら一緒にお茶でもどう?と言われ、放課後に学院のカフェテリアに居る。

 ここのメニューは美味しい上に安い。しかも、簡単に食べられるように、ナイフやフォークを使わなくても大丈夫なものが多い。ハムを挟んだパンだとか、グリルした鶏を一口大に切ってピックを添えてくれているものだとか。

 テーブルマナーなど知らない私たち平民でも、気後れせずに食べられるメニューだ。


 本などを読みながらでも手を汚さず食べられるし、実際そうしている学生や講師も多い。何と言うか、肩肘張る必要がなくて、私たちのような平民にはとても有難い。

 それに、ここに通う貴族の方々は、私たち平民のマナーがなっていなくとも、煩く言われる事は殆どない。さりげなく「これはこうだよ」と教えてくれる方が多いのだ。有難い。


 マリーと二人で外のテラスでお茶を飲みながら待っていると、エリザベス様がやって来た。


 エリザベス様は時々、軽く跳ねるような足取りで歩いている。今日もそうだ。その様がとてもお可愛らしくて、マリーと二人で笑顔になってしまう。

 ぴょんと歩くごとに、柔らかそうな髪がふわっと舞い、お綺麗なスカートの裾もふわりと揺れる。

 なんてお可愛らしいのかしら!!


「お待たせして申し訳ありません」

 テーブルの傍まで来ると、エリザベス様はそう仰って、軽く頭まで下げてこられた。

 えぇ!? 貴族の方に、そんな風に頭を下げられるなんて!

 少し驚いている私と違い、マリーはいつも通りに笑っている。

「いえいえー。全然ですよー。あ、エリザベス様も、どうぞ座って下さい」

 マリー……、貴女が仕切ると、何だか不安になるわ……。大丈夫なの……?


 エリザベス様はマリーにすすめられた通り椅子に座られると、私を見て微笑まれた。わー……可愛い。

「きちんとご挨拶をするのは、初めてですね。エリザベス・マクナガンと申します」

「エミリア・フォーサイスです」

 それ以上、何を言ったらいいのか……。貴族の方とお話なんて、した事ないから分からない。

 ……あ、マリーも貴族だったわ。


 そのマリーが、ぺこっと頭を下げた。

「マリーベル・フローライトです」

「……知ってるわ」

「……知ってます」

 私の声が、エリザベス様と同時に発せられた。しかも内容も一緒。

 それに思わずエリザベス様を見ると、エリザベス様も私を見て笑ってらした。


「仲良くなれたら、嬉しいと思います。……エミリアさん、とお呼びしてもよろしいですか?」

「どうぞ。……私も、エリザベス様とお呼びしても構いませんか?」

「はい。何とでも、お好きにお呼び下さい」

 微笑んで頷いてくださるエリザベス様に嬉しくなり、二人で顔を見合わせて微笑んでいると、マリーが割り込んできた。

「私の事は、マリーと呼んでください!」

「呼んでるわ」

「呼んでます」

 また、同じ台詞。同じタイミング。


 そしてまた、エリザベス様と顔を見合わせて笑ってしまった。

 マリーだけは「何か私にだけ冷たくないですかー?」と膨れているが。


 畏れ多い事だが、何だか仲良くなれそうだなと、とても嬉しくなった。



 私は家族や近所の人々から、『エミィ』という愛称で呼ばれている。

 本当はそう呼んでいただきたいと思ったのだが、エリザベス様の愛称の『エリィ』と音が似通っているので、愛称ではなく『エミリア』と呼んでいただく事にした。

 ……だって、殿下が怖いもの。エリザベス様と似た音の愛称なんて、殿下に睨まれる予感しかしないんだもの……。……そんなに珍しい愛称でもないんだけれど。



 その日は、エリザベス様と色々なお話をした。

 私が学院への進学理由をお話したら、「素敵な夢ですね」と微笑んで下さった。その笑顔はあのお医者様ととても良く似ていて、それを見た私はエリザベス様はきっととてもお優しい方なのだろうなと嬉しくなった。




  *  *  *




 ある日、何だか少し体調が悪かった。

 少し頭が痛く、ぼんやりとする。

 けれど、学院を休みたくない。今の私は、勉強をするのが楽しくて仕方ないのだ。


 学院についても、身体はだるいままだ。

 席に着いて、なんだろうな……と溜息をつく。家を出る前より頭がボーっとしている。何だか思考が纏まらない。


 学院では、授業の際の座席位置に指定などはない。勝手に好きな場所に座れば良い。

 ただ、一番後ろの列の真ん中は、エリザベス様と殿下の指定席だ。背後に人の居ない状態の方が、警護の都合がいいらしい。

 なので学生は、最後列だけを避け、思い思いの席に着く。


 私は真ん中あたりの席に着いていた。

 三人並んで使用できる長い机と、ベンチのような椅子だ。その端に座っている。

 反対の端に、誰かが座った。

 大抵、そういう着席の仕方になる。真ん中を開け、端と端。そうすれば、テキストや資料などを机に広げても、隣の人の邪魔にならない。それに、座席数は受講者数より多いので、真ん中を開けても何の問題もない。


 エリザベス様と殿下だけ、隣り合ってぴったりと寄り添うように座ってらっしゃるけれど。……あれ絶対、殿下がそうされてるんだと思う。エリザベス様、そういう事に疎そうだし……。


 えー、と……。今日の一コマ目は、何だったかな……。経済……だったかな……。


 椅子に置いておいたカバンから、ごそごそと筆記用具とノートを取り出す。時間割が思い出せないなんて、もしかしたら本当に具合が悪いのかも。


 ああ、どうしよう。医務室へ行った方がいいだろうか。でも何だか、立つのも億劫だ……。


 そんな風に思っていたら、不意に隣から声がかけられた。

「……大丈夫?」

 大丈夫、とは、何がだろうか……。

 隣を見ると、空席を一つ挟んだ隣の人物が、少し心配そうにこちらを見ている。


 彼は、『主さん』などと呼ばれている学生だ。

 もう三年くらい、この講義を受け続けているらしいと聞いた。本当かどうかは知らないが。


 主さんはこちらを見て、軽く首を傾げている。

 えっと……、何だっけ……?

「具合、悪いんじゃないの?」

 悪い……のかな……?

 何だっけ……?


 ぼんやりするだけの私に、主さんは立ち上がるとぐるっと座席を回ってきて、私の横に立った。

 そして、私の腕を軽く引いた。

「医務室行こう。連れてってあげるから」


 ぼけーっとした頭で、何を言われているのかも良く分からないまま、それでも頷いた。

 その後の記憶がない。



 眠っていたらしく、目を開けるとどこかのベッドの上だった。

 ベッドの周囲はカーテンで仕切られており、見回してみてもカーテンしか見えない。……診療所に似てるな。じゃあ、学院の医務室とかかな?


 身体を起こして、ベッドから降りようとしていると、カーテンがそっと開けられた。

「ああ、目が覚めた? もう少し寝てなさい」

 医務室の、女性の医官だ。ではやはり、ここは学院の医務室だ。


「えっと……、私、どうしてここに……?」

 全く覚えがない。

 尋ねると、医官の方が苦笑した。

「熱があったのよ。一般教養の学生さんよね?」

「はい」

「同じクラスのキャリーさんが貴女を連れてきてくれたのよ」


 そう言えば、主さんが何か話しかけてきたような気がする。……主さん、『キャリー』という名前なのかしら? 主さんとしか知らないわ。


「今はお昼休憩ね。もう少し休んで、放課になったら帰りなさい」

「……はい」

 授業、受けられなかったな……。


「あと、これ」

 医官の方が、私に向かって何かを差し出している。数枚の紙のようだ。

 受け取ってみると、学院のレポート用紙に、午前の授業のノートが取ってあった。

「一般教養の女の子が、貴女に渡してくれ……って。午後の分は、また後で持ってくるそうよ」

「ありがとうございます」

 嬉しい。


 もう少し横になってなさい、と言われ、私は素直にベッドに横になった。

 どうやら、疲労からの発熱らしい。

 確かに、受験勉強からこっち、ずっと気を張って頑張ってきた覚えがある。それが少し緩んで、疲れが出たのだろうという事だ。


 ベッドに横になり、医官の方から受け取ったレポート用紙を眺めた。

 午前の三コマの授業のノート。

 一コマ目は、マリーの可愛い女の子っぽい文字。二コマ目と三コマ目は、エリザベス様の綺麗な文字。


 マリーの取ってくれたノートは、先生のお話しになった注釈なんかが端の方にごちゃっと書かれていたり、『ポイント!』と書かれた文字の横にお花の絵が描かれたりしていて、とても賑やかだ。

 対してエリザベス様の取って下さった方は、綺麗な文字で整然と読み易く、且つすっきりとしたものだ。注釈のようなものは、下部に纏めて書き込まれている。


 ノートって、性格が出るのね。

 そう思って、何の面白みもない筈の授業のノートで、暫くの間くすくすと笑ってしまった。


 お勉強だけを目的に入った学院で、こんなに素敵な友人が二人も出来るなんて、思ってもみなかった。

 頑張って学院に入って良かったな、と思ったのだった。



 今日の授業が終わると、マリーとエリザベス様が様子を見に来てくれた。

「エミリア、もう起きて大丈夫?」

 心配そうな顔のマリーに、微笑んで頷く。

「ええ。寝たら良くなったみたい。もう大丈夫よ」

「良かったぁ」

 ほっとしたように笑うマリーの隣で、エリザベス様がまだ少し心配そうな顔をしている。

「でも、無理なさらないでくださいね? そういう疲れだとかは、意外と自分が一番分かっていなかったりするものですから……」

「はい。気を付けます。ありがとうございます」


「あ、これ、午後のノートね!」

 言って、マリーが手に持っていたレポート用紙を差し出してくる。

「ありがとう。すごく助かるわ」

 本当に助かる。


 貴族の方々と違い、私はここへ入るまでに、それほど高度な教育は受けていない。全てが付け焼刃に等しい。なので、少しでも遅れると、取り返しがつかなくなる可能性がある。

 だから授業を休みたくないのだ。

 けれど、休んでしまっても、こうして友人が代わりに要点をまとめたノートを作ってくれる。それはとても有難いし、とても嬉しい。


 受け取ったレポート用紙をぱらぱらと捲り、思わず手を止めた。

 四コマ目のノートはマリーの字だ。相変わらず、良く分からないが可愛いイラスト入りだ。

 五コマ目のノートは、初めの数行がエリザベス様の文字なのだが、途中から文字が変わっている。

 エリザベス様の文字同様に、とても綺麗で読み易い文字なのだが、エリザベス様の文字とクセが違う。


 ……え? ちょっと待って……。エリザベス様の作業を、途中から交代出来る人なんて、一人しか居なくない……?


「……すみません、エミリアさん……。殿下が、やってみたいと仰せられたので……」

 やっぱりーーー!!


 お、王太子殿下に、ノート取らせちゃったの!?

「エ、エリザベス様……、私……、ふ、不敬罪とか……」

 どうしよう、手が震える。

「大丈夫です! 殿下ご自身がそう仰ったのですから!」

「だ……大丈夫、ですか……?」

「大丈夫です! それに、殿下はそれほど狭量な方ではありませんから」


 言えない……。

 殿下を『狭量でない』と言い切れるのは、エリザベス様だけだなんて……。

 とてもではないけれど、言えない……。


 でも、エリザベス様が『大丈夫』と仰ってくださっているのだから、きっと大丈夫なのだろう。……怖いけど。


「あと、まだ本調子でないでしょうから、ご自宅まで我が家の馬車を用意してあります」

「え!?」

 公爵家の馬車!?

「きっと公爵家の紋などが入っていると、気後れされるかと思いまして、私自慢の『お忍び号DX(デラックス)』をご用意いたしました」

「え!? 何ですか、それ!」

 ……どうして貴女が目を輝かせるの、マリー……。

 そしてエリザベス様、どうしてそんなに得意げでいらっしゃるのですか……?


 医務室の外でお待ちになられていた王太子殿下も合流され、共に連れ立って学院の裏門へ向かった。

 ……生きた心地のしない時間だった。


 もう色々驚き過ぎて、様々な感覚がマヒしていたのだが、更なる驚愕というか不可解というかがそこにはあった。


「これが、私自慢の『お忍び号DX』です!」

 とても得意げな笑顔で馬車を手で示したエリザベス様だが、私はどういった反応が正解なのかが分からず、ただただ困惑していた。

 ちらりと見ると、王太子殿下も初めて見る表情をされていた。……なんと言えば良いのだろうか。ごっそりと感情が抜け落ちたような、『無の表情』とでも言えばいいのだろうか。


 エリザベス様が示したのは、街中を走る乗合馬車に似た、とても質素な馬車だった。

「えー? 普通の乗合馬車じゃないんですかぁー?」

 呑気にそう言うマリーに、私は「勇気あるわね!? マリー!」と思っていた。……口には出せなかったが。


「マリーさん。『お忍び』とは、どういう事か分かっていますか?」

「こっそりお出かけする事じゃないんですか?」

 きょとんとしたマリーに、エリザベス様が「ふっ」と鼻で笑われた。……どうしてそう、芝居がかってらっしゃるのですか……?

「甘いです! 紅茶に砂糖を壺ごと突っ込むくらい、激甘です!!」

「それはジャリジャリしますね!」

 そういう事じゃないと思うわ、マリー……。


「『お忍び』……、つまりそれは、『忍んでなんぼ』なのです! 公爵家の馬車など、忍びようもないではないですか!」

「それは確かに……!」

「そこでこの、『お忍び号DX』です! 外観はほぼ乗合馬車と同レベル。しかし、内装をご覧ください!」

 言いながら、エリザベス様は控えていた従者に馬車の扉を開けさせた。


 中は、乗合馬車とは全く違い、シートからして高級感がある。


「この、ゴージャス且つラグジュアリーな空間! これぞ貴族のお忍びに相応しいスタイルでしょう!」

「わー! エリザベス様! 乗ってみていいですか!?」

「どうぞ」

 うむ、と鷹揚に頷かれるエリザベス様に、マリーは「わー!」と無邪気な歓声を上げながら馬車に乗り込む。

 その横でエリザベス様が、シートのスプリングがどうの、座面のビロードがどうのと、馬車の説明をされている。


 ……何だろう、これ。


 そう思っていると、隣から深い深い溜息が聞こえた。

 見ると、王太子殿下が遠くを見る目をしていらした。

「……エリィとフローライト嬢は、いつも『ああ』なのだろうか……?」

 私にお尋ねになられているのよね?

「まあ……はい。大体いつも、あんな感じでしょうか……」


 そう。エリザベス様が良く分からない事を言い、マリーが更に分からない事を言う。いつもそんな感じだ。けれど、それが楽しくもある。……大変な事もあるが。


「そうか……。君も、苦労しているのだな……」

 君()

 ああ……。殿下もご苦労なさっておられるのですね……。

「分かっていると思うが、エリィにあの馬車についての質問などはしない方がいい」

「はい。理解しております」

 頷いた私に、殿下も深く頷き返して下さった。


 そう。エリザベス様にうっかり質問をしてしまうと、恐らく理解できない説明を延々と聞かされる羽目になる。

 いや、エリザベス様が楽しそうなのは何よりなのだが、聞いてもさっぱり意味が分からないのだ。


 私は極たまにそういう状況になるだけなのだが、恐らく殿下は、ずっとそういう状況に居られるのだろう。……それは『無の表情』にもなろう。



 その後、私は「どうしても乗りたい!」と駄々をこねたマリーと共に、『お忍び号DX』で家へと帰った。……因みにマリーは、私が降りた後もそのまま乗り続け、学院まで送ってもらったらしい。

 基本的に小心者なのに、どうしてそういう時だけ図々しくなれるの、マリー……。

 エリザベス様ご自慢の馬車だけあり、乗り心地は乗合馬車とは大違いの快適さだった。


 その快適な馬車の中、私は勝手に王太子殿下に親近感を抱くのだった……。




 熱を出してしまった時、私はどうやら医務室へ向かう途中で気を失ってしまったらしい。

 それを、『主さん』ことダニエル・キャリーさんが抱き上げて運んでくれたそうだ。


 ……わー……、意識なくて良かった! 恥ずかしすぎる!!


 街でお菓子を購入して、「その節は御迷惑をおかけしました……」とお詫びをしたら、キャリーさんは「いや、別に。大した事してないから」と笑ってくれた。

 お菓子は一応、もし甘い物が嫌いだったら……と考えて、甘みが控えめのチーズ味のクッキーにしておいた。後から考えて「でもあれも結構、好き嫌いある味だったかも!」と慌てたが。

 後日、キャリーさんから「お菓子、美味しかったよ。ありがとう」と言われてほっとした。



 何か、キャリーさん、いいなぁ……。

 空気感?ていうのかしら。ほっとする感じ。

 私が具合が悪いのにも、最初に気付いてくれて。医務室まで運んでくれて。でもそれを恩に着せない。


 何かいいなぁ。


 その日から、私はキャリーさんに話しかけるようになった。


 その私を、エリザベス様が微笑みながらご覧になられている。

 でも……。

 どうしてだろう。時々、小さい頃に亡くなった祖母を思い出す……。

 おばあちゃんが、ああいう笑顔で私を見てたなぁ、って……。

 どうしてかしら?



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