24 魔境の一端を垣間見て、軽く混乱する側近。
俺の父の妹が、今の王妃陛下でいらっしゃる。
つまり、王太子殿下や姫殿下の従兄弟。それが俺、ヘンドリック・オーチャード。
王太子であるレオンより、三つ年上だ。
あと俺には、妹が一人と弟が一人居る。妹は既に他家に嫁に行った。妹の幼馴染であった伯爵家の跡継ぎだ。仲良くやっているらしい。弟は現在、他国へ留学中である。侯爵家を継ぐつもりはないらしく、何になるつもりなのかは分からない。
レオンは子供の頃から知っているが、随分変わったな、と最近は特に思う。
ガキの頃のレオンは、自分自身を含めた全てを、一歩引いた位置から冷静に見ている子供だった。自分の事すら他人事だから、感情が動かない。
レオンが『普通に』笑っているところを、見た事がなかった。
子供心に、レオンの事を『薄気味悪い』と思っていた。
いや、王となるにはそれでいいのかもしれない。自分に関心がないのだから、私利私欲になど走りようがない。そもそも『利』も『欲』もない。
とにかく優秀で、勉強なんかは三つ年上の俺より出来たくらいだ。
そして、両親譲りの美貌。
ガキの頃は、女の子と言っても通りそうなくらい、可愛らしい顔立ちをしていた。
……可愛いのは、外見だけだったけど。
妹が笑いながら「レオン様って、大きくなったら『氷の王子様』とか呼ばれてそうよね?」と言っていた。恥ずかしい名前だな、と笑ったが、そうなりそうだなとも思った。
人間の筈なのに、触れたらきちんと温かいのに、体温を感じないのだ。
氷の王子様。
ピッタリじゃないか。
……でもそれは、何かちょっと哀しいよなぁ。
レオン自身は、決して悪いヤツではない。良い王になるだろうとも思う。
けれど、付き合い辛い。
レオンの感情の見えない目が苦手だったんだ。
笑ったり、声を荒げたりしていても、それが『今はそうすべきだから』という『考え』でそうしているだけ……みたいな。
本当に『楽しいから』とか、『嬉しいから』で笑っている訳じゃない。
レオンに対する『薄気味悪い』が、『ちょっと怖い』になって、俺はレオンと余り会わなくなった。
そうして距離を置いて数年。
珍しく、レオンから呼び出された。
何となーく重い気持ちで、城のレオンの執務室へ向かった。
侍従に案内されそこへ行くと、当然だけどレオンが居た。
あれ?という、小さい違和感。
コイツ本当にレオンか?
「久しぶりだな、ヘニー」
「だなー。つか、どーしたレオン。俺になんか用?」
軽口を叩いてみた。
レオンはそれに、小さく笑った。
あれ? 笑ったな、今。
「用がなければ、呼んだりしない。……まあ、座れ」
応接用のソファに座ると、レオンがその向かいに座る。
あれぇ? 何かちょっと、雰囲気変わったか?
「書面でもいいかと思ったんだが、顔を付き合わせた方が断り辛いかと思ってな。……お前に、私の側近となってもらいたい」
「……うぇ」
変な声が出た。
思わず漏らしたおかしな声に、レオンが「何だその声は」と小さく笑った。
レオン……だよなぁ? さっきから、笑ってる、よなぁ……?
「実はお前に断られると、後がない。だから何としても引き受けてもらいたい」
そう言って俺を見たレオンの目が。
昔の無機質なガラス玉のような目ではなくて。
「まあ、いいけど……」
気付いたら、引き受けていた。
レオンの仕事を手伝うようになって分かった事が幾つかある。
まず、レオンは恐ろしく多忙だった。
お前、今までこれ一人で回してたの!? ウッソだろ!? と言いたくなる量の書類が、毎日毎日処理しても処理しても湧いてくる。
それに加え、視察や賓客の歓迎などの公務が入る。
その合間を縫って、婚約者のエリザベス嬢と会っている。
執務や公務は削れないから、エリザベス嬢と会う時間削ったら?と言った事がある。
俺としては、レオンの身体を思いやっての発言だ。優しさ純度100%だ。
が、言った瞬間、レオンが「は……?」と、聞いた事のないくらい低い声を出した。
クッソ怖かった。
次に、レオンは婚約者を大事にしている事が良く分かった。
政略で選んだ相手だった筈だ。しかも、相手の顔も、人柄も、何も知らない状態で。
まあ、政略で選んだんだから、大事にするのは当たり前だ。しかもエリザベス嬢を選んだ理由は『誰の利にも益にもならず、且つ誰も損をしない』という、「何じゃそりゃ」と言いたくなるものだ。
まあ確かにマクナガン公爵家であれば、その条件は満たせる。しかも相手が公爵家なだけに、表立って文句も言い辛い。
そんな理由で選んだ相手なのだが。
どんなに忙しくても、どんなに立て込んでいても、エリザベス嬢が執務室を訪れると手を止める。レオンが彼女の来訪を断る事がない。
……まあ、エリザベス嬢は滅多に訪ねてこないんだが。
そしてどれ程時間がなかろうと、三日に一度は必ずお茶を一緒にする時間を取る。
事ある毎に、エリザベス嬢に贈り物をする。そして、その度に「今回は何を贈ろう……」と真剣に頭を悩ませている。
花とかで良くね? 女の子、大抵喜ぶじゃん、と言ったら「エリィは花に全く関心がない」と返された。……そりゃ悩むわ。
そんじゃ装飾品は? 「全く興味がない」って、エリザベス嬢、何なら喜ぶのよ!?
今まで何贈ったのよ?と尋ねたら「誕生日に、万年筆を贈ったな。使い心地が良く、手に馴染むと、喜んでくれた。大事にすると言ってくれたな」って、渋いな! 贈る方も、喜ぶ方も!
でもそう言ったレオンが、嬉しそうに微笑んでいて。
コイツ、昔とスゲー変わってねぇか?と気付いた。
あの、感情のない薄気味悪い子供だったレオンを変えたのは、エリザベス嬢で間違いない。
レオンに話を聞く限り、えらく不思議な女の子だ。
……レオンが全然会わせてくんないから、一回しか会った事ないけど。
どんな子なのか、興味あるんだけどな。
会わせてよ、っつーと、レオンが露骨に嫌な顔するから、すげー無理っぽいけど。
ちょっと、話してみたいんだけどな。
* * *
そんな婚約者大好きというか、独占欲が爆発してるレオンが、エリザベス嬢の家に一緒に行くか?と誘ってきた。
何か裏ある?と尋ねたら、えらく深い溜息が返って来た。
「別に、裏などない。……ただ、あの家に行くなら、一人より誰か居た方が気が楽だと思っただけだ」
何ソレ?と、レオンの背後に控える護衛騎士のグレイを見ると、グレイは僅かに苦笑していた。
苦笑っちゃうような家なの? え? それ、どんな家?
まあ、いいや。
折角、レオンがエリザベス嬢に会わせてくれるっていうんだから、行ってみよ。
マクナガン公爵家へ向かう馬車の中、レオンは始終、眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。
それ、愛しい婚約者殿に会いに行くカオか?
「レオン、眉間に皺寄っちゃってんだけど。なんでそんな難しい顔してんのよ?」
言いながら、レオンの眉間の皺を伸ばそうと、指でぐりぐりやってみる。速攻で払いのけられた。
「お前も行ってみれば分かる。……かもしれない」
何なのよ? なんでグレイもちょっと遠い目になっちゃってんのよ?
「マクナガン家は、魔境なのだ……」
って、だからそれ何よ!? 何か怖いじゃん!
到着すると、エリザベス嬢と執事らしき人、それと多数の使用人が出迎えてくれた。
……使用人、後ろの方、下働きとか居ない? え? 何で?
「ご到着、お待ちいたしておりました」
可愛い声で言いながら、エリザベス嬢がカーテシーをする。姿勢がめっちゃ綺麗だ。
エリザベス嬢自体も、めっちゃ綺麗で可愛い子だ。レオンが「どこかに閉じ込めておきたい」っていうのも分かんなくはない。……つか、やるなよ!? やりそーな気配あって怖いけど!
「出迎え、ありがとう、エリィ」
とか言いながら、めっちゃ自然にエリザベス嬢の腰に手なんか回して、頬にキスしてやがる。
お前、相手、まだ十二歳だぞ。もーちょっと我慢っていうか、控えろや。
……マジで、ガキの頃のレオン、どこ行ったんだろな? メロメロじゃないか。
「エリザベス様、私の訪問も許可いただき、感謝しています」
俺だって、貴族っぽい挨拶くらいできる。普段しないけど。
頭を下げた俺に、エリザベス嬢がふっと笑った気配がした。
「お客様は大歓迎です。……主に、使用人たちが」
……は?
使用人が? 歓迎してくれんの? 何で? ……いいけど、別に。歓迎してくれんなら。
その後、レオンとエリザベス嬢の良く分からないやり取りを見させられ、護衛騎士の二人がどこかへ拉致られ、公爵と夫人が待つという部屋へ案内された。
公爵家に相応しい、綺麗で広い部屋の隅に、イーゼルを立てた画家が居る。
公爵も夫人も全く気にしていないし、エリザベス嬢も気にしていない。が、レオンの目が少し死んでいる。
「殿下、ようこそおいでくださいました」
輝く笑顔で公爵が言い、夫人と揃って頭を下げる。それにレオンが「顔を上げてくれ」と言い、促されソファに座る。
レオンとエリザベス嬢が隣り合い、俺は一人掛けのソファだ。
……スゲー座り心地のいいソファだな。いいな、これ。
「ヘンドリック殿も、ようこそ」
笑顔を向けてくれた公爵に、俺は頭を下げた。
「いや、畏まらなくて構わないよ。来客があると、使用人たちが喜ぶ」
だからそれ、何すかね?
聞きたいけど、聞けない。
「レオン様に肖像画を描いて良いと許可を戴きました。テレンスさん、お願いします」
エリザベス嬢が嬉しそうに画家に声をかけた。画家はそれに「畏まりました」と返事をし、早速しゃかしゃかと木炭を動かし始めた。
「まぁ~、許可いただけたのねぇ。良かったわね~、エリィちゃん」
夫人がとても優しい笑顔で言う。それにエリザベス嬢もにこにこしながら頷いている。エリザベス嬢、母親似なんだな。夫人もすんごい美人だ。
「殿下、ありがとうございます。娘の我儘に付き合っていただいて」
笑顔で言う公爵に、レオンが溜息をついた。
「……本当に、『エリィの我儘』なのだろうか……?」
「本当でございますよ~。エリィちゃんがどうしても欲しい!と言うので~」
「そうです。何をお疑いになられるのです?」
笑顔の夫妻に言われ、レオンはまた溜息だ。何なんだ?
「……いや、もういい。……何だか色々、諦めがついてきた」
諦め?
え? ていうか、婚約者が肖像画欲しいって言ってるだけの話じゃないの?
俺が余程不思議そうな顔をしていたのか、エリザベス嬢が俺を見てにこっと笑った。
「ヘンドリック様、別に何もおかしな事はございませんよね?」
「ない……と、思いますけど」
うん。
俺も一応婚約者居るけど、欲しいって言われた事あるし。
「そうですよね」
にこっと微笑むエリザベス嬢の隣で、レオンがまた溜息だ。
肖像画欲しいって言うなんて、可愛いじゃん。レオンなら絶対喜びそうなのに。
……それ以前に、レオンの肖像画なら、売ってんじゃね? 画商とか、家具屋とかに。
まあでも、わざわざ欲しいっていう乙女ゴコロ?とかなのかね?
「今日は天気もいいから、殿下方に庭でも案内したらどうだ?」
「そうですね。……テレンスさん、大丈夫ですか?」
真っ先に画家に声を掛けるエリザベス嬢。それに画家は「はい、問題ありません」と答えている。
「では庭へ参りましょうか」
立ち上がったエリザベス嬢に手を引かれて、レオンは少しだけ嬉しそうな顔をした。
庭に出てすぐ、どこからか、甲高い笛のような音が響いてきた。
「……今の音は?」
怪訝そうな顔のレオンに、エリザベス嬢がにこっと笑う。本当に、笑顔が可愛い子だな。
「始まりの合図です」
「え? 何の?」
意味が分からず、素で発言してしまった。
地位としてはエリザベス嬢が俺より上だ。
なので俺は本当なら、エリザベス嬢に礼を尽くさねばならない立場だ。
うっかり素で話しかけ、実はかなり焦った。
けれどエリザベス嬢は、そんな事を全く気にした素振りもなかった。
「先ほど、護衛騎士が連れていかれましたよね」
ましたね。殆ど、拉致られてる感じだったけど。
「我が家の使用人たちが、彼らの実力を見てみたい……と言いまして」
あー……、お城の騎士様に興味津々みたいな感じかな?
「ノエルもノーマンも、死んだりはしないだろうな?」
レオン、真顔でなに言ってんの!?
「大丈夫です。加減は心得た者たちばかりです。かすり傷くらいなら与えるでしょうが、彼らの業務に支障が出るような怪我は負わせません」
いやいや、待って! 『使用人が』連れてったんだよね!?
相手、護衛騎士よ!? 騎士の中でもエリートよ!?
「おや、お嬢」
声を掛けてきたのは、庭師か何かだ。
庭師……だよな? 顔にデカい傷跡あったり、やたら厳つい雰囲気だったりするけど……。
「ウェズリー……か?」
レオンの驚いたような呟きに、庭師っぽい人が騎士礼をした。庭師かなんかなのに、騎士礼がめちゃくちゃ様になってる。というか、一般人、騎士礼なんて知らないよな……?
「ご健勝、お慶び申し上げます」
「……庭師、だろうか」
「はい。お嬢が食える草にしか興味ないもんで。放っとくと花が無くなっちまうんです」
『食える草』って何!?
「食べられる花だってあるじゃない」
エリザベス嬢、問題はそこじゃないと思うよ……。
「グレッグは参加しないの?」
「ディーに任せますよ。俺は最後だけ見れりゃいいんで」
「それもそうかもね」
……え? 何してんの? ていうか、誰、この爺さん?
一人だけ何もわかっていない俺に、レオンがこそっと教えてくれた。
「ウェズリーは、先王陛下の専属護衛だった者だ」
専属護衛!? なんでそんな人がここに居るの!? 退団した騎士って、騎士学校の教官とかやるんじゃないの!?
え、何なの……。俺、驚いてばっかりで、既にちょっと疲れてきたんだけど……。
エリザベス嬢の案内で庭を見て回った。
花より木の方が多く、更には雑草にしか見えない草はもっと多かった。ハーブとかじゃなくて、ホントに雑草にしか見えねんだけど……。
エリザベス嬢曰く、「季節のおかずです」だそうだが、公爵家って確か資産額トップクラスの筈……。
何で草食ってんの?
庭をぐるっと見て回って、庭の隅にある小さな四阿にたどり着いた。
そこの椅子に座ると、侍女らしき人がお茶の用意をしてくれた。
様々な菓子も並べられた。
……が、レオンの菓子だけ別に用意されている。何で?
「レオン様はそちらを召し上がってください。私とヘンドリック様は、こちらをいただきましょう」
「何が違うのだろうか」
レオン専用の皿に取られた菓子と、テーブルの中央のトレイに置かれた菓子は、種類も何も同じに見える。
見えるのだが……。
「レオン様の分は、全部『大丈夫』なものです」
笑顔で言うけど、意味分かんないんだけど!?
「では、『大丈夫じゃない』ものとは……?」
あ、聞いちゃう? レオン、それ聞いちゃう?
「中にマスタードですとか、ホースラディッシュですとかが詰まったものが混ざってます」
超笑顔で!!
「……そうか。私は大人しくこちらをいただこう」
「はい。我が家の菓子職人は腕が良いので、お城の方々にも負けないと思います」
「そうか」
いやいやいや、君たち、微笑み合ってるけども!
俺の分、中に何か入っちゃってるんだよね!?
エリザベス嬢って、こんな感じの子なの? レオンの話だと、もっとこう大人っぽいっていうか、理知的っていうか、そういうイメージだったんだけど。
あと気になるのが、テーブルの脇にチェス盤みたいなのが置いてあるんだよね。
ていうか、ホントにチェス盤だな。駒が、白のルークが一つと、黒のポーンが三つしかないけど。
「ヘンドリック様、よろしければどうぞ」
エリザベス嬢ににこにこと菓子を勧められ、断るのも失礼なので、吟味した上で一つ選んだ。
小さなタルトだ。……どれもこれも、中に何か仕込める形状の菓子ばかりだ。くそう。
恐る恐る齧ってみたが、普通に美味かった。中はベリーのジャムとカスタードクリームしか入っていなかった。
美味しいでしょう?と少し自慢げに言うエリザベス嬢が年齢相応で可愛らしく、思わず笑ってしまった。
「そのチェス盤は?」
レオンも気になっていたらしく尋ねると、エリザベス嬢がにこっと笑った。
「グレイ卿とアルフォンスの現状です。白が彼らで、黒が我が家の使用人です」
言っていると、執事がやって来て、駒を幾つか動かした。
「トーマス」
「はい」
「東へ一マス、南へ二マス」
「畏まりました」
執事は恭しく礼をして、またどこかへ歩いて行った。
「駒を動かすのは、エリィか。……これは骨が折れるだろうな」
苦笑しているレオンに、エリザベス嬢が軽く笑う。
「私は誘導するだけです。実際に動かすのは、使用人たちです。彼らが私の思うとおりに、グレイ卿とアルフォンスを動かせるかどうかにかかっております」
「因みに、勝敗はどうやったら決まるんだい?」
「ゴールはここです。ですので、ここで待っていたら、いずれ分かります」
ティーポットを持った侍女がやって来て、お茶を注ぐついでのように、チェス盤の駒を動かす。
「東へ一マス。アンナをそろそろ投入して」
「承知いたしました」
エリザベス嬢の短い言葉に頷くと、侍女はまた歩いて行った。
レオンは分かっているようだが、俺には何だかさっぱり分からない。
「……つまり、何がどういう事なんですか?」
尋ねると、エリザベス嬢が「ふふ」と小さく笑った。
「使用人たちが、護衛騎士の実力を見たくて連れて行った……と言いましたでしょう?」
言いましたね。
「邸の裏手に雑木林があり、現在彼らはそこに居ます」
雑木林。
何で大貴族の邸の敷地内に、そんなものがあるのかな!?
王都でもちょっと珍しいよ!? 領地には幾らでもあるけども!
「わざと、何の手入れもされていない林を作ってあるのです」
だから何でよ!?
「そういう場所があると、侵入者はそこを『穴』だと勝手に勘違いします。『何故そんな不自然なものがあるのか』に気付くような者は、まず侵入などを考えません」
笑顔が眩しいけども……、エリザベス嬢、何言ってんの?
「その手つかずの林の中には、対侵入者の罠が幾つもあります。大半が使用人たちの趣味の産物ですので、害のない驚かすだけのような物から、一撃必殺の物まで多種多様ですが」
「一撃必殺とは……?」
やっぱそれ気になるよな、レオン!
対してエリザベス嬢のイイ笑顔ときたら!!
「起点を踏むと、まず矢が飛んできます。平均的な成人男性の身長をイメージして、大体頭の位置に」
既に殺る気がすごい!
「しゃがんで避けた場合を想定して、時間差で腹の位置にもう一本。移動して避けた場合を想定して、二歩程度移動した位置に落とし穴と、内部には水を張ってあります」
え……、えぇ~……。
「それにも気付いて避けた場合、穴の周辺にもう一回、矢の罠が仕掛けられています」
なんでそうエゲツない話を笑顔で出来んの!?
「それは今回は撤去してありますけどね。矢じりに麻痺系の毒薬も塗られているので、かなり危険ですから」
どんだけよ!!
そうか……って、レオンがすげー遠い目になっちゃってるから! 気付いて、エリザベス嬢!!
ていうか、『使用人たちの趣味』って言ったよな!? どうなってんの、ここの使用人て!!
「我が家の使用人は、少々変わった経歴の持ち主が多く居まして。そんな彼らの中でも、戦闘特化型の者たちが、現在雑木林の中に散っております」
戦闘特化型の使用人て、何すかね……?
洗濯専門とか、掃除専門とかなら、ウチにも居るんですけどね……。
「戦闘特化型……って、衛兵とかそういう人たちですか?」
門衛やら、護衛兵やら、貴族の邸や家人を守る為に雇われている使用人は、侯爵家にも居る。
「いいえ。戦闘が得意な馬丁だったり、ポーターだったり、洗濯メイドだったりです」
……ごめん、エリザベス嬢。何言ってるのか分からない……。
「このチェス盤は、先ほども言いましたが、彼らの現状です。今、護衛騎士たちはここに居て、周囲に三人ほど潜んでいる使用人が居る状態です」
あい……。何かもう、訳わかんなくて、何でもアリみたいになっちゃってるな、俺。
「今回潜んでいる者たちは、基本的に単独行動の奇襲戦法が得意な者です。彼らが好き勝手に護衛騎士に戦闘をしかけます。それによって、もし護衛騎士を『戦闘不能と成り得る状況』にできれば、護衛騎士に減点。逆に、使用人がそういう状態に追い込まれたなら、使用人は『一回死亡』。二回死亡した使用人はゲームから離脱します」
遊戯だったんだ!? 遊びなの!? こんな殺意高い遊び、聞いた事ないんだけど!
騎士団の演習みたいになってんだけど!
言っていると、執事が来てまた駒を動かした。
「アンナが一回死亡です。ジャクソンも同じく。騎士殿は両名、減点1」
「減点を付けたのは?」
「グレイ殿はディーに。ノーマン殿はセザールに」
「……何の参考にもならなかったわ。……西に三。セザールとディーは退かせてください。あの二人が居ると、騎士様が疲れるだけだわ」
「畏まりました」
……減点って言ったな? 確か『戦闘不能になり得る状況』だっけ? つまり、使用人が護衛騎士を倒せる(もしくは無力化する)状況が出来たって事!?
どうなってんの!?
それからは暫く、他愛のない話をした。
学院での出来事や、エリザベス嬢に出来たご友人の話、レオンの執務についての話……。
合間合間に、使用人たちがやって来て駒を動かし、エリザベス嬢が指令を出していく事を除けば、和気藹々としていた。
やがてエリザベス嬢が「そろそろ陽も落ちるから、騎士様方をここへ」とメイドに告げた。それに「畏まりました」と返事をし、メイドは去って行った。
恐ろしい事に、盤面はずっと、エリザベス嬢が告げる通りに動いているのだ。
……使用人もだけど、この子もどうなってんだ?
エリザベス嬢が賢いという事は良く分かった。
短い時間だが話をしてみると、彼女の知識量が尋常でない事はすぐに知れた。レオンが外交問題などを振っても、少し考えた後ですぐに自分なりの回答を出してくる。
この子、俺より七つも年下だよな!?と、何度も驚かされた。
……あと、メイドが持ってきた、エリザベス嬢の手製というクッキーにも驚いた。
味のない菓子なんて、生まれて初めて食べた。
美味しいとか不味い以前の問題だったし、口の中がぱっさぱさになってむせた。レオンも一つ食べて後は手をつけなかった……。
「お嬢、お疲れっすー」
呑気な口調で言いながら、青年が歩いてきた。
黒髪の人の良さそうな笑顔の青年と、白髪のびっくりする程綺麗な顔立ちの青年だ。黒髪の方は中背で細身、白髪の方は長身痩躯だ。二人とも、言ってはなんだがヒョロい。
「お疲れ様。最後にひと暴れ、お願いね」
「オッケーす」
「頑張ります」
二人は伸びをしたり、手足を振ったりと、準備運動をしているようだ。
「彼らは?」
尋ねたレオンに、エリザベス嬢がにこっと笑った。
「馬丁とポーターです」
「……そうか」
レオン! 質問諦めないで!
エリザベス嬢の言葉に、黒髪の方が軽く笑うと、レオンに向かって礼を取った。跪いて片手の拳を地に着ける、独特な礼だ。
それを見たレオンが、僅かに驚いたような顔をした。
感情を殆ど表情に出さないレオンが、それでも『驚いている』と周囲に分かるくらいだ。相当ビックリしてるんだろう。
「元、国王直属特殊部隊『鴉』、名は特にありません。ここではディーと呼ばれております」
鴉!? って、ホントに居るんだ!?
居るとは知ってたけど、見るの初めてだ!!
「『梟』に『鴉』に……。マクナガン公爵家とは一体、どうなっているのか……」
遠い目で溜息をついたレオンに、ディーと名乗った男が笑った。
「居心地のイイ鳥小屋っすよ」
ディーは立ち上がると、白髪の方を見て軽く肘で小突いている。「お前も名乗れよ」とせかしているようだ。
「ディーが挨拶したんだから、貴方もしなさいよ、死神」
「死神って言わないでください!!」
エリザベス嬢の言葉に、白髪が叫ぶように言った。
何ぞ? 『死神』?
白髪の方は「ふー……」と一つ溜息をつくと、レオンに向けて貴族の礼をした。見目がいいので、やたらと様になっている。
「セザール・ヴィクトールと申します。マクナガン公爵家のポーターでございます」
「いや、名乗れや、死神」
「煩いんだよぉぉぉ!!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいる二人を無視し、エリザベス嬢がレオンに微笑んだ。
「元暗殺者です。『白き死神』という通り名で―――」
「お嬢様、やめてぇぇぇ!!!」
ポーター、お嬢様の言葉遮ってるぞ……。
あ、でもエリザベス嬢、何にも気にしてないな……。
「現在は、自分でつけた恥ずかしい通り名に悶絶するだけのポーターです」
「……うん、……そうか」
レオン! 負けんな! すげー遠く見ちゃってるけど、負けんな! あと『死神』さんも負けんな! 強く生きろ!
「お嬢様、お待たせしましたー」
見た事もない何かを持ったメイドがやって来た。
クロスボウに似た物だけれど、形状が違う。何だ、ありゃ。
「リリィ、よろしくね」
「お任せください。試作十六号が唸りますよー!」
見た事のないクロスボウ(?)を構えたメイドに、レオンが軽く首を傾げた。
「ボウガン……か?」
「はい。バーンディア帝国のボウガンを、更に独自に改良したものです」
……ん? いや、待って。エリザベス嬢、今なんて……?
ボウガンとやらを持ったメイドが、この国とは異なった様式の礼を取る。
「元、バーンディア帝国武器工廠開発部門所属、リリアーナ・キャンベルと申します」
……武器開発部門……。よく出国出来たな、この人……。
「レオン様、ヘンドリック様、お二方にお願いがあります」
ん? お願い?
「これから、彼女があの武器で私を狙います。お二方には、なるべく動かずに居て欲しいのです」
あぁ!?
言っている意味が分からない。
レオンもえらく驚いてエリザベス嬢を見ている。
でもエリザベス嬢はにっこにこの笑顔だ。
「当然、外すように撃ちます。お二方には危険はありません。ですのでレオン様、絶対に、私を庇おうと動かないでください」
あー……。レオンなら動くだろうなぁ。無意識レベルで。
「しかし……」
「大丈夫です。もし万が一当たったとしても、命には別条ございません。レオン様やヘンドリック様が動いてしまわれる方が、逆に危ないのです。……どうぞ、ご理解ください」
「一応俺が、お嬢の護衛の真似事をしますよ」
背後からそう言ってきたのは、元護衛騎士の庭師だ。
「まあ、あの護衛共も、本分さえ忘れてなきゃあ、お嬢や殿下を助けに走るでしょう」
「そういう事です」
レオンを見てにっこりと笑ったエリザベス嬢に、レオンが深い溜息をついた。
「……成程。そういう試験か……」
「そういう事ですな」
庭師が満足そうに笑った。
そして到着した護衛騎士二人と、鴉・死神との戦闘が始まった。
……が、早すぎて目で追いきれない。
何だ、ありゃぁ……。さっきまで軽口叩いたり、通り名に悶絶したりしてた人らだよな……?
ていうか、『護衛騎士』って、やっぱすげえんだな。俺は目で追うのがやっとなのに、二人ともちゃんと対応してる。
レオンは既に、遠い目で彼らを見ている。
……ていうか、エリザベス嬢っていっつもこんな感じなの?
エリザベス嬢だけ、すごいイイ笑顔で戦闘見守ってるけど。
と、そちらを呆然と見ていると、護衛騎士の二人が同時に何かに気付いたように走り出した。
へ!? 何だ!?
見ると、グレイがこちらへ、ノーマンは離れた木の陰へと真っ直ぐ向かう。
あ! ボウガン(だっけ?)のメイドさんか!
彼女はノーマンに抑え込まれ、グレイは射線を遮ってレオンとエリザベス嬢を庇うような位置で止まっていた。
「それまで!」
執事の良く通る声が、ゲームの終了を告げた。
「本分は、忘れちゃなかったようですなぁ」
庭師が独り言のように言う。それにエリザベス嬢が満足げに微笑んだ。
「それはそうよ。彼らは『王族専属護衛騎士』だもの。しかも、筆頭よ」
「その名前に溺れるヤツも居るんですよ、お嬢」
「勝手に溺れて沈めばいいわ、そんな人」
「はっは! その通りだ」
楽し気に笑うと、庭師は使用人たちが反省会のような事をしている方へ歩いて行った。
「……ウェズリーに、合格を貰えたようだな」
微笑んだレオンに、エリザベス嬢も微笑んで頷く。
「あの二人に関しましては、試すような必要も全く感じませんけれどね」
「確かにそうだ」
微笑み合う二人に、俺だけはなんだか複雑な気持ちになっていた。
この数時間だけで、どれだけ驚いたか分からない。
そりゃあ、レオンの表情も感情も、豊かになる筈だ。
エリザベス嬢はビックリ箱みたいだ。何が飛び出すか分からない。
ふわふわとした妖精のような見目からは想像もつかない中身が詰まっている。
そして、マクナガン公爵家は『魔境』だ。エリザベス嬢以上に、何が入っているのか、何が飛び出すのか、全く予測がつかない。
深入りすると抜け出せなくなりそうだな。
俺はせいぜい、距離取ったとこから、親愛なる従弟殿を見守らせてもらおうかな。
でもいつか、エリザベス嬢には礼を言おう。
レオンを人間にしてくれてありがとう、と。




