震災
2013年11月20日(水)
さて、四日目です。
昨夜泊まったホテルは、10時までいられるとのことで、9時に起きてから改めてお風呂に入り、コンビニで買ったオニギリを食べたり、爪切りもしたりと、ゆっくりしてから10時少し前に出発しました。
まあ、今日は遅めのスタートということで、昨日頑張ったということもあるし、案内板に書かれていた福島を目指します。
案内板が示す距離は100キロ程度ですし、丁度いいでしょう。
とりあえず、今日こそは関東を出たいですね。
ということで、相変わらず坂道が続く道を進みました。
一応、もう少し行った所で、またホテルを見つけましたが、昨夜ここを目指すのは厳しかったと改めて思いました。
そんなことを思いつつ、ある看板を見つけて……どうやら福島県に入ったようです。
あれ? 白河って福島県だったんですか?
いや、案内板で白河まであと少しというのは、わかっていたんですよ。
ただ、案内板に福島まであと100キロみたいなことも書かれていたので、一瞬混乱しました。
そして、案内板に書かれた福島というのは、福島市のことだろうと理解しました。
とはいえ、昨日のことを考えると、泊まれる所が見つからないという状況はやばいです。
そのため、ネットカフェとかで、もっと情報を集めてから先を目指したいです。
ただ、福島市って県と同じ名前がついているわけだし、きっと店も多く、ネットカフェなどもすぐに見つかるでしょう。
なので、そこまで頑張って行って、情報収集をするという計画で行きます。
そうして走っていると、ショッピングモールを見つけました。
そのため、ここで重要なミッションを一つこなします。
……今更ですけど、上着を買います。
そんなわけで、ショッピングモールに寄り、服が売っているフロアに向かいました。
とにかく、寒さを防げる厚手の上着というのは、絶対条件です。
あと、車に気付かれやすいよう、なるべく目立つ色にしたいです。
今のところ、上着も背負ったギターケースも真っ黒な感じだし……って、メチャクチャ危険な格好でここまで来たなと、改めて自覚しました。
まあ、一応リアバッグが目立つ黄色なので、それでどうにかなっていたんでしょう。
そんなこんなで服が売っているフロアに入ったところ、早速良さげなものを見つけました!
それは、真っ赤な服ですよ!
これで、通常の三倍の速度で移動できます!
……あ、それが言いたかっただけです。
すいません。
ただ、普通に厚手の服で、寒さ対策としても良さげだったので、早速購入して、すぐに着ました。
それから、軽く何か食べようと思い、たこ焼きを買って食べましてね。
丁度、自分以外、客が誰もいなかったので、この後の道とか、泊まれる所があるかとか、そんなことを店員さんに聞きました。
すると、白河にもあまり泊まれそうな所はないという答えが返ってきました。
……割とマジで、昨夜は危なかったようです。
それから、福島市というのは、福島県の中でも北の方にあり、色々と店も多く、泊まれる所もあるだろうとのことでした。
なので、今日は福島市を目指して、そこで泊まるのが良さそうだと改めて思いました。
また、自転車旅をしていることを話したら、店員さんと色々会話が弾みまして、その中で自分はある質問をしました。
それは、震災の被害についてです。
福島県は、2011年3月11日にあった震災で、被害を受けた場所です。
ただ、あれから二年以上過ぎているからか、今のところ震災による被害みたいなものは、あまり感じませんでした。
そのため、震災の被害などはなかったのかといった質問を店員さんにしました。
すると、店員さんは、特に嫌な顔をすることなく、それこそ世間話をするかのように話してくれました。
まず、この辺りは被害が少なく、大丈夫だったそうです。
ただ、店員さんは元々、仙台の方にいて、そちらの店で働いていたそうです。
しかし、仙台にあった店は津波で流されてしまい、それでこちらに異動することになったとのことでした。
つまり、この店員さんも、震災の被害に遭った一人ということです。
ただ、そうした話を、こんな初対面の自分にすんなりと話してくれて、被害に遭ったものの、それを前向きに受け入れているように感じました。
そして、こうした話を実際に体験した人から聞いて、テレビやネットで見た情報とは全然違うなとも感じました。
そうしてしばらく話した後、店員さんと別れて、また自分は出発しました。
ちなみに、白河を進んでいった際、一応泊まれる所があるのかと探してみましたが、店員さんの言う通り、全然なかったです。
マジで、この辺りは自転車旅をするうえで厳し過ぎる区間のようです。
あと、今日は筋肉痛なのか、脚が痛くて、スピードが全然出ません。
ホテルに泊まって、体力は回復したのに、身体が上手く動かせないというのは、歯がゆいものです。
そんなことを思いつつ走っていると、須賀川の途中で公園らしき場所を見つけたため、休憩がてら寄ることにしました。
そこは、公園と思っていたものの、どうやら神社かお寺のようでした。
さらに、中には何故か立ち入り禁止の黄色いテープみたいなものがちらほらあり、何だか変だなと思いました。
そんなことを思いつつ中を回っていると、丁度おばさん二人が話していましてね。
ただ、それよりも自分は、そこにあった壊れた建物に目が行きました。
そのため、自分はおばさん達に近付くと、質問することにしました。
「これ、何があったんですか?」
そんな質問をすると、おばさん達はすぐに答えてくれました。
「地震で壊れたんだよ」
「え!?」
それから、おばさん達は、震災があった時にこの辺りで何があったかという話をしてくれました。
この辺りも、震度6という激しい揺れがあったらしく、近くではダムが決壊するなど、多くの被害があったそうです。
ただ、テレビや新聞では、海岸沿いで発生した津波の被害ばかり伝えていて、内陸にあたる、この辺りの被害については全然報道されなかったとのことです。
実際、自分もこの辺りの被害について、何も知りませんでした。
そして、ここは朝日稲荷神社とのことで、震災の影響で神社が崩れてしまい、そのまま放置されているとのことです。
もう二年以上が経過しているのに、復旧されることなく、復旧する予定もないそうです。
それどころか、瓦礫をそのまま放置していて、危険だからと黄色いテープが周りに貼られているような状態です。
ニュースなどで復興が進んでいるなんて報道をしていたので、ある程度は元通りになっているのだろうと何となく考えていましたが、現状は全然違うようです。
また、この辺りは、アメリカの基準では立ち入り禁止になるほど、放射能の濃度が高いそうです。
おばさん達は、それを知りつつ、もう年寄りだから多少の影響があっても構わないといった感じで、ここに暮らし続けていると、笑いながら話していました。
ただ、若い人や子供に対する影響については怖いという気持ちがあるようで、まだ幼い孫をここに来させることはできないそうです。
そのため、孫に会う際は、おばさん達の方から会いに行くようにしているそうですが、体力的にそれもいつまでできるか心配だといった話をしていました。
そして、「こんな状態なのに、東京オリンピックなんかで盛り上がれるわけない」という、おばさん達が言ったこの言葉が、自分の胸に刺さりました。
自分は、あまりテレビというか、ニュースを見ない人です。
そんな自分にとっての福島は、復興が十分に進んでいて、みんな前と同じような暮らしをしている。
心にも余裕ができてきて、だから、東京オリンピックの開催が決まって、みんな喜んでいる。
そんな認識でした。
というのも、東京オリンピックの開催が決まった時、そのことを喜んでいる被災地の皆さんといった感じの映像が流れていて、今でもすぐそれが頭に浮かぶからです。
でも、実際は全然違うじゃないかと思いました。
そうして、実際にこの場所に来ないと見られなかったであろうものを見ただけでなく、聞けなかったであろう貴重な話も聞いた後、自分はまた出発しました。
ちなみに、別れる際、おばさん達から、二本松には城があるから、上り坂が多いかもしれないという嫌な情報を聞いたので、ここから気合を入れます。
しかし、マジで脚が動かない!
しかも、右膝が痛み始めた!
何を隠そう、私の右膝には爆弾が……ってほどじゃないですけど、何かスポーツをしている時、右膝を痛めることが結構あるんです。
そして、痛めた時は基本的にすぐ治りません。
……ということは、詰んだ?
そんな感じで、メンタル的にもネガティブになってしまい、かなりやばいです。
あと、脚が上手く動かないせいで、体力も無駄に消費しているのか、とにかく疲れるというか、お腹が空きます。
ということで、途中で牛丼を食べたものの、あまり疲れは回復しません。
それでも先に進むと、途中でネットカフェを見つけました。
とはいえ、今は15時頃で、まだまだ走りたいので、無視しました。
そうしたら、次第に眠くなってきましてね。
途中にあったベンチの近くに自転車を止めると、ベンチで横になり、軽く目を閉じました。
そうして軽く休憩した後、また走りました。
ただ、途中でショッピングモールを見つけたので、ここは寄ります。
とにかく疲れがひどくて、バテバテな状態なので、何か食べようと思い、某チキンを食べました。
というか、自分は元々小食なのに、これだけ大量に食べたくなるということは、相当体力を消耗しているんだろうなということを改めて実感しました。
そうして少し落ち着いたところで、今後のことを考えます。
このペースでは、今日中に福島市に着かず、二本松までしか行けないでしょう。
そうなると、泊まれる所があるかどうか、かなり微妙です。
それだけでなく、上り坂が多いかもしれないという情報も気になります。
そうしたことを踏まえて、さっき見かけたネットカフェに戻るという選択肢が自分の中にありました。
そこで、泊まれる所を確認したうえで、改めて計画を立てるというものです。
そうすれば、泊まれる所がないといった、昨夜のような事態を繰り返すことはないはずです。
そんな考えも持ちつつ……自分は進むことにしました。
というのも、この旅は、綱渡りのようなものだという比喩じゃ足りないぐらい、ただただリスクが高く、いつ終わってしまうかわからないものです。
ここで、さっきあったネットカフェに戻るとしたら、数キロのロスになり、それも自分の体力を考えたら、ただただ避けたいリスクでしかないです。
だから、とにかく進み続けることにしました。
ということで、ドンドンと進みます。
しかも、色々と食べたおかげか、ペースも悪くなく、多少は進めるようになってきました。
ただ、右膝の痛みとは今後付き合っていかないといけないわけで、なるべく痛まない動かし方を意識していきましょう。
また、時々、左脚も痛くなりますが、それは一時的なもののようですし、どうにかしていきます。
そうした形で、脚の調子が多少ながら良くなりつつある中、下り坂が多くなってきました。
上り坂が多いと聞いていた二本松に入っても、下り坂が多いです。
とはいえ、上り坂も時々ありまして、そこは気合いで突破しました。
そして、福島市に入ったことを知らせる案内板を発見しました。
それから少し進むと、キレイな夜景が見えましてね。
思わず止まっちゃいました。
福島市には、色々な店があると聞いていましたが、本当にその通りで、多くの店の明かりが、キレイな夜景を作り出していました。
ただ、そこでふと思ったことがありました。
夜景、随分と下に広がっていないか?
というか、自分、随分と上にいないか?
ということで、その後はキレイな夜景を目指して、とにかく坂を下りました。
脚が痛い自分としては、ペダルを漕ぐ必要がなく、大助かりです。
そうして、大分下ったところで、色々な店がある場所に到着しました。
ネットカフェも見つけたので、今夜はここに泊まることにします。
まあ、少し時間も早かったので、ネットカフェに入る前に、薬局で傷パッドや、筋肉痛を和らげる薬などを買いました。
あと、近くの店でラーメンを食べました。
そうした買い物や食事を終えて、ネットカフェに入りました。
部屋も空いていて、良かったです。
それから、明日はもっと計画的に行こうと、インターネットを使って、色々と調べました。
そして、明日からは下のルートで行こうと決めました。
福島→仙台→一関→盛岡→二戸(八戸)→青森→函館(5号へ)→八雲(海沿い)→伊達→苫小牧(36号へ)→札幌?
大分適当ですし、このルート通りに行けるかどうかわかりませんが、それでも何の計画もないよりかはマシだろうと、ポジティブに考えます。
あと、これまではふわっと北海道を目指していましたが、札幌を最終目的地に決めました。
そんな一日でした。
―――――
<サイクルコンピュータのデータ>
・アベレージ
速度: 時速14.8キロ
ケイデンス: 50
下がりましたね……。
・マックス
速度: 時速37.6キロ
ケイデンス: 94
走行距離: 94.8キロ
総合走行距離: 257.4キロ
総合走行時間: 17時間06分19秒




