10話 己を己と証明するのは難しい
初撃のクナイを、吾輩は掌で受ける。
掌にぶつかったクナイはボロボロに弾けとんだ。
「……魔法、ですか。何魔法かは知りませんが、大した練度です」
「いや、単なる肉体強度である」
クナイ程度は吾輩の身体に触れた瞬間に朽ちてしまうのだ。
邪神であった時代には触れることすらさせずに吾輩の圧で朽ちていたのだが、さすがにそれは今は無理であろう。……本気を出せば出来るかもしれぬが、特に必要性も感じぬしな。
吾輩はネズフィラとの距離を測りながら、周囲の様子に目を配る。
吾輩が生きてきた歴史の中でも、屋敷の中で戦った経験というのは未だない。
周囲を壁に覆われての戦闘というのは、やはり幾分か窮屈な印象だな。
「殺しはしませんが……痛い目は見て貰いますよ」
「殺す気でよいぞ? どうせ無理だからな」
「戯言を……!」
藍色の目が鋭く光り、再びクナイを飛ばしてきた。
素早く飛ばされた三本のクナイは、それぞれ吾輩の両目と喉を狙ったものだ。
……本当に殺す気はないのであろうな?
疑いながらも、それを受ける。
たしかに目や喉は人体の弱点ではあるが、だからなんだという話だ。
吾輩の身体には、弱点だからといって、クナイが突き刺さるほどの弱所はない。
一応腐っても元邪神なのでな。
と、クナイに気をとられた一瞬に、ネズフィラが吾輩との距離を一気に詰めてきていた。
接近しながら構えるその手にはクナイが握られている。
「ほう……」
吾輩は感嘆の息を吐く。
素晴らしい敏捷性だ。
それに、気の逸らせ方も上手い。
とてもメイドとは思えぬ戦闘力であるな。
ネズフィラが吾輩の身体にクナイを突き立てんとする。
しかしそれも、吾輩の身体に触れた瞬間に砕けた。
「っ! なら……!」
ネズフィラはクナイで戦う選択肢を捨て、吾輩の懐へと入り込んでくる。
そして懐で背を向け、吾輩の身体を背中に乗せる。
なるほど、そのまま投げ飛ばそうという腹積もりか。
素早い思考展開だな。最初の策に必要以上に縋らないのは見事と言っていい。
「だがまあ――」
「はぁぁあっ!」
「――吾輩には及ばぬ」
ネズフィラの投げは、最後まで遂行されること叶わなかった。
それどころか、ネズフィラは吾輩の下で押しつぶされていた。
理由は至極単純――吾輩の魔力である。
魔力というのは通常、とても比重の軽い物質である。
しかし、吾輩が保有するレベルの魔力を全て一か所に集めれば、それはとんでもない重さとなる。
結果、こうなるというわけだ。
「くっ……!? な、何、この魔法……! こんな魔法、聞いたことも……」
「魔法ではない、ただの魔力の塊だ」
さすがにこれだけの魔力を魔法に変換してしまうと、威力的にこの屋敷が吹き飛んでしまうからな。それはよくない。
自分のことながら、吾輩もよく考えたものだ。
これなら傷も負わせずに勝てるしな。
「降参しろ、辛いであろう?」
「……っ!」
吾輩は眼前のネズフィラを見下ろし、言う。
それを『見下されている』ととったのか、ネズフィラは悔しさに顔を歪ませた。
吾輩の目の前で、ネズフィラはもぞもぞともがく。
「この重さでも動けるのか。大したものだ」
しかしこの体勢になった以上、もう吾輩に勝つ術は無い。
放出する魔力を増やして少しずつ重さを重くしていくと、やがてネズフィラは動けなくなった。
「……こ、降参、です……」
「あいわかった」
降参を受け取った吾輩は重さを元に戻し、ネズフィラに手を差し出した。
「誇れネズフィラ、其方は吾輩の想像を超えていたぞ」
まさかあれだけの重さの中で動けるとは思っていなかった。
それまでの動きから考えて、適正な負荷を掛けたと思ったのだが。
驚嘆すべき意思の力だ。
「……」
ネズフィラは無言で吾輩の手を握り、起き上がった。
それからしばらく苦虫をかみつぶしたような顔で吾輩を見つめる。
吾輩から何か言った方がいいのだろうかと考えた頃、ようやくネズフィラは口を開いた。
「……悔しいですが、完敗です」
「仕方がない、吾輩は元邪神なのだからな。まあそう落ち込むでない。其方も人間にしては中々猛き者であったぞ」
「ぐっ……ま、まだ言うのですか……っ!」
ネズフィラはわなわなと肩を震わせる。
「まだ言うも何も、いたって真実なのだ」
しかし、謝ろうにも謝れない。吾輩が悪いのならば謝るが、今回の件は吾輩悪くないだろう?
しかし、これから吾輩はネズフィラとひとつ屋根の下暮らしていくのだ。
吾輩が邪神だということを信じてもらえなければ、その度にこのような問答が起きてしまう。それは煩わしい。
「なあネズフィラよ。吾輩が邪神だということ、一体どうすれば信用してもらえる?」
「……なら、証拠を見せてください。本当にあなたが邪神であったというならば、私を倒したとき以上の力を見せてください」
「そうすれば信じてくれるという訳だな!? 何をすればいいのだ?」
ネズフィラは「そうですねぇ……」と顎に指を当て考える素振りを見せる。
そして、いつの間にかに無に戻っていた表情で言った。
「ゴミ捨て、皿洗い、洗濯……邪神なら、これら全てが出来るはずです」
「ほ、本当か? そんな話は聞いたことがないぞ?」
邪神であることを証明するための作業に、邪神である吾輩が行ったことがないものがあるとは一体全体どういうことだ!?
混乱する吾輩に、ネズフィラはすん、とした声色で言う。
「もしかしてジョナス……できないのですか?」
「できるっ!」
吾輩、即答した。
元邪神である吾輩に対して煽って来るとは見上げた女よ。
これに乗らないなど、邪神の名が廃るわ!
それから一時間後。
「ど、どうだ……!」
ネズフィラが課した「邪神であることの証明」の全てをこなした吾輩は勝ち誇る。
肉体を覆う鈍い疲労の中にも、確かな達成感を感じていた。
慣れぬことばかりで苦戦はしたが、それでも邪神の威厳というものは見せられたはずだ。
「お疲れ様でした」
「うむ」
軽く頭を下げるネズフィラ。
ネズフィラは吾輩に作業の仕方を懇切丁寧に教えてくれた。
封印されている間はいわずもがな、封印される前も、吾輩は召使いに任せきりで家事など一切行ったことがなかったからな。鍛冶なら何度か行っていたが。
クックックッ、これが邪神ジョークである。
ともかく、ネズフィラがいなければ吾輩が邪神である証明もできなかったのだから、その点は感謝したい。
そう思う吾輩に、ネズフィラは優しい声色で告げる。
「よく頑張っていて、感心しました。まあこれらは全て、邪神かどうかの判断には全く関係ないのですが」
「……騙したのか!? 許さんっっっ!」
怒るぞ吾輩!
「ああ、少しよろしいですか?」
しかめ面をする吾輩に、ネズフィラは身体を近づけてきた。
無表情のまま吾輩の胸元に白い腕が伸び――そして何かを摘まむ。
その指先には小さな糸が一本握られていた。
「埃がついていましたので」
「……なんだ、優しいところもあるではないか」
「あなたの服装が乱れていると、カリファ様まで低く見られてしまいますから。それだけです」
そう言って、ネズフィラはカリファの元へと歩き出す。
吾輩もその後に続いた。
吾輩はネズフィラと共に、カリファのいる部屋へと入った。
こちらに気付いたカリファは、「ジョナスさん、ネズフィラとも仲良くなれましたか?」と聞いてくる。
「仲良くはなれた。突然クナイを投げられ、嘘をつかれたがな」
「えぇぇっ!? ちょっ、ネズフィラあなた何してるの!?」
「ち、違うんですカリファ様! あ、あれはその……そう、ほんの歓迎と言いますかですね!」
「なんだ、歓迎だったのか。両目と喉を狙われたから、てっきり殺す気なのかと思ってしまった」
「……ネーズーフィーラー? どういうことか、教えてもらえるわよねぇ?」
おぉ、カリファから怒りのオーラが出ているぞ。
すごいな其方、そんなこともできるのか。
黒い笑顔のカリファにたじたじとなったネズフィラは、しどろもどろになりながら謝る。
「うぅ……も、申し訳ありません。ジョナスが自らのことを邪神だというもので、頭に血が上ってしまいまして……後で回復魔法で治せば問題ないかと思い、かなり手荒に……」
なんだ、あとで治してくれる気ではいたのか。
目の傷を治すほどの回復魔法となると、人間にしてはかなりの練度だな。
なんにせよ、殺す気ではなかったというのはどうやら嘘ではないらしい。
「ああ吾輩には効かなかったし、問題はない。それに、カリファを思っているのがこちらにまで伝わってきたぞ。ああ、あと存外優しいところもあった」
「そうですか……まあとりあえず仲良くなれたということで、よかったです」
と、そこで思い出した吾輩は、ネズフィラに問う。
「で、結局吾輩が邪神であると信じてくれたのか?」
ネズフィラは一瞬苦い顔をして、それからチラリとカリファの方を向いた。
「とりあえず、ただの人間ではないことは理解しました。しかしあまりカリファ様の前でそういうことを言うのは――」
「私は気にしないわよ? ジョナスって面白いもの」
「ふっふっふっ、苦しゅうない」
「カリファ様がそうおっしゃるなら……。感謝するのですね、ジョナス」
カリファが気にしていないことを知り、ネズフィラも渋々認めてくれた。
そしてカリファが俺の方を見る。金の瞳が俺を捉えて輝く。
「あ、あと私もこれからジョナスって呼ばせてもらってもいいですか? 私もジョナスさんともっと仲良くなりたいと思うので……」
「いいぞ、好きに呼ぶがいい。吾輩は寛大だからな!」
「ありがとうございます、ジョナスさん……じゃなくて」
カリファはクスリと苦笑して「ありがとう、ジョナス」と言い直した。
吾輩は「苦しゅうないぞ、カリファよ」と答える。
「……先ほどから思っていましたが。カリファではなく『カリファ様』ですよ、ジョナス」
ネズフィラが厳しい声で言う。
しかしそれとは対照的に、カリファはゆるりと手を横に振った。
「いいよぅネズフィラ。ジョナス、私のことはジョナスの好きに呼んで?」
「うむ、カリファはカリファだ」
「ジョナスぅぅぅ……!」
ネズフィラが歯ぎしりしながら吾輩を睨んでいる。
怖いぞ其方。
まさかとは思うが、そのままクナイを投げてくるのではなかろうな?
「あれ? ネズフィラは私の決めたことが気に入らないの?」
「そ、そんなことは……滅相もございません!」
しかし、カリファの一言でネズフィラの怒気は一瞬にして納まった。
どうやら普段のネズフィラはカリファに頭が上がらないらしい。
「ところでネズフィラ、吾輩のことをジョナス様と呼んでも良いのだぞ?」
「誰が呼びますか、誰がっ!」
「あははは!」
そんなことを話しながら、吾輩は二人と交流を深めていくのであった。




