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天の詩  作者: 市尾彩佳
6/6

6、旅支度と再出発

 朝食を終えて宿屋兼食堂を出ると、アルパインは開いたばかりの店先を覗いて、いろいろ買い集めていく。

 よくわかっていないテルルは、所狭しと置かれた商品の合間を縫うアルパインについて回り、一番最初に買ってもらった荷物入れに購入済みの品物を詰めていくことしかできない。


 アルパインは衣類を売る店で商品の山を漁りながら、つぶやくように言う。

「寝巻と替えのシャツと。あとは……下着類か」

「──! いい! それは自分で選ぶからっっ!」

 買ったばかりの荷物入れを潰すように抱きしめ、顔を真っ赤にしてテルルは叫ぶ。

 そんなテルルに、アルパインは片手を軽く上げてひらひら振りながら背を向ける。

「予備も含めて3組くらい買っとけ。俺は先に武器屋に行っておくからな。──あ、それから」

 そう言いながら肩越しに振りかえり、にやっと笑う。

「下着くらい、ちったあ色っぽいもん選んでおけよ。子どもじゃないって言い張るくせに、おまえ色気ゼロだからさ」

「余計なお世話!」

 笑いながら去っていくアルパインを、肩を怒らせて見送っていたテルルは、その肩をちょいちょいと叩かれる。振り向けば、お姉さん風な店員さんが、にまにましながらドピンクや赤などの派手派手しい下着を差し出してくる。

「これ、カレシが喜んでくれるわよ~」

「だからあいつはカレシじゃありません!」


 アルパインとの関係はすかさず否定したものの、フリルがついてたり刺繍のアクセントの入ったかわいい下着を見てしまうと「もっと質素なものを」などと言えなくなり、ついつい予定より多く買ってしまう。

「カレシと仲良くね~」

と、言いながら見送ってくれる店員さんに否定するのを諦めて、テルルはアルパインが“一番最後に寄る”と言っていた武器屋を目指した。


 厚い木戸を開けて武器屋に入っていくと、アルパインはカウンターで剣を見せてもらっている最中だった。

 戸が開いた音に気付いて振り返ったアルパインは、テルルに手招きする。

「お、ちょうどいいところに。これ、持たせてもらいな」

 言われるまま鞘ごと剣を受け取り、重さを確かめる。

「どうだ?」

「うん。いい感じ」

 神殿で稽古に使っていた剣と感触が似ていて、手になじむ。

 アルパインはテルルから剣を預かると、一旦店主に返した。

「じゃあ、これ買いで。他にも見つくろわせてもらうよ」

「あいよ」

 それから店内を見て回り、チョッキのような簡素な皮鎧を選ぶ。

「えー? こんなの着けなきゃいけないの? アルパインは着けてないじゃん」

「俺は服の下に着けてんだよ。見られるのが嫌なら、服の下に着ければいい。今は服の上からで我慢しな。……よし、これがぴったりだな」

 合わせ目を紐で閉じると、アルパインはちょっと体を引いてその出来栄えに満足そうにうなずく。それから肩から斜めにかける帯もついた剣帯を選ぶと、それも手際よくテルルの皮鎧の上に着けた。

「その剣と、あの二つでいくらになる?」

 アルパインがカウンターにもたれて立てた親指でテルルを指すと、無愛想な店主はちらっとテルルを見てぶっきらぼうに答えた。

「金貨三枚ってとこだな」

「ほら、出せよ」

「わかってるよ!」

 最初に買った荷物入れから全部、アルパインはテルルが髪を売って手に入れたお金で払わせている。アルパインにたかるつもりはないから払うのは構わないんだけど、“これ買え”“あれ買え”と指図されるのが腹立たしい。

 テルルはぶすくれながら、服の下にしまった銅貨がずっしり入った袋を取り出す。それをカウンターの上に置いて、一枚ずつ数えていった。

「おいおい、全部銅貨で払うつもりじゃないだろうな?」

 呆れた声を上げる店主に、テルルではなくアルパインが答える。

「こいつに金貨や銀貨を持たせたら、“襲ってください”って言わんばかりだからね」

「銅貨をどっさり渡されたのも、あんたの差し金か!」



 ほとんど空になった袋を服の下にしまい直し、テルルはアルパインについて武器屋を出る。

「もう何も買えないからね。これ以上は無理だからね」

「安心しろって。あれで終わりだ。今から早昼食って出発だ」


 露天で軽く食事をしたあと、この宿場町の出入り口近くにある馬預かり所に行った。

 預けていた黒鹿毛の馬がちゃんと世話されていたか確かめると、アルパインは案内してきた男に後金を支払う。

 その間、テルルはアルパインの馬をしげしげと眺めていた。馬もテルルを観察していて、時折威嚇するかのように前足で地面を蹴る。

「何、アブスヴェルムバッハとにらめっこしてんだ?」

「この子、アブ……? うわぁ!」

 振り返って問い返そうとしたテルルの首筋に生臭い息がかかって、テルルは驚いて飛び退いた。

「アブズはプライドが高いから、気をつけろよ」

 アルパインはそう言いながら、馬房の片隅に置かれていた馬具を自分の馬に取り付けていく。

「アブズっていうのね。よろし──っ!」

 テルルは顔を引いて、間一髪でアブズの歯から逃れる。

「こっこの子、あたしのこと噛もうとした!」

「だから言ったろ? プライドが高いって。ナメた真似すると怒るぞ」

 鞍を取りつけるベルトがしっかり締まっているのを確認すると、アルパインはテルルの荷物を受け取って、自分の荷物と一緒に鞍の後ろにくくり付ける。それから馬房を閉じていた木の棒を外すと、手綱を柱から解いてアブズを馬房の外へ誘導した。

「あたしの馬は?」

「すぐに乗りこなせるわけねーし、第一金がねぇだろ?」

 お金のことを言われると、すっかり軽くなった懐具合が痛い。言葉に詰まっていると、アルパインはテルルの頭をぽんと撫でて歩き出した。

「その辺何とかしてやるから、それまではアブズヴェルムバッハに乗せてもらえ」

「アブズヴェ……? 何でそんな難しい名前つけたの? ってぇっ!」

 今度は横蹴りされそうになって、慌ててアルパインの陰に隠れる。

「馬の後ろ脚は横にも伸ばせるから気をつけろよな」

「そーいうことは早く言ってよ!」



「アブズヴェルムバッハ、アブズヴェルムバッハ、……」

 相手に敬意を示すならまずは名前を覚えるところからと、テルルはぶつぶつ唱え続ける。手綱を持って歩いているアルパインは、その様子を横目で見ては苦笑していた。

「よしっ! 覚えた! そういうわけで、アブズヴェルムバッハ、よろ──っ!」

 頭のほうに近付いて挨拶しようとしたテルルを、アブズヴェルムバッハは勢いよく振りむいて噛みつこうとする。またもや間一髪で逃げたテルルは、恨めしそうにテルルより頭一つ分背の高いアルパインを見上げた。

「こんな調子で、ホントに乗せてくれるのかな?」

「俺が乗せろって言えば、言うことを聞くさ」

 その言葉が信じられなくて、テルルはぶつぶつ言う。

「……ねえ、何で乗合馬車を使わないの?」

 テルルが乗馬できないなら、そのほうが簡単だ。アルパインは馬に乗ってついてこればいい。昨日だってそうしたんだから。

 アルパインは、テルルの疑問にあっさり答えた。

「馬車を使うと、簡単には逃げられないからな。おまえも乗合馬車で一緒になった奴らを巻き込みたくないだろ?」

 その言葉が、ずしんと身に伸し掛かってくる。


 テルルが逃げ出したことが知れ渡れば、国中、いや、大陸中で捜索が始まる。

 それはわかっていたことだ。そのこともあって、長い髪を切って、男の子の服を着て、誰にも見つからないようこっそりと神殿を抜け出した。

 長い髪さえなければ、誰もテルルのことを【予言の娘】とは思わないだろう。神殿の奥にまで侵入してきた求婚者たちの反応を見ればわかる(腹立たしいことに)。


 けど、【予言の娘】を手に入れれば覇権を手に入れられる半面、他に奪われたなら覇権を手に入れるチャンスを失うことになる。だから彼らは誰よりも先に手に入れるため必死にテルルを探すだろう。もしかすると周囲の迷惑も顧みずに、追手同士が争うことも起こるかもしれない。


 あたし、やっぱりとんでもないことをしでかしちゃったんじゃ──。

 テルルは後悔に青ざめ、足を止める。

 二歩ほど前に出たところで立ち止ったアルパインは、振り返って呆れたため息をついた。

「どうした? 今頃後悔か?」

 答えられないテルルの頭を、アルパインはくしゃっと撫でる。

「あのなぁ。神殿の奴らの言うことなんて大げさなんだって。おまえが何をどうこうしたところで、そう簡単に予言が変わるわけはないさ。だいたい、おまえが逃げ出したら世の中にとんでもないことが起こるっていうなら、予言師の誰かがその予言を受け取って、おまえが逃げ出さないようにしたはずだ」

「あ、そっか……」


 すでに降りている予言が変動する時は、必ず何らかの予言が降りる。テルルにはすでに、予言の中でも特に重要な【天命】が降りている。そのテルルに関わる運命に変動があった場合、それを受け取ることのできる【神の謳い手】が神殿内にいるのだから、逃亡は事前に察知されて阻止されたはずだ。


 納得したけどまだ不安で、腕の陰からアルパインの顔を覗く。すると、アルパインは皮肉げに口の端を上げて、力いっぱいテルルの髪をかき回した。

「いたいいたい! 何すんのよ!」

「逃げられない云々って話は、万が一を考えてのことだから心配すんな。神殿なら、おまえが逃げ出したことをひた隠しにするさ。世間をいたずらに混乱させるわけにはいかないし、自分たちの恥をさらすことになるからな」

 背を向けて歩き出したアルパインに、髪を手櫛で梳かしながらテルルは叫ぶ。

「それはわかったけど、何で髪ぐしゃぐしゃにすんのよ! 乱暴にされすぎてハゲたらどーするつもり!?」

「その前に、悩み過ぎてハゲるんだろ?」

 アルパインが「ははは」と笑い声を立てたその時、街道の上を渡る大木の枝が大きく音を立てて揺れる。

「覚悟──!」

 その掛け声とともに、アルパインの頭上に人影が落ちてきた。

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