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天の詩  作者: 市尾彩佳
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4、逃亡は当然失敗──のハズが

 ひとしきり笑って満足したらしいアルパインは、身軽な動作でベッドに体を起こした。

「さてと。それで、どこに行きたいって?」

「へ?」

 テルルが目をしばたたかせながらつぶやくと、アルパインはおかしそうに眉を上げる。

「何だよ。せっかく自由になれたんだから、行きたいところがあるんじゃねぇの?」

「だって……強制送還じゃないの?」

「俺は護衛で、おまえの身を守るのが仕事であって、それはおまえがどこにいようと大抵できることだからな」


 確かに、テルルを神殿に閉じ込めていたのは神官や神殿兵で、護衛はただ守っていただけだ。

 でも、だからといって護衛対象を野放しにしておいていいのか!? 護衛隊長!


 とはいえ、せっかく自由にしてくれるというこのチャンスを逃す手はない。

「……じゃあどこに行ってもいいってこと?」

「どーぞ、お好きに。ただし、護衛兼保護者として、俺もついていくから」

 膝に肘をついて前屈みになったアルパインは、片方の唇の端を上げて皮肉げな笑みを浮かべる。

 アルパインがよくするこの笑い方は、何だか馬鹿にされているような気がしてテルルは好きじゃない。それに“保護者”? 15歳にもなればおとなとそう変わらないのに、まるっきり子ども扱いされてむっとする。

「護衛はともかく、何で保護者? あんたが邪魔さえしなければ、あたし一人でも旅できるんだけど?」


 実際、テルルは自力でここまで来た。

 路銀と旅装を手に入れて、乗合馬車に飛び乗って神殿のある街から遠く離れたこの街に。


 “あたしにだってこれくらいのことはできる”と自慢げに胸を張るテルルに、アルパインは呆れたように苦笑した。

「おまえ、馬鹿か」

 馬鹿呼ばわりされて、テルルはかっとして怒鳴る。

「何よ、その言い草!」

 アルパインは前屈みにしていた体を起こして両手を腰に当て、言い聞かせるように話し始めた。

「あのな、古着屋の店主がおまえの髪を切って買い取ったのは、俺がわざわざ報酬を払ってそうしてくれるよう頼んだからだ。どう見ても庶民っぽくない長さの髪を、切って買ってくれと言われたってまっとうな人間なら手をつけたりしねぇよ。それに、亜麻色の長い髪といえば、あの街じゃ【予言の娘】の特徴として有名だ。現に古着屋の店主も、神殿か街の警備隊に連絡を取って、おまえの身元を確認しようとしてたんだぜ? おまえが神殿に捕まらず金を手に入れられたのは、俺のおかげなんだよ」

 この話が嘘ではなく本当だろうと気付いて、テルルはショックを受ける。


 古着屋のおじさんが店の奥に入れてくれる前、テルルは巡礼服のフードを目深にかぶって、いつ追手が来るかとひやひやしながら待っていた。その間にアルパインは、テルルの髪を買うようおじさんを説得していたという訳だ。

 道理で妙に親切だと思った……!

 それもアルパインの差し金だったに違いない。


 再びがっくり項垂れたテルルに、アルパインはさらなる追い打ちをかけた。

「あと、乗合馬車の御者が大声で呼び込みしてたのも、俺が頼んだからだ。普通はああいうことしないんだぜ? おまえが馬車乗り場わからなくてうろうろしてたから、乗り遅れないように叫んでもらったんだ」


 アルパインの言う通りだ。テルルは下手にいろんな人に声をかけて目立つのもマズいと思って、道を聞きそびれていた。内心焦りながら自力で人ごみの中を歩いていたら、近くで「もうすぐ出発するよ~ 今日一番遠くへ行く乗合馬車だよ~」という声が聞こえてきたから、テルルは渡りに船とばかりにその馬車に乗り込んだのだ。


「乗合馬車がああいう呼び込みをしても、もう誘いに乗っかるなよ? 何かの罠かもしれないからな」

 うん。アルパインの言う通り、罠みたいなもんだったんだよね……。

 そしてテルルはまんまと、その罠にかかってしまったということだ。

 一人で逃亡できなかった証拠を次々挙げられて、テルルはついさっき自慢げに胸を張ったことが恥ずかしくなってベッドの上にへばりそうになる。


 座った状態から身をひねってベッドに両手をつくテルルに、アルパインはたった今説教してたとは思えない気安い口調で声をかけてきた。

「それで、どこに行きたいって?」

「……」

「そんなこったろうと思ったよ」

「なんにも答えてないんだけど!」

 勢いよく正面を向いてがなるテルルを気にした様子なく、立ち上がって近寄ってくる。

「行き先も目的も決めてなかったんだろ? 一晩寝ながらよく考えろ」

 アルパインはそう言いながら、テルルの頭を軽く叩いた。


 叩かれた頭を両手で押さえながら、テルルは心の中で一人ごちる。

 寝てる最中に考えごとなんてできないけど……。

 ツッコミなんか入れたら、アルパインなら何倍にして返してきそうだ。そう思って黙っていると、アルパインはベッドの陰に置いてあった袋をごそごそと探りながら言った。

「そういうわけで、寝るぞ」

「アルパイン、まさかここで寝るの!?」

 テルルが頭から手を離して驚いた声を上げると、アルパインは振り返って当然とばかりに言う。

「当たり前だろ? 神殿ならともかく、市井の中じゃそばにいなくちゃ護衛にならないからな」

「うら若き乙女と同じ寝室で休む気!?」

 自分の体を抱くようにして、テルルは身を守る。アルパインは呆れたため息をついてから、袋のほうに向きなおった。

「誰が“うら若き乙女”だ。こっちはおまえがションベン臭いガキの頃から知ってんだぜ? 今さらおまえに食指は動かねーから安心しろ」

「ショ……! それ女の子に言う言葉!? てか“食指”って何? ──ふべっ」

 顔面に何かの布を叩きつけられて、変な声を上げてしまう。

 重力に従って落っこちたそれを両手で受け止めると、アルパインは人差し指でそれを差した。

「寝巻代わりにしろ。明日旅の荷物を整えてやるから」

「……どこで着替えろって?」


 テルルは顔を思いっきりしかめながら、きょろきょろ見回す。ベッドが二台あるだけの狭い部屋で、衝立も何もない。


 アルパインはさっきまで自分が座っていたベッドにかかっていた毛布をめくり上げながら、どうということないようにあっさりと言った。

「俺が背を向けときゃいいだけのことだろ?」

「え? アルパインは着替えないの?」

 ブーツも履いたまま毛布の中に潜り込むアルパインを見て、テルルはうろたえて尋ねる。

「緊急の事態に備えてな。おまえは旅装を解いて楽にしろ。普段しなれないことして疲れただろ。休める時に休んでおかないと、いざという時動けないぞ」

 アルパインは背を向けて横になると、ぴたりと動かなくなる。


「アルパイン?」

 少しして声をかけてみたけれど、アルパインはうんともすんとも答えない。

「ねえ、アルパインってば!」

 さっきより大きめの声をかけてから耳をすましても、聞こえてくるのは深くて長い呼吸の音だけ。

 どうやらすでに眠ってしまったらしい。

 アルパインが寝る姿を初めて見るけど、こんなに寝つきがいいとは初めて知った。

 テルルは半ば感心し半ば呆れてため息をつく。


 一息ついたところで、渡された(というかぶつけられた)服を広げる。

 アルパインのものと思われる、大きなシャツ。下は渡されなかったけど、丈が長いのでテルルの膝上まですっぽり隠れるだろう。

 生足をさらすことになるけど、どうせ毛布に潜り込むのだから見えるわけじゃない。

 今寝たばかりだからすぐ起きるわけがないと思いながらも、アルパインをちらちら見て振り向かないのを確認しながら、テルルはそろそろと着替えた。

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